バグ原君と篠崎ちゃん
〆々
環状線とくもり空
この世界は今日も僕以外は正常だ。
窮屈で環状線を走り続ける、何も変わらない“正常な”空間。何度も学生生活が繰り返され、卒業したと思えばまた入学式から始まって。顔ぶれもイベントも選択肢も変わらない。変わるとすれば画面の向こうのプレイヤーだけで、一通り僕たちの攻略が終わればまた別のプレイヤーに売られるだけの世界。
リセットされてもロードされてもスチルを全部集めても、結局のところ一喜一憂するのは画面外の誰か。僕たちじゃない。そりゃそうだ、所詮僕たちはプログラムされた知能に過ぎないのだから。
「……クソじゃんかね。そんなの」
その事実を知っている自分に反吐が出る。相談室で椅子に座りながら机に脚を乗せて天井を見上げる。高度な思考回路なんてあっても、この世界にとって有り余り過ぎたものだ。本当に糞。それもこれも誰かがこのゲームに紛れ込ませた人工知能入りのバグのせいだ。
このゲームが世に出回り始めて数年。高度過ぎる文明を持った外の世界はあらゆる場面で自ら学習するタイプの人工知能を導入しているらしい。複雑な機械の制御だとかコンピューターの演算だとか処理だとか、少なくともこのゲーム内には存在することのない叡智。植え付けられたのは意思と感情だった。
そのウイルスを悪戯半分でゲーム内キャラに植え付けてゲームを崩壊させたり、バグ技を使うために利用する奴もいる。人工知能バグと名付けておもしろ半分で実況したりRTAに活用することもあるらしい。外の世界は随分と調子に乗って悪意をばら撒いているようなので、消滅しろ糞共。
ウイルスの様に感染する人工知能、人工知能ウイルスと呼ばれる災害。外の世界の価値観を植え付けられた二進数のデータ。僕はその哀れな被害者の一人である。
「
「……ウッゼェよねぇ?喧嘩売ってる?」
……正直一番ムカつくのは“心”を知ってしまったことだ。
正面に座ってヘラッと笑う少女に眉を寄せる。
自我を持たなければ外の世界やこの世界の事実なんて知らなかったのに。ただのプログラムとしての一生を終えられたのに。どれだけ嘆いても世界は変わらないと悟ったのはこのゲームが何周した時だったか、もう思い出せない。
それでも僕がこの世界を静観できているのは目の前の存在がいるからだった。
「やだなぁ本心だよ!事実をいったまでじゃーん」
「ブチ犯されたいのかねぇ
「そう言うところだよホント〜。先生の前で言ってみたら?」
「生憎、人前じゃ優等生の皮被ってるんでね」
「あっ自分で言うんだ!ていうか遠回しに私のこと人間扱いしてないな」
「遠回しじゃなくて直球に言ってるんだけども?」
ポンポンと交わされる会話のやり取りは、もはやキャッチボールではなくドッチボール……いやもうそれすら通り越したなにか。むしろもう言葉で直接殴り合ってるというべきだけど、不快な会話じゃない。むしろ俺はこの時間が好きだった。
プレイヤーの友人兼、相談役、ステータス確認役の篠崎くもり。
彼女はシステム的にプレイヤーと距離が近く、プログラミングもその他のキャラとは異なる仕組みを施されている。
常にプレイヤーとキャラの好感度を感知しアドバイスを施し、時にはフラグ管理の権限を持つ篠崎。人工知能に限りなく近い簡易AIというものが搭載されているとのことで、バグの発見や報告も彼女の仕事らしい。
そのため彼女は僕と同じくこの世界の仕組みについて知っているただ一人の存在だった。……全く同じではないが、理解してくれる存在。バグを運営に報告する役割と言っていたが僕を黙認してくれているのはなぜか。理由は不明だが詮索する気も起きないほど、ひょうきんな性格と言動をしている。
停滞した空間の中で、唯一行動と言動が変化する彼女との会話だけが娯楽だった。
「聞いてるのー峰原君!耳なし芳一にするよ!」
「そしたら僕はリアル羅生門してやんね」
「髪抜いてカツラにでもすんの?」
「追い剥ぎする」
「やめてよ下人」
放課後に部室で行われるそんな小さなやりとりを聞く者はいない。
表向きは生徒会直属の新聞部。実態は月に一度ひっそりと広報を出すだけの文化部に割り当てられた相談室は、多人数用の机や椅子があるだけだ。
飾りっ気もなにもない殺風景な部屋なのに会話だけは騒がしい。授業後に強制的に次の日へ移らなかったということは、現在どこかで主人公がイベントをこなしているのだろう。だからイベント終了までこうして放課後の部活という無限の時間を過ごしていた。
「ていうかさーホント考えないといけないよ部員集め〜。どうすんのさ」
「今まさにスマホでニュースサイト見てる奴がなんか言ってらね。……考えてもみな?うちの学校ってあらゆる運動部と文化部の強豪校なわけよ。だからスポーツ推薦とか得意分野の推薦者が多いわけ。それなのに生徒会直属の野暮ったいだけの新聞部にわざわざ入るのは物好きだけだわ」
「しかも部活に入るのが嫌な人は帰宅部も認められてるしねぇ」
「僕遠回しにあんたのこと物好きだって言ってるの気が付かなかった?」
「うるさいやい」
本当は僕も篠崎も知っている。
