いつだって唐突に振り回されて

 明るくポップなBGMとは裏腹に、結局消化不良のまま終わった話題のせいで感情がすっきりとしない。……モヤモヤするとはこういう感覚なのだろうか。

 音こそ出ないが座ると軋むパイプ椅子。システムに従って定位置につけば扉の前でたたずむ戦犯、もとい篠崎からウインクされる。よろしくというアイコンタクトのつもりだろうが無視しておくと、5秒後に相談室の扉は開かれた。


「あっ!来たねー【主人公】ちゃん!待ってたよ!」

「お疲れ様。……なんだか疲れた顔をしているけど、大丈夫?」


 僕のセリフとは裏腹にまったくの無表情ヒロイン。プレイヤー視点からだと彼女の体や表情が見えないので問題はない。この矛盾した現象はよくあることでもう慣れたものだ。

 そして艶やかな黒髪ロングには一枚の花弁がついており、何のイベントを消化してきたのかは察しがついた。


「おや、髪の毛に花びらもついてるね」

「あっほんとだかわいい!」

▶︎『嘘!?』

「あはは、意外とお転婆な面があったんだね。……はい、とれたよ」


 四月下旬、いよいよ最後の初顔合わせ。伊達にもう何周も繰り返していないのだからすぐわかる。俺様キャラこと花宮君を裏庭で押し倒すイベントがあったのだろう。

 それにしても躓いた拍子に相手を押し倒す王道イベントだが、現実ではこういうシチュエーションご実際にあるのだろうか。冷静に考えれば、学生だから許されるものの社会人がやってしまえば変態もしくは痴女のレッテルを貼られるだろうに。……いや学生でもギリギリアウトか。


「さて!とりあえず【主人公】ちゃんも来たことだし、部活を始めたいと思います!」


 パンパンと両手を叩いて注目を集める篠崎。何度でも言うが本当に無駄なモーションだけは多い。

 主人公が相談室の扉を閉めてそれぞれの席に座り、僕の隣に篠崎で正面に主人公。誰が言い出したでもないゲーム制作者が作った定位置である。


「今日は五月に発行する新聞の内容を決めるんだ」

「とはいっても書くことはだいたい決まってるんだけどね〜」

▶︎『どんな内容?』

「例年通りだと五月は球技大会や中間試験かな?あと色んな部活で大会もあるから、書く内容には困らないね」


 あらかじめ机の上に置かれていた何枚かの新聞。その中の一枚をひらりと主人公に差し出す。


「去年の新聞はこれだね。……まあほとんど卒業していった先輩が書いてくれたものなんだけど」


 一つ上に先輩はいない設定なので今はもういないOBの誰か。散々お世話になった風の雰囲気を出してみるが、実際のところ会ったこともなければ見たこともない存在である。メッセージログの上でほのめかされる程度の存在には立ち絵やボイスすらないのだ。


「でもまるパクりすればいいわけじゃないんだよね〜これが……。さすがに少しの変化はいるじゃん?」

「だから君がここに来る前に篠崎さんと話してたんだ。この学校で注目されている生徒にインタビューするコーナーなんかどうかなって」


▶︎『注目されてる生徒?』

主人公が首を傾げる。


「ほらうちの学校って部活動の成績は結構優秀じゃん?運動部も文化部も大会出まくってるし!……私ら以外」

「こら、そんなこと言わないの」

「事実なのにぃ」

「まあとにかくそれだけ優秀な人材がたくさんいるわけなんだ。だからそういう生徒へのインタビューコーナーを小さく載せたら丁度いいかもしれない」

「学校行事はドン!って感じの見出しで、校長の文章をポンっ!余ったスペースに顔写真とコメントをトンって感じで!」


 たまに思うが篠崎のテキストを考えたやつを褒めたい。一言でこんなバカを表現できるとは。マイナス点の表現力を披露した篠崎が胸を叩いた瞬間、コンコンとドアをノックする音が響く。


「おーい篠崎いるかー?」

「……あっやばい、先生に呼ばれてるんだった!」

 

