守護霊に人を殺せと言われました

「オマエはやればできる。なぜやらない? 怖いか? 怖がるな」


普段から座禅や瞑想を日課にしていた影響か、高校に入学する前くらいから神の声が聞こえ始めた。

いや、神様の声にしてはぶっきらぼうで荒っぽいから、亡くなった祖父の声かもしれない……。

いや、亡くなった祖父にしては声質も口調もまったく違う……。

その声の主は自ら何者であるとは決して名乗らなかった。


「動くなら今だ。今何を思った。その思ったことをやれ。それがオマエの正解だ!」


いつも声は僕を煽った。煽りに煽った。これでもかというくらい煽るのだ。

思い切って声に従って、受かればラッキー程度に思っていた高校を受験して見事に合格したときは、さすがに声に感謝した。

その一方で、声はいつも曖昧だった。具体的に何をこうしろとは言わなかったから、声に従ったために失敗することもあった。そして、次第に失敗が重なると、声を疑い始めた。そもそも、この声が神ならば、こんなに雑に荒っぽく煽ったりはしないだろうし、先祖の霊や守護霊だったら「学校の勉強しろ」とかもっとわかりやすいことを言うはずだ。だからこれは悪魔か、悪霊の類だと思っていたし、実際に思った通りだった。


「そうです。よく気が付きましたね、オフィーリア。あなたは闇を見抜いたのです」


ある時、別の声が聞こえた。とても優しく温かい女性の声だった。

しかし、その声は僕のことをオフィーリアと呼んだ。それは僕の名前じゃない。


「オフィーリアはあなたの前世の名前です。思い出せないのも無理はありません」


前世の名前を知っているということは、この声の主は、前世から僕のことをずっと見ていた……。

そんなことができるのは、まさに、神……。


「私は神ではありません。あなたをいつも見守っていた存在に過ぎません」

「守護霊ってこと?」

「ふふふ、ご自由にお呼びください」


ついに巡り合った、本物の守護霊だ。

とすると、今まで僕に語り掛けていた荒っぽい声の男は誰だったのだろう。


「その男はあなたを闇へいざなう案内人。あなたが闇との関係を完全を断たない限り、再び現れるでしょう」

「まじか……。どうやったら闇を断つことができるの?」


優しい声の守護霊は僕にその方法を教えてくれた。それは開きかけた第三の目を閉じることだった。第三の目とは眉間の辺りにあるとされる幻の目だ。それはアジナーチャクラとも呼ばれ、それが開くと見えない世界が見えたり、サイキックな能力が開花すると古代ヒンズー教や仏教などの文献にも残っている。


「遊び半分で座禅や瞑想などをしないことです。魔眼を開いてはなりません」


不思議なことが大好きなオカルトマニアの僕は、小学生の頃から月刊ムーなどのオカルト雑誌を読み漁っていた。雑誌で読んだ超能力の記事に興味を持って、座禅や瞑想を始めたのだ。そうすることで昔のヨガの行者や密教の修行僧たちは超能力を得たと本に書いてあったからだ。

もちろん、遊び半分じゃなく本気で超能力を得たかったのだけど、素人が下手にやると闇に住む悪魔とつながってしまうと言われて、さすがにビビってしまった。


「三年生になったら、サッカー部に入部したらどうですか? 体を動かすことは、あなたの中に鬱屈している魔性を払うことにつながります」


高校に入学して以来、オカルト研究会という部活動を二年間ほど続けてきた。部員は数名ほど。部室でオカルト雑誌を読んだり、心霊スポットめぐりをしたり、大したことはしてなかったが、僕にとっては退屈な高校生活において心のオアシス的存在だった。

来年は部長になれとも言われていたし、卒業したら霊能者か占い師か、精神世界関係の仕事につきたいと思っていたので、部活をやめたくはなかった。しかし、部活動が闇を引き寄せる元凶であれば、確かに高校生らしくスポーツに励んだほうが身のためだろう。


