第6話 生きる意味

(影)


「最初から話そうか。ひばりさんは幼少期に大学病院で心臓の手術を受けていた。その後、病状は安定し自宅での生活を行っていた。しかし、中学校に入ると心臓の働きが徐々に悪化してきた」

 谷川先生が、私の知らない病の経過を語り始めた。

「ひばりは、ひばりの病名は?」

「病名など重要でない。後でカルテを見ればよい。カルテは、私の机に置いてある」

「だから、どんなに探しても見つからなかったんですね」

「そうだ。私たちが話すのは、彼女の言動についてだ」

「教えてください。全てを。包み隠さずに」

 私は、ひばりの送った人生を可能な限り知りたい。私は、今でもあの頃の幸せな時間を忘れられない。

「彼女が中学三年の頃には、このままでは心臓が持たなくなると両親と彼女に説明した。しかし、彼女はそれを認めなかった。『こんなに元気なのに? 普通の生活を送れているのに? もう一度、検査をやりなおして』という感じで」

 谷川先生は、ひと呼吸おくと続ける。

「その頃、彼女は彼氏ができたと言っていた。クラス中で大人しくて、何を考えているかも分からない人だと。心配になり、『なぜ、彼なのだね?』と聞いた。すると彼女は、『私のことを分かる人だから』と言っていた」

「私のことを分かる人ってどういう意味ですか?」

「分からない。何度も聞いたが同じ答えだった」

 谷川先生は首を振ると、紅里が口を開く。

「私、分かるかも。『普段、本の虫で他人に興味なさそうな人が、体調の悪い時に限って手伝ってくれる人がいる。最初は気持ち悪いと思っていたけど何かが違う。無意識の内に私の気持ちや体調が分かるみたい。守られているような不思議な感じなの』と言っていたわ」

「理解できない」

「だから、自然体でひばりの体調や気分が分かってしまう先生に、ひばりは惹かれたの。だって、クラスメイトの顔も名前も覚えない人が、誰も気付かない些細な変化を分かってしまったのよ」

「そんな事があったのかも思い出せない」

「だろうね。相貌失認の先生にとっては、誰に声をかけたなんて記憶に残らないかもしれない。だから、二度と忘れられないように同じ部活に入ったそうだ」

「ひばりがクイ研に入ったのは、そういう理由だったのか!」

 ひばりの本心を聞き、私は驚く。紅里は呆れた顔になっている。

「気付いていなかったの…… じゃあ、クイ研に入った後の不満は知っている?」

「知らない。問題ないと思っていたし」

「だからなのね。『時々不安になる。また、忘れ去られそうで』と、いつも悲しげに言っていたわよ」

「ごめん」

「私に謝っても意味がないの。でもあの時、ひばりは本当に嬉しそうだった。覚えている? 長谷川が騒いだ日。そして、その日のデート」

 紅里は、懐かし気に天井を見つめている。

「ああ、覚えている」

「翌日、ひばりは本当に嬉しそうだった。『私の物だ』と言ってくれたってね。ひばりは、いつも言っていた。『私にはあの人のことが分かる。あの人の気持ちが。ただ、言葉に出してくれないから不満』ってね」

 私は、気持ちを表現できないと言い訳し甘えていたのかもしれない。ひばりは、それを分かりながらも受け入れてくれていたのだ。

 谷川先生が、また静かに語り始める。

「七月頃、私はすこしでも時間を稼ぐために入院を勧めていたが、彼女は拒否していた。しかし、いつの間にか彼女の心境は変わっていった。何があったかは知らないが、『一日でも長く生きなければならない理由ができた。だから、早く全力で治療してほしい』と言い始めた」

「林間学校だ!」

 私の言葉に、紅里が続ける。

「そうよ、林間学校の後、ひばりは『一日でも長く、生きる。私たちは幸せになる。それが、私の生きる意味』と言っていたわ。そして、それまでの葛藤が嘘のように消えて、穏やかな顔の毎日に変ったわ」


(光)


夏休みに入り部活に行くための準備をしていると、とひばりからメールが来た。

「今日から入院します。入院中の顔を見られるのは恥ずかしいので、お見舞いには来ちゃダメです。その代わりプチ遠距離してみよう。一回やってみたかったんだ。離れても求めあう二人。素敵でしょ。やっぱり、遠距離と言えば手紙が定番。貴方からの手紙を待ち続ける病弱な美少女❤ 入院中はこの設定で毎日、貴方の手紙を待ち続けますね。最初は私から手紙を書きます」

 メールに添付された色とりどりの便箋や封筒がベッドのサイドテーブルに並べられた写真を見る限り、どうやら緊急入院ではなさそうだと胸をなでおろす。今は病状を聞いても答えてくれないだろうと思い短く返信することにした。

「分かりました。手紙を待っています」

「待っていてね」

 メールを送信すると間を置かずに返信が来る。返信の速さからも、大事には至っていないようだ。時計を見ると予定の時間を十五分も過ぎているが、今なら部活に遅刻はしない。慌てて身支度を整えると家を出た。

 

 我々クイ研のメンバーは、夏休みに入るとクイズ界の甲子園とも言うべき高校生クイズ大会に向けてラストスパートをかける。毎日、冷房のついていない部室で汗だくになりながら、朝から晩までクイズ漬けの毎日。強烈な個性の精鋭であっても、高校生らしい白熱した雰囲気が醸し出されている。今年も一チーム三名構成でチームを組んで本選に望み、本選への出場資格を獲得している。部室のドアを開くと既にメンバーの多くがお茶会をしている。

