レイジフォックス ②


 訓練生の一日は、朝を切り裂くけたたましいベルの音で始まる。

 

 眠気の残滓を超えた先にあるのは、朝のランニング。それから朝食を胃袋に詰め込み、今度は戦闘知識や人型機械マキナに関する授業をひたすら受ける。その後、本来は実技訓練があるが、今回のようにたまに全体集会が開かれ、月間の優秀者が発表されるのだ。


 ――薄暗いカンファレンスルーム。百名を超える生徒たちの前に立つのは、筋骨隆々の中年男性だった。表情は険しく、眉は太い。おまけにスキンヘッドで、その強面のせいで生徒たちはピリ付いている。シャノンもまた同じだった。

 ――この搭乗者パイロット訓練学校の学校長を兼任しているフリット中将だ。


「今月の優秀者は、クラウス。君だ」


 フリット中将の太い声により、クルルの兄、クラウスが毅然と立ち上がる。それから生徒たちの称賛の拍手と共にトロフィーを受け取ると、足早に席へと戻り腰を落とした。クラウスは、三ヶ月連続の受賞だったか。


 フリット中将は咳払いをすると、再度言葉を連ねる。


「私からは以上だ。……が、今回は特別ゲストを呼んである。訓練生時代、すべての月において優秀賞を受賞された、我ら憤怒の狐レイジフォックス部隊の部隊隊長――ラフィリア大佐だ」


 そんな前置きを経て、壁際から軍服を身にまとった一人の女性が歩み出た。

 薄暗い中でもわかる、腰まで伸びた艶のある灰色の髪と、美しい顔立ち。その女性――ラフィリアは前に立つと、凛々しい表情で一度生徒たちを眺めた。特徴的な真紅の双眸が、生徒たちを磔にさせる。

 シャノンは一度「あっ」と声を上げてしまう。隣りにいたクルルが「?」と不思議そうに顔を覗き込んでくるが、なんとか誤魔化した。


 訓練生の中で、声が漏れ始める。ラフィリアと対面するのが初めての生徒たちも多いはずだから、あんなに美しい大人の女性が軍隊にいるなんて、それはそれは驚きだろう。

 ただ……フリット中将の時と比べ、やはり生徒たちの視線が大きく下へ下がってしまったのは仕方のないことだ。やはりラフィリアは、かなり背が小さく、二十七歳の年齢を持ってしても幼く見えてしまうほどだった。


