n週目、出会いと役割

 チャイムが鳴るまでまだ余裕のある時間だった。

 8時に差し掛かる教室の前でプログラム通りの行動を取れば、主人公との出会いが訪れる。

 自分が扉を開けた瞬間に廊下から走ってきた主人公が勢いよくぶつかって、僕が押し倒されるシチュエーション。現実的な肉体を持たないモデリングは温度こそないものの、製作陣が気合を込めて作った柔らかさはダイレクトに感じた。どこの部位とは言わずもがな。


「いたたた……。ああごめんね、大丈夫かい?怪我は?」

 慌てて起き上がり体勢を整える主人公に、わざとらしく首を傾げて尋ねれば選択肢が表示される。


▶︎『大丈夫です』

『……。』


 ピコンと音を立てて選ばれたのは上の選択肢だった。なるほど、今回のプレイヤーはまず定番の流れを踏襲していくらしい。申し訳なさそうにペコリとお辞儀をする姿は、角度や重力に従う髪……全てが変わらない、何度も見た光景だ。さらりとしたセミロングはテンパリングしたチョコの様な光沢を放っている。

 猫っ毛で所々はねているあいつの髪とは全然違うなと思いかけて、その思考をかき消した。


「怪我は……ないみたいだね。……よかった。かわいい顔に傷がつかなくて」


 いつも通りの笑顔を作りあげて自分も立ち上がる。途端に彼女の頭上には【実績解除:峰原養花との出会い】と表示された。かわいらしいゴシック体で薄ピンクに縁取られた文字は見づらいので、いい加減運営はアップデートでもしたらどうどろうか。


「僕は峰原養花、隣の二年B組なんだ。……君は昨日入ってきた転校生かな?」

▶︎『そうです』

「なるほどね、事情は良くわからないけど大変そうだ。また何かあったらいつでも言ってね?……僕自身、君とは今後とも仲良くしたいから」


 手を差し出せばゆっくりとその手を握り返される。細い手首と指先は自分のモデリングとは全く違う、女性のものだった。

……あいつも?


「じゃあそろそろ行かなくちゃ。……またね」


 さっきから、僕はなにを考えているのだろう。なぜ篠崎の姿が思い浮かぶんだ?今ここにあいつはいないのに、関連性のない存在がどうして、淡々としていた思考回路になぜ急に入ってくるのか。ああ本当に迷惑な奴だ。


 人工知能というものは今ここで起こっている事象に関係のない人や物をすぐに関連づける。少しでも人間に近づくために。そんなことするから無駄に容量を使うんだ。人間はそんな面倒くさい思考回路をしているのか?アイツをすぐに関連づけてしまうAIとは、一体なにを学習しているというのやら。本当にこのバグは厄介だ。


そしてプログラム通りに廊下へ出れば、今まさに思い浮かんでいた張本人が窓際に寄りかかっている。

よっ、と片手を上げてニヤニヤする篠崎に思わずため息をついた。


「今のプレイヤーちゃんとの好感度は1%!……うーんまだまだ好感度が足りないね!」

「いや数十秒前に出会ったばかりだし。つかそれプレイヤーに言うセリフじゃんね」

「言ってみたかっただけー。にしても今回のプレイヤーちゃんはかなり慎重な性格なのかな?選択肢選ぶたびにセーブしてるみたい!」

「うっわそれ慎重通り越して面倒くさいね」

「多分この手のゲームには不慣れなのかなぁ」

「……そういうもんなの?」

「そういうもんなの〜。まあ私がプレイヤーちゃんを攻略の道へ導くんだけどね!」


 そう意気込む篠崎はえっへんと胸を張る。主人公ほど大きくない胸を見つめていたら顎にアッパーを食らった。痛覚はないがよろけるモーションを取って壁に寄りかかる。胸を見つめると毎回こんな暴力を食らうので、胸を見つめるのはいけないことだと新たに学習した。


