神々の遺跡 ⑨
扉が完全に閉まりきると、ロゼは暗闇に溶け込むようにじっと息を潜めていた。やがて天井の照明がぱっとついて、部屋を一望できた。
正面にエレベーターが何個もあり、左右には地下へ続く階段がある。だだっ広いエントランスのようだ。
ロゼはエレベーターを使って、地下へ向かう。エレベーターからはなにも見えやしない。どんどん、地下へと潜り込んでいく。
と、またしても広い部屋へと出た。壁際に球体型の装置が無数に取り付けられた奇妙な部屋だ。壁と床に配線が埋め込まれている。ここが、目的の場所だろうか。
ロゼは球体型の装置の一つへ歩み寄る。しっかりと動力は確認できた。が、どの装置も起動されていないのを見るに、他に脱出した人はいないようだ。
「……お母さん……」
胸の前できゅっと手を握りしめ、エレベーターの方へ振り返る。
すると――。
エレベーターの陰から、誰かが姿を現した。
三十代前半の男だ。黒髪を切りそろえ、黒と青の瞳でこちらをじっと見つめている。
ロゼはすぐに誰か理解した。屋敷で出会った寡黙な男、モーランだ。どこへ行ったのか、心配していたのに。
しかし、様子が変だ。モーランはぶつぶつとなにか言いながら、体を左右に揺らし不気味に歩み寄ってくる。
「こ、ここに、来ると思っていたよ。あの屋敷じゃ、て、て、手を出せなかったからね」
モーランは何度も言葉をつまらせながら、「ひひっ」と高い声で笑う。
「さ、先に、屋敷を抜けて、ここで待ち伏せしといてよかった。お、お、お母さんはどうしたんだい? 死んじゃった?」
モーランの言葉に、ロゼは睨み返す。
「死んでない」
「で、で、でも、見当たらない。今は、俺と二人きり……」
じりじりと詰め寄ってくるモーラン。ロゼも距離を取ろうとしたが、どんどん壁際へ追い詰められていく。
と、モーランがいきなり駆け出した。両手を広げ、ロゼへ掴みかかる。ロゼはなすすべもなく床へと押し倒されてしまった。
「……っ」
背中を打ち付け、息をのむ。モーランは口の周りを涎で汚し、にやにやとロゼを見下ろしている。小さなロゼが、大人の男性に押さえつけられて抜け出せるわけがなかった。
「ろ、ロゼちゃん。俺、君みたいな小さな女の子が大好きなんだ。こ、これまでは、こんなことできなかった。で、でも、あの
ロゼの両手を頭の上で押さえつけ、モーランが首元へ顔を埋めてくる。
「あ、ああ……この匂い……やっぱりいい……! ロゼちゃぁん。い、今から、気持ちよくしてあげるからねぇ……!」
モーランがベルトを外し始める。ロゼはこの後自分がなにをされるのか、すぐに理解した。
「いや……っ」
ロゼが目を見開く。もう誰も助けに来ないのか――。
その直後、がつん! という鈍い音と共にモーランの体が右側へと吹っ飛んだ。ロゼがはっと上体を起こすと、そこに立っていたのは、
「あたしの娘になにするのよ!」
と鉄パイプを持った母親だった。突然の出来事に、ロゼは立ち上がれなかった。母親は体中血だらけで、足を引きずっていた。けれど生きて眼の前に立っている。それだけで、ロゼの口元は自然と緩んでしまった。
鉄パイプで頭を殴られたであろうモーランは、血まみれの頭部を抑えながらゆっくりと立ち上がる。そしてぎょろぎょろと目を動かし、母親を睨みつけた。
「この……クソアマがあああっ! 俺の夢を……っ。よくもおお!」
モーランが母親へと飛びかかる。母親が鉄パイプを振り払ったが、モーランはそれを潜り込んで避けるとそのまま突進していった。
「あ……っ!」
ロゼが短い悲鳴を上げると同時に、母親とモーランの体が接触する。そのまま二人は倒れ、地面を転げながら何度ももつれ合った。
モーランが母親へ馬乗りになった。モーランが腰からなにか取り出す。それは、鋭い小ぶりのナイフだった。振り上げられたナイフの刀身が照明に照り返る。そして無情にもそのナイフは振り下ろされ、無防備な母親の腹部に深く突き刺さった。
