第7話 取引 

(影)


「林間学校の後、ひばりはどう変わったのですか?」

 私は前のめりになってしまう。谷川先生は対照的にペースを崩さない。

「それまで、私に誤診だのヤブ先生だの言っていた態度が急に変化した。入院を断り続けていた彼女が夏休みに入った頃、急に入院すると言った時は驚いたね」

「てっきり予定入院だと思っていました」

「夏休みの間、彼女は入院していた。先生と会う時以外は、外出もしなかった。心臓に負担をかけたくなかったのだろうね。診察に行く度に聞かれるのだよ。寿命は何日延びた?ってね」

「そんな、生活を送っていたなんて。ひばりの言葉を真に受けて見舞いに行かなかった」

「それで良かったのじゃないかな。実際、彼女は先生と面会する時間はなかった。心臓を休める代わりに脳を酷使していた」

「どんな事に脳を使っていたのですか?」

 谷川先生に、私は質問しつつ既に答えは分っている。

「私には、『材料を集めて彼と二人の幸せを探すの』とだけ教えてくれた。そして、彼も材料を集めていてくれると言っていたよ」

「私は、一人で先走ろうとして彼女に怒られました」

 私は頭を掻きながら思い出す。

「材料集め以外は、受験生のように一日中全て勉強していたよ。不思議に思い彼女に聞くと『今度の期末テストでは全教科で彼に勝って驚かせるの。楽しみ』と言っていたよ」

 谷川先生の言葉に紅里は、

「ひばりは負けると勝つまで努力するのよ。本当に楽しそうに。不思議でしょ」

「入院生活も楽しそうでしたよ。谷川先生は脳を酷使していたと言いますけど、本当に楽しそうに生活していました。他の患者とも仲良くしていましたし、スタッフにも色々恋愛から勉強まで相談していたようですよ。あと、手紙を何回も書き直していたわ」

 井上看護師長は、入院生活の様子を教えてくれた。

「そう、楽しそうにしていた。でもその裏には、努力を対価として命の時間を稼ぐために誰かと取引をしているようにも見えた。例え、一分、一秒でもと」


(光)


 九月も下旬となるが、秋の気配は微かにしか感じられない。

 夏休み明けからは、ひばりの登下校は両親が車で送迎するようになった。ひばりの提案で、ちゃっかり私も便乗させてもらっている。ひばりの両親の都合がつかない時は、私の両親が代わりに乗せていってくれる。表向きは病状の悪化ではなく、少しでも心臓の負担を減らすためとなっている。しかし、夏休み前に比べて密かに病勢が悪化しているのではないかと不安な日々を過ごしている。

 ひばりと出かける前日、両親にその事を伝えることにした。今までは両親に話すことはなかったが、心のどこかで夏休みでの出来事が気になっている。

「明日、ひばりと会うよ」

 リビングで読書をしていた両親は、顔を上げると少し目を見開き、驚いたような様子を垣間見せるが、すぐに固い表情へと変わる。

「大事にしなさい。彼女の両親から話は聞いた。お母さんもそれで良いな」

「ええ。彼女の体調を一番にね。あとは二人の責任です」

 母親の口から出た『責任』という言葉に筋肉が一瞬にして緊張する。我が家で責任という言葉が出る時は注意を要する。自己責任を果たせない時は、容赦なく大切なものでも取り上げられるからだ。

「わかった」

 返事をして部屋から出ていこうとすると、父親が呼び止める。

「全力で突き進め。後悔する者は全力でやらなかった人間と、己で道を決めなかった人間だ。どんな結末でも、やり遂げた二人には後悔は生じない。それだけだ」

「わかった」

 再び返事をすると自分の部屋に戻り、早めに寝ることにした。


 約束の昼過ぎに到着するが玄関の外には姿は見えないので玄関のインターホンを鳴らす。

「はい」

 ドアが開くと、ひばりの母親が出てきた。流石にひばりの両親の顔は覚えた。

「あら、いらっしゃい。どうぞ、上がって。私たちは、もう少ししたら出かけるから、ゆっくりしていってね」

 ひばりの母親に促されて家に上がると、人懐っこいヨークシャーテリアが尻尾をブンブンと振って近寄ってくる。ひばりの母親に案内されてリビングへ通されると、ひばりと父親はソファーに座っていた。

