神々の遺跡 ⑧
薄暗い地下水路を、二時間ほどかけてどんどん突き進んでいく。二人の息遣いだけが響くほど、この空間は静寂に満ちていた。途中、ライトに照らされた看板を見付け、二人は食い入るようにその文字を見つめた。
どうやら壁に取り付けられたこの梯子を登れば、商業区域に出られるらしい。
地上へ出る前に、母親がロゼへ向き直った。我が子の肩に手を置き、諭すように、
「ロゼ。地上でなにを見ても……なにがあっても、絶対にお母さんの傍を離れちゃダメだからね。お母さんの言うことを、必ず聞くこと。いいわね」
肩に置かれた母親の手は、ひどく震えていた。ロゼは母親の瞳をじっと見つめ、静かに頷く。
まず先に、母親が地上へ出た。それから合図を待ち、続いてロゼも梯子を登っていく。
そこは、看板にも書かれていたように商業区域のど真ん中だった。元々はビルが立ち並ぶ、きれいな通りだったはず。今では、崩壊したビル群が、まるでロゼたちの行く手を阻むように積み重なっていた。
「もうこんなところまで……」
母親が辺りの景色を目に焼き付けながら、悔しそうに呟く。たった一機の
瓦礫の下からは、うめき声が聞こえてくる。そこら中に死体が転がり、おびただしいほどの血が芸術作品のように飛び散っていた。焼死体もあり、形容し難い悪臭が鼻の粘膜を突く。
商業区域のさらに東の方から、悲鳴が聞こえてきた。突然の出来事に、ロゼは母親の手を強く握りしめる。
母親はその方向には目もくれず、北を目指し始めた。
「お母さん、助けに行かないの……?」
瓦礫の隙間をくぐり抜けながら、母親の背中へ問いかける。母親は振り返らずに答えた。
「あたしたちだけじゃ、どうしようもないわ。……あたしは、とにかくあなたを守りたいの。他人のことなんて、構ってられないわよ」
あの母親が、そんな冷たいことを言うなんて、とロゼは言葉を飲んだ。だがこれも、ロゼを想ってのこと。なんとしても守り抜くという意志の表れだ。
度々聞こえてくる悲鳴を意識から締め出し、ロゼはもう一度問いかける。
「……これから、どこに行くの?」
「スカイコロニーの北に、緊急脱出施設――ノアがあるの。そこからなら、地上に降りられるわ」
「――地上に?」
「軍はもう終わり。あたしたちを守る盾は、もうない。……逃げる場所なんて、地上しかないわ」
それは故郷を捨て、あの黒い
――助かるにはそれしか道はないのだろうか。
と、大通りに出たところで、母親がロゼを建物の影へ引き戻した。ロゼの口元を手で覆い、口元の前で指を立て「静かに」とジェスチャーしてくる。
母親が恐る恐る建物の影から顔を出す。ロゼも同じようにして、危うく悲鳴を上げそうになった。
大通りは、不思議な機械の生命体で埋め尽くされていた。まるで機械の蛇のような、口に鋭い牙の並ぶ化け物――。体長は五メートルほどか。それらが、なにかに群がっていた。
ぐちゃり、くちゅっ、と、生々しい音が聞こえてくる。よく見えないが、化け物の口元が赤く濡れているのを見て、ロゼは察した。
――あいつら、人を喰っているのか。
母親とロゼは、ゆっくりとその場を離れ、別の通りを目指すことにした。どれくらいか進むと、またしても大通りにはあの機械の化け物が蠢いていた。
化け物は、まるでそれがわかっていてあの施設を封鎖しているようにも見えた。
まだ、いたるところで悲鳴が上がっている。路地裏に身を隠したまま、母親は膝立ちになり、ロゼと目線を合わせた。そのまま、ゆっくりと頭を撫でてくる。
「……お母さん?」
母親がなにを考えているのか、ロゼにはすぐに理解できた。だがそれは、ロゼが一番望んでいない未来だ。
「――ロゼ、あたしが合図したら、走るのよ。お母さんは、後から合流するから」
「それって……囮になるってこと……?」
母親は、肯定するかわりに、ふっと笑った。
「あたしたち空の民には、この眼がある。もちろんロゼ、あなたにもね。……お母さんは、そんな簡単にやられたりしないわよ」
最後に両頬にそっと触れ、額にキスしてくる。
「お母さんはね、まだまだロゼに教えたいことがいっぱいあるの。こんなところで、絶対に死なない。約束よ」
「そんなの――」
涙をこらえながら、ロゼが言おうとした直前。母親はすぐに大通りへと飛び出し、施設とは逆方向へと走り出した。
「――ほら、化け物!! こっちよ!!」
母親の声に反応して、化け物が一気に動き出した。細長いその身をうねらせながら、地面を這っていく。路地裏に見を隠したままのロゼのすぐ目の前を、化け物が左から右へ去っていく。ものすごいスピードだ。
最後の一匹が右へ向かうと、もう一度母親の声――。
「ロゼ、今よ!!」
その瞬間、ロゼはなにも考えずに路地裏を飛び出し、
階段を上った先には、一枚の分厚い扉がある。扉の傍には認証機があり、それを必死にいじっていると、ロゼが「空の民」であることを認識したようで、扉がゆっくりと開き始めた。
ロゼはもう一度振り返り、涙を拭う。
母親は、必ず合流すると約束してくれた。母親はこれまで、約束を破ったことが一度もない。今回だって、絶対に――。
震える足を無理やり動かし、ロゼは施設の中へ。そこは暗闇の中だった。
背後で、ゆっくりと扉が閉まる――。
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