無限地獄に落ちた竹取の翁
石油でも天然ガスでもない、地球には未知のエネルギーが眠っており、それに目を付けたのがオリオン星系の宇宙人だった。オリオンから派遣された優秀なエンジニアたちは、地球から抽出したエネルギーをオリオンへ転送するため、高度な科学技術を駆使したシステムを地球重力圏のとある場所に設置した。
その後、彼らはおよそ1万年の任期を務めることになるのだが、遊び心から原初の地球人たちと交流を始めた。そのうち、その科学力を悪用して地球人たちの王として君臨すると、地上にある贅の限りを味わうことを覚えたのだ。ところが、彼らの1万年以上もある寿命が、地球人たちの不信感をつのらせた。
「なぜ我々の王は100年経っても若いままなのだ!」
「200年経っても死にやしない!」
「化け物にちがいない!」
「そうだ、殺してしまえ!」
オリオンから来た王とその仲間たちは、地球人たちによって毒を盛られて殺されてしまった。地球人の文明を発展させた恩を仇で返されてしまったのだ。高度な文明人が原始人と直接交われば、往々にしてこのような悲劇は起こるものだ。
さらに悪いことに、宇宙人たちは地球で死んだため、地球人として転生する羽目になった。地球人に転生したオリオンのエンジニアたちは過去の記憶を失ったため、設置したエネルギー転送システムを管理することができなくなってしまったのだ。
オリオンの上層部では対策が練られた。
「エンジニアの恥、いや宇宙の恥だ。地球人になってしまった彼ら全員オリオンへ強制連行しましょう!」
「いや、あのシステムを捨てるのは惜しい。あれは彼らにしかオペレーションできない。今後も責任もって運用してもらいましょう」
「確かに、千年に一度メンテナンスさえすれば、放っておいても1万年は稼働するシステムですから、うまくやれば……」
結論として、千年に一度だけオリオンから地球へ使者を送り、システムを維持運用することとなった。
「ルナ! また朝帰りか? 友達の家に泊まる時は連絡しろって言っただろ!」
「高校卒業したのに門限とかありえないし。超最悪……」
「門限じゃないだろ、連絡しろって言ってるんだ。心配するじゃないか」
親子喧嘩の絶えない毎日。ルナの父、ナオキは、この不良娘とどう対峙していくかがここ数年の課題だった。
「あー、もう、マジで一人暮らししたい……」
「それはダメだ! 絶対に!」
かろうじて高校は卒業させたが、就職もせずにフラフラと毎日遊び歩いている我が子。一人暮らしなどさせたら、悪い友達との交流が増えそうで余計に心配だった。
ナオキは池袋にある小さな物流会社のサラリーマンだった。昼休み、子育てに疲れた覇気のない表情で池袋の街を歩いていた。仕事で使っていたスマホの充電池が壊れたので、会社近くのスマホ修理屋へ向かっていたのだ。すると、突然目の前にヒップホップ系ファッションの若い男が現れて、ナオキに声をかけた。
「ちーす、ちっと時間いいすか?」
髪はドレッド、耳と鼻にはピアス。見るからにガラが悪そうで、関わりたくないのタイプの男だ。
「あ、けっこうです。それじゃ……」
こんな昼間から居酒屋の呼び込みか、それとも、キャッチセールスだろうか。
「ちょ、ちょっと待ってよ、ルナのオヤジさんすよね」
ルナの名が出てきて驚いた。こんな男がルナの友達かと思ったら反吐が出そうだったが、ルナの顔を潰さないためにも大人の対応をしようと冷静さを保った。
「えっ、そ、そうだけど……、あぁ、ルナのバイト先の友達かな? こんな場所で、なにか?」
「突然で悪いんだけど、頼みがあってー」
「な、なにかな?」
その口調には初対面の大人に対するリスペクトなど微塵も感じられなかった。そして男から強烈な一言が放たれた。
「ルナをオレにくれません?」
「はぁ~? いきなり何を言ってるんだ?」
