放課後チュートリアル
「【主人公】ちゃん!ようこそ新聞部へ!」
鳴らし終えたクラッカーをゴミ箱に投げ捨てて篠崎は主人公に抱きついた。いつもは殺風景な相談室も、このイベントの時だけは背景が少し豪華になるのだ。明るい曲調のBGMはこのイベント専用のものだから、久々に聴いた気がする。
▶︎『く、苦しいよ』
ピコン。
「あっ、ごめんごめん!【主人公】ちゃんが入ってくれてつい浮かれちゃった!」
篠崎が主人公から離れて、てへっと頭に手を当てて舌を足す。このあざといモーションは通称〈ごめんね⭐︎〉モーションというらしい。直球な上に無駄な星マークがあいつらしくてウザいな。そんな内心はおくびにも出さず、驚いた表情を作って主人公に近づく。
「あれ、君は……」
▶︎『あ、あの時の……?』
ピコン。
「覚えていてくれたんだね。……僕の名前わかる?」
表情されたのは僕の名前と篠崎の名前。
少し時間が空いて、選択肢が選ばれた。
▶︎『篠崎くもりさん?』
ピコン。
「ちょっと!それは私の名前だよ【主人公】ちゃん!」
「あはは……。場を和ませようとしてくれたのかな?」
僕はどうやらこのプレイヤーの認識を誤っていたらしい。ふざけた選択肢も時には選ぶことができる、ゲームに慣れたプレイヤーなのかもしれない。まあ一回一回セーブをしているのは性格なのか狂気なのか。
「さて、じゃあ早速活動を……といいたいところなんだけど、私今日補習なんだよね〜。という訳であとは頼んだ峰原くん!」
「ああうん、いってらっしゃい」
いつも通りの流れに沿って篠崎の背中を見送る。笑顔を浮かべて手を振る僕を主人公はじっと見つめていた。
ハイライトが優しく反射する無機質な瞳の奥にプレイヤーはいるのだろう。緋色なのに夜空を散らしたような光が広がる、綺麗すぎる瞳だ。
「さてじゃあまず活動内容から説明するよ」
そのプレイヤーに新聞部について教えるのももう慣れたものだった。
活動時間は放課後18時まで。場所は主にこの第二相談室で、あとは印刷の時に職員室を使うくらい。顧問の先生は主人公の担任であるが、他の部活も兼任しているので滅多に来ないこと。(たまに先生が来ると特別イベントが発生する)
「部員は……今のところ僕と篠崎さんだけなんだ。だから仕事量も多くてね。君が入ってくれて本当に嬉しいよ」
しかも篠崎はプレイヤーに配慮してなのか、プレイヤーがいる時は大体いないのだ。補習だとか怪我をして保健室行きになっただとかそういう理由をつけて。逆にプレイヤーが放課後イベントを発生させている時はいたりする。プレイヤーに配慮して勉強のできないおバカキャラにされてるあいつだが、実際に言動もバカなので何も言うまい。
そして今までの新聞を見せたり写真を撮せたりして、一つのチュートリアルが始まった。
「これで記事になりそうな写真を撮るんだよ。撮るときは最初にF2キーを押してね。そして十字キーかカーソルを使ってポイントを移動して、Enterを押せば撮影完了だよ」
カメラを渡してチュートリアルの説明をすれば、さっそく僕の写真を撮ろうとしているみたいだ。無駄に再現された一眼レフは製作陣がこだわって作ったであろう努力が伺える。僕にカメラを向けてきたので手を振れば、カシャっとわざとらしい音が鳴ってあっさりとチュートリアルは終わった。
「どれどれ……。うん、よくできてるね!初めてなのにすごいなあ」
▶︎『ありがとう』
「これならカメラを任せても大丈夫だね。期待してるよ」
▶︎『そんな、大げさです』
「うーん、それがそうでもないんだよね。僕もカメラは最低限しか使えないし、篠崎さんはよく物を壊すから」
▶︎『た、大変ですね』
「あはは、人には向き不向きがあるからね。……そういえばさっきから敬語使ってるけど、同い年だから無理して使わなくてもいいんだよ?」
▶︎『なんとなく使ってた』
「そうなんだ。……うーん、昔から僕ってどうしてか周りの人に敬語使われるんだよね。同い年の人でも年上の人でも」
▶︎『嫌なの?』
「嫌じゃないけど、やっぱり距離があるように感じるからね。だから仲が良い人にはタメ口で喋ってもらった方が嬉しいな」
▶︎『わかった』
「……ありがとう。よろしくね【主人公】さん」
ポンっと小さく音が鳴る。その発生源は僕の頭上にたった今浮かび上がったハート型の器だった。
乙女ゲームらしく好感度が上がったり下がったりする時にこのハートは現れて、ゲージの量や色を示す。今の場合は好感度が上がったのでゲージが少し上昇し、そのゲージが黄色へと変わったのだ。
そして数秒、主人公は全ての動きを停止する。まばたきすらしなくなった主人公はどうやらセーブをしているみたいだ。部活概要の説明の時でも何度かセーブをしていたし、本当に今回のプレイヤーはセーブ魔である。……こまめなセーブは大事だけどもこれは過剰だね。一キャラクターに口を出す権利はないけど。
少し間が空いてプレイヤーが再び動き出す。それに合わせて僕もセリフを再開した。
「さて、今日はもうやる事もないしこのあたりで終わりにしようか。下校の時刻も近いしね」
窓の外には夕暮れとシルエットだけのカラスが映っている。窓際の壁掛けにかけられた時計は、僕が目を離した隙に大幅に時刻を進めていた。
人間にとっては正確に刻む時間という概念だが、僕達にはそんなもの関係ない。そもそもの法則が違うから。
ついさっきまで16時半だったのにもう18時手前の時刻になっているのも、このゲームの都合上イベントの最中は時間が止まるが、終了すると同時に都合の良い時間へと変わるからだ。
「……本当に新聞部に入ってくれてありがとう。また明日からよろしくね」
この世界の時は狂っている。
時間によって人やイベントが進行するのではなく、その逆なのだ。人やイベントによって時間が進行する世界。
むこうの世界に存在したという、かの有名なピタゴラスは「時間はこの世界の魂である」と言い残したらしい。
▶︎『よろしく!』
しかしこの世界の塊は時間ではない、イベントと人物のプログラムだ。だから時間というのはさほど重要でもなくて、そういう人間の感覚はわからない。概念については理解はしているが相変わらず感覚がついてこない。
フェードアウトしていく視界。これにて今日のイベントは終了した。
しかし、なにかおかしい。違和感が、
「……あれ?」
僕は、ピタゴラスの言葉なんていつ知ったんだ?
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