レイジフォックス ⑦

 なにかの間違いであって欲しいと、シャノンは願っていた。両脇を支えられたまま、シャノンは次の言葉を絞り出す。


「どうして……?」


 言葉足らずにもほどがあるのは、自身でもわかっていた。しかし目の前の男、ローゼンははっきりとこう答えた。


「こんな戦争、間違っているからだ」


「そ、それはあたしも思ってます。でも、この人たちは敵国の……」


「だからこそ、だよ。この人たちだって、命令に従っているだけに過ぎない。なのに拷問した挙句命を奪うなんて……俺は見過ごせないんだ」


 つまりローゼンは、敵国の兵士に罪はないから逃してやりたい、と言っているのだ。

 シャノンは目線を落とし、しばし考えた。


 アドラ帝国のことは許せない。だってそのせいで、大好きだった家族を奪われたから。でも、この二人の敵兵にも家族はいる。この人たちも、誰かの命を奪ったかもしれない。なんなら、彼らの弾道ミサイルによって、両親は殺されたのかも。


 けれど——拷問をして、情報を引き出して、不要になったら処分して——。残されたこの人たちの家族も、シャノンのように誰かを憎むようになるだろう。


 ——心が揺らぐ。シャノンはアドラ帝国に復讐をするために……ロゼを追うために、ここまで努力してきた。こんなことで、アドラ帝国に兵士を許していいものか……。


「気持ちはわかるよ」


 と、片方のアドラ帝国兵が、まるで追手に怯えているかのように背後を警戒しながら、押し殺した声で呟いた。


「……なら、どうしてあたしを攫ったりしたんですか。これは立派な――」


「誰でも良かったんだ」とローゼン。「たまたま、最後尾に君がいた。ただそれだけだよ。人質がいたほうが、逃げやすいからな。大丈夫、安全なところで開放してやるから……」


「なにが、大丈夫、なんですか! あたしはこんな……っ。ああ、もう!」


 考えれば考えるだけ、頭が痛くなる。訓練生としての責務を全うすべきか、自分の気持に正直に従うべきなのか、この決断は今後の鍵になってくるだろう。


 どっちみち、逃げることなんてできやしない。素直に従うのが、一番利口で合理的なはずだ。

 だって、死んでしまっては元も子もないから。


「……わかりました」


 と、シャノンは考えもまとまっていないまま承諾する。心の底では、この兵士たちを逃がしてあげたいという気持ちがあったのかもしれない。


「本当か!」とローゼン。「この水路は、外に繋がっているんだ。ならばここを進んで、まずは街の外に出よう。……と、行きたいところだけど」

 ローゼンが一瞥した先は、捕虜の二人だ。拷問により、二人は疲弊しきっている。爪のない裸足で、ここまで逃げてきたのだ。足元は血だらけだった。


「……少し休んでからにしよう。生きた心地はしないだろうが、暗くなるまでここで待っても構わない」


 捕虜の二人は、一度迷ってから壁に背中を預け、瞼を閉じた。本当に寝ているかはわからない。そもそも、こんなひどい悪臭のする場所で眠れるだなんて、信じがたい。……いや、連日の拷問で、眠れていなかったのかも。


 二人が寝息を立て始めると、シャノンはローゼンに目を向けた。ローゼンは休む素振りを見せない。シャノンも休むよう勧めてきたが、遠慮しておいた。


 ――どれくらいか時間がたった頃、捕虜の片方がはっと目を覚ました。額には脂汗が浮かんでいる。なにか悪い夢でも見ていたのだろうか。続けて、もう片方も目を覚ます。すると、ローゼンが息を吐いて腰を上げた。


「さあ、出発だ。この国に、おさらばしないとな」


 どんどん、水路を進んでいく。ローゼンはこの水路を熟知しているようだった。一度も道を間違えることなく、水路の出口まで向かっていく。視界の先に、鉄柵で遮られた出口が見えた。外はすっかり夜になっており、月明かりだけが頼りだった。

 ローゼンが、手慣れた動作で鉄柵の一部を取り外していく。まずローゼン、そしてシャノン、捕虜の順番に水路からでる。ここはどこかの、小さな川の横にあるようだった。あれだけ入り組んだ水路を出てきたのだから、ここがどこかなんてわかったもんじゃない。


 ――その時。


「わ、マジ?」


 という女声と共に、四人はライトの光によって照らされた。


 ライトの持ち主は褐色肌の女の子。シャノンと同い年くらいの女の子だ。


 クルルだ、とシャノンは瞬時に理解した。こんな場所で会うなんて、と驚きつつも、同時にクルルがなぜ一人でこんな所にいるか疑問が浮かんでくる。

 そこで更に、シャノンはなにかを悟った。


 捕虜の二人は戸惑っている。そしてローゼンは、腰の銃に手を伸ばそうとしていた。


「だ、ダメ!!」


 シャノンがローゼンへ飛びかかる。ローゼンは地面に押し倒されながらも、視線はクルルから外さなかった。

 ローゼンがなにか言いかける。が、それよりも早く、シャノンが叫んだ。


「あたしの友達なの!」


 その言葉に、ローゼンは体の力を抜く。クルルは、ぽかーんとその様子を眺めていた。

 サントロス帝国のシャノンとローゼン、そしてアドラ帝国兵の二人の男を交互に見比べ、クルルは苦笑いする。


「えっとぉ……どこから説明してもらえるのかな……?」

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