四、

 次々と視界に入ってくるニュースの見出しを眺めながら、僕はテンの背中をゆっくりと撫でる。今日もまた同じような言葉ばかり並べられ、どれも読む気にならない。


 にゃー。


 テンは僕の手のひらをゆっくりと舐め上げる。僕は思わず笑みを溢し、スマホを手放して両手でテンを抱き上げた。


 ここ数日、ずっと坦々とした平和な日々が続いている。つまらないわけでもなく。かといって面白いわけでもなく。


 僕の生活もあまり変わらない。毎日カーテンの締め切られたこの薄暗い部屋で、引き籠りの日々は続いていた。外出に抵抗があるわけでもないのだが、何故かその気にはならない。


 大家さんも最近忙しいようで、人と話すこともあまりできていなかった。


 ふと思い立って立ち上がる。テンが突然の行動に驚いて僕から離れる。


 何か変化が欲しいわけじゃない。変わりたいとも思っていない。ただの気分だ。


 脳内でいくつか理由を並べ、分厚いカーテンに手を掛けた。ざらざらとした感触とともに、僅かな温もりを感じる。僕はすうーっと息を最後まで吸い切った。そして、思いっきり腕を広げる。


 僕の世界の中に目一杯の光が飛び込んできた。


 テンが喉元を鳴らす。僕の脚に擦り寄って、そして眩しい光に目を細めた。


 この部屋のこの空間が息を吹き返したかのようだ。


 僕は止めていた息を一気に吐き出す。冬でも陽光は暖かく、全身を包み込むような優しさに凝り固まった緊張は自然と解れていった。


 ガラガラ、と久しい音を立てて窓を開け、ベランダに片足ずつ出る。冷たい風が木の枝の擦れる音と同時に頬を撫でた。冬の香りがする。


 ──たっくんと、ここに住みたいなあ……。


 僕らが付き合いたてだったあの頃を思い出す。


 そうだ、元々僕がここに住んでいて、美咲が後からここに越してきたんだっけ。


 ──そしたら、ずっとたっくんと居れるのに。


 美咲の親はほんとに厳しい方達だった。最終的には認めてくれたものの、あの頃は美咲の親に内緒で付き合っていた。交際がバレた時のあの恐怖は、今になっても忘れない。


 ふっと笑い、うんと高い青空を見上げる。


 美咲は、向こうでも元気にしているだろうか。

 元気にしてるよな。

 僕も一緒に行けたらよかったのに。

 僕にはそこまでの度胸はなかった。最低だ。


 部屋の中から淡白な電子音が聞こえた。はーい、と返事をして暖房の効いた部屋に戻る。


 ずっとここを訪れるのは大家さんしかいなかった。だから僕はすっかり油断してしまっていたのだろう。


 モニターを確認しないまま。


 テンがいつもと違って毛を逆立てているのにも気づかないまま。


 僕は元気よく玄関を開けてしまった。


 二人の男性と目が合う。

 青い服装と帽子に目が止まる。


 僕は一瞬にして凍りついた。


「警察です。如月英樹さんの息子さんですね?」


 ついに来てしまったか、と粘ついた唾液を飲み込む。

 僕は震える唇をゆっくりと動かした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る