十三、

「お兄ちゃん……」


 呼ばれて振り返ると、妹が心配そうな顔をして立っていた。僕は安心させるために小さく笑いかけ、息苦しいネクタイを緩める。


 黒い喪服に身を包んだ妹からは、いつもの太陽のような輝きがなくなっていた。それに加え、最後に会ったときよりも痩せてしまった気がする。


 今日は父の葬式であったが、母は「私には関係ないから」と出席を断ったらしい。


 確かに、一度縁を切ってしまえば本当に赤の他人だ。血の繋がりも何もない、ただの“男の人”なのだ。


 そう思うと、いくらか悲しくもなる。

 前はあんなに仲が良かった二人であっても、やっぱり離れてしまったらこんなに冷えた関係になってしまうものなのだろうか。


 父は本当に、静かにこの世を去った。父は最期の最後まで中途半端で曖昧だった。


「お兄ちゃん、お父さんの病院に行ったんでしょ? どうだった? どんな様子だった?」


妹の質問に、僕は黙って首を振る。それを見て、妹はそっか、と俯いた。


 今日はいつもにも増して冷え込んでいた。僕は冷たい鼻面を暖めようとマフラーを手に取り、顔をうずめる。空は僕らの気持ちが反映されたかのようにどんよりと曇っていた。


「お兄、ちゃん……」


風が吹けば消えてしまいそうなほど小さな声で呼ばれる。ん? と目だけで振り向くと、妹は何か言いたげに口を開いてそのまま目を伏せてしまった。


「どうしたの」


 妹の不安げな気持ちを感じ取る。嫌な予感がする。


「いや……なんでも……」


妹はそう言い残して親戚の元に駆けて行ってしまった。呼びとめても何も言ってくれないとわかっているので、胸のわだかまりをぐっと堪え、下唇を食んで俯く。


 ……嫌な予感がする。


 妹のあんな顔を見たのは初めてだ。


 父の死に不安があるのか、父について何か知っているのか、それとも──母か……?


 そこまで考えて、考えすぎだと首を振った。母に何かあったらきちんと言ってくれるはずだ。家族のことを家族にも相談しないなんて、妹がそんなことするはずがない。


 僕はさらにコートを着込んで、そっと葬式場をあとにする。


 冷たく震える手先をポッケに突っ込み、肩を怒らせてマフラーの中に息を吹き込む。寒い寒い夕暮れ時だ。茜色のない空を上目遣いで見上げ、見えるはずのない一番星を探した。


 しんしんと音が消える。

 まだ遠い春を望む。

 重たい雪は僕の髪、コート、瞳を濡らす。

 眩しすぎるくらいの電灯を探す。



 ──知ってるか? 雪の“しんしん”ってな……


 懐かしい声が耳の中で響く。


 ああ、思い出した。あの答えを教えてくれたのは父だったのか。


 ──静けさを表す擬音語なんだ。


 父の笑顔が瞼の裏に映る。


 ──擬なのに音がないって、不思議だよなあ……



 確かに不思議だ。

 不思議でいて、それでもなぜかしっくりとくる。


 マフラーから顔を出し、空を大きく見上げた。白い息が暗闇の中に溶けていく。


 瞼の中の記憶は、肩に当たった雪の粒ように、儚く刹那に消えていった。

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