誰がための矜持



 ——大雪像祭当日 ダフロイト警備隊本部。



 今夜は何かと忙しい。



 <宵闇>も森の都に向かったのだろうか?

 先ほど国境の状況を伝えはしたが、胸騒ぎを感じるのは何故だろう。

 

 あの光の柱といい——ランドルフは手慣れた様子で硬皮のブーツへ紐を通し丁寧に締めてゆく。そして、顔をあげ西に口を開いた窓から覗く赤く染まる夜空に目をやった。


「光の柱といい、ガライエ砦といい今夜はまだ何かありそうだな」

 光の柱の情報収集を命じられていたランドルフはその報告に警備隊本部へやってきていたが、すぐさまガライエ砦調査の任を受け準備をしていたところだった。ガライエ砦が燃えているとの報告が上がってきたのだそうだ。


「あ——はい!」


 独り言のようにも聞こえたランドルフの言葉だったが、自分に目を合わせたのに気がついたランドルフの部下は「大隊長、報告します!」と最敬礼をとり言葉を続けた。


「つい先刻、北大門へ所属不明の魔導師が駆け込んできまして——」

「所属不明?」

「はい、魔導師はどの教会の印も持たず、ただ自分は魔導師だとしか」

「そうか、それで?」

「はい、曰くガライエ砦は解放戦線に占拠されたのち——」

 またか——ランドルフはそう云って右の親指と人差し指で両目をキツく摘み、呆れた表情で「それで?」と続きを促す。

「砦地下にあった吸血鬼の塚が掘り起こされると、眷属が覚醒、その群れによって全滅をした模様。現在、孤立無援の状態で一人の戦士が、始祖と対峙しているとのことです」


 そうか、承知した——ランドルフは警備兵に声をかけると、続いて大きく腹の底から溜め息をつきながら西の窓から顔を出した。やはりあの赤く空を染め上げるのは、ガライエ砦だった。それに吸血鬼が溢れ出てきていると云う。


「その戦士というのは」

「はい。アッシュ・グラント、宵闇の鴉です」

 ランドルフの胸騒ぎはいつも予知でもしているかのように、よく当たる。

 だから、そんな時は慎重に落ち着いて考えるようにしているのだが、どうやらそんな時間も余裕もなさそうだ。吸血鬼の始祖といえば、それこそ天災のようなものだ。雪竜王と同等に考えて良い。

 

「よし、その魔導師に会おう。お前は隊の編成を頼む。二個小隊で周囲の索敵、一個中隊を編成して大門で待機。私の合流を待っていてくれ。吸血鬼を蹴散らしに行くぞ。その魔導師が……いや、とにかく会おう」





 ——大雪像祭当日 ダフロイト北大門警備隊詰所。


「——そして、宵闇の鴉が、最後に残った始祖と対峙するところまでは見届けましたが、そのあと私は——私は逃げ出しました。でも、あの光の柱が気になり——いいえ、アッシュ・グラントを助けてもらいたく救援を求めた次第です」


 エステルはダフロイト北大門の警備詰所に通され、そこへ到着したランドルフにできるだけ詳細な顛末を伝えていた。

 随分とくたびれて薄汚れた外套ですっぽりと身体を包んだエステルは、小降りのテーブルを前にし木製の椅子に身体を預けていた。目深に被ったフードから、辛うじて見える口だけが、彼女が女性であることを知らせたが、どうも意図的に素顔を隠しているようにしか見えない。

 ランドルフは、状況を説明するエステルが焦燥に駆られていることも、そして少なからず小刻みに震えていることも、どことなく気がついていた。

 焦っているのは自分も同じだったが、それでも、ここは可能な限り、不審な魔導師を刺激せず、話を——情報を引っ張り出そうと合わせた。



「そうでしたか、よく知らせてくれました。アッシュは単騎で吸血鬼の群れを——あの竜殺しに至ってはきっと始祖が相手であろうと心配はいらないでしょう。それに、我々もガライエへの調査を命じられたところですので安心してください——それよりも魔導師殿。討ち漏らした吸血鬼に屍喰らいがどれ程かわかりますか? ダフロイトに雪崩れ込まれては一大事ですので、それはそれで小隊に当たらせたいのですが」

「わかりません。私も必死に逃げたので——」

「吸血鬼、それも始祖ともなれば天災に見舞われたのと一緒です。必死に逃げるのもわかります。あれを相手にできるのは、狩人達だけですからね。でも——」

「時間がないのです」

「なんですって?」

「私がアッシュ・グラントの元を離れてから、随分と時間が経っています。幾らあの宵闇の鴉といえども吸血鬼の始祖を相手では——」

「それはわかっています。ですから私も少々焦っています」

「だったら!」


 バン! 焦っていると云うのであれば何故直ぐに行動に移さないのかとエステルは苛立ちを露に目の前のテーブルを激しく打ち付けた。詰所の中は先ほどから、どこか慌ただしい雰囲気になっているのだが、どうも何かを待っている、そのような空気が流れているのだ。


 何を待っているの?