「ただいま」

「おかえり」

 挨拶が部員からと返ってくるが、いつもより華やかさに欠けている。

「おかえり。お茶会にしましょうか」

 紅里は近づいてくると手を引く。以前、私をビンタしたことで強烈な印象となり顔を忘れていない。さらに、紅里はひばりと小学校からの親友らしいので覚えておいて損はないはずだ。気が強く付き合いにくいと思っていた紅里だったが、今日は物腰が柔らかく少し意外に感じる。もしかしたら、普通の女の子の一面もあるのかもしれない。

「ひばりさんは休み?」

 戸惑いを感じつつ紅里に付いて行くと副部長が尋ねてきた。しまった! 欠席の理由を考えていなかった。入院の事を話しても良いのだろうか? 予めひばりに聞いておけばよかったと後悔しても遅い。

「ひばりは、貧血で入院したようです。林間学校で疲れちゃったのかな?」

 紅里が隣でさらっと答えたことに多少驚く。紅里はひばりの心臓の事まで知っているのであろうか? 

「そう、貧血ならいいわ」

 副部長は安心した様子となり私から離れていった。

「ここに座って。はいお茶」

 紅里の隣に私は座りお茶を受け取り口に含んだ。冷えたお茶は心地よいが、いつもと違う感じに心なしか落ち着かない。

「ひばりさんが、入院した瞬間から浮気か?」

「何でクイ研に大霜がいるの?」

 どこから現れたのか? 茶化してくる大霜に思わず目を見開いてしまう。大霜は以前からクイ研部員だったのだろうか? 

「俺もやっと顔を覚えてもらえましたか? ほぼ同時に入部しているのだけどね」

「鉱物を語れる人間は、語るに値するからな」

「さすが、変人は言うことが違う」

 大霜は、おどけている。

「入院中のお世話係をひばりから頼まれたの。だから、音無君に気がある訳ではないから勘違いしないでね。私は大霜君と付き合っているし」

 紅里は私と大霜の悪ふざけを聞き流しつつ説明している。しかし、私にそのような情報は必要ないし勘違いもないから安心してくれと、ついつい口が動きそうになる。

「えっ? 大霜と付き合っているの?」

 少し離れた場所から、部長がきょとんとした顔で話に加わってくる。

「何か問題でも?」

 大霜が、平然と答えている。二人が付き合っているとは、私も知らなかった。

「それにしても、けしからん。彼みたいな男が、変わるがる四大天使に面倒を見てもらうなんて! 私なんて、副部長ですら優しくしてくれないのに……」

「その必要性を、三十文字以内で端的に述べなさい」

「……」

 副部長の冷たい一撃に部長は硬直している。

「いや、実際うらやましいよな」

 他の部員からも微かに声が漏れだした。

「大霜君は、それでいいの?」

 副部長は、淡々と大霜に尋ねている。

「どういう意味ですか?」

「紅里さんが、彼の世話をすることについてです。妬いたりしないのですか?」

 副部長の質問に、大霜は手をパタパタ振って噴き出す。

「妬くって? ない。ない。ない。そんなことで心が傾くような女なら要らないですわ」

「事情を知っているのに、その程度で疑われるなら別れます」

 大霜と紅里は、さも当然のように答えている。どうやら二人の信頼は固いようである。いや、精神的に成熟しているのであろうか?

「それに、彼を磨けるのは、ひばりさんだけです。知る限り彼を磨ける人は他に見当たりません。いや、彼はクリーニング程度にしてカットや磨き上げは行わない方が輝くのかもしれない。俺も紅里も、これについては共通認識です。だから、妬く必要はありません」

 何だか勝手に話が進んでいることに苛立ちを感じる。私にとってはお世話係なんてものは必要ないし嬉しくもない。一人で何でもやりたがるのに結局はできない子供と同じなのか? そして、ここは保育園か?  

「自分でやるから問題ないよ」

 私は、紅里を怒らせないよう最大の配慮をしつつ断りを入れる。下手に怒らせると、またビンタをされかねない。

「何を言っているのでしょうか? もう少し成長してから、その言葉を聞きたいです。兎に角、ひばりからの依頼を私は守ります」

「だからね…… 一人で問題ないから」

「それとも、役者不足ですか? 私は役不足と思っていますが?」

 落ち着いた感じの紅里であるが、部室に一筋の秋風を吹かせる。ここは、引いた方が身のためかもしれない。

「いいえ。反論できません」

 私は抵抗を諦めた。紅里がいなければ入院の理由を答えられなかったかもしれない。ひばりは、それも予感していたのであろうか?

「じゃあ、もう少しだけお茶会にしようか」

 紅里の一言で、いつもとは違い心が落ち着く茶室で頂くような、静かで落ち着いたお茶会が開かれた。


 部活から帰ると、ポストにひばりからの手紙が来ていた。手紙を取り出し、自分の部屋に駆け上がり鞄をベッドに投げ出すと、急いで開封した。

「元気しているかな?

 今回の入院は、検査と少しでも心臓を休ませるためだから心配しなくていいよ。林間学校の前から決まっていたけど、話す時間がありませんでした。ごめんなさい。貴方の夏休みはどう過ごしていますか?

