出雲の神と言霊の国
去年の十月。明日は家族みんなで動物広場に行こうって話をしていた次の日。朝起きたらおじいちゃんが死んでた。病気でも何でもなかったし、前日もとても元気だった。お医者さんが言うには、老衰っていって幸せな死に方らしい。パパもママも、おじいちゃんは十分に生きてくれたと言うけど、私にとってはもっともっと長く生きてほしかった。なぜなら、今年の春に私は小学校を卒業して中学生になる。だから、その晴れ姿をおじいちゃんにも見せてあげたかった。
私はおじいちゃんが好きだった。
おじいちゃんは決して私を怒ったりしなかったし、たまに、お小遣いもくれた。
いつだって一緒に遊んでくれた。
でも、それなのに……。
それなのに、どうして……。
死んでからしばらく過ぎた日の夜、おじいちゃんは私の枕元に幽霊となって現れた。
「ママ、怖いよ、一緒に寝ようよ、おじいちゃんの幽霊が出たんだよぉ~」
「ワカコ、どうしてあんたをとても可愛がってたおじいちゃんが幽霊になって出てくるのよ?」
「わかんないよぉ、でも、本当なんだよぉ〜」
生まれて初めて身近な人の死を経験した私。その私の中の「死」の恐怖が、夢の中でおじいちゃんの幽霊として現れたんだとママは言う。でも、あれは絶対に夢じゃなかった。私はもうすぐ中学生だから、夢だったら夢と分かるし、実際に目で見たものと区別はつくつもり。
あの時のおじいちゃんの表情だってよく覚えている。少しだけ悲しそうな顔をしていたおじいちゃん。私をちらっと見ただけで何も言わずすっと消えてしまったおじいちゃん。
「もしかしたら、おじいちゃんは私に言いたいことがあったのかなぁ……」
そういえば、おじいちゃんが常日頃から気にしていたことを一つ思い出した。
「そうだ、庭の隅にある小さな神社!」
私の家の庭の隅っこには小さな神社があって、毎朝おじいちゃんが手を合わせていた。何の神様かわからないけど、私が住んでいる地域の家には、ミニチュアの小さな神社を祭っている家がたくさんあるから、きっとそれと同じ種類の神様だと思っていた。でも、おじいちゃんがとても大事にしていた理由が何かあるかもしれない。そう思って、パパに庭の小さな神社のことを聞いてみた。
「え? 神社? 庭の隅にある
「あの小さな神社は祠って言うの? へえ、おじいちゃんが自分で作ったんだ、すごーい!」
「すごかないよ、あんなのパパでも作れるぞ。わっはっは」
庭の隅の祠は、おじいちゃんの幽霊とは関係なかったみたい。でも、おじいちゃんが毎日お祈りしていたから気になって、日曜日にお昼ご飯を食べたあとに祠を見に行った。私の家の敷地は広くて、その祠は本当に庭の隅っこの方にあった。庭にはいろんな木が生えていて、祠も木に囲まれていたから、お昼でも少し薄暗い。私は今まで祠を正面からしっかりと見たことはなかった。あまり長い時間じっと見ていると、オバケとか、なにか恐ろしいものが出てくるんじゃないかと怖かったからだ。
「うわあ、やっぱり怖いなぁ……」
あとずさりしながら祠を正面から見ていると、お昼の太陽でできた私の影、そして、祠の屋根の部分、裏山の頂上の辺りがぴったり重なった。はっとして振り返ると、太陽がぴったりの南から、一直線に私と祠、そして裏山の頂上を照らしていた。
「そうか、おじいちゃんってすごいかも。だって、私と太陽と山がぴったりに重なるように祠を作ったんだもん……」
そう言って一人で感心して辺りを見渡していた時だった。
「やあ、見つけたぞ!」
「きゃっ!」
ここら辺の近所では見たことのない男の子が、突然私の背後に現れた。身長からすると小学四年生くらいで、私より小さな体。柔道着のような白い服と白いズボンを履いていた。よく見ると腰にしめた帯の色が黒いから、きっと柔道が得意な子だろう。
「あんた誰なの?」
「オレはオオナムチっていうんだ」