 エステルは先ほどからその喉に小骨をつっかえたような空気を読もうと必死に思いを巡らせたのだが、小骨を掴みきることができなかった。だから、目の前の男の煮えきらない態度に苛立ちを覚えたのだ。

 ランドルフは魔導師の激情を合図に遠巻きから様子を見守った警備兵へ目配せをした。部屋の北側と南側の扉を固めさせたのだ。そして剣の柄に手をかけた者には、それを納めさせた。


「ところで——」

 ランドルフは落ち着きを払い低い声で云うと、魔導師の傍に立ち彼女を見下ろした。

「その吸血鬼の塚と云うのをあなたは目にしているのですか? 仮にもあそこは、今では廃墟となった砦ですがかつての軍事拠点、おいそれとそんなものがあると想像ができないのです」

「今更!」エステルはそれに再び声を荒げた。

「そうです、今更です。ですが、いいですか? あなたを信じろと云う割には、あなたはその証拠も、根拠も、あなたの素性でさえも我々に提示していない。それを一方的に信じろと?」


 正直なところランドルフは、赤く染まる西の夜空を目にし何かが起きていることはわかっていたし、先ほどの胸騒ぎもあった。だからこそ、慎重でありたいと思ったのだ。十中八九、魔導師は本当のことを云っている。始祖と対峙しているのがアッシュであることも確実だろう。それでもだ。確かめなければいけないことがあるのだ。それは、あの日に誓った「胸騒ぎがしたら徹底的に慎重になれ」という自身への誓約を遵守するため必要なことなのだ。ランドルフは、こうなっても目深に被ったフードを取らない魔導師の周りをゆっくりと歩きながら話を続けた。


「質問を変えましょう——と、その前に私もあなたも焦っています。時間が惜しい。そうですね?」


 エステルは小さくかぶりを縦にふった。


「ならば、手っ取り早く——」





 ランドルフ大隊。自分の名を冠にした大隊を預かった際、映えあるダフロイト評議会から贈られた銀の短剣はいつでも腰帯に忍ばせてある。ダフロイトは永世中立都市であるから人間同士の戦争に巻き込まれ、生き死にの選択を問われる場面に遭遇することは考えにくい。しかし、万が一、億が一にもそのような場面に出会したのであれば、死を選ばせるのであっても自身が命を絶つのであっても、この銀の短剣を差し出し最後の刻を迎えようと心に決めていた。


 カラン——くぐもった金属音が詰所に響いた。


 終始、俯き頑なに素顔を隠すエステルの目に、天秤と女神をあしらったダフロイトの紋様が飛び込んできた。それはランドルフの短剣だった。


「証拠を、いえ、証明を——」冷ややかで鋭い語気がエステルの鼓膜を揺らした。

「ど、どういう——」

「あなたが吸血鬼ではないという証拠を見せてください」


 ガシャ! ガシャ!

 

 周囲の警備兵が雷に撃たれたように片手剣を抜刀した。

 その可能性を——彼女が吸血鬼であるという可能性を遠巻きの警備兵達は考えてもいなかったのだ。

 先ほど練兵場で隊の編成がされた。

 今度の相手は、街のゴロツキでも山から降りてきた妖魔でもなく、吸血鬼だと周知されていた。そう、恐らくだ。そうではない可能性もある。殆どの隊員はそう思い、きっと相手はそれではないと高を括っていたのだ。だから、大隊長が示した一つの可能性。目の前の自称魔導師がダフロイトに入り込もうとしている吸血鬼だという可能性に条件反射的に皆反応をしたのだ。