だらしない見た目と、礼儀などまるで理解していない若者。これがルナの彼氏、いや婚約者かもしれないと思ったら冷静さは一瞬のうちに失われた。
「くれ、だと? 物事には順序があるだろ! それにキミは何者だ?」
「オヤっさん、頭固いなあ……」
「なにっ? すまないが、二度と私やルナに付きまとわないでくれ!」
ナオキは立ちふさがる男の横をすり抜けて、再び修理屋に向かって早足で歩き始めた。しかしその若い男はあきらめずにナオキの隣を一緒に歩いた。
「ちょ、待ってよ。これ見てよ」
そう言って男はサファイヤのように青く光る小さな宝石を掌に載せ、ナオキの目の前に差し出した。その宝石を見たナオキは、どこか不思議な気持ちになった。既視感とノスタルジー、かつてナオキが自分以外の存在であった時の記憶。言葉では表現できない感覚がナオキの心の奥深くに沸き上がってきたのだ。
しかし、だからといって男の話を聞こうという気にはならなかった。
「それが婚約指輪の代わりか? まさかルナに買わせたんじゃないだろうな」
ナオキの嫌味な返答にもかかわらず、男は満足げに笑みを浮かべた。
「ちげーし。でも今少し思い出したよね? もうすぐ契約の日だからね」
「契約の日? 婚約とでも言いたいのか? 未成年のルナが勝手に決めたことだ。今すぐ破棄だ!」
「それは困るって……、笑うしかねえな、あはは……」
「知ったことか! 悪いが、急ぐんだよ私は……」
再びやり過ごそうとするナオキを見て、男は目を輝かせて言った。
「あ、スマホの電池交換ならオレがしますよ。しかもタダで」
「え、なぜそれを……」
男はパチッと指を鳴らした。まるで目の前でマジックでも披露したかのようなドヤ顔。そして、ナオキが手に持ったスマホを指さして言った。
「はい、電池交換終了! ま、いいわ、今日は名刺だけ渡しとくわ。思い出したら連絡してよ」
男の突然のおかしな振る舞いに呆気にとられ、思わずナオキは、ほしくもない名刺を受け取ってしまった。
「こ、小林くんと言うのか、キミは……」
名刺を一瞥し、顔を上げると、もう男はいなかった。
「なんだ、あの男は! 礼儀知らずにも程が……、あ、マズい、昼休みが終わる!」
ナオキは受け取った名刺をそそくさと財布にしまい、小走りで修理屋へ向かった。汗だくで店内に入り、修理カウンターでスマホを店員に渡した。すると、わずか1分ほどで予想もしてなかったセリフが返ってきた。
「あれれ、お客さん、スマホも普通に電源が入りますし、電池寿命もバッチリ残ってますよ」
「え~、うそでしょ? 間違いなく昨日から電源入らなかったし、今朝だってうんともすんとも……」
「スマホって稀に電源が入らないことがありますからねー」
「いやあ、怖いなあ……。信じられないなあ……」
なんと、あの男は手も触れずにスマホを直してしまったのだ。しかし、ナオキは現実を受け入れることが出来なかった。修理屋が言うように、たまたまスマホが不調だっただけだろうと自分に言い聞かせた。
そんな奇妙なことが起こった日の夜、ナオキは別の疑問を抱いた。なぜあの男が自分のことをルナの父であると知っていたのかと。ルナに紹介された記憶もなければ、過去に会った記憶もないのだ。夜遅くルナがバイトから帰宅すると、待ってましたとばかりに玄関先で問い詰めた。
「ルナ、あのガラの悪い小林って言う失礼な男は誰なんだ? お前のヒモか? 交友関係を全部話しなさい」
「は? 誰のこと言ってんの? わけわかんないし、まじでムカつくんだけど。それに、どうしてパパに私の交友関係いちいち教えないといけないわけ? 私小学生なの? バカじゃないの」
「バカとは何だ!」
「だってバカじゃん」
また今日も親子喧嘩が始まった。妻を亡くした今、ルナと上手にコミュニケーションが取れないことをナオキは切実に悩んでいた。ルナをまっとうな大人として社会に出してやる自信を完全に失っていたのだ。
