1 辺境伯領ノウレスト

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「お嬢さま、ローゼリアお嬢さまー!」


 庭師と庭の薔薇を手入れしていたローゼリアは、侍女のアメリの慌てた声に屋敷の方を振り向いた。


「アメリ、どうしたの?」

「お嬢さま! 急いで屋敷へお戻りください。旦那様がお呼びです」

 息を切らしたアメリに、ただごとではないと眉をひそめる。

「何かあったの?」

「旦那様がとにかく急ぎお嬢様をお呼びするようにと。エリック様とリュカ様もおられます」

「エリック兄様にリュカまで……? わかったわ」

 ローゼリアは側に佇む庭師に鋏を渡すと、深紅の髪を翻してアメリと共に庭を後にした。


 屋敷へ戻る道すがら、馬車寄せに立派な馬車が停まっていた。

 扉に施された金の紋章は……

「王宮からの使い?」

 この国に生きる者なら誰でも知っている、王冠をあしらった意匠。

「王宮からの使者が、一体どうしてこんな辺境に……」

 ローゼリアは独りごちたが、いつまでも馬車を見ている場合ではない。

 屋敷に戻ると、一旦自室に入り、アメリの手を借りて手早く身なりを整える。できる限りの早歩きで応接室へと向かうと、兄のエリックが扉の前で右往左往していた。


「ロゼ、待ちくたびれたぞ」

 ローゼリアの姿を認めたエリックが駆け寄ってくる。顔が真っ青だった。

「お兄様、顔色が悪いわよ。一体何事なの?」

「いいから。早く中へ」

「リュカは?」

 弟の所在を尋ねると、

「リュカは挨拶だけさせて下がらせた。さあ早く」

 おざなりな返事で、エリックが背中を押す。有無を言わせず扉の前に立たされ、

「ロゼ。くれぐれも気をしっかりと持てよ」

 と小声で囁くと、

「父上、ローゼリアを連れてまいりました」とノックした。

「入りなさい」

 父の返事だ。扉越しだけれど、こちらも声音が固い気がする。

 ローゼリアはごくりと小さく唾を飲み込むと、客間に入った。

 柔らかい絨毯の上を踏み締め、腰を落として礼をする。

「お待たせいたしました。ノウレスト領主、ダナン・ド・コルベイユが娘、ローゼリアでございま——」


 淑女(レディ)たるもの、どんな時でも落ち着いていなければなりませんよ、と、亡き母はよく言ったものだった。特に男ばかりの家族だ。母が儚くなってからは一層落ち着き、たおやかであろうと心がけていたローゼリアだったが。


「初めまして、ローゼリア嬢。お会いできて光栄です」

 顔を上げて、視界に飛び込んできた人物に、動揺せざるを得なかった。


 青を通り越して真っ白な父の向かいで、にこにこと笑顔を振りまいている美青年は、この国に生きる者なら誰でも知っている、


 ——アベイユ・ソレイユ第二王子その人だった。


 父も兄も、今にも倒れそうな顔色をしていた理由がわかった。何ならローゼリアも、今、一瞬で同じような色になったことだろう。

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