レイジフォックス ③
もちろん、フェンスを乗り越えるような真似はしない。門で所定の手続きさえ行えば、訓練生でも入れるのだから。
広大な敷地のど真ん中――。建物は黒鉄で味気ないが、空に広がる夕焼けと吹き抜ける風はとても心地が良い。
門を抜けると、連なって並ぶ倉庫へとすぐに向かう。整備士たちとすれ違うたび、シャノンはぺこりと会釈し、どんどん進んでいく。
やがて、倉庫へとたどり着いた。三つ並ぶ倉庫の内、一番新しくできたらしい右側の倉庫へ。倉庫は
その足元で、《
シャノンは門の前に立ち、一度怯んだ。あんな真剣に仕事をこなす人物に声を掛けてもいいものか……。
しばし佇んでいると、背後から肩へぽんと手を置かれる。
シャノンは、
「ぴゃっ!?」
と情けない声で驚くと、すぐに振り返った。
眼の前に立っていたのは、《
「あ、あの……」
その男は、さらに無言のまま手を出してくる。握手の意味だろう。シャノンはぎこちない動きで握り返し、
「く、訓練生のシャノンです」
と自己紹介をする。すると男は、ふと頬を赤らめ、
「……好き」
とぼそりと呟いた。
これにはシャノンも頬を引きつらせ、ぱっと手を放してしまう。失礼だとかどうかは関係ない。多分この人は変態なのだと、すぐに理解してしまった。
たじろいでいるシャノンの背後から、からかうような笑い声が届いてくる。さらに振り返ると、古傷を負った顔に笑みを浮かべた、青色の短髪の男が歩み寄ってきていた。軍服越しでもわかる屈強な肉体を持ち、年齢は四十歳ほどか。口元には火の点いていない葉巻を咥えている。
シャノンは打って変わって、敬礼と共に出迎える。
「み、ミスト中佐。お疲れ様です」
「ははっ。中佐はやめろ、堅苦しい。――久しぶりだな、
首を傾げるシャノン。それからミストは、細目の男へ視線を向けた。
「こっちの変な男は、《
「そう、なんですか……」
シャノンは蔑む視線で、細目の男――ヒューデルを見る。ヒューデルは顔を手で覆い、
「性癖が歪む……!」
とだけ言い残して、第二倉庫へと走って――否、逃げていった。
シャノンはその様子を最後まで見送り、苦笑している。ミストも手を振り終えると、さあ、と仕切り直した。
「んで、なんの用だい、嬢ちゃん」
「あの、稽古をつけてほしくて」
「稽古ぉ?」
ミストは古傷を指で掻きながら、しばし考え込む。そして結論にたどり着くと、また笑った。
「さては、ラフィリアに――いや、ラフィリア大佐に頼まれたな?」
大佐、の部分をわざと強調して、シャノンへ問う。シャノンはというと、視線を泳がせ、口をもごもごとさせている。
「まあいいさ! 俺が推薦したみたいなもんだしな」
「で、でも、忙しければ今度でも……」
「いや、さっきは整備の最終チェックをしていただけだ。本当は、整備士の仕事なんだが、命を預かる機体だ。最後は俺がチェックしてやりたくてな」
そんな考えは、今のシャノンには到底なかったものだ。
「ミスト中佐は――」
「ミスト『さん』な」
と、ラフィリアの時とは真逆のやり取りをしてから、続ける。
「ミストさんは、どうしてあたしの加入を認めてくれたんですか? まあ、まだ訓練生ですけど……」
「あー……まあ、似ていたから、かな」
似ていた? 誰と? と胸中で疑問を浮かべ、またしてもシャノンは首を傾げる。だがミストは、それ以降その話題には触れなかった。
「さっそく、おじさんが稽古をつけてやろう。なにから知りたい?」
「全部ですっ」
「即答かよ」
ミストはシャノンの目を見て、ははっと笑う。だがミストは見抜いていた。
シャノンが真面目だから、だとか、早く訓練生を卒業したいから、だとか、そんな目標のためにここへ来たわけではないことを。シャノンはそれよりも先の未来を見据えている。その先にあるのは、復讐だ。だがそれこそが、シャノンの原動力なのだ。
「体術に、
「――はい!」
こうして、シャノンとミストの訓練が始まったのだった。
――初日は、なんと深夜十一時まで稽古に付き合ってくれた。寮には申請を出していなかったため、門限を破ったせいで怒られてしまったけれど、明日からはもう大丈夫だ。
二日目、三日目も、雨が降ろうと通い続けた。《
四日目、五日目も、ミストの元へと通った。ミストは、授業だけでは教われない、操縦のコツや部隊としての考え方も叩き込んでくれている。シャノンは日を追うごとに知識と力をつけていき、それは実技訓練にも活かされていった。
何度目かの実技訓練で、シャノンはなんとクラス内で一位となった。
もちろん、ミストへは授業終わりにすぐに報告をしに行った。特別稽古による連日の夜更かしのせいで、目の下にクマができており笑われてしまったけれど。
ミストは、まるで親のように褒めてくれる。
「すげぇな、まだ一週間足らずでこれか」
「ミストさんのおかげですよ」
「どうだろうな。もしかしたら、ラフィリア以上の兵士になれるかもな」
ミストはいつもの癖で、わははっと笑う。それから口元を抑えて、
「……ラフィリア大佐、な」
と言い直す。
そこでようやく、シャノンは気になっていたことを切り出すことにした。
「あのぅ、ミストさんとラフィリア大佐って、どういう関係なんですか?」
「どうってそりゃあ、ラフィリア大佐が上司で、俺が部下ってだけだ」
「そ、そうじゃなくて、どこで知り合ったのか、とか……」
「あー……なるほどな」
ミストはこれまで火をつけていなかった葉巻に、マッチを使って火を灯す。それから煙を吐き出しながら、倉庫の天井へ向けて立ち昇っていくそれを、ぼうっと眺めた。
「……シャノン。君とラフィリアの境遇はよく似ている。あいつもまた、俺が推薦したんだ。君と同じく、戦争に巻き込まれてな」
シャノンは黙って聞いている。ミストは、内緒だぞと釘を指してから、ゆっくりと語りだすのだった。
「
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