- 4 -

 時計の針を戻す。


 その夜は、満月が煌々と輝いていた。湖面の照り返しもまぶしく、夜だのに互いの顔がよく見える。


 ウッドワンド公の屋敷の裏門に通ずる橋の上で、ふたりの男のにらみ合いが始まっていた。


 数時間前には、ポーカーテーブル越しに、多くの観客に囲まれながら同じようににらみ合っていたふたりだ。BBBとジャック・カウフマンである。


 「こりゃあ驚いた。今夜の挑戦者は、おまえさんか。参ったね」


 心底感嘆したBBBとは異なり、ジャックは、自分とアストリッドの間に立ちふさがる敵がBBBだと知っていた。ダニエラの酒場にも、彼の人となりを知るために行ったのだ。話し合いができたら、なんて甘いことも考えていた。……だけどそうじゃないんだ。試されているのは自分なんだ。


 「今度はポーカーじゃねぇ。技と力の勝負だ。運で───運でどうにかなると思ってんなら、やめておけ。とっとと尻尾巻いて逃げちまえ」


 「逃げません。僕はいつも、逃げたり、譲ったりするのが当たり前だと思ってきたけど、こればっかりはダメなんです。ここで向かい合わずに、何もしないで終わったら、絶対僕は後悔する」


 ジャックは、剣を抜いて、ぐっと握りしめて言った。自分は剣術道場上がりの素人同然、相手は鍛え上げられた歴戦の傭兵───BBBからは、まだ構えも取っていないのに、身震いするような威圧感が伝わってくる。


 自然と腰が引けた。かかとが、ずるりと後ろに下がった。───のを、すぐに引き戻した。


 堪えろ。


 ポーカーテーブルでのあのさまを見ただろう。どんなに強そうに見えても、相手はひとりの人間だ。無敵のヒーローなんかじゃない。勝つんだ。勝てるまで、やるんだ。


 ジャックは、大きくひとつ深呼吸をした後、いったん剣を下ろして、塔の高い位置にある窓に向かって、大きな声で呼びかけた。


 「アストリッド。聞こえる?」


 窓辺には、白い何かがゆらゆらしているような気がするが、月光が反射してよくわからない。しかしジャックはかまわず、その窓に向かって語りかけた。


 「アストリッド。僕は、君のことが大好きだ。今までちゃんと言えなくてごめん。……これから、君のことを迎えに行くから。もう少しだけ、待ってて」


 BBBは腰に手を当て、少しうつむき加減に言った。


 「本気なのか。……すると、おまえにゃこいつも、人生賭けた大一番か」


 「これが本当の勝負だと言ったでしょう。でも、だから何だって言うんです? 言葉だけなら何とでも言えます。今までここに来た人たちも、きっと似たような甘い言葉をいくつも並べたんでしょう」


 ジャックは剣を構え直した。少し、肩の力が抜けた気がした。


 「……まぁ、その通りだ。俺はそいつらを通さなかった。俺にとっても、こいつはただの雇われ仕事じゃないからな。お嬢さんから直々に、必ず自分を守ってくださいと頼まれている。いわば騎士ナイトだ。その務めは必ず果たす」


 BBBも、幅広の剣を鞘から抜き払い、数歩前へ進む。


 「名乗れ少年。こういうサシの真剣勝負では、お互い名乗りをあげるもんだ」


 「エッカート・カウフマンの息子、ジェイコブ・カウフマン」


 「リチャード・ジョーンズだ。リッキーでいい。ダニエラのせいで、最近はBBBとしか呼ばれてないがな」


 ───月光に照らされる橋の上。構えて対峙するふたりの間を、一陣の風が吹き抜けた。




 「では」


 ジャックはぐっと手足に力を込めて。


 「参ります」


 剣を後ろに引きながら、BBBに向かって勢いよく走り出す。間合いに入って、ひねりを加えながら、渾身の力を込めて、腕をぐっと突き出した。


 BBBは避けなかった。その突きを腹で受け止めた。ただ、一歩だけ体を引いて、最も力が乗る一瞬は外した。結果、彼の着込んだ鎖帷子と腹筋の力で、剣ははじき返された。


 「いい突きだ。だが、こんなものか。今の一撃が全力なら、俺に勝つのは一生無理だ。……この勝負、俺がもらう!」


 そのまま腕を薙ぎ払う。間一髪、ジャックは後ろに飛び退いた。ごうと風が起こるほどの、猛烈な横薙ぎに、すくみ上がりそうだったが、なんとか体勢を立て直し、再び斬りかかる。


 だが、BBBはジャックの斬り込みを、一合、二合、どれも確実に受け止め、そして力で弾き返した。ジャックの動きはすべて読まれており、BBBの動きはまるで、子犬をあしらって蹴散らしているようにしか見えなかった。実力差は歴然だった。


 それでもどうにか懐に飛び込んでいこうとするジャックを、BBBは力ずくでかち上げ、がら空きになった腹を蹴り飛ばした。


 「弱い!」


 吹っ飛ばされて、尻餅をつくジャック。すかさずBBBの追い打ちが顔の前に降ってくる。ジャックは横にごろごろと無様に転がってそれを避けた。がちんと音を立てて、橋上の石畳に火花が散った。


 「弱くても! 僕は!」


 どうにか立ち上がる。ジャックの息が上がってきた。長くは持たない、と感じていた。対してBBBは平気の平左だ。


 だが、不利な状況に怖じもせず、ジャックは再び死に物狂いで斬りかかった。BBBはぐっと剣を構えてその斬撃を受け、押し返した。ジャックは押し返されてなお、再度その剣を振り下ろしてくる、BBBは冷静にその連撃を受け止め───そこにジャックはいなかった。


 ジャックは剣を引き戻していた。フェイントを入れたのだ。合わせて受けようとしたBBBの剣が空振り、体がわずかにバランスを崩した。ジャックの体が今度こそBBBの懐に潜り込む。剣を引き戻した勢いで体を回転させて、斬撃に遠心力を乗せて横薙ぎで斬りかかった。


 「───最後までこの勝負を下りない!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る