カラーコード〈#00B2BC〉
「暇……」
授業中に何をしているかと聞かれれば、基本的に何もしていない。誤解されそうな表現だがその言葉通りで、言い訳でもなんでもなくすることがないのだ。
教師や生徒は動きが静止しているだけの舞台装置にすぎない。肝心の教科書は表紙以外何も描かれていない代物で、最早ノートに近い紙の束だ。このゲームを作ったのは教科書の中までしっかりと作るような変態的な制作チームではない。ゲームに必要のない情報をとことん削ぎ落とした結果、僕は今暇を持て余していた。
過去には自由に動き回ってあれこれ探索したものだが、今はもう大体知り尽くしてしまって退屈でしかない。かつては存在した知的好奇心も萎みきって、カラカラの雑巾の様に乾ききってしまったのだ。
「あいつの秘密も全っ然わかんないし……」
自分に課せられた課題は解ける気配が見えない。ヒントくらいくれても良いだろうにあいつは一切取り合ってくれなかった。だからその課題についてひたすら考えたがやはり何も思い浮かばない。
「あーやめよやめよ。休憩」
だから考えることを一度放棄させてもらおう。
さてこういう時プレイヤー達はどういうことをしているのだろうか。教科書やノートに落書きしたり、プリントのような紙の切れ端を使って簡易的な手紙を書いて交換するとか、そう言ったことを篠崎は話していたが……。残念ながら手紙のやりとりをする相手はいないし、落書きをするにも描く対象がない。虚無だ。
「はぁ……」
くるりとシャープペンシルを回してみたが思いの外上手くいかない。なぜ人間は暇になるとペンを回すのだろう。こんな難しいことをわざわざする理由が僕には理解できない。悔しいわけではなく単純にそう思う。何度目かのペン回しに挑戦していたところに、奴は現れる。
「峰原君探検にいこう!!let's暇つぶし!!」
「うわ出た」
バンっと扉を開けて、なぜか目を輝かせた篠崎がこちらへ歩み寄ってきた。
「そんなお化け出たみたいな反応しなくても」
「あんた教室いなくていいの?」
「スルーですかそうですか……。いや、今体育の時間で主人公ちゃん保健室送りになってさ〜。保健室イベント発生してるから暇なの」
「ああそれで体操服なんだね」
「萌えた?きゃぴっ」
「燃えな」
わざわざ屈んで上目遣いになられても、中身が奇人だから全く可愛いと思えない。
「ていうか探検っていってもどこ行くのさ。もう学校内なんてほとんど行ったでしょ」
「はぁ〜〜〜わかってないなぁ峰原君は。一度行ったから行かないとか言ってずっと教室にいる気?そんなんじゃカビ生えちゃうよ!マリモになるよ!!」
「マリモはカビじゃねぇよ。あと誰がカビ色の髪だと?」
「そんな事は言ってない」
もう、いいから行くの!と強引に腕を引かれて、そのままされるがままに歩き出す。こいつが教室に入ってから三分も経っていないのに、あれよあれよと引っ張られ、既に飛び出した教室は見えなくなった。
「ちょっと、早いって」
しかし篠崎相手に抗議の声は無意味なわけで。
「転んでないからいーじゃんいーじゃん」
と音符を浮かべる様な声色でそのまま突き進んでいくだけだった。
「行き先くらい教えなよね……」
そんな僕を言葉を無視して情報量の少ない廊下を通り過ぎていく。窓の外では本体から落ちた葉が空中でぴたりと静止していた。篠崎もたまにはこの背景の様に大人しくしていればいいのに、なんて言えばどう反応するだろうか。
「今失礼な事考えた人手ぇあげて!」
「……」
「なにかしらの反応は欲しいです」
「……」
腕を引かれていたはずなのにいつの間にか袖を持って引っ張られていて、何かを言い出そうとしてやめた。何を言いたいのかがわからなかったから。ぶつくさ文句を言う声は聞こえないふりをする。ふと階段を登っていると、一段上を行く篠崎と僕の目線が同じだと気がついた。
「てことは16センチから23センチの間か」
「ん?何か言った?」
「別に」
身長差の話なんてどうでもいいかとすぐに思考を切り替えて再び無言になると、篠崎はゲームのオープニング曲を鼻歌交じりに歌い出した。ご機嫌でなによりだが腕をブンブン振るのはやめてほしい。袖を掴まれている僕が転びそうだ。
三階に上がって三年生の教室が並ぶ廊下を流れる様に進んでいく。どこからかBGMが微かに聞こえてくるのは主人公のいる一階の保健室からだろう。
ねえ、とどこまで行くのか篠崎に聞こうとしたら、急に方向を変えて3年C組の教室へと入るではないか。あまりにも予想外な場所に思わず声が漏れてしまった。
「は?……なんの変哲もない教室じゃん」
それは教壇に教師が立って生徒が席に座っているだけの風景。探検と言いながら、最初からこの場所に定めていた様な足取りは一体なんなのだろう。ここに何があるというのか。僕がいた教室となんの違いもないその様子になおさら眉を顰めた。