(やはりルナを引き取るべきではなかったのだろうか……)
ルナはナオキの実の娘ではなかった。数年前に亡くなったナオキの妻は病弱で長年子供ができなかった。そのため、妻の希望で児童養護施設に預けられていた幼いルナを養子として引き取ったのだ。ナオキはもともと養子を取ることには反対していたが、ルナを一目見て運命を感じ、その気持ちを翻したのだった。もちろん、当時のルナはまだ物心つく前で、今もナオキのことを本当の父だと思っている。
しかし、母が死んでからルナは変わってしまった。ナオキの仕事が忙しく、ルナにかまってやれなかったこともあったのだろう。グレてしまったのだ。
実の子供のようにルナを育ててきたナオキだったが、そろそろ精神に限界が近づいていた。そのうちルナから金をせびられ、悪い仲間たちから家を乗っ取られ、暴行され、しまいには殺されてしまうのではないかと思い悩むほど被害妄想は拡大していた。
「まあ、いい……、でも、変な男に貢いだり、借金だけはするなよ。それだけ約束してくれ」
「貢がねーし、借金なんかしねーし! つーかバイトしてるし!」
「偉そうに言うんじゃない。いつまでバイトなんか続けるつもりだ。いい加減に定職に就きなさい」
「もー、ほんとうるせーし。殺意覚える……」
精神不安定な父親の前で、冗談でも殺意などという言葉を発するべきではなかったとルナも感じたのだろう。しまったという表情をして俯いた。ナオキの顔は青ざめてこわばり、我が子を厳しい目で見つめたまま固まってしまった。
「お、親に向かって、殺すだって……?」
「本当に殺すわけないでしょ! バカみたい……」
「やっぱりそう思っていたのか?」
「ちょっと、やっぱりってどういう意味?」
「まさか、あの男と結託して、父さんから金を巻き上げて……」
「もう、やめて!」
「父さんを亡き者にしようと企んでるんじゃないだろうな?」
「いい加減にして!」
父にあらぬ疑いを掛けられたことがショックだったのだろう。ルナは泣きだして自分の部屋に閉じこもってしまった。
さらに翌日、ルナのバイトが終わる深夜、しばらく女友達の家に泊まるとナオキのもとにLINEが送られてくると、その日から本当に家に帰ってこなくなったのだ。今までルナが二日以上家をあけることはなかった。ナオキの一言が大きく彼女を傷つけたことは明白だった。
「あぁ、やってしまった……。これでもう家庭崩壊、いよいよ父親失格か……」
しかし、精神不安定なナオキは、言い過ぎたと反省してはいたものの、あの不気味な男とルナが何か企んでいるのではないかという疑心暗鬼な気持ちを払しょくすることはできなかった。
「男はルナの名前だって知ってるのに、ルナは男を知らないなんて……、どう考えてもルナが嘘をついてるとしか……」
ルナが帰らなくなってちょうど1週間が過ぎた日。ナオキは都内の営業所から埼玉の得意先に行くため車を走らせていた。モヤモヤとした気持ちで運転していると、ふと男から受け取った名刺のことを思い出した。
「ピアスの若造が一丁前に名刺を渡してくるなんて、よく考えたら不自然だよな……。あ、そういえば、あの男、連絡くれって言ってたな……」
ナオキは営業車を最寄りのコンビニの駐車場に停め、長らく財布にしまったままだった男の名刺を取り出した。
「なんだこの名刺、名前と電話番号しか書いてないぞ、頭悪そうな名刺……、まあいいや電話してみるか……」
ナオキは思い切って男の名刺に書かれた電話番号にコールしてみた。もしかしたら男の家にルナが転がり込んでいるかもしれないと思ったからだ。しかし、何度もコールするが男はなかなか電話に出なかった。そして、粘りに粘って二十回ほどコールしてあきらめようとした時だった。コンコンと車の窓を叩く音がした。
「うわあ、なぜここに!」
あの男が車の脇に立っていたのだ。
「偶然すね」