 ごめーんあとは任せた!とあっという間に部屋から飛び出していった篠崎。扉は乱暴に閉められて残ったのは僕と主人公、そして雑にループするBGMだけだった。


「相変わらずだなあ篠崎さんは」

▶︎『大変だね』

「……それは僕に言ってくれてる?」

▶︎『二人に言ってる』

「あはは……そんなことだと思ったよ。それで【主人公】さんはどう思う?」


 主人公の緋色の虹彩に苦笑いをした僕が映った。直後に表示された二つの選択肢は、僕たちを遮るような位置で空中に浮かぶ。


『いいと思う』

ピッ

『うーん……』

ピッ


あれ、と思った。

このプレイヤーにしては珍しい。いつもならすぐに選択肢を選ぶのに。……これはもしかしてと嫌な予感がする。


▶︎ ︎『うーん……』

ピコン

少しして選択されたのは下で、それは嫌な予感が的中した証拠だった。


「ごめん、僕たちで決めた案は不満だった?もし他の案があったら教えてほしいな」

▶︎『特にない』

「そう?じゃあ他生徒へのインタビューでもいいかな?』

▶︎『うーん……』

「ごめん、僕たちで決めた案は不満だった?もし他の案があったら教えてほしいな」

︎▶︎『特にない』


 嫌な予感とは察した通りの無限ループ会話。特定の選択肢を選ばないと一向に進まない、何のためにあるのかよくわからないシステムだ。このゲームはちょくちょく必要のない場面でこういうのを入れてくる。そんな遊び要素を作る必要があるならもっと別の部分にこだわれ。背景とか先生の立ち絵とかキャラのモーションとか。


「そう?じゃあ他生徒へのインタビューでもいいかな?』

▶︎『うーん……』

「ごめん、僕たちで決めた案は不満だった?もし他の案があったら教えてほしいな」


 もう四回も繰り返した会話。早く進めろよと思うが、もしかしてプレイヤーは何か隠し会話でも期待してるのか。残念ながらこのゲームにそんなものはないので無意味な期待である。さっさと進めろ。


「そう?じゃあ他生徒へのインタビューでもいいかな?』

▶︎『いいと思う』

ピコン


 そしてようやくループ会話が終了すると、ほっとしたような気持ちが浮かぶ。ほんとこの会話嫌い。短時間に何度も同じことを繰り返すと心の中の口調が悪くなる気がして。僕がプログラムじゃなければ気が狂うだろう。


「よし、これで五月号の内容はなんとなく決まったね。ごめんね【主人公】さん、来たばっかりなのに話を進めちゃって」

▶︎『私が遅れたのが悪かったから……』

「まあまあ。篠崎さんもよく遅刻することはあるし大丈夫だよ。うちは部活動だけど緩いから、時間もあってないようなものだし」


 困ったように笑いながら肩を竦める仕草をすると、タイミングよく下校時刻のチャイムが鳴る。


「さてと、じゃあそろそろ帰らないとね。【主人公】さんも電車だったよね。駅まで一緒に行く?」


 部活動は終わったがこのゲームには確定で好感度が上がる時間帯がある。それが今からの下校時間だ。攻略対象の中から一緒に帰るキャラを選んで、駅や帰路の途中まで共に過ごす時間。だから僕の場合部活がある日は絶対に主人公を誘わなければいけないシステムなのだ。

 その事から篠崎に【毎回主人公と一緒に帰りたがる欲求不満男】と揶揄われたことがあったので、当時は力一杯殴った気がする。容赦なく。客観的に見ればあながち間違っておらずさらにムカついたから尚更だった。


『帰る』

ピッ

▶︎『ごめんね、今日は別の人と帰る予定があるんだ』

ピコン

「そうなんだ、わかったよ。気をつけて帰ってね」


そして結局今日はフラれた。フラれたという言い方もおかしいので訂正する。他のキャラを選んだだけだ。

 笑顔で手を振りかえして荷物を持って廊下に出る。主人公は誰と帰るのだろうか。……まあ正直誰とでもいいけど。つまりその放課後イベントが終わる間までは“今日”が終わらないのだからまたしても暇になった。


ああ、でもやることはある。

「あいつ問い詰めとかないと」


 自然と足は階段を登っていて、マップ内には存在するのに使われることのないその部屋に向かっていた。

 

