六、

 朝、目を覚ますと、ふかふかの何かが僕の腕の中にあった。


「テン……」


 その灰色猫は感情の読めないガラスで僕を見返す。


『恋人を期待したか?』


テンが口を開く。僕は首を振った。


「だって、あれは幻覚って分かってたことだし」


 もちろん、寂しくないと言えば嘘になる。ずっとああやっていられたら、どんなにいいことか。


『お前にもその程度の理解力はあるんだな』


テンはふいと向こうを向く。僕はテンの頭に手を伸ばした。


「そうみたいだね」


 テンが振り向いて目を心地よさそうに細める。


「まだ、君の存在は分かってないけど」

『じき分かる』


そう言ってテンはベッドを飛び降りてしまった。


『おい、カーテンを開けろ』


テンはカーテンを頭で指し示す。僕はやれやれ、と布団から身体を引きずり出す。


 カーテンを開けると、気配を感じ取ったヒヨドリがバサバサッと飛び立っていった。ベランダに立ち、朝の凍てつく空気を吸い込む。寝起きの高い体温が一瞬にして消え去った。


『見ろ』


 手すりにバランス良く立つテンの目線の先に目をやる。


「大家さん……」


 大家さんは何かを見つめるようにしゃがみ込んでいた。目を凝らすと、白色の猫が大家さんの顔を見上げている。


「あの猫も……?」


僕が聞くと、テンは小さく頷いた。


『助けたいとか言い出すなよ。他人に干渉するな』


テンは僕をキッと睨む。


「わかってるよ」


むっとして言い返しながら、僕は大家さんの小さな背中を見つめた。


 大家さんの目には今、何が映っているのだろう。


 愛しそうに撫でるその表情はここから見えないが、きっと白猫ではない何かが見えているはずだ。大家さんの大切な人は一体誰なんだろうか。


『あれは、お前の親父かな』


目を平たくしたテンが唸るように呟いた。


「は?」


僕は顔をしかめてテンを見る。


『あいつが見ている者。あいつにとってお前の親父は命の恩人だもんな』


 口をつぐみ、大家さんに視線を戻した。大家さんは、父が亡くなったことを知っているのだろうか。


『向こうで会えるといいな』


テンが小さな声で呟く。冷ややかな瞳に一瞬の温もりが宿る。


「向こうは、どんなところなの?」


僕の問いに、テンは答えなかった。ただ鋭い眼光で僕を見つめる。


『……お前が思っているよりも、ずっといいところだよ』


テンはそれだけ言って部屋にかけていってしまった。

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