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 ───ジャックとアストリッドが街を去ったのと、ほぼ同時刻。東の空が、白々と明るむ頃……。


 ダニエラの店の入り口には閉店の札がかかり、静まりかえっていた。だが、店の奥には灯りが点り、ポーカーテーブルの隣の卓を、三人の男が囲んでいた。正確には、ふたりの壮年の男が、ひとりの濡れそぼった金髪の若い男と、向かい合うように席に着いている。


 金髪の男は、むろんBBBである。


 砂漠地帯のスタッカローは、夜は一気に冷え込む。彼は、湖から這々ほうほうていで上がり、濡れたままの体を引きずって、がたがた震えながら月夜の下を歩いた。どうにかこの店までたどり着いた頃には、体の芯まで冷え切っていた。それでいて、したたかぶつけた顎と、ジャックの最初の突きを受けた鳩尾のあたりは、しんしんと熱を持って痛むのだった。


 服は着替えたものの、髪が完全に乾くまでにはもうしばらく時間がかかりそうで、彼は大きく身震いをしてから、ぶわっくしょいとくしゃみをした。


 そして、そのくしゃみから身を避けるようにした、ふたりの壮年男性は───ひとりはウッドワンド公、もうひとりは、エッカート・カウフマンつまりジャックの父であった。


 カウフマン氏が、ウッドワンド公とBBBに深々と頭を下げた。


 「こたびは、うちの不肖の息子がご迷惑をおかけしました」


 公が、いやいや、と手を振った。


 「けしかけたのはこちらです。お気になさらず。……うまくいって、何よりでした」


 「彼らは、結局───」


 「夜行の駅馬車の荷台に潜んで街を出て行ったと、衛兵から知らせがありました。こっそり隠れたつもりのようですが、丸わかりだったとか」


 「駆け落ちとは、大それたことを……」


 「かまいません。彼にそういう大それたことができるかどうかを、私たちは試そうとしていたのでしょう?」


 「それは、そうですが。……彼らはいつ帰ってくるでしょう」


 「まだ子供です。手持ちの金が尽きたら帰ってきて頭を下げるでしょう。そのときは、……ひととおり叱った後は、困難に立ち向かい、愛する者を自らの力で手に入れた事実を認めて、我が息子となる人間として、向かい合うことにしましょう」


 ふたりの親は、固く握手を交わした。




 ───それから彼らは、BBBに向き直った。姻戚となる喜びに満ちあふれるふたりと対照に、BBBは実に不景気な面構えで、相変わらずがたがた震えていた。


 「それにしても、BBB殿。お見事な負けっぷり。うちのジャックの腕前で、まさか歴戦の傭兵に勝てるとは。まったく、ダニエラ殿から仔細を聞いたときは、何の冗談かと思いましたが、……感服しました」


 「腕前だけなら国いちばんであろう剣豪だのに、ここ一番の大勝負というときだけはからっきし。どんなに優勢に勝負を進めていても、まるで悪魔に取りつかれたかのように、信じがたい不運に見舞われて必ず負けてしまう。無冠の帝王とはよく言ったもの───本当にあれは、わざと負けたのではないんですね?」


 「るせぇ! るせぇるせぇるせぇ、チクショウめ!」


 子供のようにばんばんと卓を叩いて嘆くBBBに代わり、───ダニエラが卓のそばに現れて、言った。酒の盆と、毛布、それから、中からちゃりちゃり金属音のする革袋を持って。


 「その通りです。私、この人のこと、子供の頃から知ってますけど、ここぞというところでは、何やらせてもダメなんですよ」


 彼女は盆と革袋を卓に下ろすと、先に、BBBの肩に毛布をかけた。


 「お疲れ様。ありがとうね、いろいろ」


 BBBの態度には感謝はなかった。恨めしそうに、ダニエラを見上げた。


 「おまえ、全部知ってたのか」


 「えぇ、そうよ。───ジャック君がゆうべここに来たのは、予想外だったけど」


 「仕掛け人も、おまえか」


 「それは、私じゃないわ」


 酒瓶とガラスのジョッキを手際よく卓に並べながら、ダニエラはふたりの親に説明を始めた。


 「───頭もいいし、ガタイはこの通りだし、普段は何をやらせても天才的にこなすんです。かっこいい人なんですよ、スーパーヒーローになってもおかしくないくらい。……なのに、現実はこの通り。彼はなぜか、肝心なところでバッドビートを引く。必ず、ね」


