レイジフォックス ⑤

 ――昨夜は全然寝付けず、シャノンは廊下を歩きながら大きなあくびを漏らしてしまった。

 隣を歩んでいたクルルが、褐色肌に似合う笑顔で茶化してくる。


「訓練生とはいえ軍人見習いなんだから、夜更かしはいけませんなぁ」


 クルルは、にひひっ、と悪どい笑みを浮かべている。

 シャノンは、胸中を悟られまいと無理やり笑顔を浮かべた。


「そ、そうだよね……しっかりしなきゃっ」


 気合を入れるように、シャノンはわざと背筋を伸ばして見せる。

 今は、午前の訓練を終えて、食堂へと向かっている所だった。食堂の前まで来ると、訓練生の数も多くなる。売店で購入して、庭で食べる生徒も多いようだが、シャノンとクルルはいつも食堂へ通っていた。

 

 クルルは、シャノンの顔をじっと覗き込んでいる。シャノンは一度足を止めて、苦笑した。


「な、なに?」


「……なんかあった?」


 単刀直入に問われ、シャノンは「へ?」と情けない声を出してしまう。

 クルルは腰に手を当てて、まるで心配する母親のようにシャノンの応えを待った。


 ――昨夜の門兵の話が、またしても脳内に蘇る。捕虜がいて、それをサントロス帝国軍が、拷問している――。そして、一人が命を落とした――。

 

 どうクルルへ伝えていいかわからない。だってこれは戦争だ。シャノンの考えが甘いと言われればそれで終わりだから。

 でも、命を奪うなんて――。

 

 シャノンはなにも言わず、食堂の前で立ち止まっている。すると、背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。


「おいおい、早くしないと昼飯が逃げちまうぜ」


 クルルは、その人物を見てあからさまに嫌そうな表情をする。シャノンも振り返ると、そこにはクルルと同じ褐色肌に赤髪を持った青年が立っていた。

 クルルの兄、クラウスだ。


「空気読めよぉ、バカ兄ぃ」


 クルルがジト目でクラウスへため息をつく。クラウスはなにが起こったのかさっぱりだった。


「なんのことだ?」


 クルルとクラウスは、またなにか言い合っている。その間、シャノンはずっと考え込んでいた。

 ――一人で考え込むのは良くない。それは、母親からの教えだった。


「あの、ふたりとも……」


 シャノンの細い声に、クルルとクラウスの言い合いが、蛇口を閉めたみたいにぴたりと止んだ。

 シャノンは続ける。


「少し、相談に乗ってほしいんだけど――」


 ――もちろん、二人は快諾してくれた。だが今は貴重な昼休憩だ。食事をしながら、相談に乗ってもらうことにした。

 シャノンは、いつものカレーセットを注文した。これが辛くなく、ついてくるパンもふわふわで美味しい。クルルとクラウスは、辛いチキンとサラダのセットを注文していた。


 生徒たちは多いが、食堂はとても広いため窮屈さを感じることはない。一番端の席を陣取り、食事を口に運んだところで、クラウスが口火を切った。


「で、相談ってなんだ?」


 シャノンは、昨日聞いた内容包み隠さず話していく。二人は最後まで黙って聞いていたが、反応を見る限り、捕虜のことは知っているみたいだった。

 戦争のというわけだろう。


「……シャノンの考えを否定する気はないけど」


 と、クラウスが応える。


「この戦争を有利に進めるためにも、俺は必要なことだと思う。あいつらだって、これまでたくさん殺して来たんだ。……シャノンのご両親だって、そうだろ」


「わかってる……。でも、捕虜たちにも、帰りを待ってる家族はいるわけでしょ? なのに、拷問して殺すなんて……」


 両親の葬式のことは覚えている。葬式は、死者が多かったためまとめて行われた。気を抜くと、思い出して涙が溢れそうになる。その度に、アドラ帝国への復讐心を燃やしてきたが、昨日の話を聞くと心が揺らいでしまう。


 妹のクルルは、心配そうに静観している。再び、クラウスが口を開く。


「いいか、シャノン。国民を……家族や友人を守るには、こうするしかないんだ。俺だって、他人の命を奪いたくなんかない。でも、仲間を守るためなら、なんだってする覚悟で訓練学校ここへ来た。他のみんなだってそうだ。なあ、シャノン――」


 と、その時、校内中に取り付けられたスピーカーから、アナウンスが聞こえてきた。


『――訓練生は昼食後、軍事基地門前へ集合するように。繰り返す。訓練生は――』


 アナウンスが止むと、生徒たちは足早に準備をし始めた。午後の訓練は座学のはずだ。予定が変わったのだろうか?

 

 三人もまた指定の場所へと移動し始めた。全員が集合すると、あのモノクルを掛けた教官が、こう告げた。


「今から特別に、アドラ兵の捕虜へ会いに行く。君たちが踏み入れる世界を経験する良いチャンスだ」


 生徒たちはざわめき始める。動揺しているシャノンの横で、クルルとクラウスは声を潜ませていた。


「……お兄ちゃん。シャノン大丈夫かな……? なんか、タイムリー過ぎて……」


「……わからない。でも、これで考えが変われば良いが――」


 そして、訓練生たちは門を潜り軍事基地へと向かう。

 シャノンは重い足取りで、その道を歩むのだった。


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