 突然ですが問題です。三百六十五で読んでください」


 一枚の便箋には、短く黒のインクで書かれていた。三百六十五の意味を考える。普通に考えて、一年の日数だ。しかし、一年で読んでくださいと置き換えても意味は通じない。ベッドに寝ころびながら考える。三百六十五で関連するキーワードは思い浮かばない。365だからミムゴ? サムゴ? やはり、意味をなさない。英訳し同じスペルをかな入力しても駄目だ。いろいろ考えるが、時間だけが音もたてずに過ぎ去っていく。

 気付けば午後七時になっていた。夕飯に呼ばれたので思考を一旦停止させる。しかし私の性格上、一旦考え始めた問題はなかなか頭から離すことが出来ないので夕飯はそこそこにして自分の部屋に戻った。部屋に入ると電気は消したまま、デスクライトのみを点灯させ、何も書かれていないグリーンの便箋との睨めっこの再開だ。

「分からない」

 ひばりの行動パターンからすると、この謎は必ず解けるように考えてあるはずだ。現にヒントすらない。しかし、文章の中には『三百六十五で読んでください』以外の謎を解く糸口すら見つからない。即ち、ヒントは私の身近にあるはずだ。

 もやもやした気分を晴らすために、コレクションの鉱物を手に取る。煙水晶、琥珀、虎目石など様々な鉱物がある。鉱物の中には、紫外線で照らすと蛍光するものがある。琥珀もその一種で、紫外線によって鮮やかな青の蛍光色を発する。冷静に考えたい時にはこの光を見つめながら気分を落ち着かせる。

 紫外線は不思議だ。目に見えない光なのに、琥珀など一部の鉱物は、紫外線が当たると鉱物の電子がエネルギーを吸収し、再度エネルギーを放出する際に波長の異なる可視光となって光が放たれるらしい。鉱物に短波の紫外線も当ててみたいが、短波の紫外線ライトは高価な物ばかりで手に入れられないでいる。私は、紫外線ライトを点滅させながら考える。三百六十五は何を意味するのか?

「それか!」

 私の脳裏に問題の答えが閃く。私のように個人レベルで持つ紫外線ライトは、長波長タイプが主流である。俗に言うブラックライトだ。急いで携帯電話を取り出すと紫外線ライトの波長を調べる。一般的な紫外線ライトの波長は三百六十五㎚付近だ。これが正解に違いないと確信し、手紙に紫外線をあてるが何の変化も起こさない。一気に膨らんだ期待が、プシューっと音を立てて萎んでしまう。いや待てよ、表面に書いても普通のインクと重なって読みにくくなる。ひばりなら、読みやすいように裏面に書いているかもしれないと考え直し、裏面全体に紫外線を当ててみると、緑色の蛍光色の文字が浮かび上がった。

「解けた。正解は紫外線ライトで読んでか……」

 手の込んだ仕掛けに少々イラっとするが、問題が解けた安堵感が勝る。紫外線を手紙に照射して読んでみる。


「正解です。私の予想通り、クイズは解けたようですね。

 病院から手紙を出すには両親に頼むしかないのだけど、大事なことは読まれると恥ずかしので特殊なペンで書きますね。

 貴方との幸せ探し。今日からスタートです。まずは、二人で幸せってなにかを考えようか。定義なんて難しい事は考えちゃダメ。だって、歴代の思想家や哲学者が考えても定まった定義ができていないのだから。私たちは『私たちの幸せ』を考えてみよ。まずは、玉石混交で素材を探し出さなきゃね。

 今回の入院。自由に外泊できます。寂しくなったら、会いに行ってあげるから呼んでね。そうだ、返事はメールにしてください。貴方が手紙を細目に書くとは思えないから。

                         ひばり 」   


 最後にひばりの名前と小鳥のマークが書かれている。『私たちの幸せ』か。改めて考えると、ぼやっとした物があるようでない。添い遂げることが可能であれば、それが一番幸せかもしれない。しかし、それは私たちにとって叶わぬ幸せだし、叶わないからといって不幸になるしかないとは思えない。また、添い遂げられても幸せとは言えない夫婦もいるかもしれない。

 インターネットで幸せについて調べてみると、真剣なサイトから怪しげなサイトまで莫大な数のサイトが検索された。もしかすると多くの人は幸せに飢え、苦しみ日々を過ごしているのかもしれない。そんなことを考えつつ色々なサイトを見て回るが、一向に幸せとは何か見いだせない。幸せとは何かと頭の中で幾度となく仮説を立てては否定するのを繰り返していると無限ループに入り込んでしまい迷走してしまう。もしかすると定義すら定まっていない幸せを必死になって探し求める人間とは斯くも愚かなものかもしれない。

 これ以上考えても答えが見つかる気がしない。気分転換にひばりへメールを送ることとした。

「体調はどう? 急に入院したと聞いて驚きました。体調はどうですか? 幸せ探しは、難航しています。調べれば、調べるほど深みにはまっていきます」

 私はメールを送信すると窓を開けて外を眺める。無限ループを断ち切る方法を考えるが、きっかけが出てこない。このループを永遠に回り続ける自分を想像すると恐ろしくなる。すると、携帯電話がブルブルッと震えた。手に取るとひばりからのメールだ。