 盆には、酒瓶の傍らに、湯の入ったポットも用意されていた。ダニエラはガラスのジョッキに琥珀色の酒を注いだ後、それに湯を注ぎ、マドラーで軽くかき混ぜた。


 「賭け事は負ける、試験は落ちる、女には振られる。傭兵になっても戦果を挙げられないどころか殺されかけるし、立身出世を願って剣術の大会へ繰り出せば、ド素人を相手にまぐれ勝ちを決められる、増えていくのは傷痕ばかり。それはもう、本番に弱いとか、大舞台だと緊張するとか、そんな領域を超えて、超能力、あるいは───呪いというしかないくらいに」


 準備のできたジョッキを、彼女はBBBに差し出した。


 「はい、あったまって。───お二方はどうします? ストレートでいいですか、湯で割りますか」


 ダニエラがふたりの要人に尋ねる間に、乾杯も礼儀もなく、BBBはお湯割りをがぶがぶと飲み始めた。くそ、くそ、と悪態をついて、唇の端をひん曲げながら。


 「……今宵は冷える。湯で割っていただきましょうか」


 「私も、それで」


 ダニエラは、さらに二つのガラスジョッキを並べて酒を注ぎ始めた。


 「ゆうべ、彼とジャック君がここで勝負したときもそうでした。ポーカーは、ストレートフラッシュで勝つより、フォーカードで負ける方が難しいんです。まして、まして、確定したキングのフォーカードに突っかかって勝つなんて、私の経験では、これまでひとりもいませんでした。ジャック君は負けるはずだったんです───でも、BBBの呪いは、それすら覆しました」


 湯を注ぎ、かき混ぜる。灯りの下で、琥珀色がマーブル模様を描く。


 「……逆に言えば、彼に対してだけは、どんなに実力がない人でも、くじけず挑めば、奇跡が起きて勝てるんです。弱虫の男の子の勇気を試し、自信をつけさせるにはうってつけ。……てことを、私は、アストリッドに・・・・・・・教えてあげたのよ」


 「マジかよ」BBBははっと顔を上げた。「おまえ、あのお嬢さんと知り合いか」


 「恋の相談をしてもらえるくらいには、ね。言ったでしょ、私、顔が広いのよ」


 「じゃあ、仕掛け人はあの娘か」がっくりと肩を落とすBBB。「小心者の彼氏の肝っ玉を試し、ケツをひっぱたくためだけに、親公認であんな芝居を打ったってのか」


 準備が整い、ダニエラはウッドワンド公とカウフマン氏にジョッキを差し出した。ふたりはありがたく受け取り、温かい酒に口をつけた。


 ……ちびりちびり飲みながら、ウッドワンド公が言った。


 「その通りです。私がジャック君を怒鳴りつけたあの日───恥ずかしながら、娘にこっぴどく叱られましたよ。『私は、私を愛してくれる人にそばにいてもらいたいのです。お父さまの後継者を探しているのではない』、とね。そして『ジャックの度量は、お父さまの期待に足りると私は信じています。ただ、歩む方向と速度が、少しばかり望ましくないだけです。お疑いなら、確かめてみますか。その歩みを正す策を、私は持っています』と……。翌日には、今回のお触れの下書きを書き上げていましたよ」


 カウフマン氏も酒をぐびりとやった。


 「我が息子のことながら、愛情と信頼があればこそできた企みでしょう。まったく、息子は果報者だ。……あの性格からして、臆病が克服されれば、今度は暴勇が行き過ぎてしまいそうですが、お嬢さんが一緒なら、うまく手綱を取ってくれることでしょう」


 「……聞けば聞くほど、末恐ろしいぜ」


 BBBは、ジョッキの把手を固く握りながらうめいた。


 「あのお嬢さん、俺には『どうぞ私を衛ってください』って、頭を下げたんだぜ。俺ァ『命に替えても』なんてカッコつけちゃったんだぜ? 今日あいつが来るまで、自分が正義の騎士だって信じて疑ってなかった」


 「そう信じさせろって、私がアドバイスしたのよ。あなた自身が本気になってないと、意味がないでしょ?」


 「今度こそ、俺が勝つパターンだと思ったのに……」


 一気にあおったジョッキを卓に叩きつけて、BBBはまくしたてた。


 「俺はな! お嬢さんを守り抜いて! そしたらお嬢さんが顔赤らめたりなんかしちゃったりして! 『俺に惚れちゃあいけねぇぜ』とか言ったりなんかしちゃったりして! そーゆーのが! そーゆーのが! やれると思ってたの!」


 「はいはい、どうどう。……ま、そういうこと考えているうちは、あんたの呪いはきっとそのままだわ。……BBB、お代わりする?」


 「ちくしょう、よこせ。……今度はストレートでいい。なみなみとだ」


 ───BBBはテーブルに突っ伏して、毛布にくるまったふてくされた顔だけ前に突き出した。そして、空のジョッキをダニエラに押しつけたのだった。

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