「オオナムチ……? 変わった苗字だね、そこの柔道教室に通ってるの?」
「柔道教室? ちがうわ。あはは」
ケラケラと笑う小学四年生。自分より小さな子供にバカにされたように感じて、ちょっとムカっときた。ここは来年中学生になる私の方が、とてもお姉さんだということを示してあげないといけない。
「ねえ、どこから来たの? あんた、どこの子? ここはね、ウチの敷地だよ、どうして勝手に入ってきたの?」
「勝手じゃないよ、ワカコのおじいちゃんに頼まれたんだ」
「えぇっ、どうして私の名前を知っているの? いったい、あんた誰なの!」
その時だった。木に囲まれた祠の背後、小高い山になった森の中から、誰かがやってくる気配がした。とてもゆっくりゆっくりとした歩き方。どこかで見たことのある歩き方。ざっざっと草履が地面と擦れる音。どこかで聞いた懐かしい音。この草履はおじいちゃんがよく履いていた草履の音だ。
「え、うそだぁ……、まさか……、まさか……」
「おぉ、ワカコ……、また会えたなあ……」
「おじいちゃーん! うわーん、会いたかったよおー!」
私はおじいちゃんに抱き着いた。おじいちゃんは温かかった。おじいちゃんが着ていた服、あの時と同じ服。おじいちゃんのにおいがする。おじいちゃんは生きていた。幽霊なんかじゃなく、死んでなかったんだ。
「ワカコ、おじいちゃんなぁ……、ワカコにあやまらなあかんのじゃ」
「なあに、おじいちゃん。なんでも許してあげるよ」
「この国を守ってほしいんじゃ。おじいちゃん、この一言をワカコに言うために、わしゃこの世に生まれて来たのに、結局言えなんだ……」
「えっ?」
思いもよらないおじいちゃんの言葉で、私はなにがなんだかわけがわからなくなった。おじいちゃんは私に国を守れと言ったように聞こえた。何かの間違いじゃないかと思ったけど、でも確かにそう言ったと思う。でも、私は兵隊でも何でもないし、もうすぐ中学生になるただの女子。
「ワカコがかわいい女の子に生まれたからな、それは女の子の役目じゃないと思っておったんじゃが、間違っておった……」
「おじいちゃん、どういうこと? 意味がわからないよぉ……」
「いいんじゃ、いいんじゃ、言霊じゃ。今日のこのことは覚えておいておくれ。頼んだよ」
すると、夜に見た時と同じように、おじいちゃんはすうっと消えてしまった。まるで生きていたかのように思えたおじいちゃんだったけど、残念ながら幽霊だったみたいだ。でも、あの時みたいに怖くなかった。おじいちゃんは笑顔で私を見てくれたし、ちゃんと会話もできた。このことは、あとでママやパパにも話して自慢してやろうと思う。
「ねえ、ワカコ。おじいちゃんの話、聞いた? この国を頼んだぞ。あはは」
「ちょっ、なによ、偉そうに! あんた何様よ!」
おじいちゃんは消えてしまったけど、小学四年生の男の子はまだ私のそばにいた。しかも、ニタニタと笑いながら私を見ていた。でも、その顔は少しかわいらしかったし、ちょっとだけ私の好みだった。私には兄弟はいないから、今日から弟みたいにかわいがってやってもいいかなと思った。
「ねえ、あんたさ。もしかして、私と一緒に遊びたいんでしょ?」
「うん、そうだよ。オレの家で遊ぶ?」
私よりも背が低い小学四年生は、思ったよりも堂々としていて、なんだか私の方が遊ばれているように感じた。
「あ……、あんたの家はどこなのよ?」
「きずき」
「きずきって出雲大社のある方? けっこう遠いよぉ。こんなところまで一人で来たの?」
「ちょろいよ」