「だ・か・ら! 調べちゃダメと書いたでしょ。私も少し調べたけど、恐ろしいくらい深みにはまっていきます。多分、貴方も人類共通の幸せを考え始めている。私たちに、そんなの必要ないと思います」

 手紙を書くはずのひばりが、メールを送ってきたことに少々驚く。

「でも、入院している間に、少しでも道を切り開いておきたいんだ」

 と入力し送信すると、すぐに返信が来た。

「だ・か・ら! 分かって! 二人の幸せを貴方一人で考えてどうするの? 私は、貴方の決めた道を通るだけなの? 二人で考えるべきじゃないの?」

 このメールで共通する幸せの定義を考えている自分にようやく気が付いた。恐らく先ほどまでの無限ループもそれが原因だ。恐らくひばりも、無限ループに入りかけて、途中で気が付いたのだろう。いつもひばりに助けてもらってばかりだなと苦笑した。

「分かりました。手探りで進むこの道。二人で進みましょう」

 と返信すると、ひばりは安心したのかメールはなくなった。


 二日後ひばりから手紙が来た。早速、開封してみる。入院生活はつまらないだの、お風呂に入りたいだのと小言しか書いていない。ひばりが、本当に伝えたい内容ではないことを確認すると、部屋のカーテンを閉め、紫外線ライトを照らしてみると、今回も文字が浮かぶようになっていた。昼間なので少々文字は判別しづらいが読めなくはない。


「この間はごめんなさい。貴方が、先走ってしまいそうだったから、乱暴な言い方になってしまいました。貴方も一人で色々と考えてくれたのですね。でも、最後は気が付いてくれて嬉しかったです。

 そうそう、問題を解くのに何時間かかったかな? 早く教えてほしいな。クイズで、しかも得意分野で悩む貴方の姿を見たかったわ。

 今週、会おうよ。一時外泊するから。今度の金曜日ね。

                       ひばり 」


 あれは、クイズではない。単なる謎かけだ! と思わず突っ込みを入れたくなる。返事にはクレームを入れるべきか。言葉を正しく使えと。

 それよりも、金曜日に心臓に負担をかけずに楽しめる場所を考える方が先だ。しかし、生憎そのような場所を私が知っているはずもない。仕方なしに携帯電話でデートスポットと検索をかけるが、なかなか思うような場所は出てこない。これは岐阜という町が悪いのか? 私が知らないだけなのか? 恐らく後者なのであろう。ここは、無難に映画にすべきか? 映画館なら心臓に負担はかからないし、ひばりの希望する作品にすれば大きな失敗はしないはずだ。

「映画に行きませんか」

 とひばりにメールをすると、数分後に携帯電話メールが届く。

「映画も良いね。一生懸命考えてくれてありがとう。朝九時に岐阜駅に来てください」

「了解しました」

 随分と早い集合だな? と思いつつ返信した。


 約束の金曜日。指定された時間に岐阜駅に到着すると自転車を駐輪場に停める。行き交う人々は、何かに追われているかのように脇目も振らず駅構内に吸い寄せられている。

「さあ、行きましょう」

 一足先に駐輪場に着いていたひばりは、私を置いてスタスタと行ってしまう。相変わらずだなと思いつつ着いていく。

「どこへ行くの?」

「お参り」

 近くには金神社がある。金運のご利益があると言われている神社だ。たしか、月に一回金色の御朱印を貰えると聞いた気がする。今日がその日なのか? と思っていると、私たちは駅の北口の広場に到着する。

「お参りしましょう」

「どういうこと?」

 何を言っているのだろうかと首を傾げる。何に対してお参りをするのか? 体調は良くても精神がやられてしまったのか?

「金色の信長像にお参りするの。初めて貴方とデートした時、最初にここで写真を撮ったらその日は楽しかった。だから信長様に感謝し、今日も楽しく充実した日になるようお願いするの」

 人目を気にすることもなく、二礼二拍手一礼を始めている。

「二礼二拍手一礼を知っているんだ」

「当たり前でしょ。常識です」

 とは言え金色の信長像は、神様ではないと思ったりもする。

「貴方も、早くお参りしてください」

「いや、でも…… 流石に誰に見られているか……」

「抵抗すればするほど、多くの人に見られるよ」

 私は、ひばりとの学校生活の中で、可能な限り反対しない方が安全であると学んでいる。これ以上の抵抗をすると不機嫌となり重苦しい雰囲気となるのを強いられるであろう。ここでの正解は、言う通りにさっさと終わらせて最小限の被害に留めることだ。ひばりの真似をして、お参りをすると反射的に後ろを確認した。しかし、誰一人として私たちを見ているものはいない。