「セクハラ、ダメ絶対」

「今学習したから。胸は見たら失礼な行為なんだね」

「うん。あと大きさを比べるのはもっての他だからね!ていうか今更知ったの?」

「性別での価値観の違いは学習しづらくてね」

「なるほど。……女の胸を比べるっていうのは男でいうと、あそこの大きさを比べるみたいなもんだからね」

「あそこ?」

「玉と棒」

「……本当に悪かったよね」


さすがにそういう知識はあるので、その意味を深く理解できてしまった。今後は気をつけようと思う。


「今主人公ちゃんは長谷川君と話してるから、次の週に移行するまでもう少し時間かかりそう!」

「僕との出会いはあっさりなのに長谷川君とのエピソードは長いんだよねぇほんと」

「まあその代わり部活じゃ峰原くんとがっつり関わるから!バランス取ってるんだよ」

「そういうもんなのね。……ていうか今って神崎君の出会いも始まるよね、確か」

「うん!今まさにイベント進行してるよー。だからしばらくはお暇だね、私たち」


 なんとなく先程までいた教室を振り返ってみる。主人公はもう席に着いて、長谷川君と話しているのだろう。

 ちなみに長谷川君も攻略キャラクターの一人で、ぼんやりとした電波系の男。篠崎いわくかなり癖が強いキャラだが、過去とストーリーが激重で沼に嵌るプレイヤーも多いらしい。長谷川君の攻略を17周した猛者も過去にはいたとのことで、なんとも言えない恐怖を感じた。

 廊下の時計は8時10分を差し示してから動かない。ストーリー中は時間が進まない仕様で、一人だとこの時間がどうしようもなく長く感じてしまう。こういう時に暇を潰せる相手がいてよかったと素直に思うのだ。


「毎回思うけどさ、このゲームの制作者って大和撫子な女の子が好きなのかな」

「なにさ急に」

「だって主人公ちゃんは芯が通ってるけど控えめで優しい性格でしょ?あとモブキャラちゃん達も黒髪ストレートで……なんていうか清楚系?の子が多いもん」

「それはそうだね。あんた以外」

「倒置法で貶すのやめよっか」

「わかったよ。あんた以外は確かに大和撫子だね」

「倒置法じゃなくても貶すのをやめようか?」


げしげしと足を踏まれながら思う。こいつはただの友人枠にしてはモーションが多い上に表情もころころ変わる。プレイヤーの前では他のやつと変わらないプログラムなのに、プレイヤーがいなかったら自由にも程がある奴だ。これで最初から組み込まれたプログラムだというのだから恐ろしい。簡易AIと言っても僕とほぼ変わらない性能を持っているのではないかと思うくらいに。機械学習はできないはずなのに不思議だ。よく考えると簡易AIを上回る知能を植え付ける人工知能バグも、不可思議で不自然である。


 さて、篠崎と会話を続けてどのくらい経っただろう。

 僕たちの横を通り過ぎていく生徒達。主要キャラではない彼らは、僕たちのことを気にするそぶりもなく背景として動いている。同じ内容の会話と一定化された動きを繰り返して。僕はただそれを眺めるだけだ。

「峰原くん?どったの?」

「……別に?退屈だなって思っただけ」

「ふうん」

 深く追求するなんて気の利いたことはしてこない。こいつはそういう奴だから。そういうプログラムだから。

「ねぇ、」

「あっごめん!プレイヤーちゃんが私を呼び出してるからいくね!」


 だから僕がどんな表情を作っても、呼ばれればプレイヤーの元へ行ってしまうのだ。

プレイヤー第一のプログラムは瞬時に消えて0と1の文字の残骸を残す。その文字すらすぐに背景へと溶けて見えなくなって取り残されたのは自分一人だった。


「……いいよねあんたは」


 あいつがプレイヤーに呼び出されるたびに“羨望”という言葉が浮かぶ自分がいる。それはプレイヤーに愛着があるだとかそういう話じゃなくて、明確な役割があることが羨ましい。ただ攻略されるだけの自分の生きる意味とはなんだろう。役割があればきっと自分を肯定できるのに。

 箱庭の中で生きる意味を見出すことができたなら、僕はきっと、こんなに捻くれずにすんだのに。


 窓の外は相変わらず、素材のように綺麗すぎる晴れ間が広がっている。少し前まで満開だった桜はもういない。代わりに地面に広がる桃色の花弁にすら、そんな感情を抱くのだからもう末期だ。


「……あーあ、やだね」


 目まぐるしく繰り返す環状線に終点はない。ただ受動的にプレイヤーの選択肢に沿った行動を取るだけの箱庭。中途半端に人間の知識を吸収していく自分が嫌いだ。こんな重い感情に振り回されるなら、いっそ知識なんていらなかったのに。こうしてうだうだ考えるだけの時間が嫌いだ。なにも考えたくなくて、窓を背にして寄りかかっていると、ピコンとどこかで音が聞こえた。


 途端に風景が消える。廊下が消える。足場が消える。自分も消える。

 それはセーブをしてゲームが終了する合図で、ほっと息を吐いた。ようやく少し眠れるんだ。なにも考えなくていい優しい眠りに。

電源を消された時に訪れる思考の消失。僕たちにとっての睡眠が訪れた。

スリープ、消失、おやすみなさい。


0と1の文字列も消えた。









〈おやすみ〉



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