第30話 命乞いとウソとパトカー
すべてを貫くようなヘッドライトに強く照らされ、白と黒だけのモノクロな世界に迷いこんだ錯覚すら覚えた。逃げ場なし。絶体絶命。『最善』のラインが底なし沼へと沈んでいく。
(……俺は、ここまでだな)
「オーナー?」
「アノヨロシ、ミナシノ。その子を連れて逃げろ……返事を聞くつもりない。いいか? 逃げるんだ」
かすかな希望を守るため、俺はドアを開けてゆっくりと両手をあげた。そして一歩ずつ……体を光の中心へとさらけだす。
はは……こわいな……膝はガクガク震えてるし、地面を踏んでる感覚がまるでない。あっちは何人いるんだろう。まぶしすぎて見えないや……いくつの銃口が俺に向けられてるのかな。ただ自分をさらすだけの行為がこんなに恐ろしいなんて!
必死に逃げて、逃げて、逃げまくって……気づいたら撃たれていた。そんな最期のほうが楽なんじゃないかな。ちょっとカッコいい気がするし、悲劇のヒーローって感じがする。
せめてひと思いにやってほしいな……。
(……いや、まだだ)
何のために進み出たんだ? 少しでも成功率を高めるため、できることがある。
「待ってくれ! ほかに仲間がいるんだ! そいつらの居場所を教えるからどうか……どうか命だけは助けてください! おねがいします!」
カッコ悪くてもいい。
「お金だってたくさんもってる。本当だ、ウォレットがポケットに入ってる。確かめてもいい!」
時間をかせぐんだ。
みんなを遠くへ……『俺が死んだこと』を確認できないくらい、遠いところへ逃がすために。俺が死んだら、アノヨロシとミナシノは野良ニューリアンになる。すべての人間の命令にしたがう存在……心無い誰かの所有物になれば、恐ろしい目にあうだろう。
俺はふたりにとって『生死不明』であるべきなんだ。ツバメと博士のように、察していても『死んだと思われる』段階でとどめなければならないんだ。
何人かが車両から降りてきた。俺の両腕をがっしりとつかみ、背中にまわす。警察でいう確保の状態だ。
「聞いてやる。さあ来い!」
「あ……ありがとうございます……」
いいぞ。もっと俺に時間をつかえ。もし車に乗せてくれたらコラプションをぶちかましてやる。人工物をはげしく劣化させる力だ、パトカーにはよくきくだろう。平和局のおどろく顔が目に浮かぶ。
グイッと押されるままに進むと、ボンネットのうえに体をたたきつけられた。夜の空気に冷えきった金属板が、頬に密着する。
「方角だけでかまわん。言え」
「か……顔が横になってるとですね、方向感覚がよく――」
頭に衝撃。すこし遅れてにぶい痛みが頭蓋骨を這いずりまわる!
「ぐうっ……!」
「言え!!」
なにかがこめかみに……ああ、銃をあてられてるんだ。答えろ、次は撃つぞってわけか。
「ほ、北東です……ここからだと、シティに……タワーに向かう方角です……」
「そうか。わかった」
抑えられていた腕が引っぱられる。あっ、と思ったころには地面に打ち捨てられていた。
「では処刑する」
コラプションは使えず、か……でも、けっこう頑張れたかな……俺。
アノヨロシ、ミナシノ。
生きのびてくれ。
「ガッ!?」
銃声。
もうひとつ、銃声。
「なんだ!?」
「左方向、撃て!」
「早すぎる!」
銃声がなりやまない。何度も何度も耳につきささる。
なのに変だな……ちっとも痛くない。
あいつらは何をやってる? いったい何にむかって撃ってるんだ?
顔をあげると、横切る影が一瞬だけ見えた。銃声のたびに砂が舞いあがり、天井の破片がボロボロ落ちる。平和局が『それ』に発砲しているんだと、ようやくわかってきた。すごい動きだ……猛獣すらもかわいく見えるスピードで、ビルの中を縦横無尽に跳躍してる。
ライトのまぶしさと、『それ』の動きが早すぎて姿ははっきりと見えない。ただ、あまり大きな生き物ではなさそうだ。アノヨロシよりも小柄かな。
風を切る音が何回しただろうか。気づけば銃声がやんでいた。床には平和局の職員が倒れている。全員やられたのか?
「ご無事ですか、ますたあ?」
いつのまにか俺の隣に立っていたのは、あの少女だった。俺を見下ろしながら、小さな手をさしだした。
「お怪我はありませんか?」
「あ、ありがとう。君が助けてくれたの?」
「はい。あなたはわたしのますたあですから」
少女の手は冷たくて、やわらかくて、ちいさくて……とても平和局を打ちのめしたとは思えない。ただ、握り返してくる力には頼もしさを感じた。
「アノヨロシとミナシノは?」
「いますよ」
「えっ!?」
少女は自分の背後を指さした。うっすらと見える物影から、ふたりが申しわけなさそうに姿をあらわす。
「逃げてなかったのか……」
「再会をよろこぶ前に、迅速な離脱を提案します。敵は気絶しただけなので、いずれ目を覚ますでしょう。また、さきほどの交戦でますたあの車に被弾させてしまいました」
すぐに駆けよって確かめると、そこらじゅうに穴があいていた。タイヤも全部やられている……。
「ますたあの所有物が損壊……まことに申しわけありません」
謝罪する少女の頭を、そっとなでた。
「いいんだよ。命にくらべれば、なんてことないさ。さあ頭をあげて、まずはここを出よう」
「……はい。では乗ってください」
「ん? いや、この車はもう走れないから歩いて――」
「敵の車が使用可能です。乗りましょう」
「……マジ?」
「マジです」
いろいろとぶっ飛んだ子だ。いったい何者なんだろう……ホントに。
平和局のパトカーを奪うという行為については、命がかかっているから置いておくとして……心配なのは場所を特定される可能性だ。位置情報とかそういうのを――。
「通信機構を特定。破壊します……現在、当車両はオフラインです。安全に使えます、ますたあ」
「マジか……」
しがみつくアノヨロシとミナシノに埋もれつつ、俺は人生ではじめてパトカーに乗った。運転手として。
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