私の家は宍道湖という小さな湖を見渡せる小高い丘にあった。家の前の道を少し歩くと、一畑電車というお客さんの少ない電車がコトコトと走っている。私たち家族がお出かけの時は、いつもパパの車に乗るから一畑電車には滅多に乗らない。でも、この電車に乗ると、男の子の家がある出雲大社の辺りまで乗り換えずに一本で行けることを知っていたから、家の近くの駅から一緒に電車に乗って送ってあげることにした。パパの車に一緒に乗っけて出雲大社まで連れていくという方法もあったけど、小学四年生に電車の乗り方を教えたりして、ちょっとだけお姉さんぶりたかった。
「ねえ、電車初めてでしょ?」
「うん、初めてだ。これなら歩いたほうが早いぞ!」
「あはは、そんなことないよ、あんた、おもしろいね!」
小学四年生は、電車の窓から流れていく景色を見ながらニタニタと笑っていた。よく笑う子だ。
「ねえ、あんた、名前なんて言ったっけ?」
「オオナムチ」
「どんな漢字を書くの?」
「わかんない」
私はとっても驚いた。小学四年生で自分の名前を漢字で書けない子なんてあまりいない。きっと両親に柔道ばかりやらされて、学校の勉強がおろそかになっているに違いない。
「ナムッチは、自分の名前の漢字も知らないの?」
「知らない。ていうか、ナムッチって呼び方いやだ」
「いいの! 漢字も私が教えてあげるからねー」
そのうち目的地について電車から降りた。私は何も知らないだろう小学四年生に出雲大社を案内してあげることにした。なぜなら、出雲大社の近くに住んでいるとはいえ、神社のことは小学四年生より私の方がぜったいに詳しいはずだし、なにより、ここでお姉さんとして格好良いところを示せると思ったから。
「ナムッチ、あの建物の中には誰がいるか知ってる?」
「オレ」
「ちょっと、ふざけないで! 神様でしょ! ここは神社っていって、神様の家なの!」
ナムッチはケタケタと笑っていた。そして、思いがけずお姉さんの私に質問を投げかけてきた。
「ねえ、ワカコ。建物の中にいる、その神様ってヤツはどっち向いてるか知ってる?」
小学四年生の割には良い質問だと思った。なぜなら、これは昔から出雲大社の謎として有名な話だったから。でも、私はこの質問の答えを知っていた。恥ずかしい思いをしないで済んでよかった。
「知ってるよ。出雲大社の神様は、海岸の方を向いてるんでしょ?」
「よく知ってるな! じゃあ、理由は?」
まさか理由まで質問されるとは思わなかった。確かに、出雲大社のお
「理由なんて知らないよ」
「当ててみて」
「うーん、きっと神様は海が好きだったんだよっ!」
「その通り! さすがワカコ!」
「あはは、嘘ばっかり! ナムッチっておもしろいねー」
「嘘じゃないよ。この海岸から西の世界に出るんだ。全ての西を視界におさめて、
「……?」
ナムッチが何を言っているかよくわからなかったけど、少なくとも小学四年生の発想ではないと思った。きっと柔道教室の先生からおかしな歴史の話を教わったか、または、歴史ファンタジーの少年マンガでも読んだに違いない。あまり変な知識を身につけても学校で困るだろうから、私はナムッチを出雲大社の隣にある博物館に連れて行って色々と教えてやろうと考えた。それに博物館にはカフェもあるし、二人で一緒におやつを食べたりもできる。もしも兄弟がいたら、カフェで二人でおやつを食べるのが私の夢でもあった。
「ねえ、私アイスクリーム食べたい。博物館行ってみる?」
「ワカコ。神様は本当はどこにいるの?」
アイスクリームに乗ってこない小学四年生はいないと思っていたら、完全にスルーされた。
「えー、さっき見たお社の中じゃないの?」
「ちがうよ」
ナムッチは、ずっと私をからかうような笑みを浮かべていた。でも、それでいて、どことなく私を試しているようにも感じた。
「じゃあ、どこ? 教えてよ」
「ヒントは、ワカコの家の祠」
「祠? おじいちゃんが作った祠のこと?」
「うん」
「あれは、おじいちゃんがDIYで作ったってパパが言ってたから、あそこに神様はいないよ」
「うん、出雲大社も同じなんだ。これは人が作ったものだ。本当はここに神様はいないんだ」