「良かった。誰も見ていない」

「みんな自意識過剰なの。普通はそこらにいる人なんて普通は気にしないよ。お参りしていても旅行客かな? としか思わないって」

 と、全く気にしている素振りもない。珍妙な行動を取る二人に関わりたくないので視線を逸らしているだけではないか? と思うが、決して口にしてはならない。

「次は、どうする?」

「バスに乗りましょう」

 次の行動に話題を振ると、ひばりは手を離しバスを指さす。隣接するバスターミナルへ移動すると、ひばりが駆け足になる。

「ちょうどバスが来たわ」

「あのバスに乗るの?」

「そうよ。貴方の提案を取り入れて、今日は映画にしてみました」

「映画館なら、岐阜市内にもあるけど?」

 ひばりは大型ショッピングセンター行きのバスを指さしている。映画館ならば、もっと近場にもあるはずだ。

「女の子はね。ショッピングが好きなの。多少機嫌悪くても、ショッピングをしていると自然と機嫌が良くなるのよ。覚えておいてね」

 単純に買い物をしたいだけか? そう考えるとホッと安心する。今回は、特に深読みする必要はなさそうだ。

「そうか」

 私は返事をすると、バスへ乗り込んだ。


「ちょっと、起きてよ。目的に着いたよ」

 バスの中でどうやら寝てしまったらしい。ひばりに起こされて慌てつつバスから飛び降りる。寝不足の影響かバスの中で熟睡してしまった。

「も~~ 。デート中に居眠りなんて減点だからね」

「あと、何点残っている?」

「それって、あと何点までなら失敗できるか考えたでしょ」

 ひばりの突っ込みにドキッとする。相変わらず考えていることは、バレバレなようだ。

「でも、私の肩に頭を乗せて寝ていた姿は、可愛かったので許してあげます」

 ひばりの言葉に思わず赤面してしまう。

「さてさて、映画館へ行こう。どこかな?」

「案内するよ」

 ひばりは、館内図を確認しているが、ひばりを置いて歩き始める。

「貴方、来たことがあるの?」

「何回か。ここには石を扱っている店があるからね」

「へぇーー 。休みの日は引きこもっているのかと思っていました。意外ですね」

 などと会話しているうちに映画館へと歩き始めるが、今になって大切な事に気が付く。

「ところで、どの映画を見るの?」

「決めてないよ。一緒に選ぼうと思って。貴方とは何を見ても楽しいと思うから。貴方が好きならアニメやホラーでも付き合うよ」

 ひばりからは、意外な返答が返ってきた。

「てっきり、見る映画は決めてあると思ったよ」

「だって、貴方の趣味は偏りすぎていて難しいんだよ。それに、二人で決めることが大切かと思って」

 多分、映画をこれでもかと調べた上で私に合わせる方が無難と考えたのであろう。

「タイトルだけ見ても分からないな。簡単な内容知っている?」

「分かるよ。この映画はね……」

 上映されている全ての映画の作品の概要を説明してくれた。それぞれの説明内容と時間で、凡そひばりが見たい映画は二つに絞られた気がする。

「じゃあ、この二つの内どちらかの映画でどう?」

「う~~ ん。私は、貴方が楽しめる映画を見たい。私は、何でも楽しめるから」

「引っかからなかったか……」

 ひばりに合わせようと試みたが、完全にバレていたようである。

「まだまだ、甘いです」

 どうやら私が手のひらで転がす日は、当分来ないようである。


 結局、青春映画を見ることとなりシアターに向かう。夏休みなので平日にも関わらず満席となりそうだ。オープニングテーマが流れ始めると、ひばりの手が肘掛けを超えて私の手を握りしめてきたが手を離す。ひばりが『なんで?』と目で訴えてくるが、肘掛けのひばり側でひばりと再び手を重ねあう。ひばりは手を一瞬、キュッと握るとスクリーンに視線を戻した。

 映画が終わるとボーリングやショッピングをして二人の時間を過ごす。途中の雑貨屋でひばりに水晶の上に小鳥が付いたペンダントを買ってあげると、喜んですぐに首に付けていた。ひばりは携帯電話で時刻を確認している。午後六時過ぎのはずだ。

「いっぱい遊んだね。そろそろ次の所へ行きましょうか」

「次ってどこ? 体調は大丈夫なの?」

 本当に病気なのか? と思うくらい活発だ。

「次は、樽見鉄道に乗ります」

「樽鉄? どこへ行くつもり? 今から大垣に行くのは時間がかかりすぎるよ。根尾方面は山しかないし」

 ひばりの意図していることを、全力で考えるが想像もできない。

「花火を見ます。今日は長良川で行われる花火大会の日です」

 長良川河畔で行われる花火大会は長良橋と金華橋の間で打ち上げられる。花火を近くの河畔で見ようとすると、大勢の観客に飲み込まれて大変なので最近は花火を見ていない。幼い時には遠い親戚の家で見ていた記憶が微かにある。その頃は集まった子供同士で遊んでいて花火を見ていなかった気もするが……

 今からバスで長良川に向かっても花火大会の会場に行くバスは、既に込み合う時間となり乗るだけでも時間がかかるだろう。しかし樽見鉄道にでは全く別方向へ行くこととなる。やはりバスを利用すべきだ。

「バスを使わないの?」

「使いません。列車で一駅移動します。時間だから急ぐよ。逃すと、一時間近く歩くことになるから」

 そう話すとひばりは、速足で歩き始めてしまう。

「そんなに急いで大丈夫?」

「急いで、列車を逃した方が負担になるから」

 田舎の一区間を歩くと確かに心臓への負担は大きいかもしれない。ひばりの速度に合わせて歩き駅のホームに到着する。

「間に合ったね。あと一分くらいで列車が来ると思う」

 ひばりの呼吸は少し早く疲労の色が見え隠れしている。リュックからペットボトルのお茶を取り出し、開封するとひばりに渡す。

「ありがとう」

 ひばりがお茶を飲み始めると列車が徐々に接近してきている。一両編成のレールバスが、ガタンゴトンとレールの継ぎ目に車輪を落としながらのっそりと到着した。ひばりに手を差し伸べて立ち、整理券を手に取りながら列車に乗ると、最前列のボックスシートに腰を掛ける。ドアが閉まると年代物のエンジンが唸りを上げては、ギアを繰り返し切り替え徐々に速度を上げていく。細く開けられた窓からの涼し気な風が、ひばりの髪をなびかせている。その姿に思わずカメラを構え、ファインダー越しに映し出された光景に見とれてしまう。ひばりの目の先には、のどかな風景が広がり、逆光の陽に照らされた田園や果樹園、民家から聞こえる犬の遠吠え。どこか懐かしい匂いが、風に乗って車内に泳いでくる。