「ふっふっふ峰原少年、以前私はとある発見をしたのだよ」
「暇なの?」
「うるさい暇だったの!……ごほん。では今から面白い事します」
「面白くなかったら?」
「科学室のマネキンとプロレスごっこしてあげる」
「うわ」
つくづくイカれてる。思わず引いた表情をした自分の反応は多分自然だろう。しかしここまでハードルを上げるほどのバグとはなんだろうかと、内心ほんの少しだけ期待してしまう自分がいた。
「で、なにすんの」
僕の裾を離して篠崎は教室の真ん中くらいの席にいる人物に近寄り、座って静止しているその人物の肩をポンと叩いた。
「まずここには花宮パイセンがいます」
「そうだね。このクラスだしね」
それは攻略対象で唯一の三年生。陰で努力してる系俺様キャラの花宮凪人だった。頬杖を着いた体勢で外の景色を見ているが、反対の手には正しい持ち方でシャーペンが握られていて、真面目な性格の片鱗を見せている。他の生徒は背筋を伸ばした良い子の無個性。これがメインキャラとモブキャラの違いというものである。
「では今から色違い花宮パイセンをお見せいたしましょう!」
「……は?いや、……は?」
お前何言ってるんだと言うよりも早く、篠崎は花宮君の頭をガシリと掴む。女性的に控えめな手の開き方ではない。まるでボウリングの球を掴んでいる様な雑な感じだ。近くに来て!と反対の手で手招きをされ、渋々隣へ立つとその儀式は始まった。
「えーまず色を変えたい場所に手をかざします」
「かざすっていうか掴んでるじゃん。やめてあげてよ」
「次に意識を集中して……、プログラムされたカラーコードを読み解きます」
「無視?」
「えーっと……オブジェクト……カラーで……〈#ffffff〉から〜……何色にしよ?……よし〈#00B2BC〉にして〜……うんうん」
目を閉じて何やらぶつぶつと呟き続ける篠崎。こいつが今何をしているのかはすぐにわかってしまった。が、なんとなく嫌な予感がするとはこの様な事を言うのだろうか。
少なくとも一塊のプログラムが手にしてはいけないことを今こいつはやっていると、そう思わざるを得ないことをこいつはやろうとしている。
「ちょっと、やめときなよね」
「……ん?ああ峰原君大丈夫だよ。ゲームソフトに害がないくらいのヤツだから!……よし、あとは実行して!!」
「まじで一回くらいは人の話聞け」
「できた!」
「できちゃったし」
ぱっと瞬きをした一瞬で、その変化は起こった。
「ぱっぱらぱーん!峰原君の髪の色と同じにしてみました!」
篠崎が手を離したその頭部は白色から青緑色に変化していた。青緑というか、僕の髪と同じ色ではないか。
どういうサプライズかは知らないが、花宮君の頭から手を離して「どうや?どうや?」と言わんばかりに期待を込めた視線を送ってくる。多分僕の驚いた反応を見たいのだろうが、意外と地味な変身だったため特段何も思わなかった。強いていうなら「そうだね同じだね」ぐらいだ。
「……で、もしかしてこれで終わり?」
「え?ダメだった!?」
「いやダメっていうか。……うん、じゃあ科学室行くよ」
「なぜっ」
「マネキンとローション相撲するんでしょ」
「絶妙に何かが違う」
手首を掴もうとした僕の手を振り払い教室の隅に体育座りになる篠崎は、床に「の」の字まで書いて大袈裟にいじけている。……フリをしている。ブツブツ何かを呟いているが時折「反応クソつまらない」「心が冷え切ってる」「南極にでも住めバカやろー」と聞こえてくるのはわざとだろうか。
冷え切るもなにも最初から心なんて持っていないだろう僕達は。なんて、僕と同じ色に染まった花宮君を見ながら思った。
「ていうか戻るのこれ」
せっかくの白髪と青赤オッドアイというカラーリングもこれでは映えない。すっかり地味な髪色になってしまった花宮君だがその色調はうるさい。重め緑の髪に、赤と青の瞳。色の三原色は密集しても良いことはないのだ。
「……戻るもん。カラーコード変えれば戻るもん」
てっきり無視されるかと思い大して期待していなかったが、そこは律儀に返事をしてくれた。しかしその後はまたぶつぶつと何かを言い始めて自分の世界に入ってしまったので機嫌は直らなかった模様。よく聞くと僕への罵倒ではなく普通に早口言葉を言い始めたので、恐らく飽きたのだろう。もしくは罵倒のレパートリーが尽きたのか。
「ていうかあんた、データ内弄るなんてできたんだ」
「弄るって程じゃないもん。生麦。ちょっと数字とかコードの文字を変える事ができるだけだもん。生米」
「それを弄るって言うんだよ。……それもバグのせい?」
「多分バグ〜。生卵。最近使える様になったから」
「サブリミナル早口言葉やめろ。早口じゃないし。……あとさ、それ普通にまずくない?」