その時、急に太陽が明るく輝きだしたような気がした。三月の太陽なのに、まるで真夏の太陽のようにギラギラと力強い光だった。同時に、出雲大社のお社の奥の方にある小高い山の木々が、急に輝きだした太陽に照らされ、その反動かのように勢いよく緑色の気のようなものを辺りにぱっとまき散らした。すると、それに触れた、すべての形のあるものは小さく細かく分解されて、キラキラと光る光の粒になってしまった。そして、それに触れた私の体も同じように光の粒になって、いつの間にか私と小学四年生のナムッチは二人で空を飛んでいた。
「ワカコ、太陽と土と水、これは最初からここにあったんだ! すごいだろ!」
ナムッチの言っていることはよくわからなかったけど、ナムッチが今までで一番喜んでいる気持ちがすごく伝わってきた。
ところで、空を自由に飛ぶなんて、もちろん初めてのことだった。それなのに、うまく飛べるかなんて不安になることもなく、私は当たり前のように空を飛んでいた。太陽を背にして出雲大社の方に向かって飛んでみたり、向きをくるっと変えて稲佐の浜の方に向かったり、まるで、トンビのような大型の鳥になったかのように、自由自在に私たちは手と足を動かして風を操って空を飛んでいた。
「ねえ、すごいよナムッチ! 私たち空を飛んでる!」
ナムッチは私をちらっと見たけど、何も言わずにただ笑顔だった。すると、遠くに小さな島が見えはじめた。きっと沖ノ島だ。おじいちゃんから聞いたことがある。女の人は入ってはいけないという神聖な神の島。すると、ナムッチが私の心を読んだかのように先回りして言った。
「ちがうよ。神と人が交わってはいけないという大昔の言い伝えが間違って残ったんだ」
今度もまたナムッチの言ってることの意味は分からなかったけど、まるで大人のような口調に、そういうものだと思わざるを得ない不思議な説得力を感じた。ナムッチはいったい何者なのだろう。そして、またしばらくの間一緒に空を楽しく飛んでいると、ナムッチが私に笑顔で話しかけてきた。
「ワカコ。頼みがある」
「なぁに?」
「オレを助けてほしいいんだ」
「うんいいよ、私、何でもできそうな気がする! だって、空を飛べるんだよ!」
「じゃあ、ついてきて!」
ナムッチはそう言うと、一気に急降下を始めた。私もナムッチに続いて急降下した。まるで獲物を見つけたトンビのように、猛スピードで天空から駆け降りる。いくつもの雲を切り裂いて地上を目指す。こんなに爽快な体験をしたことは過去にない。ずっと空を飛んでいたいと思った。
しばらく下降すると、辺りは一面の海だったはずなのに、いつのまにか視線の先には大陸が見えはじめた。中国なのか、インドなのか、それともアフリカなのか。見たことのないような木や花、変な形の雲、ごつごつした地面と赤い土。晴れてると思ったら急に雨が降ったり、まるで絵本の世界のような、とても不思議な場所に着いた。
「おい、ちゃんと荷物を持て!」
「きゃっ!」
大きな怒鳴り声が聞こえた。奇妙な世界に入り込んだかと思ったら、急に重苦しい現実が襲ってきた。いきなり私の目の前に体の大きな荒々しい若い男たちが現れたのだ。その数は十人くらいで、ナムッチと同じような白い柔道着のような服を着ていた。そして、誰もが腰に小さな荷物をぶら下げていたから、旅の途中のようにも見えた。私も一緒に歩きながら、その若い男たちの列を目で追っていくと、その最後尾に大きな荷物を背負った一人の小さな子供がいた。それは、さっきまで一緒に空を飛んでいたナムッチだった。
「ナムッチ! 一人でそんなに大きな荷物をたくさん持てないよ! 私も手伝うよ!」
私はナムッチのもとに駆け寄って手を差し伸べた。
「ありがとう、ワカコ。でも、大丈夫!」
「おい、誰としゃべってやがるんだ、ちゃんと荷物をもって、早く歩け!」