「守護霊さんって、まるで先生や両親みたいなことを言うよね」

「ふふふ、それが真心というものです」


確かに、煽りに煽って思う存分好き勝手にやれと言う守護霊よりも、親身に細かく指示を出してくれた方がわかりやすいし信頼感も感じる。それに、こうして人生で起こるすべてのことに守護霊が行く道を示してくれれば、大学入試や就職だってうまくいくだろうし、もしかしたらビジネスで大成功して億万長者になることだって夢ではないかもしれない。


「ふふふ、億万長者は欲張り過ぎですよ。でも、ひとつひとつ人生の選択肢を誤らなければ夢物語ではありません」

「まじっすか? あなたはやっぱり神です! 一生ついていきまっす!」「ふふふ、それよりサッカーの練習でもしてはどうですか」


優しい守護霊の言う通り、高三になってすぐにサッカー部へ入部した。受験や就職を控えた三年生から激しい部活を新たに始めるなんてありえないとオカルト研究会の仲間からは随分と引き留められたが、もともと運動音痴ではなかったし、鬼のような顧問のしごきで僕のサッカーの能力も急上昇した。わずか入部二カ月で、補欠以上、レギュラー未満の実力を得たのだ。


「もっと早く始めればよかったなぁ。サッカーの才能あるかも。さすが僕の守護霊だね」

「ふふふ、あなたの才能は誰よりもわかっているつもりです」


守護霊の判断は的確だった。鬼顧問に認められ、次の対外公式試合では状況にもよるが途中出場することも決まった。やはり僕はサッカーの素質があった。それよりもなによりも、サッカー部の練習にはいつも数人の女子たちが見物していたのだが、僕が入部してから人数が増えた気がするのだ。実際に僕が練習試合でシュートを決めた時は黄色い歓声があがった。今までオカルト中心の生活でモテたことなんか一度もなかったけど、この調子で行けば恋愛もうまくいくかもしれない。


「最近ギャラリーの女子も増えたんだけど、彼女たちは僕のことが目当てかな? 守護霊ならわかるでしょ?」

「ふふふ、恐らく一部の女子はそうでしょう。しかし恋愛はほどほどに……」

「わかってるって。しかし、モテるって気分いいよなぁ、あっはっは」


もちろん、今まで気になる異性がいなかったわけではなかった。同じクラスの五十井凛いとい りんだ。

家が同じ学区で小中学校はずっと一緒。偶然にも高校も同じ。高三にいたっては、ついに同じクラスになってしまった。

実は小学校のころから好きだったのだが、勇気がなくて告白できずにいた。いや、そもそも地味で控えめな僕ごときが女子に告白などできる身分ではないと自分を戒めていた。

それに、凛も恋愛などするような女子ではなかった。とにかく暗いのだ。授業以外でしゃべっている姿を見たことがなかった。授業の合間はいつも本を読んでいて、ごく稀に凛と同じような性格の物静かな隣のクラスの女子が話しける程度。一日誰とも話さない日だってあるくらいだ。

修学旅行や運動会などの集団行事も体が弱いことを理由に参加しないし、クラスのみんなからも腫物に触るかのような扱いを受けていた。きっと本人もその雰囲気を察していて、自ら周りを避けている節もあるのだろう。


顔はそこそこ可愛いのにもったいない性格の凛。そんな彼女のことを、僕はよく観察していた。


「あれ、今、弓道場の辺からグラウンドを見て立ってたのって凛かな?」


グラウンドの隅っこにある弓道場。凛は弓道部に入っていた。弓道だけは土日も休むことなく、何かに憑りつかれたかのように毎日練習をしていた。弓道は激しい運動をする競技ではないから体が弱くてもできるのだろうけど、高校総体で表彰される腕前の彼女を誰が病弱だと思うだろう。そこが彼女の唯一の意外な一面であり、僕にとっては激しくギャップ萌えポイントだった。


