八、

 ガコン、と温かいココアを落とし、手を突っ込んで取り出す。


 僕らはいつものあの公園に来ていた。


「君は、魔法が使えるのか?」


ベンチに腰掛けてテンを片手で撫でる。テンは相変わらず黙ったまま毛づくろいをしていた。


「それとも、これも全部幻覚……?」


 やはりテンは何も答えない。


 僕はもう一口ココアを啜った。


「君と出会ってから不思議なことばかり起きてるよ」


僕は構わず続ける。テンは耳をピクッと動かしただけで、僕の話に興味を示さない。


「公園が突然工事現場に変わったり、美咲に会ったり……」


 思い出さなくてはいけないことも思い出すことができたし。


 心の中で呟きながらふっと笑いを溢した。これが僕の最期の試練だ。


 最後らしい、僕らしい最期だ。


『……いかにも最後っぽい話をしてるが、終わりはまだまだ先だぞ?』


テンは僕を見上げる。透き通った瞳に僕の影がくっきりと写っている。


「うん、わかってるよ」


そう言ってココアを飲み干した。この冷えた空気でも、ココアはまだ温かい。


『お前にはまだやるべきことがある』

「わかってるって」


テンに畳み掛けられるように言われ、僕は立ち上がる。


 失敗のないように、悔いのないように、僕はやらなくてはいけない。最後を今までのようにないがしろになんかしない。


『ごめんな、側にいられなくて』


見下ろすと、心配そうに見上げるテンの可愛らしい顔があった。僕が首を傾げると、テンは気恥ずかしそうに目線を逸らす。


『前、俺に言ったろ』


テンに言われて、以前言ったことを思い出した。僕はテンを安心させる為に首を緩く振る。


「大丈夫。もう前までの僕じゃないんだ」


 何も行動できなかった僕はもういない。


 テンにそっと微笑みかけ、目線を合わせようとしゃがんだ。


 ゆっくり、ゆっくり、丁寧にテンの柔らかい毛並みを撫でる。意外にもテンは寂しそうな顔をした。


『……お前はお前しかいないんだ。誰にも変えられない、たった一人の逸材なんだ。だから──』


 テンはそこで一旦言葉を切った。声が震えているように感じるのは、ただの勘違いだろうか。


『──もっと自分を大事にしてほしい』


首をぶんぶんと横に振るその動きに合わせてヒゲが揺れる。


『してほしかった……』


 テンにつられて泣き出しそうになりながら、僕はテンをそっと抱き上げた。熱いほどの体温がどくどくと波打つ。


 一瞬の生だった。僕は今まで何をしていたんだろう。


 後悔が胸をきつく締め付ける。テンの鋭い爪跡が熱く渦巻く。


 僕はこれをこれからずっと背負っていかなくてはいけない。向こうに行っても、その先も、ずっとずっと抗えぬ苦痛を耐え抜かなくてはならないのだ。


『……いいか?』


テンは鋭い眼差しで僕をまっすぐと見つめる。


『これがお前の最期のチャンスだ。もう次はないぞ』


 僕はテンの瞳をしっかりと見据え、力強く頷いた。もう覚悟はできている。


『俺はお前を信じてるからな』


テンはそう言って名残惜しそうに僕の膝に頬をすり寄せた。僕は大切な人を瞼の裏に焼き付けるように目を瞑り、その笑顔を記憶の奥にしまう。


 ふう、と息を吐いて目を開けた時には、テンの姿は跡形もなく消えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る