八、

「石川さん、体調はどうですか?」


インターホン越しに聞こえる大家さんの声に、僕の心臓は最大限に鳴り響いていた。


「石川さん? いますか?」


大家さんが怪訝そうに聞く。僕は慌てて口を開いた。


「はいっ! います!」


 そうは答えたものの、玄関を開ける勇気はない。

 大家さんが入ってきたときの、僕の行為に対しての目つきは嫌でも想像できてしまう。


 どう誤魔化そうかと考えを巡らせた。正直に言おうとは思ったが、どう話ぜばいいのかわからない。何を言っても大家さんが怒ることに変わりがない気がした。


「石川さん? 入りますよ?」


 大家さんの言葉に、玄関の鍵を閉めておけばよかったと後悔した。大家さんは遠慮の欠片もなく玄関を開けて部屋に入ってくる。冷や汗が背中をつーっと流れていった。


 テンがにゃん、と鳴く。大家さんの顔が曇る。


「石川さん……それは……?」


 僕はすうっと息を吸い込んだ。もう逃げられない。震える脚に、テンの温もりが触れた。


「テンといいます。ほら、この前言っていた猫ですよ。すごく弱っていて倒れていたので、居ても立ってもいられなくなって……」


 僕の話を、大家さんは黙って聞いていた。そのしかめっ面がいつもにも増して怖い。


「ここがペット禁止なのは分かっています。でも、見捨てることはできないじゃないですか。……怒られるのも周りの方々に迷惑を掛けることになるのも覚悟しています。ただ、テンだけは安全に暮らせるように、ここに置いてくださいませんか?」


そう言って口をつぐむ。


 その後も大家さんは口を閉じたまま、僕をじっと睨んでいた。その不穏な空気を感じ取ってか、テンも僕ら二人を心配そうに見上げている。


「自分が何をしたのか分かってるんですか?」


大家さんが大きくため息をつく。その静かな声に恐怖を感じる。


「ペット禁止なのに動物を部屋に入れてしまったのは本当に反省しています。他にも方法があったかもしれないのに──」

「俺が言うてるのはそないなことやない!」


 突然の大声で僕とテンはびくっと身体を震わせた。そんなことも気にせずに大家さんは続ける。


「ほんまにそいつを守れると思うてるのか!?」


 あまりの迫力に理解が追いつかない。

 大家さんは不動の表情を思いっきりしかめ、僕に怒鳴りつける。


「自分の世話もできひんのに猫一匹の世話ができるわけがないやろう!」


 やっと大家さんの言っていることが理解できた。大家さんの言葉に僕は否定できない。


「それやのにそんなちっぽけな命預かろうとすな!!」


 大家さんはそう叫んだ後、全てを吐ききったのか、息を乱して口をつぐんだ。まさに嵐の後の静けさという言葉がぴったり当てはまるような静寂に、僕の心臓はなかなか鳴り止まない。


 にゃーあ。


 テンが静かに鳴いた。すりすりと頬を僕の脚に擦り、ごろごろと喉を鳴らす。


「僕は、どうすればいいのですか」


 どんなに僕が何もできなくても、どんなにお金がなくても、この子だけは守らなくてはならない。


 僕の命を賭けてでも。


「知りませんよ。自分で考えてください」


大家さんは冷たく言い放つ。それでもこの部屋を出て行かないというところに大家さんの優しさを感じた。


「……僕一人じゃ抱えきれません……」


 僕が呟くと、大家さんはふぅーっと息を吐いた。

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