「おい、市井! 何よそ見してんだ、サッカーの練習ナメてんのか貴様!」「あ、すみません……、あの、ちょっと、その……」


鬼の顧問の怒声がグラウンドに響き渡った。闘牛のように突進してきて、その勢いで僕の頬を平手で殴った。油断していた僕は思いっきり横に吹っ飛んだ。確かにボーっと女子の姿を追っていた僕が悪いのだけど、今時ありえない体罰だ。脳震盪を起こしたのか、クラクラして立ち上がれなかった。グラウンドの砂埃にまみれた白い顔と鼻血とが織りなす鮮やかな紅白のコントラスト。しかし、ギャラリーの女子やサッカー部の連中にとってはよくある光景なのか、ボロボロになった僕に誰一人声をかける者はいなかった。

実力もついて楽しくなってきたサッカーだけど、顧問が史上最悪だ。こいつさえいなければ史上最高の高校生活なのに。


「オフィーリア、それは愛のムチです。そこまでするには深い理由があるのですよ」

「そうかなあ、あんな時代遅れの脳筋オヤジ、そのうち裁判沙汰になるって……。それから、その『オフィーリア』という呼び方やめてくれよな。市井玲いちい れいって名前があるんだから」

「とても良い名前ですから、呼ばずにはいられないのですよ。ふふふ……」


六月になった。入部してから二カ月。まもなく始まる全国大会予選を前に、鬼顧問の体罰はますます激しくなったが、そのおかげもあり対外試合にもスタメンで出場させてもらえるくらいの実力がついた。さすがに名門校ではないから全国優勝など無理な話だが、まずは県大会で8強を目指せと顧問は僕らにはっぱをかけた。


しかし、次の日の練習も妙に弓道場が気になって仕方がなかった。凛がこっちを見て立っているような気がしてならないのだ。しかし、ちらちらとよそ見をしながらプレイを続けていれば、その様子が鬼顧問の目に入らないわけがなかった。


「おい、市井、ちょっと来いや! 今日もまた集中できてねえな!」「す、すみません、ちょっと、その、あの……」

「お前のその態度、まじめにやってる仲間からしたら裏切りでしかねえぞ、殺すぞ、コラ!」


「殺すぞ」が鬼顧問の口癖だったが、この調子なら本当に人を殺しかねない。よく学校はこんな時代錯誤な暴力教師を放置できたものだ。そんなことを考えながら怖くて目をつぶって立ちすくんでいると体がふわりと持ち上がった。鬼顧問は僕の胸ぐらを両手でつかみ、そのまま上へ持ち上げたのだ。僕の足は宙に浮いていた。恐ろしい力だ。ただ体がバカでかいだけでなく、動きも俊敏でスキがないから逃げようもなかった。


「市井、聞こえてるか? ナメんじゃねえぞコラ。みんな真剣なんだよ」


ひとしきり威嚇の表情を見せつけたあと、ふと鬼顧問の表情が緩んだ。そして、囁くような口調で言った。


「昔な、ハルクホーガンってプロレスラーがいて、ネックハンギングツリーって必殺技を持ってたんだ。苦しいだろ。一回やってみたかったんだ」


命の危機を感じ、思わず助けを呼びたい衝動にかられたが、首が閉まって声が出ない。


「でもな、本当は首に直接手をかけてグワっと持ち上げる技なんだよ。次また同じ態度とってみろ、本気で技をかけてやるからな」


(こんなの指導じゃない、体罰、いや殺人だ……)


徐々に気も遠くなっていく……。そして視界も暗くなっていく……。死ぬのか……。

その時だった。ズサッという音とともに僕のふくらはぎ辺りを風が通り抜けていく感覚があった。


「うわあ!」


顧問の驚く声とともに僕の持ち上げられた体は地面に落とされ、その勢いで尻もちをついた。暗くなっていた視界がパッと開けた。何が起こったのだろうと目を凝らすと、顧問の履いていた黒いジャージの裾を一本の矢が貫通し、地面に突き刺さっていたのだ。微かに血のようなものが矢に付着していた。


