第11話

 リトナは驚いたことに、翌日にはぴんぴんした調子で教室に現れた。


「お前、体大丈夫なのか!?」

「うん。平気だよ。まあ、まだ痛いところもあるけど、生活に支障はないよ。ポチトリチームと違って腕がもげたってわけでもないしね」


(ポチトリチームか……そういえば、あいつらどうしてるんだろう?)


 俺達の試合の後、演習場Aではレシェフチーム対チュアフチーム戦が開催された。そこでは、ポチトリチーム戦での光景と同じ惨状が繰り返された。


 といっても、違う点はある。

 チュアフチームは開始早々、距離を取った。斜めの陣形で並んで、少なくとも三人いっぺんにやられることはないようにしたんだと思う。けど、時屡不は颯爽と一人で前に出て、歩き出した。と、思った瞬間煙のように消え去った。


 どこに行ったとパニックってる間に、気づいたら三人とも一直線に貫かれていた。ただ、ポチトリチームと違うのは、怪我に大小の差があったことだ。多分、斜めから貫きに入ったから差が出てしまったんだと思う。


 そして、俺らにとって収穫もあった。

 時屡不の武器が判明したからだ。ダミア達を貫いたあと、ゆっくりと立った時屡不の腕には槍が握られていた。


 その槍は変わった形をしていて、片側が大きく膨らんでいた。見た感じ、カニの爪に似てる。今までは武器すらも判らなかったわけだから、結構な収穫と言えるんじゃなかろうか。


 ダミアは他の二人に比べて軽症みたく見えたけど、それでも肩の肉をごっそり持っていかれてたから、今日は学校に来れないだろう。ポチトリチームの連中もまだ来ないし、見舞いにでも行きたいけど、どこに入院してんだろう。


「あっ!」


 突然リトナが声を上げて、俺は思考から戻った。


「そうそう。ポチトリチームといえば、彼らもそろそろ復帰するんじゃないかな?」

「え? マジで?」


 リトナが頷いたと同時に、教室のドアが開いてポチトリチームが入ってきた。俺は、三人を見て開いた口が塞がらなかった。三人とも、もげたはずの腕がついてる。


「どうなってんだ? 義手か?」


 にしては、本物っぽいけど。


「義手かも知れないし、生身の腕かも知れない。それは本人の希望によるところだから、聞いてみないと分からないね。――とは言っても、十中八九義手だろうけどね。再生医療は時間が掛かるから」


 肩を竦めたリトナを凝視する。多分、今俺の顔は相当アホっぽいだろう。

 リトナはおかしそうに、ふっと笑って、


「生身の腕が生えるのがそんなに驚きかい?」

「そりゃ、そうだろ」


 どこの世界に、にょろにょろ腕が生えてくる人間がいるんだよ。トカゲの尻尾じゃないんだぞ。


「詳しいことは俺も良く知らないんだけど、細胞培養によって徐々に肉と骨を増やしていくみたいだね」

「ふ~ん。難しそうだな」

「難しいだろうね」


 リトナは自分も苦手って感じで笑った。


「それにしても、随分精巧な義手なんだな」

「精巧だけじゃなくて、色んなことも出来るよ。小物を入れたり、鍵になったり、通信機だったり、フォークとナイフが出たりね。義手の場合は握力が強くなったり、義足の場合は足が速くなったりとか、生身よりも便利なことがあるくらいだよ」

「へえ」

「かくいう俺も、義足だしね」

「え!? そうなの?」


 おもっくそ驚いた俺にふふっと笑いかけて、リトナは頷いた。


「そっか。だから、足」

「そう。速かっただろ? 俺」

「うん。白燐達と同じくらい……いや。もっと速かったか」

「自慢するわけじゃないけど、あれが最大速度じゃないからね」

「マジで? どんぐらい出るの?」

「う~ん。直線なら百キロくらいは出るよ。もっとも、今のところそんなに速く走る予定はないけど」


 ハハッと冗談めいて笑って、リトナは付け足すように言った。


「軍の義手、義足の殆どは武器が装備されるからね。直接銃弾が発射されたりとか、炎が出たりとか。義手と義足だけで歩神と同等レベルのパワーが出せたりするよ。俺の足にはまだ武器はついてないけど」