偶然にも程がある。街で会った時もそうだったが、まるで待ち構えていたような登場の仕方だ。ナオキは車の窓を半分開けた。
「ど、どうしてここに?」
「オレのやってる会社が近くなんで。電話より手っ取り早いっしょ?」
「キミの会社? キミ、経営者なの?」
男は何も言わずに笑っていた。慌てて男の名刺を見直すと、白紙だと思い込んでいた名刺の裏面に会社名と住所が書かれていた。しかも会社の住所は、まさに今偶然立ち寄った埼玉郊外のコンビニ付近だったのだ。つまり、偶然にもナオキが男のオフィスの近くに来ていたということである。
「話がしたいんでしょ? よければオレのオフィスに寄ってよ。茶くらい出すよ」
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
このピアスの非常識な若造が社長だなんて世も末だ。でも本当に社長かどうかはわからない。良からぬことを企んでいる恐れもある。経営者だとうそぶいて逆に金をだまし取ろうとしているかもしれない。そんなことを考えながらナオキは車のエンジンを止めて車を降りた。
オフィスは歩いて行ける距離だと男が言うので、営業車をコンビニに停めたまま歩いて男について行った。着いた先は普通のマンションで、その一室を男はオフィスにしていたようだ。
「電話をくれたと言うことは、思い出してくれたんですよね。あれだけライフストーンを見つめてれば、そりゃ思い出しますよね。さあ、それでは、さっそくカタログからご覧いただきましょうか?」
なにもない部屋にポツンとおいてある会議テーブルに着くなり、男の口調が変わって丁寧になった。
「なにかよくわからないけど、キミ、急に人が変わったね?」
「あはは、こうやってバカみたいなキャラを装わないと、周りに怪しまれちゃいますからね」
「い、いや、装っていた時の方が怪し……、まあいいや、ははは……」
男はわざと悪ぶった派手な服装をして、軽薄に振舞っていたと言うのだが、なぜその必要があるのか、現時点でナオキにはまったく理解できなかった。しかし、カタログなどと言い出したからには、法外な高額商品を買わせる典型的な悪徳商法の可能性もまだ残っている。実は良い人だと油断させてからの手のひら返しもありうる。ナオキが身構えると再び男は意気揚々とカタログの説明を始めた。
「さて、思い出して頂いた通り、まもなく月のメンテナンス期間が始まります。まずは契約の継続から決済して頂きましょうか」
「メンテナンス? 契約?」
ナオキにはこの男と契約を交わした記憶などなかった。すると男はノートパソコンをモニターにつないで、日本語でも英語でもない文字が並んだデジタルカタログを開いた。マウスクリックでページを開くと、モニターには夜空に輝く月の写真が並んでいた。
「今稼働しているのがこちらの月です。現時点で五千年の使用でエネルギー吸収率もだいぶ落ちています」
月のメンテナンスというから「毎月ごと」の定期メンテナンスかと思いきや、「夜空の月」のメンテナンスだったのだ。モニタに映る月の映像を不思議そうに眺めるナオキを横目に、男は期待に満ちた表情でカタログの説明を続けた。
「もちろん継続契約も可能ですが、エネルギー吸収効率の高い新しいタイプのエナジームーンが出ましたので、交換するのも一手です。これがまた高性能でして。ただし、ライフストーンが二つ必要なんですよ……。まさか、二つも持ってませんよね……?」
激しくファンタジーで、かつSFチックな用語をバンバン出してこられて、さすがのナオキもこの男が正気かどうか疑い始めた。
「あの……、その前に、夜空の月をメンテナンスするってどういうことかな? キミ、どこまで本気で言ってるの?」
男はナオキの目を見て首を傾げ、操作していたマウスから手を離した。