「あぶねえじゃねえか、どこ撃ってんだ、弓道部か? どこのどいつだ、バカ野郎! 出て来いやコラー!」


鬼顧問は矢を地面から引っこ抜いて、それが飛んできた方を向いて大声で怒鳴った。

矢が飛んできた方角には弓道場があった。鬼顧問は右手に矢をもって舌打ちしながら弓道場に向かったが、結局その日の練習が終わっても戻ってこなかった。周りの部員たちはさすがに僕に同情したのか、大丈夫かと声をかけてくれた。

しかし矢を放ったのは誰だったのだろう。あの時、確かに凛が弓道場の陰に立っているように感じたけど、まさか凛が教師に向かって矢を放つわけがない。誰の仕業かわからないが、そのおかげで僕は助かった。もしかしたら守護霊の導きなのかもしれない。


「矢は争いを示す汚れた道具。人に矢を放つことを仕向けることなどしません」

「だよね……、守護霊さんが助けてくれたと思ったんだけど、弓道部が偶然ミスったのかな……、または凛かなあ……」

「凛? それは女ですね? 首にアザのある女ではありませんか?」


いつも穏やかに心に語り掛けてくる守護霊だったが、凛の話になった途端に口調が変わった。鬼顧問のことを話したときでさえ冷静沈着だったのに、明らかに様子がいつもと違った。凛の首にアザがあるかはわからないし、気にしたこともなかったが、首のような目立つ場所にアザがあれば割とすぐに気が付くはずだ。


「凛の首にアザなんかないと思うけどね。でも首にアザがある女がどうかしたの?」

「闇の臭いがします……、悪臭……、耐えられない臭い……」

「えっ、まじで、なんすか、それ……?」


淡い恋心を抱いていた凛が闇の住人であるかのように疑われて、僕にとっては不本意だった。自分を否定された気にもなった。

だからこそ、首のアザは確かめる必要がある。


次の日、朝練をさぼった。鬼顧問は朝練には来ないし、もともと部員の出席率も悪いから問題はない。とはいえ、それでもその日は朝練の時と同じ六時に家を出た。なぜなら、凛はいつも朝早く学校に来て、教室で一人本を読んでいるからだ。誰もいない早朝の弓道場で練習をして、他の弓道部の生徒が練習に来る前に切り上げるのが彼女の日課だった。我ながら僕は凛のことをよく観察していた。


「おはよう」


誰もいない静かな教室に入るなり、一人で本を読む凛に声をかけた。


「おはよう」


蚊の鳴くような返事が聞こえた。いつもならこれで会話は終了だが今日は違う。首のアザを確かめる必要があった。でも、僕の手で彼女の長い髪を除けて、首もとをあらわにするなんて変質者の行為だ。当然そんなことはできないから、ちょっとした嘘をついて凛自らの手で髪をどかせようと考えた。


「うわっ、凛、首んとこ虫がいるぞ!」

「え、うそっ?」


凛は驚いて自らの手で彼女の長い髪を払った。


「あっ」


思わず声が出た。守護霊が言う通り、彼女の首の後ろにはアザがあったのだ。そのアザは首のうしろを一文字に横切っていた。


「ち、ちがった、スマン、虫じゃなかった。アザだった」

「アザ? 市井って、私の首のアザが見えるの?」

「いや、誰が見てもアザでしょう?」


凛がおかしなことを言い始めた。まるで彼女と僕以外の人は彼女の首のアザを見えてないような言い草だ。が、いったんそれは置いておいて、守護霊が言うことが事実ならば、アザがあるということは彼女は闇側の人間である証拠である。でも、かと言って、それをこの場で伝えるわけにはいかないし、もちろん、伝えたところで「バカじゃないの」で終わるだろう。