「きゃっ!」
乱暴な男たちに怒鳴られて、私は思わず大きな叫び声を出した。でも不思議なことに、若い男たちは私の声や、ナムッチを手助けしようとした私の存在に気が付いてないようだった。
「あの人たち、私に気が付いてないみたい。後ろから見えないように支えてあげるからね。しっかり歩くんだよ、ナムッチ」
「ワカコ、ありがとう!」
楽しい空の旅から一転して苦しい旅が始まった。でも小学四年生のナムッチが頑張っているから、お姉さんの私も頑張らないといけない。そう思ってナムッチの背中を後ろから押して歩いていると、荒々しい男たちの一人がナムッチに向かって叫んだ。
「おい、ここから先は、山が火を噴いている。オマエが先頭で歩いて安全な道を示せ!」
ナムッチは男に言われるままに、集団の先頭を歩かされた。私はナムッチがかついでいる大きな荷物の陰に隠れながら、ナムッチについて行った。男たちの言う通り、徐々に辺りから硫黄のにおいが漂い始め、しばらくして地面は、そのところどころから不気味な黄色い煙を吹き出し始めた。いつのまにか草も生えないような荒れ果てた道になり、その光景は、まるで地獄のようだった。その時、ふとナムッチの足元を見て、私はとんでもないことに気が付いた。
「ちょっと、ナムッチ! 裸足じゃない! 火山だよ、火傷しちゃうよ! さっきまで履いてた靴はどうしたの? 」
「オレ、最初から裸足だったよ」
「だめだよ、せめて私の靴下を履いて!」
私は自分が履いていた靴下を脱いで、ナムッチの両足に履かせた。私が履いている靴下は少し厚手だから、少しは地面の熱さを伝わらないようにできるはず。ところが、ほんの少しの時間とはいえ、ナムッチと私が話し込んでいたためか、後ろからやってきた男たちが怒り出し、足元に転がっていた石ころを私たちの方にめがけて投げつけた。
「きゃ、あぶない!」
「おい、誰がそんなところで座って休憩しろと言った! このやろう、許さねえぞ!」
すると、男の投げつけた石が、別の大きな石に当たり、その石がまた別の大きな崖の上の岩に当たった。崖の上の大きな岩はバランスを崩し、ナムッチをめがけてゴロゴロと転がり出した。こんなに大きな石に潰されたら、子供なんてひとたまりもない。危ないと思ってナムッチの方を見たけど、大きな石が上から転がってくることに気が付いてないみたいだった。
「きゃー、危ない! ナムッチ避けて! 早くー!」
私の一言で大きな石の存在に気が付いたナムッチは、あとちょっとのところで石から身をかわした。
「ありがとう、神様、助かった」
私はもう我慢ができなくなった。
「ねえ、ナムッチ、どうしてこんなことをしているの? ここから逃げよう! 一緒に空を飛んで逃げよう!」
「神様、オレにはやらなきゃいけないことがあるんだ」
「でも、このままじゃ、あいつらに殺されちゃうよ」
「大丈夫、神様がいれば、オレは頑張れる」
気のせいか、ナムッチは私のことを神様と呼んでいるような気がした。
「神様って? ねえ、ナムッチ、どうしたの?」
「今はまだ修行の身。でも、いつか西の王を倒すんだ。神様、どうか世界を平和に戻すチカラをオレにくれ」
「うん、きっとナムッチならやれるよ……、でも、私は神様じゃないのよ……」
「ありがたや! 我は神から、神様から、言霊を授かった! 我は出雲の神とともにあり!」
子供だと思っていたナムッチの姿は、いつのまにか勇敢な青年に変わっていた。
「ちょ、ちょっと、ねえ、ナムッチ……?」
私は何を見ているんだろう。夢を見てるのだろうか。よく考えたら最初からナムッチは小学四年生なんかじゃなかったのかもしれない。幼い子供が、王を倒すとか、世界の平和とか、ここまで過酷な運命を覚悟するなんて。これは何かの物語だ。誰かの作り出したお話し。でも、こんな話が日本、いや世界中のどこかにあっただろうか。