「あれれ、てっきり概要だけでも思い出してくれたかと思ったんですが……。マズイなあ……、説明しますね。夜空に見えてる月は地球からエネルギーを吸収するオリオン製の機械、システムなんです。それを私たちオリオンのエンジニアがメンテナンスしてるんです。かれこれ五千年前からあなた、いや、マネージャーの決裁を経て、システム管理をしているんですよ。これだけ話せば思い出しましたよね?」
「オリオン? キミの会社の名前?」
「いやいや、そうじゃなくて……」
男は以前にナオキに見せた青い色をした宝石をポケットから取り出して打合せテーブルに置いた。
「これでエナジームーンををオペレーションしてます」
「あぁ、前に見せてくれたやつか。それはなに? サファイヤ?」
「いやだなあ、これすら思い出してなかったんですか……、ライフストーンですよ。今の月で使ってるやつです」
「は、はあ……?」
「今ちょうどメンテ中ですから、こうして取り外してきたわけですよ」
テーブルの青い宝石の上に男が人差し指を置くと、さらに青く強い光を発し始めた。すると最初にこの宝石を見た時と同じように、ナオキの心の奥深くに眠っている記憶と感覚が蘇ってくるのだった。しかし、その感覚は曖昧で詳細を思い出すことはできず、漠然とした郷愁にしか感じられなかった。
「なんとなく感じるでしょう。ここから出るエネルギーも人間の脳の潜在的記憶域を刺激する効果がありますから、今度こそ思い出すはずですよ。でも時間がありません。ひとまず無難に契約更新だけしておきましょう。これには統括マネージャーのあなたの決済が絶対に必要なんです」
「え、私がマネージャー? よくわかんないよ。決済って……?」
「いえ、簡単なことです! OKの一言でいいんです。言質が欲しいんです。それと、これと同じ宝石が必要ですが準備できてますよね?」
「いや、そんな高そうな宝石は持ってないよ。それによくわからない契約書にサインなんてできないでしょ、普通……」
「そうですか……、ウチはルールが厳しくて、統括マネージャーの判断には絶対に逆らえないんですよ……。ではいったん契約解除ということにしましょう。いったん撤収です。これは我々にとって大きな損失ですが、思い出すにつれあなたの気も変わるでしょう……」
男は困った顔でマウスをカチカチとクリックしてカタログのページを送り、よくわからない文字が書かれたボタンをクリックした。これで月のメンテナンス契約とやらが解除されたと言うのだ。
話がすべて終わって、男は再びマンションのエレベーターの乗り口までナオキを案内した。
「もしも、ライフストーン、いや、これと同じ青い宝石の準備ができたら、すぐに連絡をくださいね。一週間以内なら間に合いますからね!」
へつらうような口調で男はナオキを送り出した。
あまりに不可解な男の言動で、ルナとの関係性について男を問いただすのをすっかり忘れてしまっていた。
しかも、結局その日もルナは帰ってこなかった。これで8日連続の外泊だ。スマホを見ると、今日もまた友達の家に泊まるとLINEが入っていた。
「連絡をくれるだけマシか……」
もう2、3日過ぎれば帰ってくるだろうとため息をつきながらナオキは寝床に着いた。
そして翌朝、まだ辺りも薄暗い朝の五時前だった。コトコトと妙な音でナオキは目を覚ました。その耳障りな音が鳴る方を見ると、本棚の上に置いたスマホが小刻みにずっと揺れているのだった。
「地震か……」
とても長い揺れだった。おさまったかと思ったら再びコトコトと揺れ出す。近所で道路工事でもしているのだろうかと思いつつ眠い目でテレビをつけると、朝から物々しいニュース特番が流れていた。今朝の四時くらいから断続的に小さな地震が世界的に発生しており、気象庁が緊急会見を開いていたのだ。
しかも、この地震の原因は月の軌道がズレたことによるものだと報じており、軌道のズレが加速すると地球と月の引力のバランスが崩れ、さらに大きな地震や噴火を誘発する可能性があると国民に警戒を呼び掛けていた。