 実にまっとうな反応だ。

 大隊長は周りを見渡し、今度は納刀をさせず続けた。


「吸血鬼とは銀に弱く、その刃で傷つけば、たちどころに傷口が壊死します。人であればただ血を流すのみ」


「…………」

「魔導師殿。云っている意図、汲み取っていただけますね」

「はい、十分に」

「それはよかった。時間はそう残されていません」

「はい、それも十分に」


 簡単な話のはずなのだ。


 目深に被ったフードを払い、素顔をあらわに素性を明かせば良いだけなのだ。そばかすだらけの顔を恥ずかしがる必要はないし、むしろ自信を持ったって良いくらいだ。故郷のエイヤではちょっとした有名人だったではないか。

 そんな簡単なことができない理由は二つある。

 エステルに体を求めせまったあの生臭坊主、ダフロイトの魔導師の存在だ。

 激しく拒否をされたあの男は、御神体を盗み出そうとしたという濡れ衣をエステルに着せ、恐らくは公にも指名手配をしている。それがここにも勿論、手が回っている。そもそもエステルは巧妙に偽名を使っていたことから、よっぽど詳しい人相手配をされない限り逃げ切れるとは踏んでいる。



 困難なのはもう一方の理由だった。出自である。家を出奔をしたと、では思っているし、戻るつもりも毛頭無い。しかし、家督を継いだ兄があらゆる手段で、それこそ国中を探し回っていると聞いたことがあった。

 エステルは姓をベーンという。

 アークレイリ王国でこの姓は、一つの家柄のみを表している。ベーン公爵家は王家傍系の一族であり先祖代々家督がアークレイリ軍元帥を勤める生粋の軍閥貴族だ。現在はエステルの兄、長兄アルベリクがそれを継ぎアークレイリ軍元帥に就いている。そのアルベリクは、もとより率いていた第一騎士団<白竜騎士団>団長を兼任し北の海賊との攻防戦、リードラン解放戦線との小競り合いといったものにも未だ腐心する苦労人でもある。


 エステルは幼い頃から長兄の背中を見て育ってきた。


 剣技であったり乗馬であったりもそうだが、何よりも長兄の人柄から多くを学び、尊敬の念を抱いた。しかし、家督相続の話が持ち上がった際に言い渡された婚姻の話が、その長兄からもたらされたことに心を痛め、エステルは家から出奔したのだ。

 婚姻がベーン家にとってどれだけ有益であるのかを懇々と説明され、では、エステル自身の人生を尊重してもらえないのかと詰め寄ると「子供ではないのだから聞き入れろ」と大人の事情を押し付けられたのだ。そしてエステルは家を出て、もともと素養のあった魔導を学ぼうと、身をやつし現在に至る。

 どんな理由があるにせよ兄は家を守ることにご執心で、妹の素性が明るみに出て悪用されることを懸念し、血眼になってベーン家の跳ねっ返りを探し、あらゆる包囲網をはっているわけだ。だからここで素性を明かすことは、エイヤに居る兄の耳に直結すると思ってよかったのだ。


 それであれば取る方法は一つしかない。

 目の前にころがる銀の短剣で軽く腕を斬ってみればよいのだ。

 難しい話ではないし、人生と天秤にかける必要もなく、そうすれば良いのだ。

 それでアッシュの役に少しはたてるかも知れないし、もとよりこうなる可能性は覚悟もしていたのだ。

 

 だから——薄汚れた外套から震えた手を伸ばし冷たく光る銀の短剣を握ったエステルはカタカタと刀身を震わせ、ゆっくりと鞘からそれを抜いた。そして片方の腕をまくり、鋭さのいななきが聞こえそうな刃を白い肌に軽く押し当て引こうとする。

 その時だった。

 暖かく分厚い手が短剣を握った小さな手を押し留めた。


「私には妹がいました。妹は私とは大違いで華奢な身体をしていて、そうですね、ちょうどあなたのような背格好なのだと思います。綺麗なブロンドが自慢の美しい妹でした」


 押し留めたのはランドルフだった。

 エステルは小さく息を呑み、震える自分の手を握りしめた分厚い手を見つめ次の言葉をまった。


「妹はある日の夜、暴漢に襲われたのですが、とある女に助けられました。そして恋に落ちたのです。しかし、どんな運命の悪戯なのでしょうね。その女は吸血鬼でした。そして妹は——奴等の眷属となることを受け入れたのです」


 ああ、なんという——エステルは思わず小さく声を溢した。

 ランドルフの手がほんの少し暖かくなった。


「妹は暫くのあいだ私達と暮らしていましたが、ある日、私が館に帰ると父も母も弟も、使用人に至るまでが妹の牙の餌食になりました。その時初めて彼女が吸血鬼になったのだと知りました。私はずっと嫌な胸騒ぎを感じながら、妹とともに生活をしていたのです。それが裏目に出てしまいました」