「マジか。でも、なんかカッケーな!」

「だね」


 にこりとリトナは笑んだ。でも、不意に真剣な瞳で俺を見据える。突然の変化にドキッと胸が鳴った。もちろん、ときめきの方じゃない。


「今日の対戦、〝あの〟レシェフチームだけど、注意した方が良い」

「そりゃ、もちろん」


 なんてったって、ポチトリチームの腕を奪ったやつらだからな。


「時屡不だろ」

「いいや」


 リトナは首を振った。


「レシェフチームは全員要注意人物だよ」

「え?」


 あの蒼人っぽいツインテール少女も、体力値はバカ高そうだったけど……。


「あのオタクっぽいのもか?」

「アキのこと?」

「アキ?」

「アキ・ウルシュー。眼鏡をかけてて、ひょろっとしてる男子」

「ああ、そう。そいつ」

「あいつこそ、重要人物だよ」

「え? マジで?」


 半信半疑で驚く俺を見て、リトナは更に真剣な表情を向けた。


「俺達は電撃を扱うだろ?」

「うん」

「そのための改造は俺達がやったわけじゃないんだ」

「まさか……」

「そう。俺達の武器を作ったのは、アキだよ」


 ハイガちゃんも断念したっつー武器を、アキが?


「俺はアキとは友人だから、頼んだんだよ。あいつだったら作れるだろうと思って。案の定、アキはあっさりと改造したよ」

「マジか」

「うん。あいつ、性格は悪くないけど機械が大好きな変人でね。多分、レシェフチームの武器も色々改造してると思うよ。もしかしたら、時屡不のポチトリチームに対する攻撃もアキが改造した歩神によるものかも知れない。彼については、良く分かってないことの方が多いんだ。俺達も対戦するかも知れないから調べてみたんだけど、あいつ自分のこと何も言わないし、一言も喋らないからさ」

「そうなんだ」


 なんだか不気味だな。


「アキも良く知らないって言うし。あいつ、人間に興味ないから。アキから情報を得るのは無理だろうね。石煌は時屡不同様なんにも喋んないからねぇ」


 リトナは、困ったように軽く首を振る。


「石煌って、ツインテールの女子だよな?」

「そうだよ。しかも、石煌は今まで一度も戦ってないから、どんな武器なのか、何が得意なのかも判らない」

「そっか……」


 確かに今までレシェフチームで戦ったとこ見たのって、時屡不だけだもんな……。


「とにかく、そういうことだから。気をつけるんだよ。之騎ちゃん」

「ああ。――って、だからちゃんってつけんなっての!」


 ぞわっとすんだよ。

* 


「――ってなことをリトナから聞いたんだけど、どうする?」


 試合開始直前、フィットスーツに身を包んだ俺達はロッカールームの通路で作戦会議を立てていた。クラスの他の女子(含め男子)は、決勝戦には出ないから歩神に着替える必要はない。だから制服のまま先に演習場Bへ向っていた。


 ちなみにあの後、ダミア率いるチュアフチームも登校してきた。まだ完治はしてないようだけど、生活に支障はない程度には回復したらしい。


(再生医療とやらで治したらしいけど、どうなってんだよ。この世界の医療は)


 なんてことを考えてると、セイラムの嫌味攻撃が振ってきた。


「あら。男のくせに男と仲良くなったのね」

「皮肉をどうもありがとう、セイラム。俺が男って信じてくれたみたいで嬉しいぜ」


 嫌味返しにセイラムは不快気に俺を睨み付けた後、ふと楽しそうに笑った。


「私も、得ている情報はリトナさんと変わりません」


 ハイガちゃんが残念そうに言ってマネイナを見た。マネイナは首を振って、


「自分もリトナ以上のことはありません。一度一人でいる石煌が気になって声をかけたことがあるのですが、断られました。一人でいても苦痛そうでもないし、むしろ人と関わりたくないようだったので放っておいたのですが……。時屡不に関しても同じです。むしろ、彼の方が……こんな言い方は変かも知れませんが、話しかけたときの反応を見るに人間味がない感じがしましたね。石煌以上に感情が読めませんでした」

