第5話 こども

 二十代後半、そんな私にも良い人が出来ました。


 彼から愚痴をたくさん聞きましたが、彼は最後に「聞いてくれてありがとう」と言ってくれる人でした。


 私はお腹に子を授かりましたが、そのせいで彼に、その、言い方は悪いのですが回りくどさを取り除いて申しますと、捨てられました。


 当然お腹の子をどうするかという問いが生まれます。


 こどもは好きです。それを仕事にするくらい好きです。


 しかしだからこそ責任の重さを思えば、一人でこどもを育てていく自信はありません。

 それに、私を捨てた彼の子です。私はちゃんと、愛せるのでしょうか。

 生活は……。お金は……。仕事は……。


 様々な問いが一気に押し寄せ、中絶か出産か決めあぐねているうちにお腹の子は流れてしまいました。




 その頃、施設にやってきたのは二歳の男の子でした。C君とします。


 一か月、二か月と経つうちにたくさんお喋りしてくれるようになりました。

 可愛くて可愛くて堪らなかった。


 私はC君がずっと握っているお気に入りのがらがらオモチャを指差して、つい冗談のつもりで、出来心で、「いいなあ。先生もがらがら欲しいなあ」と羨ましがってみせました。


 だめ、とがらがらオモチャを胸に抱いて怒り出す姿を想像しました。てっきりそうだと思っていましたから。


 ですがC君は「いいよー」と私の手にがらがらオモチャを握らせてくれました。

 右手で持つと「こっち!」と左手も添えるように促されます。


 左手も添えて、両手でがらがらを。私がそれを振ると「ガラガラ」と音が鳴ります。


「しーっ」C君が唇に人差し指を当てて言います。周囲のこどもや職員には秘密のようです。


 私がまた小さく「ガラガラ」と振ると、すかさず「しーっ」とC君が注意します。


 ガラガラ。しーっ。と数回繰り返して、神妙な顔を見合わせてにらめっこのようになりました。

 とうとう二人して笑い出してしまいました。


 なんて、なんて、可愛いのだろう。どうしてこの子が私の子ではないの? いらないのなら頂戴よ。この子を私にくださいよ。


 いらない、なんてこと絶対にないのです。分かっています。分かっていても欲しいのです。

 この子はモノではありません。分かっていても、この子をこの腕に抱き、走り去ってしまいたいのです。抑えがたい衝動なのです。


 C君と散歩に出た時、私は帽子を目深に被り、いざ連れ去ってしまう寸前まできました。


 抱きかかえ、適当なバスに乗り込んで遠くに逃げてしまうのです。この子と二人で暮らしていくのです――。


 ですが、出来ませんでした。出来なくて、良かったのだと思います。





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