六、

「たっくん、元気にしてた?」


美咲は俯く僕を覗き込み、明るい声で笑った。


「ただいま」


美咲はそう言って笑う。僕は何も言えないまま美咲の瞳をただぼうっと見つめていた。


「ねえ、なんとか言ってよ」


美咲の顔が少しむっとした表情に変わる。僕は慌てて喉に力を込める。


「み、みさ、き……」


かすかすの声で君の名を呼んだ。途端に朝陽が輝く。


「なあに? たっくん」


 僕はゆっくりと美咲に近づき、震える手でその手に触れた。君の手は冬の水と同じ冷たさをしている。雪のように儚い君は、こうして触れているだけで消えてしまいそうだ。


「会いたかった……」


 そう言って君をぎゅっと抱き締める。君は珍しく嫌がったりしなかった。


「私もだよ、たっくん」


 美咲はぶるぶると全身を震わせながら僕の肩に顔をうずめる。嗚咽の声が僕の身体に直接響く。


「……寒いだろ。うちに帰ろう」


 美咲の手を引いて見慣れた道を歩いた。暗い冬の空気には、温かい夕飯の匂いが混じっている。


「ここもあんまり変わってないねーっ」


君は嬉しそうに笑った。僕はああ、と頷きながら、君の横顔を見つめる。



「わっ! たっくんちだー!」


 部屋の玄関を開けると、美咲は目を輝かせながら部屋中を見渡した。


「あれ、私が出てった時よりも汚いんじゃない?」


美咲はそういっておどけてみせる。


「君に言われたくないね。君の部屋だって、めちゃくちゃ汚いじゃないか」


 君はとぼけたように目を逸らした。


 懐かしい。


 はしゃぐ美咲の背中を眺めながら胸が熱くなる。


「ね、今日は鍋にしない? 私が作ってあげるよ」

「いいね! 締めは僕に任せて」


 久しぶりの鍋だ。ガスコンロを出すのもいつぶりだろう?


 僕は優しい香りに包まれながら、この上ない幸せに身を任せた。


「たっくんさあ、私がいない間どうやって過ごしてきたの?」


まな板にリズムよく打たれる音に美咲の声が混ざる。


「どうって……普通に」

「やっぱり、他の女の子と……つ、付き合ったりしたの?」


 君のかわいい背中に思わず吹き出してしまう。


「そんなわけないじゃん! 僕の恋人は君ただひとりだよ」


 美咲はほっとしたように肩を下ろした。


「それより、美咲はどうやってここまで来たの? そう簡単に来れないよね?」


僕の質問に、美咲の手が一瞬だけ止まる。しかしすぐに一定のテンポで野菜は刻まれていった。


「……抜け出して来たの」

「抜け出すって、どうやって……」

「誰も見てない隙に……」


 鍋のぐつぐつ音が沈黙を埋める。


「だ、だからさ、あそこにはもう戻れないし……ここに私をかくまってよ」


振り返った美咲の顔はとてつもなく不安げだった。僕は思わず立ち上がり、もう一度君を抱き締める。


「もちろんだよ。死ぬまで君を守ってあげる」


美咲は揺れる瞳で僕の目を覗き込んだ。


「ほんと?」


 僕は力強く何度も何度も頷く。


 二度と手放すものか。一生、命を賭けてでも守り抜いてやる。


「ほんとだよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る