動き出した時計

 相談室は既にイベント前の殺風景な背景へと変化しており、これまた大きな習字だけが飾られている。無駄に達筆で無駄に豪華な額縁のくせに影は薄い存在だ。輪廻転生、なんて書かれてるけどきっと深い意味はないのだろう。

 放課後、イベント消化中の主人公待ちの時間だった。


「あ〜多分それバグのせいじゃない?」


 ふわあと欠伸をしながら篠崎はモデリングされた体を伸ばす。窓から差し込む夕日。光源に染まることはない身体は、背景色に滲むことなくそこに立っていた。


「やっぱそうだよねぇ」

「ほら人口知能バグっていうのはインターネット由来だから、峰原くんに寄生する前に色々学習してたと思うんだよね!」

「バグが学習した内容は、キャラクターにもそのまま入っちゃうって感じ?」

「そうそう!なんていうかこう……やばい血を吸った蚊が他の人間に噛み付いたらその人間もやばくなるみたいな」

「いや語彙力なさすぎじゃんね。言いたいことはわかるけど」


なるほど、つまりあの違和感も全て人工知能のせいというわけか。納得してしまえばもう興味はない。


「まあ何事もなくてよかったけどさ」

「ていうか今更なの?」

「なに?」

「前から似たようなことはなかったの?」

「……あったんだろうけど自覚はなかったよね」


自己の知覚。自分の行動を振り返って違和感を感じるだけの能力が備わったのだろう。人工知能の成長と学習範囲の肥大化は止まることをしらない。

「……」

歴代の校長らしき額縁が静かに見守る中、手持ち無沙汰だったのでなんとなく隣に立っていた篠崎の頬を伸ばしてみた。


「ゔぇ?」

「へー、よく伸びるじゃん」

「いひはりのほーりょふよふはふぃ!」

「え?何?」

手を離す。

「いきなりの暴力よくないってんの!」

 

 頭突きされそうになったのを紙一重でかわして背後に回った。こういう時にぬるぬる動くモーションは便利だ。そして篠崎は振り向いた瞬間、迷うことなく股間に蹴りを入れてこようとしたのでその足を掴む。

そのままぐっと持ち上げて、体重のない身体を上下逆にしてみれば諦めたようで何もしてこなかった。


「峰原君、パンツ見えるんだけど」

「見えないよ。重力設定までされてないからスカートで隠れてるし」


 篠崎の両脚を僕の両手で掴んで、頭を下にぷらーんと吊るす体勢。現実ならスカートが捲れるのだろうけどこの世界はそこまで気が回らないので、スカートは重力に逆らったまま内部を隠す。


「倫理的に言えば完全にアウトだよアホンダラ!」

「そうなの?」

「逆になんで常識的なことは学習できてないの!?ポンコツ!ポンコツ!トンコツ!!」

「おもしろくないし誰が豚だ」


 ほんとに簡易AIにしては人間的なことをいう奴だ。口だけ達者、さらに言えば生意気。しかし体格差ではこちらが勝っているのでこうなれば手出しできまい。客観的にみれば理不尽ないじめの様に見えるが、別にこいつがこういう行動に対して何も思っていないのは学習している。だからこれはそう。“じゃれあい”と言っていいだろう。


「……あーあ、暇」

「ねえ急に感情無くす癖やめよ?今散々私をおもちゃにしてるのに暇ってなに」

「いいよね人間は。終わりがあって」

「人の話を聞こうねボクちゃん。急に哲学的な話してもついてけないぜよ」

「失礼だな。ちょっとシリアスな雰囲気を作る遊びだよね。……どうだった?」

「シリアスというか電波入ってるみたいだった」


 時間が経つにつれて篠崎の身体がノイズ混じりにバグり始めたのでさすがにまずいと思った。だからせめてもの優しさで頭が地面に激突しない様そっと横たえると、ピクリと体身体を動かすこともなく、ハイライトの消えた瞳でじっとこちらを見つめる。地味に犯罪臭のする光景なのでやめてほしい。


「三途の川が見えた……」

「嘘だね。僕たち頭に血が上がることはないんだし」

「普段と視界が違うと情報量が多いからプログラムの挙動が重くなるの!」

「よかったじゃんね」

「その返答はおかしい」


 大の字に寝転がる篠崎。なんとなく側にしゃがんで顔を覗き込んでみればブルーアジュールの瞳が僕を吸い込む。僕の髪と同じ色だ。

 ブルーアジュールとは空や海の色を指すらしいが、それはあくまで意味として。色そのものは透明度の高い浅瀬に緑を数滴落とし込んだ様な色だ。

 母なる海。慈しみ。潮騒。凪。そんな単語が浮かんでは消える。優しさを体現した様な綺麗な色なのに、本人が全くといっていいほど色気がないので台無し。その証拠にしばらくするとおばさんじみた声で「ぁあ〜、よっごいしょっ」と篠崎は立ち上がる。