ようやく会話の調子が戻ってきて、篠崎は唇を尖らせながらもこちらへと歩いて戻ってきた。体育座りになってから5分も経っていないのにこの切り替えの早さ、それだけは誉めようと思う。
「悪用しないから大丈夫だって」
「そこは、まあうん大丈夫だろうけど」
どう言う経緯でそうなったのか説明を求めると、視線を花宮君に向けてそのまま何を思ったか彼のつむじを押した。
「花宮君ってさ、白髪じゃん」
「うん」
「白ってさ、なんか染めたくならない?」
「ならない」
「純白を穢す快感を知らないの!?」
「ヴィランなんだよその台詞は」
いつものおふざけは省略し要約すると、ある時なんとなく校長の涼しげな頭を撫でたりして弄っていると、脳内にカラーコードやテキストログなどの情報が入ってきたと。最初は混乱したが、なんとなく脳内で数値を変えたらそれがカラーコードの文字列だったらしく色が変わってしまったと(校長の場合髪の毛はないので肌の色が変わったとか)。たまたまプレイヤーがいない場所での出来事だったので事なきを得て一息ついたらしい。それを何度か繰り返してると特定の相手だけではなく、その他のキャラでも同じ事ができるようになったのだと篠崎は控えめな胸を張った。
「つまりどこかに触って集中すると、あんたの脳内で起こした変化がゲーム内にも出るって感じか」
「そうそう!!そうなの!!……あれ、これよく考えたら私チートじゃない?新世界の神になっちゃう?」
「チート?新世界?」
「なんでヴィランって単語は知ってるのにこの二つは知らないの峰原君」
手持ち無沙汰になった篠崎は花宮君の頭を(今度は)撫でて元の色へと戻す。さっきの真剣な表情や踏ん張っている様子も演技だったのかよと思いつつ、いつもの事なので流しておく事にした。ちなみになぜ今回わざわざ花宮君を選んだのかと言うと単純に気分だったらしい。今日は花宮パイセンの顔面の気分だった、白色だから丁度良かったなんて、訳のわからない供述をされても反応に困る。
「あんたのことだから真っ先に僕の色とか変えてくると思った」
「変えようと思ったよ?でも絶対殴るじゃん」
「失礼だね、叩く程度だよ」
「結果的に暴力!」
だが話を聞いて冷静に考えると恐ろしい。それはつまり色以外のデータも変えられる、つまりキャラクターの挙動すらも変化させる。それが発展すればそもそもこのゲームのイベントやセーブデータだって変えられるかもしれない。僕だってそうだ。
待てよ?任意で好きな様にデータを書き換えられるなら……と、一つの可能性が浮上した。しかしすぐにそれは違うなとその可能性を遮断する。
「あ、言っておくけど峰原君のバグを取り除くことはできないよ。人工知能はもう膨らみすぎてて私の手に負えないし!」
まだ僕は何も言っていないのだが、残念でしたーと楽しそうに篠崎は笑った。まあ一瞬考えたしすぐに自分でも無理だとわかってしまったけど。
「安心しなよね。あんたへの挑戦が終わるまではそんなこと考えない様にしてるし。……なるべく」
「最後の一言がなければ完璧だったのに」
「ていうかあんただって、仮にできたとしてもやらないでしょ」
「まあね〜」
少なくともやって良いことと悪いことの線引きくらいは篠崎だってできている。それにさっきの様にすぐにデータを元に戻すのなら意味がない。だからこいつは“やらない”のだ。信じているなんて感情論ではなく、それまでの情報からの確信だ。
「それにバグ原君いないとつまんないし!」
……いや篠崎としては多少の感情論はあるようだ。
「……あんたにもそんな感情はあるんだね」
もしかしたらそれはお互い様なのかもしれない。認めたくはない、認めたくはないが。
バグ原とはこれまた不名誉なあだ名だしセンスの欠片もないものだ。このむず痒いような言いようも無い感情はなんなのだろうと、まだ花宮君の髪を撫でている篠崎の髪を僕もなんとなく触ってみた。不思議そうに僕の方を見上げる篠崎と階段一個分ほどの身長差で目線が合う。本当は篠崎の髪色をさっきの色に変えてみなよと茶化そうとしたが、不思議とその言葉を発することはできなかった。
「あ、BGM切れたね!」
「マネキンとフォークダンス……」
「しないよ」
ただ髪を触り合っている空間も次へと移行する様だ。文字列と共に消え始めた身体には慣れたもので、ゆっくりと目を閉じれば感覚が消えてゆく。いつだって急に始まって急に終わる空間だと、静かに息を吐いて目を閉じた。
分解が始まってからも、篠崎はよっしゃ次行こうとはしゃぎ出す。
静かに空間は切り替わる準備を始めた。
白から黒。真っ黒。
0と、1。
1と0。
黒。
黒。
黒。
そして虚に。
それから次へと。
視界が消えて切り開いた。
『……繝エ繧」繝ゥ繝ウ?菫コ讒倥?』
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