「いらっしゃい。良く来てくれたね」

 父親に歓迎されつつソファーに座る。夏休みの納屋での表情とは打って変わり、柔和な表情で歓迎してくれている気がする。対照的にひばりの表情は硬く、何となくいつもと違う感じがする。

「君に伝えたいことがあってね」

「だから、その話はもういいって」

 父親が何かを話そうとすると、ひばりは声を荒げて止めている。

「話をした方がいいよ。その方が得策だと思わない?」

 何があったのかは知ることはできないが、ひばりを諭す。昨夜の両親との話から推測すると無茶なことは言われないだろう。

「君は賢いな。その方が良い」

 父親が、そう言う横で、ひばりはフグのように膨れている。

「端的に話す。君の両親と話し合った。私たちは二人の仲を認める。ただし、責任ある行動をとってほしい」

「初めからそのつもりです」

「そこで、お願いがある。二人が高校以外で会う時は、事前に教えてほしい。それさえ守ってもらえれば、ひばりの心臓に異変が起きても二人に責任を問わない」

「だから、お父さん。デートの予定を言う女子高生がどこにいるのよ」

「分かりました。必ず報告します」

 ますます膨れ上がるひばりの頬を横目にしつつ、勝手に答えてしまう。すると不満の矛先は当然の事ながら私に向いてきた。

「なんで、こんな時だけ素直になっているの? 自立しないと駄目でしょ?」

「これは、自立の問題とは異なると思うよ。認めてもらっているのだから、隠れる必要はないと思う。分かったね」

「はい。貴方の意見を尊重します」

 ひばりに諭すと、ひばりは渋々ながら答えている。納得はしていないようであるが約束は守るであろう。

「賢明な判断だ。私たちは出かけるから、ゆっくりしていって下さい」

 父親が席を立ち歩き始めると、母親も続いて後を追っていく。部屋を出る間際に母親が振り向く。

「私たちが居なくても、いつでも家に来てひばりの相手をしてくださいね。それで良いでしょ。お父さん」

 廊下で背中を向けたまま、父親は手を上げると

「構わんよ」

「じゃあ、出かけるからね」

 そう言うと、ひばりの両親は出かけて行ってしまう。

「それで、今日の予定を教えてくれるかな」

 私は、未だに今日の予定を教えられていない。

「今日は、夜遊びをします。そして私たちも、間もなく出発です」

 いつも通り、予告もなしに悪戯っ子が出現した。


 ひばりの家を出て岐阜駅に向かう。間もなく十月になるのに昼間は暑さを感じさせる。バスを降りて歩き始めると汗がじんわりと滲み出てくる。恒例行事となった信長像へのお参りは欠かさない。そして、停留所に戻ると再びバスに乗り長良橋で降りた。時刻は午後五時過ぎである。

「鵜飼いでも見るつもり? 随分早いけど」

 本日の予定は、未だに開示されていない。

「正解。ここに来て正解できないと岐阜市民ではないよね。そう言う私は、鵜飼い船に乗ったことないんだけど」

「私も乗ったことないよ」

 毎年の事ながら、九月にもなると徐々に観光客は減ってくる。長良川の鵜飼は、千三百年の歴史ある伝統と中学の時に調べた事がある。

「行くよ」

 鵜飼事務所の方へ、ひばりは歩き出す。

「待ってよ。どこ行くの」

 ひばりの背中に声をかける。河畔からは見たことはあるが、私も乗船したことはない。

「鵜飼事務所。船に乗るよ」

「聞いてないよ。最初に全て話をして。今、言ったは禁止」

 ひばりに言うと。ひばりは、悪戯っ子の顔で振り返り、

「やめないよ。貴方の反応が面白いから」

 と歩みを止めることなく返事をしている。毎回の事ではあるが提案ではなく決定事項の伝達ばかりでは対応に困ってしまう。鵜飼事務所に到着すると乗船手続きを行う。どうやら、ひばりは、事前に予約をしていたようで、手続きはスムーズに進んだ。