「ところで、市井ってさ……」

「え、な、なに?」


なにか言いたげな凛。今まで僕に興味を示すことなんてなかったから何を言われるのか不自然に身構えてしまった。


「市井の首にも私と同じアザあるんだけど気が付いてる?」


予想だにしないセリフだった。しかも、首のアザは闇の印と聞いていたから不快だった。

 

「はぁー? アザなんてねーし」

「ふーん、気付いてないならいいや。あっち行ってくれる?」

「なんなんだよ、いったい……」


生まれてこの方、首にアザがあることを指摘されたことは一度もなかった。それに、もしもアザがあったら、まず両親が僕にそのことを言うだろう。それより問題は凛の首にアザがあったという事実だ。これで僕の淡い恋心が完全に終わってしまうのかと思ったら、あまりにやるせない気持ちになった。


授業が終わったあと、暗い気持ちのまま夕方の練習に向かった。ところが、この日はいつもと少しだけ鬼顧問の様子が違っていた。僕らがパスやシュートで失敗しても口頭注意のみで、殴る蹴るの体罰をふるったりしなかったのだ。一部の部員のヒソヒソ話が聞こえた。


「体罰をふるうと矢が飛んでくると思ってビビってんじゃね? あはは」


頭の中で鬼顧問が震え上がる絵を想像して気分よくドリブルをしていた時だった。またしても弓道場に凛の気配を感じた。今度はボールから目を離さないように横目で弓道場を見ると、間違いなく視界の片隅に凛の姿が小さく映り込んでいた。


(やっぱり彼女はそこにいたんだ! なぜ? もしかして僕の勇士をこっそりと見物していたのか? )


邪念が湧いたせいか、うっかりドリブルしていたボールを奪われてしまった。すると、今日は一切体罰を振るわなかった鬼顧問が、なぜか僕にだけ思い切り平手打ちをくらわしたのだ。そして昨日のシーンを丸ごと再現するかのように、みんなの前に僕を立たせて説教を垂れはじめた。今日もまたあの絞首刑のようなプロレス技をかけられるのかと思ったら吐き気がしてきた。しかし、やはり今日はいつもと違っていた。


「……、まあ、いい。市井、オレは勝つためにオマエを試合で使うだろう。でも、ちょっと才能があるからって調子に乗るなよ。オレはその根性が気に入らねえんだ。明後日、日曜だが朝6時にグランドに来いや。タイマンで特訓して根性を叩き直してやる。死ぬ覚悟で来いや」

「はい……、わかりました……」


タイマンだなんて田舎のヤンキーじゃあるまいし、大の大人が使う言葉じゃない。でも、なぜ自分にだけ厳しいのだろうと不思議に思っていた謎がやっと解けた。僕が自分の才能にうぬぼれて調子に乗っていたと思っていたようだ。確かに僅か二カ月でレギュラーを奪取した自分にはサッカーの才能があることを確信したけど、それを態度には出していないつもりだった。ただ、ちょっとだけ女子の前で格好つけたかっただけだし、ちょっとだけ女子に目を奪われていただけだし、そんなことは他の部員にだってあることだ。


「愛のムチとは俄かに理解されないものです。あの顧問の男、彼はあなたを救おうとしているのですよ」


優しい守護霊は顧問を擁護しているように思えた。


「まさか、逆でしょ? あいつ暴力教師だよ」

「オフィーリア、あの顧問の男は、首にアザのある女、エナジーバンパイアの気配を察知していて、あなたを救おうとしているのですよ」

「エナジーバンパイア? 凛のこと言ってんの?」

「そうです。これは前世からの因縁。あなたの意識が彼女に向くことで、あなたはエネルギーを奪われる」


信じがたい話だったが、振り返ってみれば確かに、彼女の気配を感じた直後にプレイにミスが出ることは厳然たる事実だった。さらに、守護霊が言うには、小学校そして中学校が同じだったのも、オカルト研究会などという部活に入ったのも凛との前世からの因縁によるものらしいのだ。そこで修行と称し座禅や瞑想をさせて、着実に闇とつながるように仕向けていったのだという。そして最終段階として、彼女に好意を持たせることで彼女の闇のパワーと同調し、僕は闇の中へと本格的に引きずり込まれていくと言うのだ。