その時、かすかにおじいちゃんの声が聞こえたような気がした。
「神話じゃ。出雲の神話、歴史じゃよ」
「お、おじいちゃん?」
心の中でおじいちゃんと叫んだ時、私の目の前を光が覆った。真っ白な光が目の前を襲って、体がうんともすんとも動かなくなった。口も動かなくなって言葉さえも話せなくなった。そうだ、思い出した。似たような神話が出雲にあったんだ。意地悪な兄弟にいじめられるオオクニヌシという神様の物語。いろんな困難に耐えて、最後には大きな国を治める話。その元の国こそが私の故郷の出雲で、それは今の日本の元になる国。
「まさか、ナムッチは、出雲の神様だったってこと?」
すると、真っ白な世界に、ポツンと窓が開いた。そして、私はその真っ白な世界に放り出されて、ポーンと大きく尻もちをついた。さっきまで固まっていた体が自由に動くようになった私は、ひとつだけポツンと小さく空いた窓の方に歩いて行った。
「何が見えるんだろう……」
ゆっくりと覗き見た窓の先にいたのは、驚くことにおじいちゃんだった。まだ元気に暮らしている頃の様子が見えた。私はまだ小学生になったばかり。とても幼い顔をしていた。そして、その窓は、まるでテレビのように私たち家族の毎日の暮らしの風景を延々と映し出していた。いや、家族というよりも私が成長していく様子が映し出されているようだった。私はまだ小学生だったけど、時がどんどん過ぎて行って、中学生から高校生、そして大学生になり、いつのまにかどこかで働き始めた。驚くことに、それは私の未来だ。大きな建物、すごく、ちゃんとした仕事をしてるみたい。どっちかというと、少しだけ偉い人になったような気もする。でも私は、私よりもっと偉い人になにかを渡さなければならない。なにか難しい言葉、勇気の出る言葉、幸せになる言葉、その言葉を書いて、それを、偉い人がありがたがる。私は平和な国にいて、その平和を作るために言葉を考えて、一生懸命に毎日仕事をしている。
「ワカコ、言霊だ!」
一瞬、ナムッチの声が聞こえた。
「ナムッチ、どこなの?」
窓から見たたくさんの人たちの中にナムッチが確かにいた。いたことはわかったけど、顔が一致しなかった。あのあどけない小学四年生の顔。一緒に電車に乗って、空を飛んだ私の友達はそこにいなかった。窓の中は歳を取った大人たちばかりだったからだ。
最後にもう一度だけ窓の中の様子を確かめたいと思ってナムッチを探した。でも、見えたのは見ず知らずの偉い人。政治家の人なのか、または大きな会社の社長さんなのかわからない。とても偉い人。でも私は、偉い人じゃない。ただ、とても小さな役割の一つを任されているにすぎなかった。でも、その偉い人にとって、いや、私たちの国にとって、それはとても大事なことだった。
「我もそなたも、そして我が国も、この出雲の神とともにある!」
ふと気が付くと、私は庭の隅の祠に背中を持たれながら眠っていた。まだ日は高くて、さっきお昼ごはんのあとに飲んだオレンジジュースの味が口の周りに残っていた。私は起き上がって、急いで辺りを探した。
「ナムッチ! ねえ、ナムッチ、まだいるの?」
家の庭の隅から隅まで、どこを探してもナムッチはいなかった。祠の裏にもいなかったし、ちょっと勇気を出して裏山の森の方にも行ってみたけど、小学校四年生の子供がいるような朗らかとした雰囲気はどこにもなかった。
「ママ、ナムッチ見た?」
「は? 誰なの、その子」
「柔道教室の子だよ!」
「へえ……。帰ったんじゃないの? 家に」
「いつ?」
「あはは、知らないって……。それよりあんた、靴下はどうしたの?」
【短編集】読むと不思議な気分になる怖い話 ロコヌタ @rokonuta
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