第8話 はじめてのおねだり
かれこれ30分ほどたっただろうか。
キーボードをうちこむアノヨロシのスピードはすさまじく、彼女だけ時間のながれが違うと思えるほどだ。
邪魔にならないよう、ひとつ離れた席から見ていたけど……。
(すごい……)
正直にいって、想像をはるかに超えていた。キーボードを叩く動作にはいっさいの無駄がなく、ミシンの針のようにタイピングしていく。
マンガに出てくる天才ハッカー……いや、それ以上かも。
「よし……っと! ふぅ……」
エンターキーを押して、アノヨロシがひといきついた。
「どうですか? びっくりしました?」
誇らしげな笑顔が、いきいきとして見える。
「しました」
「……むー……なにか他に言うことありませんか? もうちょっとほめてくれてもいいと思いますけど」
ひざを抱え、むくれてみせるアノヨロシ。ひょっとしておねだりか。おねだりをしているのか?
じーっとこっちを見ながら、内心で期待しているのがわかる。
ちゃんと応えてモチベーションを上げなくては!
(なんて言えばいいんだ……?)
ゲームセンターでは『グッジョブ!』とシンプルに言えばうまくいったが……同じノリでやったらたぶんマズい。
女の子が相手、しかも顔をあわせてかける言葉とはいったい……?
ええい、考えるな! 感じるままにいけ。もともと相性がいいんだから!
俺は意を決してアノヨロシの頭に手をおき、ゆっくりとなでながら言った。
「ありがとう」
「……」
あれ? 終わり? こ……これ以上なにもでてこないぞ!?
もっと気の利いたことを言えよ、俺!
「……むふ」
(お?)
表情がゆるんだ。頭をなでたのがきいたのかもしれない。
「オーナー、私……すごかったですか?」
「うん、すごかった」
「実は……お金がたまったら、欲しいものがあるんです。そのためにたくさん働きますから、買ってくれたらうれしいな……なんて」
またもおねだり。だいぶ気持ちがほぐれてきたのだろう。
俺自身、さっきの事件で落ちこんだ気持ちが、いやされていくのを感じている……。
「もちろん。がんばってるのはアノヨロシなんだから、なんでも買っていいよ」
ためらいなく言えた。ワーキングボックスを使えるのも、収入を得られるのも彼女のおかげなんだ。
欲しいものがあるなら、なんなりと。そう思った。
「さっき見た広告にでてたニューリアンの子を買ってください!」
ん?
今とんでもないお願いが聞こえたような……聞きまちがいかな?
「もういっかい言って?」
「あの広告に出てたニューリアンを買ってください」
深呼吸。
「……どうして買ってほしいのかな?」
予想外のおねだり。落ち着いてはなそう。まず俺の考えを伝えなくては。
「アノヨロシ……ニューリアンが法的に『モノ』だといっても、俺はそう思ってない。正直にいうと『買う』っていうのに抵抗感があるくらいに」
「ダメ……ですか……?」
「ううん、ただ知りたいんだ。お願いする理由を教えてくれ」
彼女のことだ、きっと事情があるはず。
ニューリアンを買う……それは買われた子の人生を決める重大な決定だ。かんたんにOKを出すわけにはいかない。
「さっき見た宣伝映像を覚えていますか? ニューリアンの赤い髪の子が映っていた……」
俺はうなずいた。『第53期・ニューリアン選択購入会』という文字とともに、しっかり記憶に焼きついている。
「あの子……『ミナシノ』っていうんですけど……私の友だちなんです。『同期』でいちばん仲がよくて……」
(……! そういえば)
初めて会ったときを思いだした。アノヨロシと出会ったとき、自己紹介が聞きなれない言葉と数字ばかりで戸惑ったけど……たしか『第53期』って言ってたな。
「『おなじ企業に買ってもらえたらいいね』なんて、いつも話してました。結局、私が廃棄処分になっちゃって……もうお別れなんだって……でも宣伝を見て、まだチャンスがあると思ったんです」
「俺が買えば、また一緒になれるってことか……」
彼女の目にはうっすらと涙がたまっていた。
いちどやぶれたはずの夢が、まだ叶えられるとわかったのか……。
(俺の夢……は……)
「私、がんばって稼ぎますから! どうかお願いします!」
上半身を直角にして、頭をさげるアノヨロシ。
「わかった。話してくれてありがとう」
肩をぽんぽんとたたき、顔をあげるようにうながす。
必死の願い……こたえてあげなければ、俺の夢をすてたも同じだ。
「わかった、ミナシノを買うよ!」
アノヨロシの顔がぱあっと明るくなった。
「やったー!」
「うおっ!?」
彼女がイスから飛びあがったかと思うと、やわらかい感触とともに、視界がまっくらになった。
顔に押しつけられているものが胸だとわかると、体が硬直してしまう……! まずい……これは……! 最高……じゃなくて! たいへんよろしくない!
「ありがとうございます、オーナー! ありがとうございます!」
「あ、アノヨロシちょっと離れて……! ほら、そうと決まったらがんばってお金をためないと!」
「はい! いっしょうけんめい、がんばります!」
「うんうん、がんばれ! えい、えい、おー!」
「おー!」
気合をいれて座りなおしたアノヨロシを見て、俺はほっとしていた。
よかった、理性がくだけちる前に離れることができた……。いやほんと危なかった。きのうといい今日といい、スキンシップが多くて頭がどうにかなってしまいそうだ。
(まてよ?)
もしミナシノって子がうちに来たら、こういう場面が……2倍……?
計算してみよう。メンバーは俺、アノヨロシ、ミナシノ。
内訳。男・女・女。
ふむ……つまり『1対2』ってことになるな……。さらに状況次第では女・男・女に……なるほど『挟み撃ち』ってわけか……。
いやいやいやいや!
頭を振って、よこしまな想像を追いはらう。考えるべきことが他にあるだろ!?
落ち着け……落ち着くんだ。
あの宇宙船で3人暮らし。となると食糧の消費がふえるぞ。寝る部屋もしっかり決めておくべきだ。昨日はなりゆきでアノヨロシといっしょに寝てしまったが、今日からはどうする? ミナシノが来たら? まさかずっと同じベッドなんてことはないよな? あってもいい……か? むふ……。
じゃないだろ! 煩悩に負けるな、俺ぇぇぇぇーー!!
キーボードをたたくアノヨロシの横で、俺は悶々とした思考と格闘しつづけたのだった。
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