「それは確かにあるわよね」


 おっ。セイラムがマネイナに同意するなんて珍しいな。


「時屡不ってなんか不気味だもの。全然表情の変化ないじゃない」

「あ~。確かにな。話を聞いてて思い出したけど、地獄のマラソンのときとかも平然としてたもんな。石煌は疲労の色が窺えたけど、あいつは全然へっちゃらって感じだった。それに、相手方のチームの腕すっ飛ばしたときも顔色一つ変えなかったもんな」


 石煌も顔色変えなかったけど、怪我を負わせた張本人が無表情ってのはちょっとおかしい。


「あれは、石煌はびっくりしすぎて真顔のまま固まったように見えましたけど」

「そうか?」


 俺の返しに、ハイガちゃんはうんと頼りなく頷いた。


「それはあるかもね」


 セイラムが同意するとマネイナも頷く。女子のことを女子三人がそう言うなら、まあ、それがほぼ真実なんだろう。


「それにあいつ、一言も喋らないしジェスチャーもしないのよ。気色悪いと思わない? 石煌でさえジェスチャーくらいはするわよ」

「自分が誘ったときも、石煌は首を振って拒否を示してましたね」

「まあ、あいつらがおかしいってのは置いとくとして、作戦どうするよ?」


 俺の問い掛けに三人は顔を見合わせた。

 それぞれどうしようって顔した後、俺に視線を送った。俺も同じような顔で返す。俺に作戦を立てろって言われても無理って話だ。


「とりあえず、相手の出方を見るというのはどうでしょうか?」

「そんなことしてたらポチトリ達みたいにあっという間にやられちゃうわよ」


 呆れた表情でマネイナを一瞥して、セイラムは腕を組んだ。


「だったら、貴女に何か案があるとでも?」

「言うじゃない」


 ケンカ腰のマネイナにセイラムは不敵な笑みを向けた。この二人の関係性も微妙に変わったな……。俺は感慨深く二人を見比べた。


 先日のケンカの前は距離があったけど、ケンカの後は良いのか悪いのか距離が近くなった気がする。特にマネイナが本音でセイラムにぶつかるようになったと思う。


「開始直後、重力障壁を展開するってのはどう? レシェフチーム……っていうより、時屡不って今までの二試合全て開始直後に突っ込んで来てるのよ。だから今回も絶対来ると思うのよね。上手くすれば防げるし、破られたとしてもダメージは軽減できるわ。どっちにしろ、時屡不は体勢を崩すことになる。そこを一斉に狙う」


「確かに、良い案だと思います」


 ハイガちゃんの同意を受けて、セイラムはどや顔で胸を張った。一方でマネイナは一瞬だけ鼻にしわを寄せる。そして、間髪入れずに反論した。


「だけど、後ろには石煌とアキが控えているのですよ」

「速攻をカウンターで返すのよ。後ろの二人が反応できるとは思えないわ。それに、今まであの二人が開始直後に攻撃を仕掛けて行くとこなんて見たことある? ないわよね」


「今までがそうだからって、今回がそうであるとは限らないでしょう」

「そんなこと言ってたらなんにも出来ないじゃない!」

「まあまあ、二人とも落ち着けよ」


 ヒートアップしそうな二人を宥めて、


「確かにマネイナの言い分も分かるが、俺は今回はセイラムが正論だと思うけどな」

「では、こうしませんか?」


 空気が悪くなりそうなところを、ハイガちゃんの柔らかな声が中和した。


「セイラムの意見はもっともだし、有効であると言えると思うんです。でも、マネイナの意見も良く分かります。私も、あの二人には注意を配っておくべきだと思います。でも、様子を見ていたら私達はきっと敗れます。だから、セイラムの言うように開始直後に重力障壁を張り、時屡不が突撃し、バランスを崩したところを突撃された人物意外が狙う。狙われた者は、重力障壁を張るのとほぼ同時に石煌とアキへ遠距離攻撃を仕掛ける」