 午後五時四十五分になると、鵜匠による鵜飼説明が始まり、順番に乗船し出航する。じわじわと汗が染み出る地上と異なり、川面を涼し気な風が吹き抜けている。先ほどまでの暑さにやっと一息入れられる。船内を見渡すと、銘々にお弁当を広げて食事を始めている。他の乗船客が広げるお弁当の香りに私の食欲も刺激を受け、胃が食事を要求する。

「お腹すいたね。何か買ってこれば良かったね」

 ひばりに、ぽそっと漏らす。今日も予定すら教えられていなかったので、お茶しか持ってきていない。今度ひばりと出かけるときは、必ずお菓子を持ってこようと決意する。

「甘い、甘い。私を誰だと思っている? じゃ~~ ん」

 ひばりは、リュックの中からお弁当を自慢げに出す。そりゃ、ひばりは予定を知っているから準備できるわなと思いつつ、

「準備していたんだ」

 ひばりを喜ばせるために驚いて見せる。

「もっと、驚いてくれる? 家族以外で手料理を食べてもらうのは、初めてなのに」

 どうやら私の薄いリアクションでは、ご満足いただけなかったようである。

「兎に角、お腹すいちゃった。食べよう」

 私の胃袋は既に受け入れ態勢を完了させ、早く、早くと急かしている。

「凄い。これ本当に作ったの?」

「当たり前でしょ。一人で作ったのだから」

 ひばりの自信作のようだ。中には鮎の塩焼き・大根と人参、厚揚げの煮物、出汁巻き卵・ヒジキ煮・ほうれん草のおひたし等が入っている。見た目からして素晴らしい。思わず買ってきたのでは? と疑いを持ってしまう。ひばりが、こんなに料理が上手とは思ってもいなかった。本当に何でもできると尊敬する。

「美味しそうだね。食べてもいい?」

「どうぞ、召し上がれ」

 その言葉で、鮎の塩焼きから食べ始める。お腹はペコペコだ。

「美味しい。これ、本当に美味しいよ」

 食べた瞬間、思わず笑みがこぼれる。ひばりは、自分のお弁当に箸を付けつつも、隣の老夫婦と会話している。

「本当に作ったの? あんた、良い嫁さんになるよ」

 お爺さんは、ビールを飲みながら褒めている。

「彼のお嫁さんになれたら良いな……」

 ひばりは顔を赤くしながら、とんでもないことを言っているが、私はどう反応すべきか思わず考えこんでしまう。ひばりも同じはずなのに、その気配すら感じさせないのは流石だ。

「分かった!」

 煮物を頬張りながら、少々大きな声が出てしまうと、ひばりと老夫婦は、一斉に私の方に振り向いた。

「このお弁当作っていたから、お父さんに見つかったんだ。あと、この煮物も美味しいよ」

「正解。こんな日に限ってキッチンに来るのだもん。嫌になっちゃう」

 ひばりは、むくれた顔になっている。この煮物からも丁寧に料理されているのが手に取るように分かる。娘がキッチンに籠っていれば、当然父親としては気になって仕方ないのであろう。

「ふふっ」

 老夫婦は、喉の奥で押し殺すように笑っている。

「楽しそうで良いわ。でも、親はね、娘の変化にはいつも気付いているわよ」

「気付いて欲しくない時もあるのですよ」

 と笑いながら返している。どうやら、ひばりは老夫婦と気が合うようだ。

「船が来たよ」

 食べるのに集中してしまっていた私に、ひばりが教えてくれる。今回の目的は鵜飼観覧であったことを思い出す。既に鵜匠たちの乗った鵜船が視界に収まる距離まで近づいている。鵜舟は、なか乗り、とも乗りと呼ばれる腕利きの船頭が竿や櫓で操船している。舳先ではかがり火がパチパチと音を立てながら水面を炎色に照らす。舞い上がる火の粉は汽車の煙のように艫に向かってなびいている。かがり火の横では、風折烏帽子や紺色の漁服、腰蓑を付けた鵜匠が何本もの縄に繋がれた鵜を巧みな手さばきで扱い、手綱を引き寄せては鵜が捕まえた鮎を取り出している。

