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 「しゃらくせぇ!」


 BBBは強引に体をねじって、空振った剣をその横薙ぎに合わせた。BBBの体のバランスが崩れ、その体が弾き上がったように見えた。


 千載一遇のチャンスと見て、ジャックがもう一撃、斬り込もうとした───が、今度はBBBの体が消えた。剣を持ったまま片手で後方転回バク転して間合いを取ったのだ。


 「残念だが、おまえにゃこんな避け方はできまい。体技の鍛え方が、お子様向けの剣術道場とは根本から違うんだ。万に一つも勝ち目はないぞ、そろそろおとなしく引き下がったらどうだ」


 「く……まだまだ!」


 恫喝にも耐え、あきらめずBBBに向かって突進するジャック。腕を引き、真正面から渾身の突きを繰り出した。


 しかしそこに、またしてもBBBはいなかった。ジャックの突きを、BBBはさらに鮮やかな体術を見せてかわしたのだ。ひらりと高く跳び上がり、橋の欄干の上に立ったのである。ジャックの突きは、その真下の束柱にがちんと突き当たった。


 衝撃が腕に伝わり、ジャックは思わず剣を手から離してしまった。剣は、石材の目地のひびに突き立ってしまった。抜こうとしてみたが、突きを石にぶち当てた衝撃は骨に響き、しばらくものを握ることができそうにない。


 「これまでだ。今度こそ・・・・、俺の勝ちだな」


 寸分バランスを崩すことなく、欄干の上にすっくと立ち、BBBは上段に大剣を振りかざした。路面にうずくまったジャックからは、月光のもと、剣の切っ先から足下まですらりと伸びる影は、まこと絶望的に見えた。


 ───負けたくない、あきらめたくない、のに……。


 歯がみしたジャックの目の端に、ふと見えたものがあった。束柱から、ぽろりとこぼれた、モルタルのかけら。はっ、と気がついた。


 BBBが躍りかかろうと、足に力を込めた、その瞬間。


 ジャックは、目地に突き立った剣の柄に肩を当て、全身の力を込めて、ぐいとこじり上げた。


 あぁ───剣が目地に突き立ったのは、幸運だった。逆にBBBにとっては、この上ない不運だった。築造されてより数十年経過して、目地のモルタルはすっかり劣化していた。そこに衝撃を受けたからたまらない。


 BBBが足に込めた力も作用して、目地は脆くも砕けた。その上に積まれた石材が、力を加えた方向へ───つまり橋の外側に向かって崩れ落ちる。その石材を足場としていた、BBBもろともに。


 「へ?」


 そのときのBBBの、自分に見舞われた不幸を理解できない間抜けな面構えを、どのように例えようか。少なくとも、ポーカーテーブルに突っ伏したとき以上には、ひどいものだった。


 崩れる石材と同じ方向へ、BBBの足が宙を舞った。しかし顔の位置はそのままだった。その状態で重力に引かれ、しかるに彼は、束柱の残った部分に、顎をしたたかにぶっつけた。歯ががぢんと噛み合わされ、脳天を突き抜ける痛みに白目を剥く、そんな無様な表情をさらしながら、橋から落ちていった。



 ……どぼぉん。



 ジャックは橋の下を見下ろした。湖面は月の照り返しばかりで、ものの形ははっきりとよく見えない。ただ、じゃぶじゃぶ何かがもがいて発されるさざ波があり、その波源が次第に岸へと向かうのが見えた。


 ジャックは、ふわ、とへたり込んだ。


 形はどうあれ、勝ったのだ。




 ……いつまでもへたっていられない。ジャックは剣を鞘に収めると、裏門に向かった。こじ開けるまでもなく、鍵は開いていた。


 塔に入り、螺旋階段を上って、アストリッドが幽閉された部屋へとたどりついた。ここも、鍵ははじめから開いていた。


 扉を開くと、そこには、待ち望んでいた、アストリッドの心からの微笑みがあった。


 「アストリッド」


 「ジャック───来てくれるって、信じてた。カッコよかったよ……」


 どちらからともなく、ふたりはしっかりと抱きしめ合った。


 それから、見つめ合って、顔を近づけて、お互い頬を赤らめながら、窓から射し込む月光のもと、初めてのキスをした。



 「……これから、どうするの? お父さまに、会う?」


 アストリッドの問いに、ジャックは首を横に振った。


 「お父上は、君を奪ってみせろとお触れを出したんだ。だから、一度は奪い去る。もし、君が許してくれるなら───どこか遠くへ、旅をしよう」


 「駆け落ち? 本気なの?」


 「元手はあるんだ。広い世界を見て回りたい。君と、一緒に」


 「あなたが、そう決めたのなら。私はどこまでもついていく」


 「ありがとう……」


 感謝の思いを込めて、もう一度抱きしめようとして、───力が入らずに、ふらふらと膝をついた。今日は、ずっと緊張の糸を張りっぱなしだったから、もとが小心者のジャックには、心身ともにもう限界だった。


 「少しだけ、眠らせて……」


 アストリッドは小さく頷くと、ベッドに腰掛けた。そして、微笑みながら、腿のあたりをぽんぽんと叩いた。誘われるまま、ジャックはその隣に腰掛け、膝を枕にぱたんと倒れ込んだ。


 「お休みなさい、ジャック……」


 アストリッドの手が、ジャックの髪を静かに撫で上げる。その優しい手つきに、とろとろと薄れていく意識の中で、ジャックは思った───運も実力のうちと言うから、今は幸福に酔うとして、ずいぶん運に恵まれた勝利だった。ポーカーのときと同じ……自分が幸運なのか、それとも、……彼がまたバッドビートだったのか。「バッドビートのB」といわれるくらいの、不運の持ち主……しかし、さっきBBBは本名を名乗ってくれたが、イニシャルはBではなかった。なら、彼の「三番目のB」はいったい、何のことなのだろう?


 ……まぁいいや。アストリッドの暖かな膝の上で、ジャックはすぐに幸福な眠りに落ちていった。


 そして夜明け前には、塔にも、そして街のどこにも、ふたりの姿はなかった。

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