「撮れましたか?」

 シャッターを切ると、ひばりは私の横にやってくる。撮れた写真をディスプレーに映し出し、ひばりに見せる。

「光と影」

 ひばりは、聞き取れるか取れないかの声で呟いた。病に侵されているひばりと、取り残されるであろう私。光りに満ちた世界を目指す私たちの列車ではあるが、その背中には、常に取り払うことが出来ない影が付きまとっている。

「この日々の本当の意味を、いつか二人で理解できるかな」

「そうね」

 そう答えるひばりの顔には、穏やかな悲しみに包まれている気がした。


 列車は数分で駅に到着した。駅に降りると東側は住宅街。西側は田園風景が広がる。駅舎は古く無人駅となっている。時代を感じさせる木造の駅舎があり、セミの声が郷愁を誘う。駅舎の外には昔ながらの丸ポストが駅の歴史と共に佇んでいる。

「この駅が好きなの。特にこのポスト。懐かしいな。ここで少し時間を潰そうか」

 ひばりは懐かし気な表情をしながら、ポストを撫でている。

 しばらくすると陽が落ち始め夕焼けとなり始めている。空は薄く白い雲に覆われて、レースのカーテンをひいているかのようである。

「ホームに行こう」

 無人の改札を通り抜け再びホームの北側では、視界が広がり田園風景が見られる。空は日が沈み始め徐々に赤みを帯び始めている。

「昔は牽引車が何両もの客車を引いていたの」

「そうなんだ」

 時代の流れには逆らえず樽見鉄道も乗客は減少しると聞いたことがある。今では一両編成の列車のみが往年の活気を消すまいと線路を走っているようだ。それにしても夕日に照らされる光景は綺麗だ。私は、カメラを取り出し撮影しようとするが、ひばりは西の空を見上げながら独り言のように呟く。

「まだだよ」

 徐々に陽はゆっくりと身を隠し始め、徐々に西の空には夕焼けが出来上がりつつある。二人で夕焼けに染まった美しい空を無言で眺めている。

「今だよ」

 そう言われ、ひばりの顔を見る。茜色に紫がかった夕焼けが空全体に広がり、ホームまで照らしている。茜色の光は、一面にかかった薄い雲に乱反射し、空だけでなく世界を無影灯で照らしたかのように染め上げている。一面にかかった茜色のヴェールは少しずつ変化し薄紅藤へと変化してきている。幻想的で全てを優しく包み込む世界。でも、どこかに厳しさと威厳がある光りの世界。会話すら許されないかのような神秘的な世界に私たちは包まれている。

「神様の色。でも、すぐに終わってしまう。年に数回だけ。ほんの一瞬だけ垣間見られる色。今日がその日で良かった」

 そう言われ再び空を見上げると、私たちを染め上げていた色は、東の空から失われ始め葵色の空が広がってきている。

「逢魔時になる直前。この一瞬の世界を貴方と見たかったの」

 ひばりは私たちとこの景色を二人の運命を重ね合わせているのだろうか? もしそうなら、私たちの世界が終わりを告げる直前には、この一瞬のように輝き、巡りゆくこの日々の本当の意味を知れるのだろうか。

「お婆ちゃんの家が近くにあるんだ」

 空が藍色になると、ひばりは私に話しかけてきた。

「そうなんだ」

「だから、行きませんか」

 何を言っているのだろう? 高校生のカップルが、呼ばれてもいないひばりの祖母の家に行くなんて……

「大丈夫。そんなに警戒しなくてもいいよ」

「それは難しいんじゃない?」

 いつの間にか、ひばりが下から顔を覗き込んでいる。そう言われても、目的も教えてもらえないようでは警戒しても当たり前だ。

「ドキドキしながら歩いて下さい。お婆ちゃんの家に行くのだから」

 ひばりは、一方的にそう告げると歩き始めている。

「ちょっと待って、お婆ちゃんの家に行くってどういう意味」

「そういう意味。ドキドキしてきたでしょ」

「だから、明確に教えてよ」

「だから、ドキドキするんです」

「もう十分に堪能したよ」

「まだまだ、もっと堪能してもらいますよ」

 私の抗議を無視するかのように、ひばりは一人で歩いて行ってしまう。一人で帰る選択肢もあるが、病を抱えるひばりを一人で歩かせるには不安がある。現時点でのベストな選択肢は家の前まで行くが、そこで踵を返すのが一番であろう。

 