「おい、あの男! 本当に月を撤収するつもりか? そんなバカな! NASAの回し者、いや、CIAか?」
早朝に迷惑だろうと思いつつも、急いで男の名刺を取り出して電話をかけた。やはり何度コールしても男は出なかった。
「たのむよ、出てくれよ……。まさか今頃ロケットで月を運んでるんじゃないだろうな……」
ピンポーン
電話が繋がらず焦っているところで、アパートの呼び鈴が鳴った。
早朝五時に誰だろうと、スマホを耳にあてながら、ナオキは不機嫌に玄関のドアを開けた。
「おはようございます」
「うわあ! こんなところまで!」
なんと、男が自宅までやって来たのだ。
「オフィスがこの近くにあるんすよ。電話より直接話した方が早いっしょ? あはは」
「え……、オフィスは埼玉じゃ……?」
ふと名刺を見ると、昨日までは埼玉と印字されていたはずの住所が、いつのまにか東京に変わっていたのだ。
「そんなバカな……」
手を触れずにスマホを修理した件といい、この気味の悪い名刺の件といい、これは明らかに人間技ではない。さすがにナオキも気が付いたようだ。
(わかった、こいつはルナの彼氏でもなんでもない。今までのおかしな言動からして宇宙人にちがいない!)
恐怖で足が震えて逃げようにも逃げ出せなかった。すると男は、靴を履いたままフワリと空中を浮遊して部屋に上がり込んできた。
「う、うわあ、助けてくれ!」
「驚かないでください。あなたも同じことできたでしょう? それと、月の件でお電話いただいたのでしょうが心配いりませんよ。バランスが取れるまで陸地と海が入れ替わったり、南極が北極になったりする程度です。ノアの洪水の時と同じですよ。あの時にエナジームーンを地球へ導入したのが最初でしたね、なつかしいですね」
「そんなことが起こったら世界の終わりだ! 月を維持してくれ!」
「おぉ、言質が取れました、マネージャー決済頂きましたよ! でも、ライフストーンはどうしますか?」
「宝石のことか? そんなもの本当に持ってない! 信じてくれ!」
「あぁ、今回は前回よりも重症だ。あなた、完全に前世の記憶を消しましたね……。ライフストーンのロックインも忘れるなんて……」
男は呆れた口調でライフストーンとは何かのレクチャーを始めた。
「簡単に言えば、この宝石の中にオリオンのエンジニアを格納するんですよ」
「そんな小さな宝石に?」
「はい。宝石の中は羊水のようなもので満たされていて、この中にいれば宇宙空間で何千年も生命維持が可能なのです。次に宝石を月のコア部分にセットする。そして、宝石の中のエンジニアが発する意識の光波で月を操作するのです。つまり宝石は頭脳を持った電池のようなものです」
ナオキは宝石の仕組みについてなんとなく理解したが、同時にごくシンプルな疑問もわいた。
「な、なるほど、だったら、キミが宝石に入ればいいだろ? それが一番早いはずだ」
「それは無理です。自分はただの使者に過ぎません。優秀なエンジニアでないとエナジームーンは動かせないんです。なんなら、あなた自身がライフストーンに入っても構わないんですよ。あなたは統括マネージャー、エンジニアのトップですからね。最悪のケースですが、あなたを今ここでライフストーンにロックインするお手伝いもできないことはありません」
「ちょっと待ってくれ、私が宝石になるって? それは、この私が月に行くってことか? それは困る! ルナが一人ぼっちになってしまう!」
「今のは冗談ですよ」
「冗談?」
「はい、あなたがここを去ったら決裁権者がいなくなって次回から困りますよね? 宝石になるのは別の者で、それはもう決定しています。それはつまり、ルナ、いや、あなたの元部下です。過去何千年とあなたの部下たちが交代制で勤めてきたのです。今回も最初からルナが予定されていたんですけどねぇ……」