「なんで狙われたやつが直接時屡不を狙わないんだ?」


「私達エスラチームは、松尾さん意外近距離型の武器を装備してないでしょう? 時屡不を攻撃するさいに重力障壁が破られていたら、自身も攻撃に巻き込まれてしまう。マシンガンや銃による攻撃ならばその限りではありませんが……。普通、攻撃している時って相手以外を見れてないことが多いと思うんです。だから、視野の外からの攻撃の方が当たると思うんです。ただし、時屡不に狙われた人はすぐさま退いてください。でないと、味方の攻撃による爆発に巻き込まれる危険性があるので」


「そっか。分かった。まあ、巻き込まれても歩神の防御力でケガはあんまりしなさそうだけどな」


 クイーチーム戦のときみたく。


「バカね。それじゃ、攻撃に遅れるじゃない。一瞬の遅れが命取り、万が一ケガしたら負けるわよ」

「なるほどな」

「じゃ、それで行くわよ」

「は~い」

「了解しました」


 納得して頷く俺達に、ハイガちゃんは、「ただし」と付け足した。


「開始直後、必ずばらけてください。決して横一線、縦一戦には並ばないように。もちろん斜めもダメです」

「なんで?」

「レシェフチームの過去二戦を思い出してください。並んでいたら一斉に貫かれて終わりですよ」

「そっか」


 緊張と同時にやる気が湧いた。

 俺は静かに三人を見回した。

 このメンバーなら、今の俺達ならきっとやれる。なんだか、そんな気がした。



 演習場Bでレシェフチームと向かい合うと、異様な緊張感が沸きあがってくる。不安と高揚感は観客であるクラスメイトからも伝わってきた。


 彼らはだいぶ離れた場所で俺達を見守っていた。そこから速水がすっと手を上げたのが見えた。


「これより、レシェフチーム対エスラチームの対戦を始める! 互いにベストを尽くせ!」


 良く通る声が演習場に響き渡った。俺は速水の声に耳を傾ける。


(来い、来い、来い――)

「始め!」

(来た!)


 俺は後方へ飛んだ。前方斜めにハイガちゃんがいる。マネイナとセイラムは見えない。おそらく俺より後ろだ。


「重力障壁!」

 

 早口で呟いた言葉はばっちり四人分耳に届いた。唇を弾いたような――ヴン。という音と共に目にも留まらぬ速さで重力障壁が展開する。

 この時、僅か二秒足らずだった――はずだ。だが、その二秒でやつは姿を消した。


(誰に来る?)


 俺の脳裏に焦りと緊張が宿る。

 眼球が揺れて、視界が乱れた。


(落ち着け!)


 突如激しい衝突音が響き渡った。


(どこだ? 誰に行った?)


 俺は焦燥を抱えながら瞬時に辺りを見回した。前方のハイガちゃんは無事。後方、左右に散ったマネイナとセイラムも無事だ。


(……無事? じゃあ?)


 ハッとして顎を跳ね上げる。

 中央にいた俺達の遥か後方の天井に時屡不は一撃入れていた。天井にひびが入っている。やつは空中で回転し、無表情で降り立った。手にしているのは例の、巨大な槍。


(なんであいつ天井なんて攻撃したんだ?)

「なにやってるんだよ?」


 不思議そうにアキが口を開いた。見ると、石煌も僅かにきょとんとした表情で時屡不を見ていた。


(作戦ってわけじゃないみたいだ)


「イカン!」


 速水の焦燥に満ちた声が聞こえて、俺は反射的にそっちの方向を見た。視界の隅でハイガちゃんも顔を向けたのが映った。


「退避しろ!」


 速水は叫ぶと同時に駆け出し、歩神を身に纏った。背中から二本のロボットアームが伸び、巨大でしなやかな鞭を持つ。速水の片腕も同じ鞭を握っている。肩口には小型のロケットランチャーが装備され、太ももから脚にかけて厚い装甲が光る。速水の歩神姿は初めて見たけど、完全な遠距離型だ。俺は思わず暢気にも見入ってしまった。そのときだ。突然激しい突風が吹きぬけた。俺は手で顔を覆いながら、風の発生源に向き直る。


 時屡不の周りに黒い歪が出来ていた。まるで深淵のように真っ暗闇な穴だ。その周りの空間が歪み、強風がそこから吹き荒れる。


(なんだ、何してんだ?)