 十分か十五分程度歩くと一軒の古民家が見えてくる。歩きながらも何度も、理由を聞き続けるが、のらりくらりと話を逸らすばかりだ。ひばりは門の手前で私の腕を掴むと、

「お婆ちゃ~~ ん。来たよ」

 大声でお婆ちゃんを呼び始める。ひばりではなく私の心臓が思わず止まりそうになる。

「ちょっと待ってよ。会うなんて一言も言ってないよ」

「ドキドキするでしょ! 私までドキドキしてきちゃった」

 私の腕を掴んだまま、門をくぐろうとしている。敷地内に入ったが最後、顔を合わせてしまう。何よりひばりは大声でお婆ちゃんを呼んでしまっている。早々に退却しないと極めて危険な状況になる。

「お―― 。ひばり。来たかね」

 お婆ちゃんらしき人影が、杖を突きながら徐々に近づいてくる。

「やっぱり、良くないから帰るよ」

「大丈夫。私に任せて」

「何を任せるのだ?」

「お婆ちゃんに連絡してあるから、大丈夫」

「聞いていないよ」

「さっき言いました。ドキドキしてきたでしょう?」

「ドキドキなんてもんじゃないよ」

「大丈夫。そんなに、堅苦しく考えないで。花火を見に来ただけだから」

「どういう思考回路したら花火が、親戚の家に行くことに変換されるの?」

「お婆ちゃんの家で花火を見るのです。何も変換していませんよ」

「お婆ちゃんの家でとは聞いていない」

「今、言ったわ」

「だ か ら、それは禁止。ひばりの両親の顔すら知らないんだよ。それに、菓子折りだって持ってきていない」

「ひばり。無事に着いたかね。最後に花火の日に来たのは、小学校の時かね?」

「お婆ちゃん。こんばんは」

「この人が、ひばりの言っていた友達かね」

 次善の策を準備する間もなく声をかけられてしまった。

「初めまして」

「よう来てくんさった」

 お婆ちゃんに母屋の方へ案内される。敷地は庭を囲むように庭木が植えてあり、道路からは見えにくい。作業小屋には農作業用の機械なども置いてあり、昔ながらの農家の風情が漂ってくる。奥からは煙が上がりバーベキューをしている賑やかな声と匂いが漂ってくる。

「私たちも、ご飯にしましょう」

 ひばりは、また私の手を引く。私もここまで来たら覚悟を決めるしかない。後はなるようになれだ。少々やけくそ気味の気分になる。

「ああ」

「ドキドキしてね」

 歩きながら、ひばりが話す。その中に潜むニヤリとした悪戯っ子が見え隠れするような気がする。

「へっ? まだ何かあるの?」

「お父さ~~ん 。来たよ。こっち、こっち」

 大きな声で父親を呼んでいる。両親と思しき二人が、近寄ってくる。私の両親と同じくらいの年代か。父親と思われる男性は、物腰は柔らかそうだが、全身が日焼けし、体格はがっしりとしている。銀行員と聞いていたので、色白だと思い込んでいた。

 他にも奥の方では、大人が他にも五、六名椅子に座り酒を酌み交わしている。小さな子供は走り回っていて数えきれない。

「ようこそ。いつも娘がお世話になっております。話しは娘から聞いています。毎年、花火の日はこの家で親戚・友人が集まって、バーベキューをしながら花火を見るんです」

 一般的に女性の父親は、連れてくる彼氏に対し、高圧的に出てくるものという思い込みがあったが、どうやら必ずしもそうではないようだ。

「初めまして。こちらこそお世話になっています。今日は、宜しくお願い致します」

 と挨拶を返す。同様に母親とも挨拶を交わす。母親は、色が白くて細身の体形である。すると男性の声が奥の方から届く。

「お―― 。話題の彼氏さんが来たか。私らにも顔を見せて」

 離れた場所から酔っぱらった男性の声が聞こえるが、容姿は良く分からない。

「まずは、みんなに挨拶をしようか」

 ひばりの父親の後に従い着いていく。

「みなさん紹介します。娘の彼氏です」

 銘々にお喋りしていた顔が、こちらを振り向く。高齢者から子供まで結構な人数がいる。

「初めまして。突然、お邪魔してしまって申し訳ございません」

 少しずつ慣れてきたせいか、挨拶を自然とすることができた。すると、先ほど私たちを呼んだ男性が、

「お前、なんで? ここに?」

 上ずった声を出している。

「お父さん? なんで? ここに?」

 私の言葉に、ひばりの父親も固まっている。

「いや、彼女の父親は、遠い親戚だ。お前も小さい時は、花火の日に来たことはあるはずだが……」

 父親にそう言われると、微かに記憶があるような気もする。私の父親は、母親に向かって小言を言い始めている。

「この事、知っていたのか? 何でもっと早く言わないのだ」

「既に話しています。真面目に聞いていなかっただけでしょう」

と、母親に怒られている。ひばりの両親も同じような会話を繰り広げている。双方の母親から同時にため息が出ている。父親たちは、平静を装っているが、目を合わせパチクリとさせている。一番動揺しているのは、私なんですけどね。男三人の動揺に気が付いていないのか、

