第3話 運命の人

携帯の画面を何度も確認する。打ち間違いはないか。表現は適切か。

送信してから、携帯をベッドに投げ捨てて、それから自分も投げ込んだ。

「なんだかなぁ」

久しぶりに会った中学の同級生は当たり前だけど背が高くなっていて、体も大きくなっていた。

「倉本くん」

白い天井に白い蛍光灯が光り、天井を薄暗く染めている。膝を丸めてうずくまると、ビニール袋のはみ出したごみ箱が怒っているように見える。

何かが起こっているのに、何も変わらない今日は何なのだろう。

ふと真顔になって思った。


「カメラってなんかおかしくない?」

金曜の夜、倉本くんが居酒屋の看板の写真を撮って言う。行ったことが無い店だったらしく、飲み会用として覚えておきたいとのことだった。

「なんで?」

「目で見るとこんなに近いのに、なんでこんなに遠く見えるんだろう」

わたしに携帯と顔を近づけて言う。

居酒屋の看板に塗りたくられた太文字は確かに遠く、遠くにある。

「入るか」

狭い座敷に二人向かい合って座る。客入りは悪く、中年男性が一人カウンターでポテトフライをつまんでいるのみだった。

「仕事は?順調?」

「まぁ。うん」

「そっか」

レモンサワーと、ポテトフライと唐揚げと枝豆と、焼きそばを注文する。

「中学の奴と連絡取ったりしてるの?」

彼はポテトを煙草をつまむようにして口に入れた。

「全然。なんか不思議なの。実家に帰っても自分と同世代の人がだれもいないような感じがするのなんでなんだろう」

「なんでだろうな。あの感じ」

倉本くんは苦笑する。わたしはレモンサワーを口に含んで、その甘酸っぱい味を噛みしめる。

「長崎の事覚えてる?」

「長崎?」

「行ったでしょ。修学旅行で長崎」

「ああ、あの先生がすごく怒っていたやつ」

「そう、あの怒られていたやつの一人がわたし」

大したことじゃない。各班に分かれて自由行動の時間があったが、最終のホテルへの集合時間に遅れてしまった。それだけのことだ。

「あんなに怒らなくてもと思ってた。でも今となってはなんだかわかってしまうような」

「まあ、な」

「あの時、怒られているときにね。ずっとおかしな自販機のこと考えてた。道端に豚まんみたいなおっぱいが売られてたの。こんなにちっちゃかったけど」

いきなり、変なことを言ってしまった。彼は男の子らしく食いついて笑ってくれる。

しばらく中学の頃の話が続いた。脇腹をくすぐられるような、そんな心地よさがする。吹奏楽部の練習。雨の日、階段を駆け上がる運動部。

「バレンタインの時さ、1年の」

何度目かのハイボールを流し込んで、彼は言う。

「テスト期間だったからかな?早めに教室行って勉強しとこうと思って。で自分の席の上見たらさ、その、あってさ。俺そんなん義理としても初めてだったから。ちょっと恥ずかしくて」

伏目がちに唐揚げをつつく。

「すぐ全部食べたんだよ。でもなんだかすごくもったいなくてさ」

わたしは枝豆を掴む。酔いはかなり回っている。

「それ、わたし」

「え?」

「倉本くんの初めてのあれ」

彼は酔うと全体的に大げさになる。「ほんまか」と呟いて、天を見上げて笑う。

あの時のあれはどんな感じだっただろう。小さな透明の包み紙にカップケーキと、チョコと、そんな感じ。直接渡せばいいんだろうけど、そんな精神的強さは無かったし誰からの物かなんて知られたくなかった。クラスも違って、交流もない人間からの贈り物なんて、気味悪がられてしまうだけだと思ったから(送り主が分からない食べ物も怖いかもしれないけど)。

彼は直ぐに他の話に切り替えた。それがありがたいとも思えたし、少し残念にも思えた。


お開きにした後、店の主人と少し話をした。話によると、入ってきたときにいた男性客は有名な元野球選手とのことだった。

「ずっとファンだったんでねぇ」

店の主人は浅黒い肌に皺を浮かべて言う。

のれんをくぐって外に出るともう夜の9時になっていた。

「明日は休日?」

「ああ」

「そう、わたしも」

歩道の白線にそって、わたしは歩く、知らぬ間に歩道の内側に寄ってしまって、何度か倉本君の腕にぶつかる。

「運命なんだろうな」

「え?」

「ああいうのはさ。そういうめぐりあわせなんだろうな」

独り言のように彼は呟く。わたしは彼の見上げる真っ暗な闇を見る。

人生の中で、運命や奇跡なんてものがあったとしてそれはいつもわたしの対向車線上にいるような気がしていた。決して交わらずに、猛スピードで駆けていくように。

「もう一軒行く?」

「うん」

白線は続いている。

また腕がぶつかる。


「じゃあ、ここで」

コンビニの近くでわたしは振り向く。倉本君の顔の右半分が白く照らされている。

「うん」

わたしは手を両手を絡めて、アスファルトを見る。

「もし、よければまた」

うつむいて言う。

「そうだね」

「来週の日曜とかでも良い?」

少し早急すぎるだろうか?

「いいよ。午後なら」

彼は首を傾げて頭の中の予定を確認した。

「いや、ちょっと待って。来週の日曜っていつだ」

「えっと、7日と2日後じゃない?」

「2日後じゃない?」

「うん、あ、そうか。曜日の始まりって日曜からだもんね」

「ほんま、そこ間違うとまずいから」

二人して笑う。

「……じゃあ、また」

「また」

いいのかな。と少し思う。倉本君はどう思ってるんだろう。今日も楽しかったのかな。しつこいと思われていないかな。

今日も昨日も、わたしが言い出して、わたしが決めて、勝手にわたしがはしゃいでるだけ。そんな気がして、

「動物園に行こう」

彼は目を細める。

「ペンギンが見たいんだ」

ペンギンって動物園にいるのかな。

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