 さっそくラフィリアは、さくらんぼ色の唇をそっと動かし、


表彰トロフィーなんてものは、戦場ではなんの役にも立たん」


 と、透き通った声で始めた。

 これには、鼻の下を伸ばしていた訓練生たちも、はっと意識を張り詰めさせた。


「貴様らは、兵士だ。民間人の未来を守り、忌々しい敵国を地獄へ屠る。それが使命だ。だから、一喜一憂するな。我々が求めるのは、強い兵士――ただそれだけだ」


 席の後ろの方にいたシャノンは、ラフィリアと目があった……気がした。

 ラフィリアが元の位置に戻ると、フリット中将は喉の奥で楽しそうに笑っていた。ラフィリアの言葉により、生徒たちが気圧されていたからだろう。


 それから集会は終わり、生徒たちは一斉にカンファレンスルームを後にした。シャノンとクルルも同様だ。

 廊下に出ると、クルルは朗らかに、


「いやー、ラフィリア大佐みたいな人もいるんだなぁ。なんであんな綺麗な人が軍人なんかやってんだろ。ねぇ、シャノン」


 隣を歩くシャノンの足が止まる。クルルが、訝しげに振り返る。


「んあ? どしたの?」


「……ごめん、先に行ってて!」


「へ? あ、ちょっと!」


 シャノンは踵を返すと、もと来た道を駆け足で引き返す。クルルは手を伸ばすが……シャノンはすぐに行ってしまった。


 シャノンの向かった先は、カンファレンスルームだ。だが引き返す途中、目的の人物を見つけ、思わず駆け寄る。


「ラフィリアさん!」


 ラフィリアは真紅の瞳でシャノンを視認する。近くに、フリット中将の姿は見えない。先に戻ったのだろうか。


 歩みを止めるラフィリア。


「廊下を走るな」


「す、すいません……」


「それと、さんづけはやめろ」


「も、申し訳ありません、ラフィリア大佐」


 シャノンは慌てて敬礼と共に姿勢を正す。ラフィリアはじっとシャノンを見つめた後、ふーっと息を吐いた。


「……で、なんのようだ?」


 ラフィリアが少し微笑んだのを見て、シャノンも肩の力を抜く。やがて、口をもごもごとさせ、言いにくそうに、


「あのぅ……あたしはてっきり、憤怒の狐レイジフォックス部隊に入れてくれるとばかり……ラフィリアさ——ラフィリア大佐の部下って話が出てたから……」


「組織図で見たら、今でも一応部下だろうに。それに、どこの部隊に配属されるかは、私に権限はない。それとも……訓練生であることに不満でも?」


 ラフィリアの語気が強まったのをみて、シャノンは慌てて首を横に振る。


「ち、違いますっ。訓練は大事だし、あたしはまだまだだし……。でも、あたしは早く戦いたいんですっ」


「……両親を殺したアドラ帝国への復讐のためか? それとも、あのロゼとかいう家族に追いつくためか?」


「——両方です。それにロゼはもう、あたしの家族じゃない。どうせ、血も繋がっていないし

……」


 シャノンの顔に陰が曇ったのを、あのラフィリアが見逃すわけがなかった。

 ラフィリアは少し黙り、手に持っていた制帽をゆっくりと被り直した。


「そもそも、私は君を部隊に引き入れることは反対だった。あれはミスト中佐の気まぐれに過ぎない。このままだと君——死ぬぞ」


「それでもいいです。どうせあたしは一人なんだから」


 ラフィリアは目を細めた。あの時の——ロゼとかいう少女の目と、目の前のシャノンの目が同じ冷たさを帯びていたから。


「もし私の部隊に入るのなら、それは許さん。私は、誰も死なせない。ミスト中佐が君になにを期待しているか知らんが……焦っても良い結果は生まれないぞ。君が足を踏み入れたのは、血だらけの戦場だ。今はただ、力をつけるしかあるまい」


 シャノンは不満そうだ。あからさまに頬を膨らませ、抗議している。

 すると、ラフィリアが背伸びをして、シャノンの頭に無理やり手刀を繰り出した。叱るような仕草だ。シャノンは小さく声を漏らし、後ずさる。


「そんなに不満なら稽古をつけて貰えばいい。君は、時間という点で、他の訓練生と比べ不利だからな。別に贔屓にはなるまい」


 打って変わって、シャノンは表情を輝かせる。声のトーンも一段階上がる。


「もしかして、ラフィリア大佐が!?」


 ラフィリアのジト目。それは否定を表していた。


「そんなわけあるか。私は忙しいんだ。ミスト中佐にでも付けてもらえ」


「でも、ミスト中佐がどこにいるかわからないし……」


「第三倉庫。そこにいけば会える。どうせ奴も、暇しているだろうからな」


「わ、わかりました。ありがとうございます!」


 今日のカリキュラムはすでに終わっている。早速、今から行くとしよう。

 シャノンは敬礼をして、そそくさとその場を後にする。だがその背中に、ラフィリアの声がかけられた。


「……私の名前は絶対に出すなよ。いいか、約束だからな」


「……? わ、わかりました」


 駆け足を維持したまま一度振り返り、シャノンは不思議そうに応える。そんなシャノンの背中を見送りながら、ラフィリアは今一度制帽の位置を正した。


 それから視線を外し、ラフィリアもまた別の方向へ歩み出す——。

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