 混乱する脳が、次の瞬間固まった。

 歪の中から、白い指が覗く。それはまるで踊るように、ぬっと這い出てきた。長い、長い、腕……。


(人間か? ――いや)


 ぞっとしたものが背筋を這って行く。

 歪の中から出てきたものは異様な形をしたものだった。全長五メートルはある巨大な蜘蛛の体に、八本足ならぬ、八本の腕がついた生き物。いや、あれは生き物じゃない。ロボットだ。

 蜘蛛の顔中を無数の目玉がギョロギョロ蠢く。左右に行ったり、上下に進んだり。


「……気持ち悪りぃ」


 思わず気分が悪くなる。しかも、そんなのがまだ何体も歪みから出ようとしていた。


(なんなんだよ、これ。あいつの技かなんかかよ?)


 呆然とする視界に、何かが横切った。

 ガツンと重苦しい音を立てて、時屡不が吹き飛ぶ。


「え? 速水?」


 時屡不を蹴り飛ばしたのは速水だった。速水はそのまま着地するともう一度叫んだ。


「総員、退避しろ!」

「退避、ったって……」


 何がなんだか。


「つーか、マームいくらなんでも生徒蹴り飛ばして良いのかよ。試合は?」

「愚か者! やつは敵だ!」

「て……え? 敵!?」


 思わず、すっ飛ばされた時屡不を二度見する。時屡不は十メートルくらい離れた壁に激突していた。上半身が瓦礫にまみれて、壁の中に体が半分埋まってるみたく見える。


(あれ、死んだんじゃないか?)


 嫌な予感が過ぎった時だった。瓦礫が動き、時屡不が立ち上がった。その表情を見た瞬間、全身が粟立った。


 あれだけのことがあったのに、まるで何事もなかったみたいに、なんの感情もないみたいにやつは無表情で速水を見据えた。そこで俺はやっと理解した。


 時屡不は人間じゃない。


 この世界の人間の敵って、そうだ。ロボットだ。

 俺は素早く辺りを見回した。チームメイトを探したかったんだ。だけど、ハイガちゃんもマネイナもセイラムもいない。ついでにアキも石煌もいなかった。


(なんで、なんでいないんだ? みんなどこ行った?)


 混乱する頭に、聞き慣れた声が飛んできた。


「之騎なにやってんの! さっさと退避しなさいよ!」

「松尾さん、早く下がってください! 危険です!」

「何をしてるんですか! マームの迷惑になります! 下がりなさい!」


 マネイナはともかく、俺を心配する声音がインカムから流れてきて、俺はやっと我に帰った。みんなはもう速水の命令を聞いてとっくにクラスメイトのところまで退避してたんだ。


「俺も行かなきゃ」


 足に力を入れた瞬間、黒い影が俺と目の前の速水を覆った。

 巨大な蜘蛛が俺を睨みつける。心臓が一気に跳ね上がった。


(どうしよう。何をする? どうしたら良い?)


「逃げろ! 松尾!」

「――ッ。ハッ! マーム!」


 速水の声で我に帰って、俺は跳躍した。遥か上空を跳びながら、息が詰まった。


(あの蜘蛛、一体だけじゃない)


 更に五体の蜘蛛が時屡不が発生させた黒い穴から這い出ていた。更に、黒いフードを被った人間サイズの、二足歩行のものも三体ほどいる。フードを被ってるからどんなロボットなのかは判らないけど、なんだかすごく嫌な予感がした。


 みんなのもとへ降り立つと、すぐにハイガちゃんとマネイナ、セイラムが寄ってきた。


「無事ね?」

「ああ。ありがとうセイラム」

「別に、心配なんてしてないわよ」


 強がってるけど、顔にありありと心配してましたって書いてあるぜ。


「ごめんな、セイラム。ありがとう」

「……やめてよ」


 小さく呟きながら若干頬を赤く染めて、セイラムはそっぽ向いた。

 なんだ、こいつ。可愛いとこあるんだな。


「了解しました」


 低声が聞こえて振り返ると、ハイガちゃんがインカムを離しているところだった。


(誰かと通信してたのか?)


