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ダニエラがカードを繰り、
♣の
BBBが無精ひげをぞろりとなぜた。唇の端ににっと笑みを浮かべて、100のチップを前に押しやった。
ジャックはしばらく悩んでいた。もみあげのあたりを汗がつるりと流れ落ちた。彼は悩んで、悩んで、悩んだ末に、唇の端をぐっと噛みしめて、その倍額を積み上げて、前に押しやった。「レイズ、200」
BBBは意外そうな顔をした。だが、ふんと鼻を鳴らすと、手元のチップをがっつりつかみ取って、どうだとばかりに投げ出した。「レイズ、1000」
ジャックは、今度はほとんど間を置かなかった。ぐいとチップを押し出した。BBBを見る視線が鋭くなっていた。「レイズ、2000」
今度はBBBにしばしの躊躇があった。やがてわずかに表情を歪めた後、勢い込んですべてのチップをまとめて前に押しやった。「オールイン」
ジャックは勝負を受けた。どこかさっぱりと吹っ切れた様子で、彼もまた勢いよくチップを押し出した。「オールイン!」
おぉ、と、周囲からどよめきがあがった。
この場合、ゲームを進める前に、ふたりは手札を開くことになる。
BBBは、腕を振り上げ、手札を場に叩きつけた。彼の手札は♠K、♢Kであった───共通札と合わせ、
ジャックはそれを見て、ぐっと唇をかみしめた。かすかに震える手で、ゆっくりと手札を開いた。♠の3と4だった。今の段階では、何の役も成立していない。
共通札の♠の2、5と合わせ、ここで♠の札が出れば、フラッシュが成立する。だがそれではフォーカードには勝てない。
ただし、♠のAか6であれば───ストレートフラッシュだ。ジャックの逆転勝ちとなる。
ダニエラは、
熱気に満ちていたはずの店内が、今は凍り付く緊迫感に包まれる中、ダニエラのつややかな指が躍り、リバーのカードが羅紗の上を滑った。そしておもむろに、表に返される。
♠の6であった。
ダニエラは、すべてのチップをジャックの手元に押しやった。
めったに見られぬ大逆転劇に、周囲からどっと歓声があがった。
ジャックは目を大きく見開いて、ふはぁ、と大きく息をついた。
そしてBBBは、その爽やかな顔立ちが一変し、卓に顎がぶつかる勢いであんぐりと口を開け───本当に顎をぶつけて突っ伏した。
酔客どもはジャックをもみくちゃにして褒めそやした。我がことのように凱歌を挙げ、酒を飲めぬジャックの代わりに、なみなみエールを注がれた陶のジョッキを打ち鳴らし、自分たちだけで勝手に祝杯を挙げた。
そんな中、またひそひそ話を始める酔客もあった。
───とんでもねぇバッドビートだ……。
───バッドビートって?
───今のBBBみたいなことさ、いい手を作って負けちまうことをいうんだ。フォーカードができあがってるのに、リバーでストレートフラッシュが完成してひっくり返されるとは、BBBって奴ぁ、肝心要のところでツキに見放されたもんだな。
───もしかすると、BBBっていうのは、「バッドビートのB」、ってことじゃないのか。
───ははは、まさかな。だいいちそれなら、最後のBはなんなんだよ。
───さぁ。イニシャルとか。
ダニエラは、しばらく彼らの騒ぎを見守っていたが、やがて勝負の余韻に浸る時間はすんだと判断して、ぱんぱんぱんと手を叩いた。
「はい、今日はこれでお開き! 店ももう閉めるから、ちゃっちゃと勘定を払って出てってちょうだい!」
その声を合図に、店の雇われウェイトレスたちが手際よく閉店の準備を始めた。食器を下げて洗い物をし、テーブルや椅子をかたしてモップがけをし、あるいは酔客どもをなだめすかしあまえおどして財布から勘定をもぎとると、容赦なく店外へ蹴り出していった。
やがて店内には、奥のポーカーテーブルに、ダニエラとジャック、そして魂が抜けたごとくにテーブルに突っ伏したままのBBBだけが残った。
まだ顔を上気させているジャックに、ダニエラは大きな革袋を差し出した。ずっしりと重く、中には金がぎっしりと詰まっていた。
「チップを換金したわ。あなたの勝ち分よ、受け取りなさい、ジャック・カウフマン」
