死写体の賀楽

幸田跳丸

第1話 昭和二十八年十一月二十三日

 昭和二十八年。



 戦後の復興に忙しなく努めた日本再興の日々。これまでの時代からの脱却に奔放した革変の時代を秘めた人々は、新時代への希望と不安に揺れながら懸命に地を固めて立ち上がろうとしていた。



 必至に生きる新時代でもまだ人は死ぬ。



 僕は必至に生きなくても直ぐに死ぬ。



「賀楽さん。口を少しだけ、艶っぽく薄く開けて、ああ、そうだよ。彼方を見つめるような眼差しをね」



 カメラのファインダーに僕を映して、僕を通して捉えた死を撮影していく男性、落合善太郎おちあいぜんたろうもまた僕と同じように死に憑かれている哀れな人間だ。



 僕は間もなく死ぬ。それがいつの事かはわからない。でも確実に僕の身体に巣くう病魔は僕を侵し続けている。



 彼は戦地で多くの死を、親しい者達を目の前で失ってから死に魅了され、終戦後も都合の良い死を求めて彷徨ってカメラをこのように構えていたそうだ。



「よし。今日はここまでにするとしようか。お疲れ様、賀楽さん。いや、いつ見ても惚れ惚れとする容姿だね」



 カメラを片付けながら生気の宿らない笑顔で、目尻に欠けて緩やかに垂れた黒々とした眼で僕をジッと見つめる。



「いつもの事なんですけど、遺体が遺棄されていた場所に寝転がるというのはどうも心地良いものではないです」

「そりゃあそうだよ。三日前までそこに仏さんが転がっていたんだ。血の飛び散り具合からも、随分と恨み辛みを被害者に抱いていたそうだし。怨嗟をまき散らす加害者、生死の狭間に困惑しながら殺されていく被害者。双方の死念しねんがまだ滞留しているこの場所は撮影に好条件だ」



 この廃屋で三日前に遺体が発見された。殺されたのは此処ら辺で街娼をしていた三十代の女。こんな廃屋に連れ込まれたあげくに殺されたとはいうけど、街娼相手に恨み辛みを持つような人物がいるのだろうか。たとえば行為中に何か男にとって、それも激情を煽るような発言をした、ともなればまあ納得はできなくもないとは思う。



 被害者はいまの僕のように四肢を投げ出して壁にもたれかかっていたようで、背中を預ける壁にはベッタリと血痕が残っている。善太郎さんの調べによれば、首筋を深くバッサリと切られたあげく、後頭部を何度も頭蓋が割れるまで背後の壁に叩き付けられていたそうだ。



 こんな罰当たりといえばそうだし、怖い物知らずと言えばそれまでの、キチガイじみた行為さつえいをしている僕達は死者を再現する写真屋。被写体ならぬ死写体。死を演じ撮影してそれを売りさばく、人様仏様にとうてい誇れるような仕事でないのは確かだけれど、どうしてかこういった趣味嗜好を持つ人間というのも少なからず存在しており、こぞって買い手が店に雪崩れ込むというのもどうかと思う。



「キミの恵まれた容姿と特異な身体に、俺は食わせてもらっているから感謝しているんだよ」



 投げ出された青白く細い四肢に力を込めてフラフラと立ち上がり、ガラスに反射した自分の容姿を見て鬱々とした息を吐いた。



 生気の無い青白い肌に均等に配された大きな目や高い鼻梁。薄く小さな口や笑んだときの笑窪などが人心の欲情を掻き立て、道行けば男女問わずに誰彼が振り返る少女顔。しかし僕は女でも男でも無いといえるし、女でも男でもあるという奇怪な身体で母胎から産まれた。



 そんな僕の誕生をいったい何人が祝福してくれたことだろう。物心ついた頃にはもう両親からは愛は注がれないと言うことを知った。



 僕は何かしらの病気を患っているらしく、未だにその治療法も医学の先進国でさえ見つけられていないとのこと。そんな僕を建前で案じた父母が病院に入院させる手続きを勝手に進めた。一言の相談もなかった彼等には育てて貰った恩を仇で返すことになるのを承知で、山奥の隔離病棟を抜け出して電車を乗り継ぎ東京の中野区にまでやってきた。



 善太郎さんとの出会いもちょうどその頃だった。



 たまたま治安の悪い地区を歩いていたのは寝床を探していての事。路地の隙間から男達の無数の手が着物を掴むと強引にその場に組み敷き、荒々しく臭気を含んだ生温かな吐息とネットリとした唾液を顔や首筋に浴びせられ剥かれながらも、細腕の僕に抵抗の術もなく、いよいよ観念し始めた辺りで暴漢の一人が苦悶の声を上げたのだ。



 小汚い平屋が並ぶ民家の明かりで逆光になっていたその人物は、飄々とした口ぶりで男達を挑発したかと思うと、その細身や態度からは想像も付かない身のこなし。繰り出された拳撃や蹴撃で見事そいつらを昏倒させた。



「キミ、今にも死にそうだね。その死を纏わせる雰囲気が気に入った。助けられた恩返しと思って、助手をしてくれないか。なぁに、写真のモデル……、ああ、そう、死写体になってもらいたいんだ」



 死写体という聞いたことのない言葉に聞き返すと、「生者が死者を演じて、私がコイツで撮影する。今までは風景の他に趣味で死体を撮影していたんだけど、キミを見て新しい方向性を今定めた」手を差し出す彼に僕は縋るように手を同じように伸ばしていた。



 これが二ヶ月ほど前の善太郎さんとの出会い。



 給金も悪くない。仕事も僕に適している。なにより彼は僕を男でも女でもない、ただの坂下さかした賀楽がらくとして見てくれるのが一番嬉しかった。まあ、ただたんに彼は生者に興味が無いだけという事を知ったのもここ最近の事。



 死に魅せられた者と死へ歩む者。



 運命的な出会いと言えばそうなのだろうけど、どうにも浪漫が欠如している出会いであるのは少々笑えるところ。



「さっそく中野の店に持って帰って製品に仕上げなくては。キミを応援し、新作を心待ちにしているファンは多いからね」



 こういう経緯があっていま僕は死写体として活動し、喜ばしいことに多くの買い手を抱え込んでいる状況になっている。



 巷では『死者在る処に写命館しゃめいかんの賀楽あり』なんて謳い文句が広がっているそうだ。



 最後に遺体の現場に手を合わせてから急いで今にも倒壊してしまいそうな廃屋を出て、十七型ダットサンに乗り込み黄昏時の道を進んで中野町へ。

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