「首のアザを知られた彼女は、もはや、なり振り構わずオフィーリアを闇に引き込もうとするでしょう」

「ど、どうすればいいの?」

「冷静に聞いてください。人生には勇気と決断が必要な時もあります」

「は、はい……」

「彼女を殺めなさい」

「えーっ! 無理だよ、なに言ってんだよ!」

「彼女を殺めなさい。それは彼女にとっても良い魂に生まれ変わるためのプロセス。必要なプロセスなのです」


守護霊はいつもの優しい声で僕の心に語り掛けた。これは前世からの因縁で、この因縁を今ここで断ち切らなければ、次の人生も、また次の人生も、彼女も僕も、闇を引きずったまま生きていくことになるらしい。だから、事故を装ってでも彼女を殺すことが急務だと言うのだが、もちろん、そんなことできるはずがない。僕の前世のどの時期に、僕と凛は、そんな悲しい宿命を背負ってしまったというのだろう。守護霊にそれをたずねても、何も答えてはくれなかった。それを知ったら因縁を断ち切ることができないと言うのだ。つまり、理由は言えないが、ただ殺せと言うのだ……。


心に大きな迷いを持ったまま、6月6日の日曜の早朝、猛特訓の日を迎えた。

鬼顧問の理想とする動きができなかった場合は、即座にその場でぶん殴られるという恐ろしい練習だ。さすがに普段の練習でも、そこまで激しい体罰をすることはなかった。まもなく試合だからといって酷すぎる。死ぬ覚悟で来いといっていたが、本当に殺されかねない。素直に練習に向かう自分もバカだった。そして本日10度目の平手打ちでさすがの僕も悲鳴を上げた。顔だって腫れているし、こんな顔で大勢の人が見る試合になど出られるはずがない。地面に手をついて座り、息を切らしながら懇願した。


「先生、すみません、もう限界です。こんなことが続くなら……、部活辞めます……」

「おい、今なんて言った?」


鬼顧問は座り込んでいた僕の方へゆっくりと近づいて、地面についていた僕の手を踏みつけた。


「あ、いててっ、先生、手、手を踏んでます……」


そして、僕の顔を見て笑いながら言った。


「わざと踏んでるんだよ。おい、殺すぞ貴様、今までのオレの指導を無にする気か?」

「殺すぞって、こんなもん指導じゃないっすよ……」

「はぁ? 教師に向かって言う言葉か? オマエ、本気で死にてえようだな。今日が666の獣の日だと知って、ついに死に場所をここに定めてきたか。あの時のようにクビを切り落とされたいか? カッカッカ、愚かな獣、オフィーリア。オマエの首のアザがその証拠だ」

「え? なに? ちょっと意味がわから……」


鬼顧問は僕の胸ぐらをつかんで片手でひょいと起立させた。すると僕の首を両手で絞めて、そのまま体ごと上へ持ち上げた。先日みんなの前で見せしめに披露したプロレス技、ネックハンギングツリーの完全版だ。


「く、くるじい……、助けて……」

「助けてだと? こっちのセリフだ、神を冒涜する獣どもめ」

「い、意味わかんねえし……、狂ってる、マジ狂ってる……」

「狂ってるだと? 狂ってるのはオマエたちだ。邪教の力で世の中を狂わせたのはオマエたち獣どもだ。何度首を切り落としても復活して現れる。キリがねえ汚れた臭い獣ども……」