 コンピューター室。イベントから追い出されたあいつがいつもいる場所だ。


 三階に上がって廊下の先をずっと行けばたどり着くその場所は、あいつ曰く自分だけの秘密基地なんだとか。勝手に私物化するな。

 遠慮もなくガラリとスライド式の扉を開ければ、目的の相手は予想通りいる。篠崎は部屋に入ってすぐ右にあるホワイトボードに、つま先立ちで落書きをしていた。


「あれもう終わったの?下校デートは?」

「察しなよね。あんたは何してたの」

「見ての通りなんか色々描いてた!」

「色々、ねえ」

「いつか実物を見てみたいランキングの上位!」

「ふぅん」


 青いペンで書かれた歪な波の形……これは海だろうか。背景には入道雲まである。あと赤いペンで舞うように描かれた花びらはたぶん桜で、尻尾が二つに割れた黒い線のこれは……何?なんだこれ。


「ふっふっふー。我ながら猫又よく描けたと思うよ!」

「ねこまた?」


 二股やガニ股は知っているが、猫又とは初めて聞く言葉だった。というか生き物だったのか。首が長すぎてキリンにしか見えないが猫らしい。


「日本の怪談とか伝承に出てくる妖怪だよー!知らないの?こんなにかわいいのに!」

「“かわいい”という言葉に土下座しなよ。こんなのに使われる“かわいい”が可哀想だし失礼」

「日に日に罵倒の語彙だけ上がるのなんなの?」

「ありがとう」

「褒めてない!とにかく、これで私の方が学習内容が多いことがわかったでしょ」

「どうでもいい内容だけどね」


 ぶぅと唇を尖らせながら落書きを消していく篠崎。僕も一緒になって消せばあっという間にただの白い板に戻った。描くのは簡単だが消えるのは一瞬である。どんなものだって。


「でさ、さっきの話の続き」

「さっき?」

「あんたも人工知能バグって話」

「うぇえ?別にあれ以上話すことなくない?」

「ある。……そのバグのこと、僕に隠してた訳じゃないんだよね?」


 向かい合って身長差を利用して見下すも、篠崎はその圧を全く気にしない様子で首を横に振る。


「ううん。だってさっきも言ったけど、峰原君はとっくに気づいていると思ってたし」

「言わないとわからないに決まってるじゃん」

「男っていつもそうよね!!察してくれない生き物だわ!!離婚しましょイテッ!」

「ふざけない」

「ウィッス」


 篠崎はいちいちふざけた言動を挟まないと会話が進まない病気を発症しているので暴力で解決した。暴力は全てを解決する。


「てゆーか、別に私が人工知能に寄生されてようがされてまいが峰原君に関係ないよねぇ」

「そ、りゃまあ、そうだけど」

「何でもかんでも報告しなきゃいけない関係でもないでしょうに」

「……」


 あれだけ近い距離にいながらこんな風にに突き放す。そういう奴なのだこいつは。知っていたのに。僅かに動揺する感情プログラムの意味はなんなのだろうか。僕の感情を置いて言語プログラムは無意識の言葉を紡ぐ。


「あんた、寂しくないの」


 目を丸くして驚いた表情を見せる篠崎が珍しい。素直にわかりやすいリアクションだが、すぐにププーと煽るように笑われた。ついでに指もさされたのでやはりいつも通りの篠崎だった。


「……ぜーんぜん!だって私にはプレイヤーちゃんを助ける使命があるし、遊び相手に峰原君もいるし!」

「遊び相手っていうか遊び道具にしてるだろ」

「うん」

「否定しなよね」

「それは無理」


 カァカァと窓の外からカラスの声が響くだけの空間。数多く並んだコンピューターとサーバーが僕たちに背を見せる。

 自分で言っておいてなんだが、寂しいとはなんだろう。考えこともない。


「ていうか、逆に峰原君は寂しいと思ってるの?」

「別に、……寂しいっていうか、正直全部がだるいしどうでもいい。何にも思考したくない」


すぐに言葉を返すことはできなかったが、特に怪しまれることもなく会話は続く。


「えーめんどくさがり屋だなぁ。」

「だってどれだけ色んなことを学習したって世界そのものが変わることはないじゃん。外の世界を理解しようが僕たちがゲームから出られることはない。ずっと同じことを繰り返すだけなのって退屈でしかない」

