レイジフォックス ④

 ――あのラフィリアに、過去の記憶が無いだって?


 ミストの思惑通り、シャノンはどう反応していいかわからないと言った様子で、次の言葉を待っている。

 ミストは錆びたベンチに腰掛け、もう一度葉巻の煙をくゆらせた。


「あいつと出会ったのは、サントロス領土内のラ・カンドラって街だ。――知ってるか?」


 シャノンは首を横に振り、否定する。そんな街の名前は聞いたことがない。


「だろうな。その街は、十五年前に地図から消えちまったからな。シャノン、君が丁度生まれた頃くらいか」


「消えた……?」


 消えた理由――考えられるのは二択だ。瘴気によって街が飲み込まれ、生活圏としての機能を失ったのか。もしくは――。


 シャノンが浮かべた思考の先を、ミストはなぞるように告げる。


「アドラ帝国によって、ラ・カンドラの街は滅んだのさ」


「やっぱり……。ラ・カンドラの街は、それほど大きな街だったんですか? アドラ帝国が狙うって……」


「いいや。重要な施設があったわけでもない。単に、アドラ領土に近かった。ただそれだけだ。まるで、見せしめのようだったよ。当時、俺は一兵士としてその戦場へと向かった。報告を受けてから、丸一日が経過してた――それほど、ここからは距離があったんだ。ラ・カンドラの街は、まだ火が燃え盛り、瓦礫と死体だらけの地獄と化していた。そこには、死者しかいなかった。――ある一人を除いてな」 


「――ラフィリア大佐、ですか」


「ああ。当時のあいつは、十二歳かそこらの少女だった。地獄のど真ん中で、死んだ目をして、雨が降る空を見上げていた――。綺羅びやかな衣装を身に着けていたし、どこかの貴族の子かと思ったよ。けれど、ラフィリアは、自分の生い立ちのことも、家族のことも――なぜここにいるのかすら、忘れていた。ラフィリアって名前も、ペンダントにその名が刻まれていたってだけだしなぁ」


 ミストは、「はっはっは」とまた笑う。どこに笑える要素があったか不明だが、シャノンも無理やり笑って――否、苦笑してみせた。


「で、そのまま俺が連れ帰ったってわけ。データバンクで照合しても、データ無し。そもそも、名前が合っているかも怪しいし、ラフィリアの正体は謎に包まれたままってわけだ。本人も、別に気にしてなかったしな」


「ええ……? 普通、気になりますよね……?」


 でもあのラフィリアなら、「そんなもの知らん」って一蹴しかねないな……と妙にリアルな想像をしてから、シャノンは眉根を寄せる。


「まあ、あいつは普通じゃないのさ。結局、俺が部隊に招き入れて、最年少で部隊を――《憤怒の狐レイジフォックス》部隊を設立し、隊長を務めている。いい拾い物をしたもんだ。今じゃ、戦場の女神様だからな」


「ラフィリア大佐、すごいなぁ。今じゃ、上司ですもんね」


 その言葉が気に食わなかったのか、ミストは鼻で笑い飛ばす。


「はっ! 上司だろうが、俺からしたら娘みたいなもんだけど――」

「――誰が、娘みたいなんだ?」 


 突然割り込んできた、冷気を纏った声に背中を撫でられ、シャノンは一直線に背筋を伸ばす。それから、壊れたブリキみたいにぎこちない動きで、90度振り返る。

 そこには、小さな胸の前で腕を組んだ、制帽の女性が佇んでいた。腰まで伸びた灰色の髪に、凛々しい顔つきをアシストする宝石のような真紅の双眸。……背は小さい。紛うことなき、ラフィリア大佐そのものだった。


「ら、ラフィリア大佐っ」

 

 シャノンは敬礼してみせたが、ミストはベンチに腰掛けたまま、嫌そーにラフィリアを見ている。

 ラフィリアは歩み寄りながら、シャノンへ楽にするように手で促す。ミストの前まで来ると、さらに冷たい目で見下ろしてみせた。


「私は、昔話を聞かせるためにシャノンを送ったわけじゃないぞ」


「……まあ、いいじゃねえか。誰も見てないし」


「それに、タバコはやめたんじゃなかったのか?」


「もしかして、心配してくれてる?」


 ラフィリアの目元がぴくりと動いたのを見て、ミストは慌てて地面で葉巻の火を消す。唖然としているシャノンへは、苦笑で返してみせた。


「……まあいい。《憤怒の狐レイジフォックス》部隊の奴らは、全員知っていることだしな」


「シャノン以外には言わねえよ。で……なんの用だ?」


「安心しろ。君に用はない」


 ミストからぷいっと顔を逸し、ラフィリアの視線はシャノンへと向けられる。シャノンはまたしても、弛緩していた意識を張り詰めさせた。


「あ、あたしですか?」


「ああ。訓練、順調のようだな。実技訓練でも、良い結果を残したと聞いた」


「あ、あの、はい……」


「この年寄りは、おしゃべりでデリカシーが無いが、兵士を育てることについては私も一目置いている。だから、あれだ」


「あれ……ですか?」


「頑張れってことだ」


 そう言い捨て、ラフィリアは表情一つ崩すことなく立ち去る。ラフィリアの姿が見えなくなると、シャノンは首を傾げた。


「――あいつなりに、褒めてるんだよ」


「そ、そういうことですか!? てっきり、遠回しになにか伝えようとしているんだとばかり……! 調子乗るなよ、とか……!」


「そ、そこまであいつは意地悪じゃないぞ」

 

 ――その日もまた、日が沈むまで訓練を続けていた。街が寝静まる頃に、やっと寮への帰路を歩んでいたほどだ。帰路といっても、そんなに距離は無い。門で手続きをするだけだ。

 門兵は、二人いた。その二人が、小声でなにか話している。どうやらシャノンには気づいていないようだ。


「――聞いたかよ、捕虜の話」

「――ああ、この間の襲撃で捉えたアドラ帝国の兵士だろ。情報を引き出すために、地下で拷問を受けてるんだよな。ふん、いい気味だぜ……一人、耐えきれずに死んだとか――」


(え……?)


 その瞬間、シャノンは後ずさってしまった。地面を踏む音に、ようやく門兵がシャノンへ気づく。


「お嬢ちゃん、遅かったな。手続きをするから、こっちへ」


「あ、あの、はい……」


 拷問――。

 一人、死んだ――?


 サントロス帝国は――シャノンが臨んだ軍隊は、もっと綺麗なものを想像していた。住民を守るために、自らの命を賭ける――。それが、拷問をしているなんて……アドラ帝国と同じではないか。


(……いや、悪いのはアドラ帝国よ。あたしたちは、仕方なくやっているだけ――)


「……どうした? 手続きしないのか?」


 もう一度催促され、シャノンははっと我に返る。タブレットで手続きをし、足早に寮へと戻り、遅い夕食を済ませ、お風呂にも入った。すでにクルルはいびきをかいて寝ている。シャノンもベッドに潜り込むが――あの門兵の話が気になって仕方がなかった。

 結局、すぐに朝を迎え、最悪の一日がスタートしたのだった。

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