ハゲ頭の大物国会議員に、ハゲと述べたお話。

与方藤士朗

ハゲはハゲでも、中曽根と違い、徹底していて素晴らしい。

 あれは確か、1988年の初夏でしたかな。

 私は当時18歳で、大学1回生。

 当時私、日本共産党の人らとお付き合いありました。

 で、赤旗まつりってのがあって、行ったのね。

 これには、国会議員の人がゲストで来られていたのよ。

 そのときのゲストが、市川正一さん。

 後に不倫で共産党を除名になったけど、当時、参議院の議員団長。


 共産党の人って、ハゲよりも、なんか、白髪頭の人が多い印象だったけど、このたびの市川氏は、共産党には珍しく?、ハゲ頭の、それも、つるっぱげ(汗汗)。

 ただ、関西出身の方なので、そこは、ひとつポイントね。


 でね、私、その市川さんのこと、「ハゲおじさん」とか言ってみたら、同郷の共産党員のおねえさんに、あんた、無茶言うなと、笑いながらたしなめられた。

 当時の共産党の書記局長、要はナンバー3が、金子満広さんという方。

 その翌1989年1月、昭和天皇が崩御されたときにも、天皇の戦争責任を引続き追及すると明言された方でもある。この方も珍しく「ハゲ」だったけど、前首相の中曽根康弘さんより、いささか進んだ感じね。


 で、赤旗まつり当日。

 市川御大、来られました。

 この日はあいにくの快晴(苦笑)。

 マジ、まぶしかったねん。

 で、まぶしいってポーズをしたら、その、金子さんみたいな頭の専従の某氏が、怒るわ怒るわ。

こら!

そこで私、「違う違う、あちら」!

 これで大笑いして、事なきを得ました。


 でね、マジで、その市川正一大先生とお話、出来たのよ。


 ちなみに日本共産党関係者には、同姓同名の元幹部(当時ですでに故人)の方がいましてな、その方、戦時中あたりで治安維持法違反で捕まって獄死されていたの。

 ただし、髪の毛は、写真を見る限り、ふさふさ(わっはっは)でした。

 市川先生!にお尋ねすると、親戚関係は一切ないそうな。


 で、私、申し上げたのよ。

「髪の毛が、時代が進むとともに「反比例」して減ったようですね」

 これで、市川大先生も大ウケよ。


 そして、トドメの一撃を、ここにて。


 いやあ、その、市川センセイ。

 ハゲはハゲでも、中曽根と違い、徹底していて素晴らしいです!


 これについて、注釈を少しだけ。

 中曽根康弘前首相(当時)は、バーコードのようなハゲ頭でして、まだかなり髪は残っていたはずよ。

 それよりも、徹底している上にまぶしい(苦笑)市川大先生のほうが、なんか、徹底していて素晴らしく思えたのね。


 さあ、市川大先生の反応は・・・・・・?!


 これを受けて、大爆笑でした。

 周りも、呆れるやらなにやら、笑うしかないやら。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 そこで、私。

 別にハゲてもええわと思っているけど、短髪にして散髪も豆に行っておるのですけれど、ハゲるどころか、むしろ髪の量が増えているとか何とか。

 散髪に先日行ったときは、なんか、切った髪の量が異様に多かったとか。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 ちなみに現在は、共産党筋の人とのお付合いは一切と言っていいほど、ない。

 むしろ、ネトウヨ的な思考や言動のほうが、多いかもね。

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ハゲ頭の大物国会議員に、ハゲと述べたお話。 与方藤士朗 @tohshiroy

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