 ハイガちゃんは俺達に向き直って、真剣な表情で声を張り上げた。


「みなさん、直ちにここを退却します! 総員急いで――」

「どういうことよ!」


 突如、ヒステリーな声が割って入った。

 少し離れたところで白燐含めて数人がアキと石煌に詰め寄っている。


「なんなの、この状況!? なんでミトラのやつらが入って来れてんの!? あんた達時屡不のチームメイトでしょ! なんか知ってるんじゃないの? あんた達もスパイなわけ!?」

「ち、違うよ! そんなことあるわけないだろー!」


 アキが必死な様子で叫んで、石煌が激しくかぶりを振った。


「おい! 今そんなことしてる場合か!」

「そうよ白燐。さっさと退避するわよ!」

「どうやって退避しろってのよ! エレベーターの前も階段の出入り口にも敵がいるのよ!」


 白燐がセイラムに逆らってるのはじめて見た。と、内心少し驚きつつ、俺は更に声を張り上げた。


「そんなもんぶっ倒していけば良いじゃねえか!」

「びびってたやつが言うじゃない!」

「ああ!? そりゃ、びっくりするだろーが、あんなん初めて見たんだからなぁ!」

「なっ、そ――」


 開き直った俺に呆気に取られてる間に、俺は声を落として真っ直ぐに白燐を見据えた。


「気持ちは分かる。怖いのはみんな一緒だ。だけど、こういう時こそ落ち着いて行動しようぜ。避難訓練を思い出せ」

「そんなのやってないわよ」

「あ、そっか。幼稚園からの避難訓練は日本独自の文化か」

「なに言ってんのよ。意味わかんない」


 ぷっと白燐は笑った。

 少しなごんだみたいで、白燐は落ち着いた表情に戻った。


「話は終わりましたか。では、総員急いでここから脱出します。私について来て下さい」


 ハイガちゃんが妙に落ち着いた口調で言った。


(ハイガちゃん、キミはいったい何者だ?)


「先に言っておきます。デーディルサイトの腕には絶対に捕まらないで下さい。握力が凄まじく、握りつぶされて圧死します」


 淡々と告げられた死という言葉に空気が緊張したのがわかった。


「ごめん、ハイガちゃん。ディーディルサイトってなに?」


 粛々と手を上げるとハイガちゃんは視線を俺に向けた。いつになく真剣な瞳だった。


「蜘蛛のロボットです」


 端的に答えると、ハイガちゃんは再び全体に視線を移す。


「二チーム同士で行動してください。レシェフチームとクイーチームは先頭を。続いて、クルミメチームとポチトリチーム、エクチームとチュアフチームと続いてください。必要に応じて防御、攻撃しながら階段を目指してください。可能ならば、レシェフとクイーは数人を抱えて動いてください。足の遅い者、怪我人もいますので。ただし、クイーチームは制限時間に気をつけて。アティスチームとエスラチームは申し訳ありませんが、私と一緒に殿を務めてもらいます。良いですね?」


 良く分からない。ハイガちゃんは春南ちゃんなのか? そうだったとしてもそうじゃなかったとしても、彼女は本当に何者だ? 絶対ただの学生じゃない。――ただ、そんなことはこの瞬間、どうでも良くなっていた。

 彼女の指示に俺は心底納得し、頷いていた。


 それは俺だけじゃない。クラスの全員が彼女の指示に従い、行動を起こそうとしていた。そこへ、インカムから速水の切迫した声音が響いた。


「そっちへ行ったぞ!」


 蜘蛛ロボット、ディーディルサイトが一匹、猛スピードで俺達に向っていた。


「アティス重力障壁展開!」


 ハイガちゃんが叫ぶとアティスチームはすぐさま重力障壁を作った。その刹那、巨大な重力障壁にディーディルサイトが鈍い音を響かせてぶつかる。


「重力障壁解除、エク、一斉に火炎放射!」

「ハッ!」


 衝撃でふらついている一瞬の隙を狙ってハイガちゃんが指揮を飛ばした。アティスチームが素早く重力障壁を解くと、エクチームの三人が一斉に火炎放射でディーディルサイトを燃やす。ディーディルサイトは小さく悲鳴めいた音を出して後方へ下がったが、火炎放射の熱量が膨大で、おそらく鉄の体であろうボディが溶け出している。