 きつく握られた短剣を優しくエステルの指をほどきながら受け取ったランドルフは、それを鞘にしまいテーブルへ戻した。

「妹は吸血衝動に自我を奪われていたそうなのですが——その行為自体は鮮明に覚えていて」


 ランドルフはそのまま、エステルの顔を覗き込む事はせずテーブルを挟んで対面に座った。


「家族の遺体に囲まれ、ひたすらに謝り続けていました。帰ってきた私に、泣きじゃくりながら云いました。——殺して下さい、と。この銀の短剣で胸を突けば全身の細胞が壊死して死ねると」


 無骨な人差し指で短剣の柄をトントンとランドルフは突いて見せた。


「良く見れば妹の首や、はだけた胸の辺りには何かで突き刺そうとした跡が残っていました。自傷の跡です。きっと銀の燭台で突こうとしたのでしょう。それを見たら——私は妹を刺すことができませんでした」


 エステルは小さく「ええ」と相槌をうつことしかできなかった。

 ランドルフはそこで言葉に詰まると湧き上がる嗚咽を呑み込むように大きく息を吸い込み、そして、身体を椅子の背もたれに預けた。


「さて、魔導師殿。これ以上の詮索は致しません。あなたの覚悟はしかと頂きました。疑ってしまい申し訳ない。これも職務上のことと堪えて頂きたい。クリストファー、外に待機させた中隊へ出撃の通達を。索敵隊には大きく南から回ってガライエで合流するように伝えろ。道すがら吸血鬼の残党を発見したら、迷わず斃せ、一歩たりともダフロイトの地を踏ますな。——魔導師殿はどうされますか?」


「ありがとうございます。妹さんはもしや——」

「はい。十中八九そこに居ると考えています。ビークへ続く北街道、国境付近では解放戦線どもの活動が活発だったことと、それに合わせて不審な失踪事件が多く報告されていました。最初は解放戦線の仕業かと思っておりましたが、どうも失踪した人々が様々だったのです。つまり、手当たりしだいに失踪していたのです」

「そうですか——では」

「はい、そこいらで吸血鬼が巣を作れるところといえば、恐らくガライエ砦かと」

「わかりました、私はアッシュ・グラントに借りを返さなければいけません。だから同行させてください。それと——」


 エステルはそう云うと、それまで目深に被ったフードを取り払い、赤髪をあらわにし素顔を見せた。


「私のことは、アムネリスとお呼びください」


 ランドルフは魔導師の顔を見て、ハッとした。

 過去に何度か見かけたことのある顔だった。アークレイリ人、取り分け王族の血に近い一族で見られる特徴的な深い赤髪と赤瞳。<北海の和約>に乗っ取り発令されていた手配書の中に見かけた人相には、活発さを伺わせる、可愛らしいそばかすのことが併記されていたのを思い出した。


「わかりました、アムネリス。勿論、詮索しません。あなたは我々の街の危機を知らせてくれた友人ですから」


 ランドルフはそう云って右手を差し出した。


「ありがとうございますランドルフ大隊長」

 分厚い優しい手を握り返してエステルは微笑んだ。

「アムネリス我々は友人です。敬称は必要ありません」

「そうでしたね、ランドルフ」優しい大隊長だ——エステルは軽く膝を折って敬意を示した。

「ええ、参りましょう」





 今夜は随分と街道が騒がしい——ダフロイトの北東、月海の端にほど近い山肌へ大きく開かれた棚田からも西の空が赤く染まる様子と、街道を外れ廃砦に向かう軍馬の一団が掲げる魔法の角灯かくとうの列が見えた。


「お父さん、どうしたの?」


 先刻轟いた怪音に目を覚ましてしまった、ルエガー農園のアイネは目を擦りながら、父が眼下に伸びる街道を眺めている傍までやってきた。


「眠れないのか?」

「うん。なんか騒がしいね」

「ああ、今夜は随分と騒がしいな。アイネ、明日は早いから——眠れなくてもベッドで目を瞑っていなさい」

 そう云った父は自分のことを見ておらず西の空から目を離すことはなかった。アイネはそんな父の横顔に不安を覚えて「お父さん?」ともう一度声をかけた。


「ああ、すまん。大丈夫だ。お父さんももう寝るよ」

「うん、早く中に行こ。ちょっと寒いかも」



1_Let The Bad Times Roll _ Quit



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