ナオキは徐々に物事の経緯を理解し始めた。
「だから初めて会った時、ルナをくれと私に求めてきたのか?」
「そういうことです」
「しかし、私が上司でルナが部下だったからと言って、それは記憶にすらない昔の話で……、ルナは我が子だ。月はそのままにしてほしいが、ルナを月に行かすなんて絶対に許可しないぞ」
「だから、あなたたちは親子ではないですって。部下と上司なんですから……」
ナオキは頭を抱えた。確かにそうかもしれないが、そんなことは覚えてはいないし、嘘か本当かさえも分からない話なのだ。
「あなたとルナは定期メンテナンスのためだけに地球にいるんですよ。こうして親子として縁を持って生まれるように最初から仕組まれているのです。本来の目的はシステム運用。それを優先しないなんてバカげています……」
「すまないが、キミの言ってることが事実だとすると親子の絆なんてバカバカしく思えてくるよ……。とてもじゃないが信じられない……」
男はポケットからクリスタルのような透明な宝石を取り出して、それを高く掲げた。
「なんですか、それは?」
「空っぽのライフストーンです。でも良かった。やっと記憶が完全に復活したようです」
「記憶? 誰の?」
ピンポーン
再びアパートの呼び鈴が鳴った。
「さあ、部下のエンジニアがお戻りです。お出になってください」
男が促したので、玄関のドアを少しだけ開けて、用心深く外の様子をうかがった。
「おはよう! パパ、私に任せて!」
「ルナ! どうしてこんな早朝に戻ったんだ? まさか、ルナ……!」
ナオキが話し終えるのを待つこともなく、ルナはドアを強引に引っ張り開けて部屋の中へ入っていった。
「ルナ、待てっ、そいつはヤバイやつだ、危険だから近寄るな……!」
ルナは引き留めようとする父の言葉など、まるで聞こえていないかのように男の方へ歩み寄った。そして、男とルナの目があったその時だった。ルナの姿がすっと色あせて煙のようになり、男が持つ透明な宝石に吸い込まれていったのだ。まさに一瞬の出来事でナオキはそれを静止することすらできなかった。ルナが完全に吸収されると、透明だった宝石は青々と輝きだし、男が以前から持っていた宝石の何倍も強い光を発し始めた。
「ルナが消えた……。おい、ルナをどうした! 殺したのか?」
「殺すなんてとんでもない、さっき説明した通りですよ。それに彼女が望んでライフストーンに格納されたんです。彼女の意思と使命感、いや責任感を尊重しましょうよ」
「ルナが望んだ? そんなはずはない! ゆ、許さん、許さんぞ、許可はしない! 私はマネージャーだ、早くルナを返せ!」
ナオキは男につかみかかった。
「待ってください。あなたには人事の権限はないんです。それに、彼女は思い出したんですよ。地球に染まりきったあなたなんかより先に、オリオンのエンジニアだった栄光なる過去を思い出したんですよ。実に優秀な部下じゃないですか。」
「ルナが思い出したって? そんなバカな……」
「オリオンのエンジニアにしかできないエナジームーンのシステムオペレーターですよ。誰もがうらやむエリート職です。忘れるわけがないでしょう」
男はルナを吸い込んだ青い宝石を手に持ち、いろんな角度でナオキに見せた。そして輝きが強いほど優秀なエンジニアである証拠だとしみじみと語った。それでも怒りが収まらないナオキに対して、今度は諭すようにして話し始めた。
「確かに彼女は月に行きますが、千年ほどの短期間です。まったくの心配ご無用です。」
「ちょっと待ってくれ、千年って……、じゃあもう二度とルナに会えないじゃないか……」
「いえ、千年ほど生きればまた会えますよ。簡単なことなんですよ。」
「バカを言うな!」
「いえ、生きられます。今回もこれをお渡ししておきましょう」
男は小さな赤いカプセル状の飲み薬をナオキに手渡した。