「ありがとうございます、……なぜ僕の名を」
「この町で商売してるんですもの、お父上は存じ上げてるわ。けっこう顔が広いのよ、私。───それより」ダニエラは、ジャックに厳しい視線を投げかけて言った。「おめでとう、と言いたいところだけど……どうして、ここに来たの」
「来ちゃ、いけませんか」
「ここは、あなたのような子供の来る場所じゃないわ」
「もう、子供じゃないです」
「子供じゃないなら、あんなばくちを打たないことね。♠の6が出たからいいけど、ほんとうに運がよかっただけ───確率から言えば、とても危ない勝負だったわ。手札が3と4だったら、
「いいんです」ジャックはその言葉を遮って、真剣な視線を投げ返した。「危ない勝負を、したかったんです。何もせずに終わるのだけは、嫌だったんです」
「あらまぁ」ダニエラは目を丸くして嘆じた。「そんな小さなプライドのために、大金を投げ捨てようとしてただなんて。いずれ痛い目を見ることになるわ、覚えておきなさい」
「痛い目を見ようともしない臆病者であるよりは、マシなんだと思います」
あきれた、と両手を広げたダニエラの代わりに、机に突っ伏したままで、BBBが言った。
「いいんじゃねぇの。俺は好きだぜ、そういうの」
ジャックに話しかけるようでいて、相手の目は見ないで、まるで独り言のようだった。
「なぁ少年。ダニエラは小さなプライドだとか言ったが、おまえにゃこいつは、たかがばくちじゃなかったのか。人生賭けた大一番、そんなもんだったか?」
「……はい」
「……そうか。そういうもんだったか。なら、負けても、しかたねぇの、かなァ」
やれやれ、とうめいて、まだ突っ伏したままでいるBBBを、ダニエラが引きずり起こした。腰に手を当て、母親が子供をたしなめるように言う。
「ほら、しゃんとしなさい! あなたもあなたよ、負けてもしかたないなんて後悔するくらいなら、子供相手にオールインの大勝負なんて大人げないこと、しなければよかったでしょう。負けたのは自業自得よ、BBB」
「子供相手だろうと、勝負は勝負だろうがよ。俺はいつだって全力だ、手を抜いたことなんてねぇよ。ただ、勝負に対する心意気が違うんなら、納得しなきゃいけねぇ、って自分に言い聞かせてるだけだ」
起こされたBBBは、今度は椅子の背にだらんとだらしなくもたれかかって、ダニエラに反駁した。
「だいたい何にしてもよ、勝とうとしなきゃ勝てねぇはずなんだ。リスクを冒して勝ちを獲りにいく、そういう気持ちが強い方が最後には勝つんだ。世界ってなぁ、そういうふうにできてなくちゃいけないって、俺はそう信じてるんだよ」
ダニエラは即答した。
「ことポーカーに限っては、真逆よ。勝とうとすれば負けるのよ。私は、世界がそういうふうにできてるって思ってる」
「女はロマンがなくてイヤだねぇ」
BBBは姿勢を正すと、ふはぁと大きく息をついて立ち上がり、椅子の下から荷物を持ち上げた。大剣が、ガチャリと音を立てた。
「どうだい少年、男同士、ちょっとよそで飲んでかねぇか。ていうか、俺は今のですかんぴんだ。一杯おごれ」
ダニエラが、すかさず遮った。
「子供に酒を勧めないの。だいいちあんた、これから仕事があるんじゃないの?」
「うるせぇ、好きにさせろ」
……だが、荷物をまとめて立ち上がったのはジャックも同じだった。金袋をつかんでザックに納め、彼は丁寧に頭を下げて誘いを断った。
「すみません、ご遠慮します。僕には、これからだいじな用事があるんです。本当の勝負は、これからなんです。───もう、行かなくちゃ」
「そうか。なら、しかたねぇな」
BBBとジャックは、並んで店を出た。まるで体格の違うふたりだが、並んでいると、ダニエラにはどこか雰囲気が似て見えた。……どっちも子供ってことかな、男って、そんなもんかしら。
「次は負けねぇぞ、この野郎。どんな勝負であってもだ」
「はい。……わかってます。またいずれ」
そしてふたりは、逆方向へと歩き出していった。
ダニエラはひとつため息をついて、夜の闇へと消えていくふたりを見送った。
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