 すごい。エクチームの連中も、アティスもすごいけど、ハイガちゃんだ。二チームとも、自然に彼女に従っている。


「総員退避! アティス、重力障壁を展開しつつ行動できますね?」

「うん。移動しながらは正直難しいけど、やってみる。でもハイガ、うちら正面側しか重力障壁張れないよ」

「大丈夫です。敵が多い右側に展開して行ってください。反対側は私達エスラがサポートしながら進みます」


 ハイガちゃんは青燐に告げると、「良いですね?」と俺達を振り返った。


「おう! 任せとけ!」


 本当は心臓バックバクだけどな。


「ふん! わたしに大役を任せるなんて。ハイガ、アンタやるわね!」


 振り返るとセイラムは不安を吹き飛ばすように胸を張っていた。隣のマネイナは浮かない表情で、「ハイガ、貴女はいったい……?」と、呟いた。それは俺も気になる。だが、今は――。


 疑問を胸に閉まって、俺は既に駆け出していたエクチームに続いた。



 アティスが張った重力障壁に沿って駆け抜けていく。

 ちらりと速水を確認する。速水はフードロボット三体と、ディーディルサイト二体と格闘していた。


 敵はどんどん増え続けている。というのも、時屡不が敵を転送し続けているからだ。でも、速水は攻撃を受けていて時屡不にたどり着けないでいる。


「――チッ」


 気を取られた瞬間、目の前に影が現れた。

 ディーディルサイトの腹が見える。まさしく蜘蛛の腹そのもののロボットは、すごいスピードで重力障壁をよじ登ってくる。


 心臓が跳ね上がる。

 反射的に撃ちそうになったけど、俺は上げかけた銃を下げて、そのまま走りぬけた。


 任務は全員で階段へ行くこと。こいつが重力障壁を越えてきたら攻撃を仕掛ければ良い。そう、それで良いはずだ。


 足の遅いチュアフチームと合流して、「がんばれ!」と励ます。

 ダミアは肩を押さえてうんと強張った表情で頷いた。腕を押さえつけて僅かに顔を歪ませた。まだ完治してない腕が痛み出したんだ。

 他のチュアフチームの二名もレシェフ戦で負った傷口を押さえてる。


(そりゃそうだ。見学だけのはずだったのに、こんなに動き回ったら傷口だって開くよな)


 同情が胸を占めたとき、重力障壁のない左側からフードを被ったロボットが走ってきた。


(速い!)


 俺は咄嗟に迫撃砲をぶちかます。

 フードロボットはジグザグに避けて猛スピードで迫ってきた。


(こいつ、クイーチーム並に速い!)


「でも、リトナよりは遅ぇな!」


 カウンターを食らわし、オーバーソードナイフで切り裂いた。真っ二つになったフードロボットはジタバタと手足を動かしながら吹き飛んで、重力障壁へぶち当たって止まった。


「すっげー威力」


 俺はまじまじとオーバーソードナイフを見つめた。ふと、その先のフードロボットの半身に目が行った。


「……え?」


 赤黒い液体が地面を染めていた。鮮明なピンク色の臓物がマントの生地から覗いている。


「……人間?」


 いや。違う。そんなことない。絶対違う。だって、敵はみんなロボットなんだろ? だけど、じゃあ、あれはなんだ? え? うそ。嘘だろ。

 俺……人、殺した――?。


「之騎!」


 びくっと心臓が跳ね上がる。

 我に帰った俺の目の前に、華奢な背中があった。


 体系に似つかわしくないゴツイ発射台が、彼女の肩から火を噴いた。反動で後ろに引かれ、俺に軽くぶつかる。振向き様に、セイラムは俺の肩を両手で掴んだ。顔が信じられない距離にある。凄まじく近い距離で見たセイラムに、俺は何故か妙に納得してしまった。こいつ、可愛いんだな。