視界が暗くなっていく。気が遠くなってきた。今度こそいよいよ死ぬのか……。

この前は目の前に生徒たちもいた。ギャラリーの女子たちもいた。でも今日は早朝の日曜だから誰もいやしない。鬼顧問はそれを狙っていたのだ。最初から僕をおびき出して、なにやらよくわからない気味の悪い理由で僕を殺すつもりだったのだ。

 

半ば死を覚悟した時だった、ビュンという素早く風を切る音とともに鬼顧問が奇声を発した。


「うっ、うわぁあーーーーーーーーーーーーー!」


鬼顧問のゴツゴツとした手が僕の首から離れ、この前と同じように僕は地面に落下して尻もちをついた。奇声を発した鬼顧問の二の腕には、この前と同じ矢が深々と突き刺さっていた。力任せに矢を引き抜いた鬼顧問は、それを傍らに投げ捨てて大声で叫んだ。


「また獣の臭いだ! 闇の臭い! 闇の魔女、アイラだな、出て来い臆病な獣どもめ! 愚かな姉妹よ、二人そろって首を落としてやる!」


鬼顧問の発したセリフに驚愕した。ヤツは間違いなく『闇の臭い』と言った。あの優しい守護霊と同じ言葉を口にしたのだ。ということは、鬼顧問と守護霊は仲間だったのだろうか。

ふと弓道場の方を見ると、凛の姿がそこにあった。弓道着を着て弓を持ちながら、ゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。なにやらブツブツと言いながら、弓には次の矢があてがわれた。凛は冷静に弦を引いて狙いを定める。


「凛、やめろ! 人殺しになっちゃうぞ! 逃げろ! そんなことするな!」


ゆっくりこちらへ向かってくる凛の姿に気が付いた鬼顧問は、顔を真っ赤にして猛然と凛に向かって走り出した。再びビュンという音とともに第二の矢が放たれた。その矢は見事に鬼顧問の右太ももに命中し、その瞬間、鬼顧問は足がもつれてドサっという大きな音とともに地面にうつぶせに倒れこんだ。その場で足を抱え、痛みでもがき苦しんでいる。


「市井、先生は悪霊に憑依されてる。本当はとても優しい人なのに……。でも、私の矢に当たって苦しめば目が覚めるから……」

「凛、おまえっていったい……」


はるか昔、世のため人のため、世の中の未来を言い当て、病を治し、人を正しきへ導く者がいた。その者に子が生まれ、それは姉妹だったが、やはり両親の血を受け継ぎ、二人もまた呪術師として世のため人のために生きた。それは次第に庶民の人気を権力者から奪い、時に権力者の地位を脅かすまでになると、やがて魔女狩りという名のもと姉妹は捕らえられて首を切り落とされたのだった。その姉妹の名をアイラとオフィーリアという。


あの日以来、優しい守護霊は僕の心の中から気配を消した。そしてまた、最初に現れた謎の男の声が聞こえ始めた。

本当の守護霊はあれこれ細かく指図するような真似はしない。人生の答えは自らの力で探すよう促すのが真の守護霊なのだと凛は言っていた。魂の発露、それに気づかせる声。それは紛れもなくアイラとオフィーリア、二人の父であり師でもある男の声であった。


時代が変わっても予言者やサイキックはこの地球のどこかに現れて、人知れず世の中のために尽くして死んでいく。それを好まぬ時の権力者の霊が現代もまだ人間に憑りつき、時に心に入り込み、時に憑依して、手を変え品を変えて魔女狩りを繰り返すのだという。


「姉ちゃん、オレ、オカルト研究会に戻って修行するよ。姉ちゃんも一緒に入ろうよ」

「姉ちゃんって言わないで。あっち行ってくれる……?」


しかし凛は「霊は死なない」と言う。いつかまた再び誰かに憑依しては同じことが繰り返されると言うのだ。それが彼女が一日も休むことなく弓道を続けてきた理由で、そして、これからも続けていく理由だそうだ。

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