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「涼森さんって、成瀬くんに何かしたの?」


 一日中、背中に穴空くほど浴び続けた冷凍ビームからようやく逃れ、放課後。

 

 図書館で返却された本を戻す作業をしていると、他の棚の整理を終えた夏目くんやってきて、私を見上げながら開口一番そう言った。

 脚立に乗って最上段に本を戻そうとしていた手を止め、私は喉まで出かけた言葉を飲み込み、拳を握りしめた。


 そんなの……そんなのっ、私が一番知りてえよ!! なんでだよ!! 私が何をしたんだよ!! なんで私、今にも殺しそうな目で睨まれてんの!?


 ぷるぷる肩を震わせながら何も言えない私を横目に、ワゴンに乗せられた本を手に取り淡々と戻しながら、もしかして、と夏目くんが続ける。


「恨み買うようなことした?」

「っ、してないよ!!!」

「しー」


 人差し指を唇に押し当てた夏目くんは、その所作すら様になっている。


「あっ……、ごごごめんなさい」

 

 慌てて自分の口を塞ぐと、夏目くんはくすくす小さく笑って、冗談交じりに言った。


「もしかして、成瀬くんさ。……涼森さんに気があったりして」

「……それは、殺す算段を立ててるって意味で?」

「違う違う」


 かぶりを振って、夏目くんは私に本を差し出しながら、言った。


「好きって意味で」


 悪意の感じられない爽やかな満面の笑みで、さらりと。

 私はその本を受け取りながら、あはは、と乾いた笑いで返す。そして、矢継ぎ早に言った。


「それだけは絶っ対にないと思う」



 夏目くんと図書委員をやることになったのは本当に偶然だ。

 夏目くんと少しでもお近づきになりたい女子たちによる争奪戦で、私の席まで囲まれるレベルで女子たちが群がって一様に夏目くんを誘うイベントが発生し、1時間以内に委員会決めが終わらないと判断した先生が、くじ引きで決めようと言い出したのがきっかけ。


 私の席は窓側一列目の後ろから2番目だから、廊下側から回されたくじ箱は私が引くころには残り2枚になっていた。

 そしてそれがたまたま、夏目くんと同じ図書委員と書かれた紙だった。


 私のくじ運すごない? お正月に引くおみくじいつも凶か大凶しか当たらないのに。ガチャ運もクッソ悪いのに。 


 クラスの女子たちから恨めしいと言いたげな視線と、ついでに後ろからも冷酷な視線を浴びながら、私は夏目くんと図書委員をすることが決まったのだった。

 

 そして、本日はその委員会活動中というわけである。


✳︎



『みなさん、下校の時刻となりました。校内に残っている生徒は──』


 18時を知らせる校内放送が、渡り廊下の開いた窓から聴こえてくる。


 ぐるりとあたりを見回し、図書室に人がいないことを確認し終えた司書の萩原さんが、私たちの方を振り返ってにっこりと笑った。老眼鏡越しの優しい瞳がさらに細くなる。


「ごめんなさいね、こんな時間まで」

「いえいえ。明日もよろしくお願いします!」


 敬礼もどきポーズを取ってお辞儀をすると、萩原さんはあらあら、と穏やかに笑って、鞄から巾着袋を取り出した。


「ふふ。今日はたくさん手伝ってもらったから、飴ちゃんあげるわね」

「わあ、いいんですか?」

「もちろん。はい、そちらの男前な子も」

「ありがとうございます」


 私と夏目くんに一粒ずつ飴を掌にのせた。

 掌の中にあるのは透き通るような黄金色の飴だ。ちょうど廊下の外に見える、夕暮れ時の空をスポイトで掬ったみたいにきらきらと輝いている。


 透明な包装紙をといて、私は早速口に放り込む。癖になる甘くて、懐かしい味だ。


「じゃあ、そろそろ行くわね」

「はーい! また明日!」


 手を振って萩原さんの背中を見送る道中、はたと何かを思い出したように振り返って言った。


「夜道は危ないからちゃんと彼氏に送ってもらうのよ~」

「ゲホッ! ゲホッ!」


 溶けかけの黄金糖がそのまま気管にインした。


「大丈夫?」


 全然動揺していない夏目くんが背中を摩ってくれる。

 涙目になりながら顔を上げて、彼氏じゃないです! と紡ごうとした口はおざなりになった。もうその背中はもう見えなくなっていたからだ。


 絶妙に気まずすぎて、私は伺うように視線を上げた。夏目くんと目が合うと、ん? と首が傾く。顔がいいと、その仕草すら絵になる。


「わ、私たちも帰ろっか」

「そうだね」


 会話が止んだとたん、しーんと辺り一帯静まり返る。


 ……いや、気まず! 理由付けて逃げよう。そうしよう。  


「あ……あああっ、そうだった! 古文の課題出し忘れてたから、私、職員室に寄ってから、」

「今日、小森先生居ないよ? 風邪で」

「そそそうだっけ。えーと、えーと、あっ、あー! 教室に教科書を忘れて、」


 私の言葉を遮るように鈴を鳴らすような笑い声がした。


 何度か瞬きをして顔を上げれば、20センチ上にある亜麻色の瞳が細まった。黄金糖みたいにドロドロに甘い何かが瞳の奥でちらついている。


「送るよ」

「エッ」

「俺、涼森さんの彼氏だから」


 さらり、とそう言って悪戯っぽく笑うその横顔は、どこぞの乙女ゲームのスチルになってもおかしくないくらい様になっていた。

 

 メインヒーローとして、パッケージになるレベルで。


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