「なにボーっとしてるのよ!」

「いや。お前、やっぱり可愛いんだなと思って」

「はあ!? なに言ってんのよ!」


 盛大に呆れて、セイラムは俺から離れた。


(チッ、残念)

 セイラムが攻撃した敵を一瞥する。フードロボットだった。

 やつはもろにミサイルを喰らって肉片と化していた。吐き気がする。

 俺は思わず口を押さえた。


「大丈夫よ」


 ぽつりと呟いたセイラムを見上げた。


「人間じゃないわ」

「え?」

「あれは、動物。通称・ビーディーっていうの。わたしも見たのは初めてだけど、ミトラが改造して、歩神みたいな兵器を身につけさせた動物よ。意思なんかもっちゃいないわ。脳に埋め込んだマイクロチップで、人工知能が動かしてるだけ」


 だから、大丈夫よ。そういう目でセイラムは俺を見据えた。


(気にするなって、こいつなりの励ましか)


 操られた動物にしたって殺したってのはだいぶ気分が悪い。罪悪感がむくむくと湧いて来る。けど、

「ありがとな」

 セイラムの気持ちは素直に嬉しかった。


「行くわよ」


 セイラムは堂々と胸を張って、走り出した。俺も後に続く。

 目前に迫った階段の出入り口にはディーディルサイトが二体。一体は階段を上ろうとしていた。


(もしかして、もう何体か上へ行っちまったんじゃねぇだろうな?)


 不安が過ぎったとき、耳を打つ激しい炸裂音がして、階段を上がろうとしていたディーディルサイトが弾けとんだ。

 破片が爆風に乗って吹っ飛んでくる。


「C・B。重力障壁!」

『了解です』 


 瞬時に重力障壁を展開して破片を弾いた。前の連中も同じように重力障壁を張っていて無傷だ。


「何が起こったんだ?」


 緊迫した声音で誰かが呟いた。多分、アキだろう。


「止まらないで!」


 ハイガちゃんの叱責で俺達はハッとした。俺達はいつの間にか動きを止めてしまっていたんだ。再び駆け出そうとすると、突如階段の出入り口から人がわらわらと駆け抜けてきた。

 歩神を身に纏った人達は、一斉に攻撃を開始する。


「味方だ……。味方が来てくれた!」


 前方から歓声が上がって、俺もほっとして気が抜けた。そこに、


「まだ安全ではありません! 足を止めないで!」


 厳しい声音が飛んできた。ハイガちゃんの声に導かれるように一斉に前進する。

 兵士とすれ違って階段の入り口に入ろうとしたとき、ハイガちゃんが足を止めた。クラスの連中はすごい速さで階段を駆け上がっていく。俺は足を止めて振り返った。

 ハイガちゃんは兵士に声をかけていた。


「司令官へ、伝言願います。敵の狙いはおそらくこの施設の破壊にあります。敵の最重要項はクローン施設とF・Bおよび歩神の武器保管庫でしょう。時屡不は味方の引き込みが完了次第、天井破壊に挑むと思われます」

「詳しいな。貴殿は?」


 兵士は怪しそうにハイガちゃんを見る。


「ハイガ・ウィンツ二等兵です」

「ああ、キミが。了解した。キミは引き続き生徒の保護を頼む」

「了解しました」


 ハイガちゃんが名乗ると、兵士はころっと態度を変えた。つーか、二等兵って……。


「ハイガちゃん、学生じゃないの?」


 ハイガちゃんはびっくりした表情で振り返った。まだいたとは思わなかったらしい。ハイガちゃんは戸惑ったように目を左右に動かして、「行きましょう」と話をはぐらかした。


 本当はなんで学生じゃないのにいるのかとか、聞きたいことは山ほどあったけど、爆音渦巻く戦場でそんなことをしてる余裕は俺にはなかった。


 

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