「これを飲めばあなたは千年ほど死を免れる。つまり次のメンテナンスを迎える頃に彼女と再会できるのです」
「千年も生きるって、まさか不老不死の薬ってやつか……」
「ただの遺伝子治療薬です。飲む飲まないは自由です。千年前のあなたはこの薬を飲まずに焼いてしまった。そして間もなく死を迎え、結局月へ向かった我が子と二度と出会えなかった。さらに死んで転生し前世の記憶をなくし、何度も生まれ変わって今ココです」
似たような話が日本のおとぎ話にあった。竹取物語だ。平安時代の話だからおよそ千年前。
月へ帰るかぐや姫は育ての親のおじいさんとおばあさんに不老不死の薬を渡した。あれは千年後に帰ってくるときに再会しようという意味だったのだ。そして、その千年後がまさに今この時であり、つまり、ナオキの前世は竹取の翁だと男は言うのだ。竹取物語は紛れもない事実だったということである。
「オリオン星系トップクラスのエリートエンジニア、しかも統括マネージャーが地球人なんかに転生して愚かな無限ループにハマるなんて悲劇としか言いようがありません。素直に薬を飲んで千年かけてすべてを思い出すべきです」
ナオキは思った。この薬を飲むと不老不死になるだけでなく、何か大切なものまで失ってしまうと。辛く苦しかったが楽しいこともあった親子の思い出が、無機質なシステム維持契約のための茶番と化してしまうことを恐れたのだ。
「さあ、もう間に合いません。月の軌道を戻しましょう。あ、そうそう、こちらの宝石にロックインされている千年前のあなたの子、かぐや姫でしたっけ? いや、正確には12人いるあなたの部下のエンジニアの一人ですが、彼女は任期満了のため私がオリオンに連れて帰ります。そうすれば再びオリオン人として転生できますから」
ナオキは考え込んだまま、何も言わずにその場に突っ立っていた。
「あっ、せっかくだし、会いますか? 千年前、あれだけ別れを惜しんでいたのですし、会いたいですよね……?」
「いや、会っても意味ないでしょう……」
「そ、そうですか、記憶がないってのは、ある意味で残酷ですねぇ……」
竹取の翁だった頃の記憶など、ナオキは微塵も持ち合わせていなかった。よって、かぐや姫と会ったところで何の感情も芽生えることはないとナオキはわかっていたのだ。今の彼にとって我が子はルナだけなのだ。
「やれやれ、また千年後に健忘症のマネージャーとやり合うことになると思ったら先が思いやられますね……」
最後に強烈な嫌味を言い放ち、男は二つの宝石とともに煙のように姿を消した。
もしや夢ではないかと確かめるため、ナオキは玄関に目をやった。そこには今さっき脱ぎ捨てられたばかりのルナのスニーカーが転がっていた。触るとまだ暖かかった。小さな期待を抱いてルナの部屋のドアを開けたが、そこにルナはいなかった。読みかけの雑誌と、飲みかけのペットボトルを見て、ナオキはその場で泣き崩れた。
18年前、施設にてルナと運命の出会いを果たしたナオキ。実は前世からの因縁で引き寄せられた計画的な出会いだったのだ。その出会いがシステムメンテナンスのために仕組まれていたなんて、あまりにも薄っぺらい話だ。苦労に苦労を重ねて我が子を育ててきた茨の道のりは、単に機械の維持契約を結ぶまでの寄り道に過ぎなかったなんて、誰が信じることができようか。前世など馬鹿げている。自分にとっては今がすべてなのだ。ルナだけが我が子なのだ。そうナオキは思った。
「この地球の他の人間も、私のように計画された人生を知らずして生きているのだろうか……」
自らの人生のからくりを知って絶望したナオキは、ダイニングテーブルの上に無造作に置かれた赤いカプセルを手に取ってゴミ箱に思い切り投げ捨てた。奇しくもその日は満月の夜。こうして竹取の翁は同じ過ちを繰り返すのだった。
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