第9話 依頼人エリザ(ヨジャ・シウォナ)

午前十一時四十五分 ベロニカジャスミンのアパート


破壊されたカートゥン時計の破片を壁側に押し込んでリビングを開けたベロニカは依頼人を低いテーブル奥の窓側に座らせた。


依頼人エリザは夢中で「モトリーピザハウス」から届いたピザを食べて水で流し込んでいる。エリザはクイーンズの「ハイロウズマネー」から相当な額の借入をしていたこともあり今回は百万ドルで契約をした。


ベロニカは先ほど殺したカイル(パイロット)の持ち金と合わせて四百万ドルの報酬を一日で手に入れる事となった、これはかなり大きい額だ。ベロニカは少し余裕が出たせいかピザには手をつけずにソファーで足を組んで依頼人を見て微笑んだ。カイルを殺したことはこの仕事をこなした後で考えれば良い。


「さっき決闘をした時に手に入れたパスポートがあるからあなたの写真を貼り付けておくから使うといいと思うのだけど、エリザって名前じゃナメられるからこの街で生きていくための名前を決めないといけないわ」


「見たところアジア人だから…そうね、ヨジャ・シウォナ…でどうかしら」


「あなたはバイクを運転できる?パスポートとセットで譲ってもいいわよ。ボディーガードの報酬は相場の三倍だから無料でいいわ」


たった今ヨジャ・シウォナと名前がついた女はピザを飲み込んだ後に水を飲んで一息ついた様子で答えた。


「記憶はないのですがバイクは運転できる自信があります、バイクは後で受け取ります。ヨジャ・シウォナ…かこれも覚えが曖昧ですけど、女優さんみたいな名前でいいですね」


「じゃあこれからはあなたをヨジャと呼ぶことにするわ」


「今日の夜、あなたはセントラルからハローズファーム工場に出稼ぎに出るヨジャ・シウォナという設定を頭に入れておいてね。詳しい内容は追って説明するわ」


「報酬は貰うけど。ハイロウズマネーの取り立て人は相当な手練れだから顔が割れている以上、夜逃げした後は二度とハローズから出ないことね。ただこの街では借金をして踏み倒すのは賢いやり方だと言えるから悪くない選択だと思うわ」


唾を飲んだヨジャはこの街にきた人間の誰もが口にする事をベロニカに問うた。


「借金を踏み倒すのは賢いのですね。一体この街はどうなっているのですか?明らかに…というか記憶がないにしてもですよ、前にいた世界はこんな核戦争後の世紀末のような感じじゃなかったと思うのですが」


沈黙が流れた、この街が異様だという考え方にはベロニカも同感であると同時に現在金を稼いでいる目的も記憶を取り戻すことで、その目的を達成すればこの異様な街の実態が見えてくるのではないかと信じて仕事をしている。


ヨジャには記憶を取り戻せるかもしれない方法があることを伝えても良いが、クイーンズに金を借りた人間は「クイーンズ大病院脳外科」で診療を受けることはできないはずなのでベロニカはこの話はしないことにした。


「無人偵察機とかヘリコプターだとかあるいはミサイルが飛んできて情勢が変わって外の世界のことがわかるかもしれないから、そういった事が起きるまでは生き延びる以外の選択肢はない…と思うわ」


今までそういったことは一度も起きていないのだが可能性はゼロではない。だが何かが引っかかる。それはこの閉鎖されたロンドンに住む人間は皆持っている疑心なのだ。




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