「色気……」

「そんなものはない」

「知ってる」

バシンと肩を叩かれたがびくともしない。体格差もあるが、本気で暴力を振るっていないのだろう。


「……とにかく話を戻すけどさ、さっきから峰原君がいう感覚はなんとなくわかるよ」

「へ?」

どう言う事だと遮る前に、篠崎は続けた。

「私もバグが入ってからはそんな感じで、聞いたこともない単語の知識がスラスラ出てくるんだよね!」



喉が、つまる。



「あと人間って感情が複雑だよね。怒ってるのに笑ったり、嬉しいのに涙が出たりさ。嬉しいと悲しいみたいな真逆の感情が同時に出たりとか、そりゃ既存のプログラムじゃ学習しきれませんわって感じ〜」

「……ねえ、」


「いやまあ今でも理解できてるかって言われたらまだまだだけどね!……でもプレイヤーちゃんの気持ちとか行動原理は少しずつわかるようになってきたかなぁ」

「お前さ」


「あと常識面では峰原君に勝ってるね、絶対」

「ちょっと」

「このゲームの外は広いんだろうなぁ。インターネットと海、どっちが大きいと思う?深さも広さもどっこいどっこいだからいい勝負になりそうだよね」



「聞け!!!」



 立板に水。スラスラと流れ続ける言葉をついに堰き止めた。


 突然の大声に驚いた様子で口を閉ざす篠崎。その肩を無意識のうちに力を込めて掴んでいて、硬く白い肌に食い込む。

 こいつの言っていた意味を一つ一つ飲み込んで強制的に頭に理解させた。……そして、理解させたくはない一つの結論にたどり着く。


「……あんた、バグに寄生されてたの?」


 この問いに肯定してほしくないと願う自分がいた。たとえそれが1%以下の確率だろうとも。この感情の根源はわからないがなぜかそう思ってしまう。

それでもわかっていたのだ。


「え?うんそうだよ」


 低すぎる確率の前にその願いは叶わない。何を今更?と首を傾げる篠崎はわかっているのだろうか、事の重大さを。

(いつから?今更って何?どうしてなんとも思わない顔をしているんだ?どうして隠してた?)

色々言いたいことはあったが全てを出すことはできず、結局一つの言葉しか絞り出すことができなかった。


「……なんで言ってくれなかった訳」


 情けない声を出すキャラクターボイス。先程までの変わり映えしない風景が、やけに重い。いやこの雰囲気を作っているのは僕だけど仕方ないだろう。

項垂れて手に力を込められなくなった。肩から外れた手は行き先をなくして、体の横にぶら下がる。


「なんで、って。え?むしろ知らなかったの!?」

「……そうだよ、だから言ってるじゃん」

「いやいやいや嘘でしょ!?普段の会話はどう考えても人工知能同士でしかできないよ!?」

「だってお前、簡易AIあるじゃん」

「はぇ〜〜〜??無理無理!!簡易AIの範囲わかってる?」

「……新たに学習することはできないが、元ある知識やプログラムの中でなら自由に行動することができる。自分で考えられる、でしょ」

「わかってんじゃん!日々の会話思い出してみ?乙女ゲームにあるまじき知識ばっかだよ!?」


 勢いで放送禁止用語を連発する篠崎の口を手で塞ぐ。いやもう黙ってくれないかな。どういうことだよ。

 頭が痛いとはこのような状態を表すのだろうか?実際に痛みはないのにそんな気がしてたまらない。ショート寸前の感情プログラムを抑えるべく、冷静に冷静にと目を閉じて思い出す。いつものたわいもない行動と言動。

 確かに篠崎は人工知能に寄生されていないことを明言したことはない。でもそんなの言われなければわからないじゃないか。

そう責任転嫁しようとしたが、気がつかなったのも自分だ。


 だって今考えれば、ヒントが日々あちらこちらに散らばっていたのだから。




ーー聞いてるのー峰原君!耳なし芳一にするよ!

ーーそしたら僕はリアル羅生門してやんね

ーー髪抜いてカツラにでもすんの?

ーー追い剥ぎする

ーーやめてよ下人




芥川龍之介の『羅生門』。

あの時はなんとも思っていなかったが、今考えればおかしい。この作品にプログラムされていない筈なのに、どうして中身を知っている前提で話すことができたのか。


「下手したら峰原君より寄生されてる時間は長いかもね〜。ほら、客観的に見て峰原君はまだ常識面や倫理面はまだまだだから!えっへん!」



その会話よりも、ずっとずっと前から学習していたから。


「ほんっとさぁ……!」

「あ、そろそろ【主人公】ちゃん来るよ!ほら定位置についてついて!」

「……チッ、タイミング悪いよね」

こんな状態でいつも通りを装えというのか。……いや、装う必要はなくともプログラムが勝手に行動してくれるのだけれど。せめて冷静になれるまでの時間が欲しかった。


「話はあとあと!プレイヤーちゃんのためのゲームなんだから役割果たさないと!」

「ハァ……」


感情プログラムが混乱を通り越して、疲れた。

なんかもう全てどうでもいい。






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