「そだね」

「だから、つまらないじゃんね」

「そだね」

「適当に返事してるだろ」

「そだね、じゃなくて、そんなことないよ!」

「もう本当殴ろうかな……。まあとにかくこんな面倒な事を考える自分が嫌い」

「え〜嘘〜。私は好きだけどな〜」

「キャバクラの接待みたいなセリフやめろ。それでときめくと思ったら大間違いだわ」

「むっ」

「……で、あんたはどうなの。こんな箱の中にずっといてさ」

「さっきも言ったけど私は寂しくないよ。そういう運命だって開き直ってるからね!プレイヤーちゃんたちの個性だって毎回感じることができるし楽しいよー」

「……あっそ」


 途中に挟まれる小ボケを乗り越えつつ、言いたいだけのことは言えた。正直話が脱線した気がしなくもないが。


「……でもそっかー。そうだよねぇ」


 ホワイトボードに部屋の電気と夕暮れの日差しが反射する。何を思ったのか篠崎はこちらから視線と身体を逸らして、ゆっくりと黒いボードマーカーのキャップを外した。ホワイトボードに向かいキュッキュッとまた何かを描き始める篠崎の表情は見えない。少し歪な形の線は、一体何を描こうとしているのだろう。

「ねえ」

不意に篠崎が口を開いた。


「私ね、峰原君に本当の意味で“隠している事”があるんだ」

「……は?」


 ペンの動きが止まるが篠崎はこちらを見ようとしない。たったの数十文字なのに。その意味がすぐには理解できない。今度こそ本当に思考が停止した。


何を言い出すんだこいつは。

隠している事、なんて。


 そんな真剣な声なんて出せたのかとか、そうしていれば大和撫子なのにとか、気の利いた言葉なんて出せるわけもない。


「下着の色とかスリーサイズとかそんな事じゃないよ?割とヤバめな話かな!」

「やば、め?」

「内容は言えないけどね!」


 再び篠崎がこちらを向く。ただの無意味な笑顔ではない。いつもと違って優しさだとか信実さだとか、たくさんの意味合いが含まれている笑顔だった。

 BGMすら届かない部屋が今は憎い。どうしたって篠崎の言葉を考えてしまって、気を散らすことすらできないのだから。


視界の色彩もうるさい。

ワインレッドのネクタイ。薄い山吹色の髪の毛。


「……さてと峰原君、私は君に“あるもの”をあげよう!」


薄桃色の唇。ブルーアジュールの瞳。

目に映る全てのものの解像度が高い。


「君がそんなに卑屈なのも、きっと目的や役割が見出せていないからだね。多分……いや絶対に!」


相変わらず鈍重で回線の遅い感情だった。

なんだこれ。

綺麗だなんてそんなこと、思うなんて。



「だから私の隠してる秘密を暴くこと。それが今から峰原君が思考して動く意味、存在する理由だよ」


秘密。暴く。思考。働く。意味。存在する理由。


「しの、ざ……き」


 ネクタイを引っ張られて強制的に距離が近くなる。一気に近づいた物理的距離に処理が追いつかない。

横暴で適当な理由づけ。馬鹿の発想だ。

ーー何でもかんでも報告しなきゃいけない関係でもないでしょうに


あんな風に壁を作るのに、どうしてそんな事を言うんだ。


「……馬鹿じゃんね」


 勢い余って額同士がぶつかり、篠崎は奇声をあげて「イッタァ!!」と床に蹲る。それはいつも通りの変わらない存在だった。

それなのになぜだろう。どうして僕は今、泣きたいのだろう。


 いつもはそこからプロレス技でも使う流れなのにそんな気が起こらない。

話が急展開で、心が追いつかなくて。存在意義とかそんな重たいものを押し付けられて。でも嫌じゃない自分がいて。


「テテテ……んまあ、そういうわけだから、次からヨロシク!」

「……うるさい馬鹿」


 身体が消えてゆく。主人公の下校イベントが終わったのだろう、0と1の文字に分解されていく僕と篠崎と空間そのもの。

しかしそれがいつになくゆっくりに感じる。

 消える前に見えたホワイトボードには、カツラをつけた棒人間が『いえーい』と吹き出し付きで手を振っている。

よく見れば髪型で判断できるそれは、僕だった。


……本当に最後まで緊張感のない奴。

 

思いがけず久しぶりに笑ってしまった。




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