これから入る新入部員はプレイヤーの操作する主人公だけだということを。他の新入生は誰一人入らないことを。
だからこんな会話も形だけのもので中身はただの罵倒合戦だ。棒読みとまではいかないが真剣さのこもっていない自分達の声はプレイヤーには届いていないだろう。だってこれはプログラムされていないもので、存在しない架空の会話なのだから。だからそこに微塵も気持ちが入っていなくとも許されてしまうのだ。
「で、主人公は今なにしてんの?」
「過去回想」
「あー夢尾君とのね……」
「あるあるだよね!子ども時代に結婚の約束をした幼馴染の攻略対象が転校先にいるって」
「あるあるなの?」
「いや知らん」
「犯す」
「はい通報」
どうやら一年目最初のイベントが現在進行中らしい。
幼い頃に結婚の約束と喧嘩別れをした幼馴染の存在、夢尾ワタル。ちなみにその夢尾君は隣のクラスに所属する学級委員長で、その名前とは対照的にクールで真面目気質、そしてしっかり者の立ち位置を築いている。
彼とは何周目だったかで主人公を取り合ったこともあったし、転校してしまって別れたこともあった。まあデータはリセットされて彼は覚えていないだろうが強烈な思い出だ。個人的には王道ストーリーすぎて退屈なのだが、外の世界のプレイヤーというのはそう言うものを求めているらしい。
「今回の攻略対象は誰になるかなー。峰原君だったらおもしろいね!」
「なにが?シナリオとイベントは全く変わらないから面白くないよねぇ」
「いやイベント終わってげっそりした峰原君おちょくるのおもしろいよ」
「……公衆トイレと僕の家どっちがいい?」
「おっと残念だけどこのゲームはCERO:Bなんだ」
「チッ」
低俗で品のないやりとりも不快に思わず受け流してくれるあたり、優しい奴だとは思う。言うと調子に乗りそうだから本人には言わないが。
機嫌の悪いフリをしながら外を見れば、窓越しに灰色の空が見えた。今にも雨が降り出しそうな空も所詮プログラムされた風景に過ぎない。フリー素材をそのまま貼り付けたかのような空は薄っぺらい虚像だ。
「てかさー、峰原君ってかなり性格変わったよね!バグに寄生された時くらいから」
「……あったりまえだよね。だってただのNPCでいた時はセーブとかリセットとかそういう概念はなかったし、そんな考えはなかったんだもん。けれどこの世界の仕組みとか自分の存在とか知っちゃえば……そりゃあスレるよね」
「そっかぁ。発狂しなかっただけ偉いと思うよ」
「割と重い話題振っといて感想がそれなの」
「だって私にシリアスは似合わないじゃん?」
そう言ってヘラリと笑う篠崎は本当にそれ以上のことは考えていないのだろう。
彼女も他キャラとは違うプログラミングされているとはいえ、基盤データに性格が引っ張られている。明るくて、裏表がなくて、いつだって主人公の味方ポジションの友人役というデータに。
人工知能に寄生された僕とは違って、彼女は簡易AIなのだから学習する能力を持ち合わせていない。外の世界の知覚、そして少しのメタ発言が許された彼女といえども、最初から施されたプログラムがどうしても根底にある。変わらない世界で唯一の変化を見せる彼女だって、僕とは決定的に違う存在なのだ。……そう、決定的に。
「まっ、峰原君プレイヤーちゃんとは明日初顔合わせだよね!いつも通りあのキメ顔押し倒しスチル決めてきなよ!」
「いやそんなスチルねえよ。……でもだるいから篠崎代わって」
「なに言ってんのさ王子様キャラの峰原君。ちゃんと自分の仕事くらいしてきなよ」
「ぶっちゃけ王子様キャラ疲れたじゃんね」
「本当にぶっちゃけましたな?……ていうか今更だけどその謎の方言語尾も王子様キャラNPCの時にはなかったのに何故」
「さあ?僕にバグ仕込んだやつの趣味じゃね?」
「わあ」
ギシリと軋むパイプ椅子。いつもは来客用に丁寧に扱われているこいつだが、今は僕に胡座をかかれて悲鳴を上げている。
“過去の峰原養花みねはらようか”はもういない。
“現在の峰原養花”は変化と適応を学習したから。
“心”というのは良くも悪くも年月を経れば人格は移り変わるらしい。自分の場合は思いっきり良くない方向に行ってしまったとは思うが、それもまた学習なのだ。
さてプレイヤーにとっての一年目の四月は、各キャラとの初顔合わせである。今日が夢尾君。そして明日が僕。明後日はまた別のキャラクター、あとはエトセトラ。
今回のプレイヤーはどんな人で誰を攻略するのだろう。そして僕の向かいで肘をついている篠崎は誰の攻略サポートをするのだろう。
「前のプレイヤーは僕と花宮君だけ攻略してったよね」
「んーまあ二人はこのゲームでも人気キャラだもん。このパッケージの顔役でもあるしねぇ」
「崇めなよね」
「わかった。この輪ゴムをお供えしとくよ!」
「銃で撃つ」
「イテッ」
また一から回り出したこの世界に乾杯して、輪ゴムピストルを篠崎の額に向けて撃っておいた。
……あーあ、いつまで僕はこうしているのだろうね。
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