「そんなことよりも、さあ、たんとお食べ」

 お婆ちゃんは、肉を取り分けてくれる。ひばりは私の横に来て耳元にそっと囁く。

「ドキドキしたでしょ」

「やり過ぎだ」

 思わずひばりに文句を言ってしまう。

「でも、貴方と遠い親戚だなんて知らなかったわ。私までドキドキしちゃった」

「だからと言って、言い訳にはならないよ」

 ひばりに注意をする。こんな事を、何度も繰り返されたら私の心臓が持たない。

「お肉も焼けたから、どうぞ」

 ひばりの母親が取り分けてくれる。

「あっ、お母さん。私がやるから大丈夫だよ」

「はいはい」

 ひばりの母親は、そう言うと私の母親と楽しそうに話し始めた。

「沢山食べてね。人数の割には、肉の量が多い気がするから」

 ひばりは話しながら、更にどんどん肉を取り分けてくれる。

「そうだ。男子高校生が来ると聞いたから、肉を二㎏増やしたからね。残っても、年寄では食べられないから、全部食べておくれ」

「二㎏は…… 流石に……」

 準備していただいたお婆ちゃんには申し訳ないが、流石に無理だ。運動系の学生なら二㎏は食べられるのであろうか? 

「大丈夫。高校生だもの食べられる」

 もしかするとひばりの口癖はお婆ちゃんの影響かもしれない。ひばりによって、これでもかと皿に盛られたおかげで、十五分もしないうちに限界がきた。胃の中は肉を押し込まれたソーセージのようにパンパンに張っている。あまりの苦しさに、こっそりベルトを緩めたくらいだ。東の空では既に花火が始まっていた。辛うじて見える感じで音も小さく迫力に欠ける。

「さあ、たんとお食べ」

 お婆ちゃんがまた肉を取り分けようとするが、

「花火が始まるから、私の部屋に行っても良い?」

 と、ひばりは私の腕を引く。膨れ上がった胃袋の悲鳴が聞こえているのだろうか?

「ああ、あの部屋が一番見やすいもんね。行っておいで」

 とお婆ちゃんは代わりに、私の父親の皿に肉を乗せた。


 エアコンの効いたひばりの部屋は綺麗になっており、学習机とベッドの他に、姿見や衣装ダンスなど女の子らしいが簡素な感じだ。

「ここが、お婆ちゃん家の私の部屋」

「ベッドに座って」

 とひばりは言うと私をポンッと押す。

「電気消すよ」

 ひばりの声と共に蛍光灯が消される。部屋の中は夜帳が下り暗闇に包まれ、月明かりが、ほんのりと入ってくる。ひばりは私の横に腰かける。

「綺麗だね」

「ねえ。花火って綺麗。一瞬に全てを賭ける。その美しさに人は酔う」

「一つ一つ、それぞれに美しいね」

「同じ花火でも、それぞれで微妙に異なる。人も同じかな?」

 ひばりは、自分の人生を花火に例えているのだろうか?

「同じかもしれない。しかし、花火大会では様々な花火を組み合わせてストーリーを作っている。そう考えると、花火の美しさは刹那的ではなくなる」

 人の喜びも悲しみも、後から振り返れば一瞬の花火のようなのかもしれない。時に美しく、時に悲し気に。その瞬間を見つめながら、人は何を思い生きているのであろうか。そして、個々を繋ぎ合わせて連続したストーリーとなった時、私たちには何が残るのであろうか? いつの日かこの日々の本当の意味を二人で」知ることができるのであろうか? 

「そうね。私たちのストーリーが終わった後、貴方が一人で生きていけるか心配」

「心配しなくても良いよ」

「ねえ、本当に大丈夫? 立ち直って、誰かと結婚して、幸せな家庭を築ける? 約束できる?」

「約束するよ。そのために、この日々を大切にしている」

 私はひばりを見つめる。イプシロン・カリーナェのように、私は強がってはいても弱いのをひばりは知っている。ひばりは、私の左手を握ると、そっとひばりの胸に付ける。柔らかい感触と共に、ひばりの温もり、そして何よりも鼓動を感じる。確かに、ひばりは生きているのだと証明するかのように、心臓は規則正しく鼓動している。しかし、この鼓動はいつまで鳴り続けられるのか?

「私との大切な約束だからね。この心臓が止まっても、約束は続くからね」

 ひばりの目から溢れかけている涙をそっと指先で拭き取る。

「約束する。もし、ひばりが逆の立場になった時も最後に良かったと言えるくらい幸せになってほしい」

「大丈夫。約束するわ」

 ひばりは答え、ベッドに横たわる。

「ともすると、刹那的になる花火が、連続するとストーリーになるのか。考えた事もなかったな」

「不器用なこの手でなれるかな?」

「何に?」

「鉱物学者に」

「貴方なら、大丈夫」

 打ち上げ花火はいつの間にか終わり、外からはバーベキューの片づけが行われている音が聞こえてくる。そろそろ帰らなければならない時間のはずだ。

「今日は楽しかったわ」

「私も楽しかった」

「これが幸せなのかな?」

「幸せの要素ではあるかもね」

 私たちはベッドから夜空を見つめていた。頭上には近い将来を暗示するかのように、漆黒の宇宙が無限に広がっている。私たちの瞳は、ダビー・マイヨルのような輝きを放っているのであろうか。

 しかし、我々は決して光り輝く星々を手に取ることはできないように、いくら手を伸ばしても掴むことができない幸せを求めているだけなのかもしれない。一方で、星々を掴むことはできなくても、自身の中で輝く星を生み出せるのではないか? と交錯する思いに光と影を感じながらも、私たちの瞳は夢を見つめ、星が輝くように瞬いていた。

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