「綺麗」

「橋の上から見たことはあるけど、船に乗って見てみると世界が違うね」

 かがり火の光を漆黒の水面を瞬かせながら滑るように進んでいく姿は、前照灯の光りを頼りに暗黒の宇宙を旅する『銀河鉄道の夜』を彷彿とさせる。宮沢賢治は何を思い『銀河鉄道の夜』を描いたのか。もしかすると自分自身をジョバンニに投影していたのだろうか。

「ねえ。私、幸せ」

 ひばりが私に語りかける。

「ああ、私もだよ」

「お爺さん達は、幸せな人生ですか?」

「幸せか。幸せでもあり、不幸でもあった。影があるから、光は存在し得る。しかし、光のない世界はある。光と影は表裏一体のようで、そうでもない。もしかすると、光は影に内包されるのかもな。そうは、思わんか。お婆さん」

「そうですね。でも、若い子達に伝わるかしら? 私は辛いこともあったけど、幸せですよ」

「幸せって難しいですね」

 ひばりは夜空を見上げて何を考えているのだろう? 

「いっぱい悩んで考えて進めばいいのよ。でもね、幸せだけを追い求めちゃダメよ。不幸になるから。そのうちに分かるわ」

 お婆さんの言葉も、どことなく意味深に聞こえる。川面では鵜飼いのフィナーレとして鵜船六艘が川幅いっぱいに広がり漁をする『総がらみ』が始まろうとしている。

 老夫婦との会話の影響か、鵜船が希望を頼りに人生という流れを進んでいく船であるかのようにも思える。しかし、その希望が消えてしまった時、どうなってしまうのか。闇の中で進路を失い座礁や転覆する前に、再び希望の光を灯すことができるのだろうか?

 鵜飼も終わり下船すると、ひばりはお婆さんと話しながら先に進んでいる。私の横にお爺さんが近づき、小声で話しかけてくる。

「あの娘の暖かな陽射しのような声の中には、影が見えるような気がする。注意して見ていてあげなさい」

「彼女は、病気であと一年も生きられません」

 何故か正直に話してしまった自分自身に少々驚く。お爺さんは、しばし考えると、

「だからなのか。君は、私たちとの会話を覚えておきなさい。そして、その時は泣きなさい。迷ったら少しの間、立ち止まりなさい。しかし、常に正しく生きなさい。君の船は、この先も旅を続けるのだから」

 そうお爺さんは話すと私から離れていった。一人となった私は、スモーキークォーツのように煙に包まれた気分となる。私には、果たして本当に可能かと聞かれると、自信があるとは言い切れない。

「何話していたの?」

 気が付くとひばりは隣にいた。

「お爺さんたちと船での会話を覚えておくようにと言われたよ」

「私は、これを貰っちゃった」

 ひばりは、手のひらに乗った球体の水晶を二つ私に見せる。私は、街灯に照らして確認する。

「良い水晶だね。天然ものかな? 本当に貰って良かったの?」

「おばあさん達も、この水晶を人から貰って、沢山助けてもらったらしいよ。お爺さんと次の持ち主が現れたと直感したんだって。だから、毎日持っているように言われたわ」

 水晶は多くの効果があると言われている。その中に『神秘』があったのを思い出す。一年後には死に別れてしまうであろう私たちの前に自ら水晶が現れたことに、何か神秘性を感じる。神々は何を思い、私たちにこのような運命を与えたのか? 神々が指し示す道を私たちは正しく、そして謙虚に受け入れる事ができるのであろうか? ひばりから渡された水晶をポケットに入れながら複雑な思いが複雑な思いが浮かんでは消えていった。

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