猥談
チェーン店の中でも一際安いコーヒーショップ。メインターゲット層は年金暮らしの高齢者であり、傾いたテーブルの軸足が尚更安っぽさを加速させる。アメリカンと呼称することすら憚られるような薄味のコーヒーがふたつ並んで、その間には面接内容をメモするルーズリーフが置かれている。俺の手汗でちょっと皺になって小汚い、左下を隠すようにして汚い字を走らせた。
「日本人?」
「んー。ちょっと混ざってます」
「ちょっと」
ハーフ美女、とか異国の美少女、とかの煽り文がパッと浮かぶ。日本人だとしてもそこまでの違和感はないのだが、そう言われると「ちょっと混ざっている」気がする。だがパッケージや宣材、なんなら商品そのものの低俗さとは裏腹に、こうした前段階の打ち合わせ、なんなら今日は打ち合わせ以前の面接にすぎないわけだが、その段階での言葉選びにはずいぶん苦心する。言わなくて良いことを言って、できるはずのものができなくなるのが何より嫌だからだ。あんなものが出力される割に、業界内部の倫理観は世間で思われるそれよりかなり厳格だ。
「ハーフはダメですか」
「いや。この業界ハーフは大好きだろ。ハーフ?」
「正確にはクォーターっていうか…でもよくわからないです」
「ていうか、ハーフとかクォーターとか、本人が言うんだ」
「ミックスとか言ったほうがいいですか?」
「俺に訊かれても」
ミックス処女デビュー、という単語を脳内でつなげる。そこじゃないだろ、という配慮の間違い方に思わず笑った。人権に配慮したAV撮影は、少なくともまだこの国の消費形態には時期尚早だ。
「よくわからないって面白いね」
「親もよくわからないんです。育ての親と血縁の親が違うから」
「ちょっとしたミラクルでここにいる系」
「系です」
「なんでAV出ようと思ったの?」
こういうことはカメラが回ってから聞くべきだったかもしれないが、流石に店員から死角になる席だとしても商業施設の中で無許可のカメラを回す度胸は俺にはなかった。女は照れる素振りもなく、考えるふりすらせず、お金です、と即答した。そしてその後、得意なことを活かしたいからです、と付け加えた。
「得意?」
「嫌なことを嫌って顔するのが得意です」
「そりゃたしかに……向いてるな。意外と出来ないんだよな」
「そうですよね」
「なんで女の子ってあんなに、嫌なことでもヘラヘラ笑って受け入れちゃうの?」
「そうしろってちっちゃい時から言われてるから」
「マジ? そういうもん?」
「でも多分、男の子の方がもっとそうだと思う。男の人もたぶん、もし知らない男にやられそうになったら、ヘラヘラ笑ってる気がする。本気で嫌なときに笑って誤魔化すの、みんなそうだと思います」
「へー」
俺はヘラヘラ笑ってルーズリーフにNGなし、と書き込んだ。まさに今この瞬間、ヘラヘラ笑って嫌なことをやっている自分に気づいて口元を覆ったが、彼女は何も言わなかった。見下したような笑顔が非常によかったので、俺はすっかり面接をやる気を無くし、握手のために手を出した。
「採用。君いいわ。撮らせて」
「ありがとうございます?」
「うん」
「私でも、まだ何もエロいこと言ってない」
「いいんじゃないですか。そういうのはどうでもいい。嫌なことを嫌だって表現できるだけで、勝手にエロくなるよ」 「そういうもんですか」
「そういうもん。あとは俺らに任せて」
「なんか、エロって寂しいですね」
「わかる?」
そうなの。エロって、杓子定規でマジでつまんねえの。売ろうと思ったら既定路線の焼き直し、お約束の定番を首すげ替えてやってるだけ。カラんで出して、組み敷いてまた絡まって、新しいことやっても当たらなきゃ意味ないし。俺はこれから業界に入ろうとしている未経験の新人に盛大なネガキャンを打ちながら、ダサすぎる己の行いを腐しこそすれ、間違っているとは思わなかった。こんなのはオワコンの愚痴に過ぎないし、そうですねと言われても違いますと言われても己が気分を害することはわかっていたのに、とめどなかった。そのうち彼女がげんなりして帰ることまで想定しながら、その矮小さ、その将来性のなさ、発展性のなさをひたすらに嘆いた。
「コーヒー飲んで良いですか?」
「あ、はい。どうぞ」
「なんか……あれですね。なんでAV撮ってるんですか?」
「金のため」
「私と一緒じゃないですか」
「だからやってるんだよ。俺、自分が本当にエロいと思うもの撮っても、絶対売れないし」
「何が好きなんですか?」
空っぽになったコーヒーの容器を天井に逆さまにして、一滴残さず飲み干しながら彼女が問う。俺はボソボソと今日いちばん小声で説明した。エロさとは程遠いそれが癖だと人に話すのは初めてだったが、彼女はしっかりうわぁという顔をして、実際に声に出してうわぁと言った。
「本当に得意なんだな。嫌なものを嫌って言うの」
「すみません。マジでキショくて」
「俺の方がすみませんだよ」
「私たち、いいものが撮れそうですね」
「いやいや。監督俺だから」
「主演は私では?」
俺は不思議そうに目を丸くする、アイデンティティ不明の少女に対する反駁の手段を持たなかった。嫌なものを嫌と言う女が、少なくとも今こうして乗り気であることは、悪くないと言ってもいいのではないか。悪くないと思わせたのが俺のヘキなんだったら、それだけで十分なのではないか。
「主演頼みます。よろしくお願いします」
「なんか仕事みたいですね」
「仕事だよ」
なんとなくルーズリーフに仕事、と書き込んだ。こんな気持ちで仕事に臨むのは、わりと久々な気がした。
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