ロゼは息を飲んだが、母親はひるまなかった。勝ちを確信し油断しているモーランを突き飛ばし、先程落としてしまった鉄パイプを拾い上げる。そして両足を強く踏ん張り、モーランの顔面めがけて思い切り振り払う――。
鉄パイプはモーランの鼻の骨と歯を粉々に砕いた。モーランは地面に倒れ、動くことはなかった。
母親は腹部にナイフが刺さったまま、なんとか立っている。それからようやくロゼは起き上がることができた。
「お母さんっ!」
駆け寄り、母親の体を支えてやる。もう誰かの死を見るのはこりごりだ。恐る恐る母親の顔を見上げるが――。
「平気よ……」
と強気に微笑んでいた。
地上では、まだあの黒い
このポッドは一人乗りらしい。だが、ポッドはまだまだある。
ロゼの乗り込んだポッドの扉が閉まる。硬い椅子の上に座り込むと、窓から母親の様子が見えた。
そこでロゼは、ようやく母親の状態に気づいた。
腹部からとめどなく血が溢れ、母親の服を真っ赤に染め上げていた。母親の表情が虚ろだ。
――あんな傷で平気なわけなかったのだ。
「お母さん……?」
脱出ポッドの扉を開こうとするが、うまくいかない。どうやら、外にいる母親が手元の装置で権限を握っているようだった。
追い打ちを掛けるように、地響きが鳴る。この真上から聞こえているようだ。
――あの黒い
「お母さん!」
窓を小さな手で叩きつけながら、ロゼが叫ぶ。母親が窓に手を当てる。ロゼもそれにならい、重ねるように手を合わせた。
「へへ……お母さん、ダメかも……」
こんな状況でも、母親は冗談を言う。ロゼは首を横に振った。
「大丈夫だよ……っ。絶対助かるから……。だから、ここを開けてよ……」
「それはできないわ……。あなたには、生きてもらわなきゃ困るもの……。あたしの大切な……宝物なんだから」
地鳴りのせいで天井が崩れ落ちてくる。本格的に攻撃が始まったようだった。背後で瓦礫が落ちてきているというのに、母親は逃げようとしない。
と、脱出ポッドから、
『射出まで残り三十秒』
と聞こえてきた。母親がボタンを押したのか。
ロゼは涙を流しながら、何度も訴えかける。
「お母さんがいなかったら……どうやって生きていけっていうの!?」
「大丈夫よ……。あなたは強い。もうひとりで生きていけるわ……」
母親が窓越しにロゼの顔を覗き込み、続ける。母親の目にも涙が浮かんでいた。
「ああ……もっといろんなこと、教えたかったなぁ……。料理も、勉強も……たくさん、教えてあげたかったのに……」
ロゼはなにも応えられなかった。パニックになり、荒々しく呼吸を繰り返すことしかできない。
「ロゼ、あなたは幸せになるのよ……約束してね」
「そんなの……無理だよ……ッ!」
「いいえ、ロゼ。あたしにはわかる……」
母親の片目が空色に輝いている。あれは空の民にのみ許された力だ。
「見えるわ……ロゼ。あなたが幸せに過ごす未来が――。結婚して、子供を産んで――笑顔で過ごしている。その未来はね、戦争がなくて、みんなが笑って過ごしているの……。あなたはその中心にいる……復讐なんて、考えちゃだめだからね……」
「そんな――」
『残り五秒、四、三――』
無情にもカウントダウンは続く。天井が全て崩れ落ちて、押しつぶされる直前、母親は最後に笑っていた。
「愛しているわ、ロゼ」
「お母さん――!」
ロゼが手を差し伸ばした瞬間、脱出ポッドが勢いよく射出された。
重力に捕まり、機体がガタガタと揺れる。それから少し経つと、機体が安定した。
窓の外には、朝日が見えた。もう夜が明けたのか。あの地獄から、抜け出せたのか――。
――やがて、ロゼの乗った脱出ポッドは地上へと着陸していた。
荒野のど真ん中。辺りにはなにも見えないし、なにもいない。スカイコロニーとは真逆。地上は枯れ、歪み、飢えている。
ロゼはポッドから降りると、そんな大地の上にへたり込んだ。
涙をきつく拭い、一度息を吐く。憎悪の籠もった瞳で、空を見上げた。そして心に誓ったのだ。
――あの黒い
それが、ロゼの復讐の始まりだった。
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