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 我がソレイユ王国は、大陸の窪地に位置し、小国ながら三百年を超える歴史を持つ国だ。

 国土の北側には大陸有数の山脈がそびえ、山脈を超えた北東部は荒々しい武力国家ヴァルクスと、南に広がる海湾部では、南東の一部が大陸随一の覇権を誇る大帝国と接している。陸鶴機の西部はソレイユよりも小さな国々が連なっている。

 山と海の自然が豊富な一方、多数の国家に囲まれているため、北西には王都が置かれ、西方諸国への睨みをきかし、北東、南東、南西にはそれぞれ広い領地と大きな裁量権を与えられた「辺境伯」という爵位が置かれ、隣国への牽制と国防を担っている。


 中でもローゼリアたちコルベイユ家は、北東のヴァルクス国と接する、ノウレストの地を収める一族だ。

 北西にある王都とは、真逆の位置とまでは言わないが、馬車で三日はかかる。

 王宮からの使者なんて、年に一度の辺境伯会議への招集時くらいだ。それだって通常は手紙でのやりとりがほとんどで、まさか王族が——しかも第二王子が、直接訪れるなんて、ありえないのだ。


 しかし、我が家の応接室のソファで、優雅にお茶を飲んでいるハニーブロンドの貴公子は、紛れもなくアベイユ王子殿下である。


 蜂蜜を溶かし込んだような金髪に、王族特有の金の瞳。

 柔らかな髪はふわふわとしていて、少し長い襟先がくるりと丸まっている。

 同じ色のまつ毛がガーネットのような瞳を縁取り、すっと通った鼻筋に口角の上がった薄い唇。天使のような美しさなのに、青年らしい精悍さも兼ね備えている。

 軍服調の上着には、王族を示す紋章が金糸で刺繍されている。貝のボタン、袖口の細かなレース。カフスボタンにあしらわれたルビー。どれも最高級の品質だ。


 どこからどう見ても、本物の王子殿下だった。


 左右背後には屈強な護衛が三人と、杖を手に持った線の細い男性が一人、彼を囲うように立っている。

「ああ、レディを立たせたままなんて紳士の名折れだ。どうかソファへ。ローゼリア嬢」

 殿下が茶器を置いて、ローゼリアを促した。流されるまま、父と兄の間へ。

 親子三人、これから何の沙汰が下されるのかと、黙りこくっていると、細身の男がじとりと彼を睨んだ。

「ほら、ご覧なさい。コルベイユ家の皆様が固まっておられるではないですか。だからまずは手紙でお伝えするべきだと」

「だって、直接会いに来た方が話が早いじゃないか」

「話も行動も早すぎて皆が置いてけぼりです」

 容赦ない男の攻撃に、アベイユはぐっと喉を詰まらせた。男の視線から逃れるように目を逸らす。

 男はため息をつくと、ローゼリアに向かって頭を下げた。

「先ほどお父上とお兄様にはご挨拶させていただいたのですが、私はこちらで呑気に茶をしばいておられるアベイユ殿下の側近を務めております、ジャン=ジャック・ド・ブロワと申します。以後よくお見知りおきを」

「ブロワ……侯爵家のご子息でいらっしゃいましたか」

「すでに知っていただいていたとは、光栄です」

 にこりと笑うジャン=ジャック。後頭部でゆるくまとめられた黒髪に、細い銀縁の眼鏡の奥に見える青い瞳は理知的だ。そして、ブロワ侯爵家もまた、この国の貴族であれば誰でも知っている大貴族である。

 辺境伯という爵位は、侯爵と伯爵の間に位置する。身分上で見劣りすることは決してないのだが、いかんせん、こちらは王都から遠く離れた辺境で暮らす田舎者なのだ。

「で、殿下」

 父がどもりながら恐れ多くも発言した。

「このとおり、ローゼリアを呼んでまいりましたが……ご来訪の理由をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」

 兄が隣でぶんぶんと首を縦に振っている。


(殿下は私に用があるの? しかも、お父様もお兄様も、まだ何も聞かされていない?)


 ローゼリアは首を傾げた。

 第二王子殿下がお越しだから挨拶を、というだけではなく、まさか自分が本題だとは。


 父に促されたアベイユは、ゆっくりとソファから立ち上がると、ジャン=ジャックが杖を差し出すのを片手で制し、テーブルを回ってコルベイユ親子の側へと近づいた。息を呑むエリックとローゼリアの間に位置取ると、再びゆっくり跪いた。

「まあ殿下! お立ちください!」

 ローゼリアは叫んだ。王子殿下のお膝を床に着けさせるなんて。けれど彼は、

「どうして? 僕は今から貴女に求婚するのに」柔らかな金髪を揺らして言った。


 ——跪いて愛を乞うのは、当然だろう?


 ローゼリアは、甘い笑顔で見上げてくる彼の言葉が理解できなかった。


「あの、今、なんと」不敬を承知で聞き返す。

「僕と結婚してほしい。ローゼリア・ド・コルベイユ辺境伯令嬢」

 跪いたまま、そっと手を取られて指にキスをされた。声にならない叫びが喉を通り過ぎていく。頬がかっと熱くなる。

 アベイユが再び立ち上がるのにつられて顔を上げると、彼も気恥ずかしそうに頬を染めていた。

「……コルベイユ家の庭は薔薇が見頃だと先ほどお義父上に伺いました。案内していただけませんか」

 父は第二王子に「義父上」と呼ばれ、一瞬思考を飛ばしたようだが、

「ローゼリア、ご案内してさしあげなさい」

 と、何とか現実に戻ってきた。さすがにコルベイユ家当主である。

 兄はもう完全に思考停止している。「おにわ きれい」みたいな表情で窓の外を眺めていた。

「殿下、ちゃんとローゼリア嬢に話してくださいよ。ダナン殿とエリック殿には私からご説明させていただきます」

 ジャン=ジャックがアベイユに杖を手渡した。アベイユは繊細な薔薇の彫刻が施されたそれを右手で柔らかな絨毯に下ろし、左手をローゼリアの手元へ寄せた。

「歩きにくいかもしれませんが、庭までエスコートを」

 ここまでされては断れない。そっと腕に手を添え、

(一体全体どういう訳ですか!)

(私だって教えてほしいよロゼ! とりあえず殿下に失礼のないように!)

(がんばれロゼ! 俺はもう無理だ! 自分の部屋に帰りたい!)

 と、親子兄弟で目配せ……にしては少々剣呑とした視線の応酬を交わし、ローゼリアはアベイユとその護衛を引き連れて応接室を後にした。

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