灰皿


 寝た後で吸う煙草が好きだ。おそらくいま、隣でコンドームを捨てている人もそうだ。だからわたしが先にライターを使って、深くまで息を吸い込んだ瞬間にあ、という顔をした。

「待って」

「んー?」

「ずるい、先に吸うなよ」

「あげるよ」

「まって、先に手洗ってくる」

 どちらのどんな部位からかわからない体液で両手がぐちゃぐちゃだった。わたしはそれほどでもなく気にもならないが、彼は気になるらしい。いろんなところに無遠慮に触れ回るからだ。寝室を出て洗面所へ、静かに移動する足音を聞きながら深呼吸を繰り返す。ベッドサイドの灰皿は清掃が行き届いて、年季が入っているはずなのにくたびれた感じがなかった。とん、と灰を落とすと冷たいクリスタルの質感が触れた。

 手を洗って帰ってきた彼はいそいそとパッケージから新品を抜き、唇の端で甘く咥えて突き出してくる。大型犬に似ている、と思う。ご飯を食べるときもそう。買い物に行くときもそう。わたしに何かして欲しそうにかかわってくるときは、存在しないはずのリードを幻視しそうになる。

「火つけて」

「めんどくさ」

「いいじゃん。お願い」

「あざとい。そういうことすると喜ぶって昔の女が教えてくれたの?」

「嫉妬か」

「ちがうから。女王様気質の女に躾けられてんのアホみたいって思っただけ」

「ちゃんと付き合った子はみんなお姫様みたいだったよ」

 ばかばかしい。わたしはお姫様ではないので、男の唇から生えた雑草みたいなへにょへにょのタバコに火をつけてやる。萎びて芯がなくて、なんとなく今くらいの時間帯に絶妙に合致する気がする。一度寝た後の0時30分。日付が変わった直後って、なんだかうまく言えないけどやらかしたような気がして、何回か寝ただけのこの男がわけもなく可愛く見えてくる。何かの脳のバグだと思う。丸っこい胸筋なんて元々は全然好きじゃないし、太い腕を誇らしげに見せてくる鬱陶しさも、表情の大きく動く大げさな顔も、まったく好みではないのだ。好みではないのに可愛く見えるのがふしぎだった。女は寝たら情が湧くって案外本当の話なのかもしれない。

「ありがと」

「ヘラヘラ笑っちゃってさ」

「拗ねてる? かわいい」

「だまって」

「やってるときはもっとかわいい」

 タバコを唇の先で吸う軽薄な所作も好きじゃない。軽薄な言葉なんてもっといやだ。こんなに好きじゃない要素ばっかり揃ってるのに、わたしは男のタバコを取り上げてキスをした。タバコを吸ってるくせにやたら甘い残り香がして、バニラの香料はやっぱり嫌いだ、と心のうちで思った。

「いやそうな顔しながらキスするねえ」

「いやだもん」

「かわいくないこと言わないで」

「胡散臭。それがお姫様扱い?」

「そうやって甘やかした女とはみんな別れちゃったからなあ」

 ひとつだけ褒めるところがあるとすれば、彼はわたしの髪を撫でるのがとてもうまかった。気持ちよくて、安心して、どこかかき乱される。ばかだなあと自嘲しながらタバコの火を消して、さっきまで熱源を持っていた指を短い髪に差し込んでやった。真新しい吸いかけの長い紙筒がふたつ並んで、仲良くクリスタルの灰皿に捨てられるのを見た。

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