第9話
観客席へ向うセイラムの後姿がどことなく誇り高い。やってやったわ! 感がにじみ出ている。
その背を見ながら視線を速水に移すと、速水は腕を組んで仁王立ちしながら、「良くやった」と、声を張った。
「ども」
最後尾にいた俺は軽く会釈して、マネイナは即座に敬礼。セイラムとアティスチーム一同はマネイナより少し遅れて敬礼をして、ハイガちゃんは深々とお辞儀をしたあと敬礼した。
みんなの後姿をなんとなく眺めてから速水を見ると、教官はなにやら険しい表情をしていた。(って、険しくないときなんて殆どないけど)今回はなんとなく険悪だ。
「アティス、善処したな。貴様らの防御力は使えるものだ。だが、課題もある。これからも技を磨いていけ。――エスラ」
速水は体をエスラチームに向けた。というより、ハイガちゃんにか? 目線は確実に俺達じゃなく、ハイガちゃんを捕らえている。
「勝利はしたな。しかし、かろうじて及第点といったところか。何故リーダーを決めていない? 貴様は試合が開催されることをキャッチしていたな。なのに何故作戦のひとつも立てなかった?」
厳しい口調で言って、速水はじっとハイガちゃんを見詰める。
「いや、ちょっと待てよ。ハイガちゃんだけの問題じゃないだろ!」
ギロッと睨まれて、俺はへらっと苦笑を浮かべて言い換えた。
「――ないですよね」
「ハイガ・ウィンツが敵情視察を行っていたことは承知している。貴様はどうだ、グランツ」
「……ハッ。開催されるにしても、もう少し先かと軽んじておりました」
申し訳ありません! と、マネイナは声を張った。
「おそらくだが、このクラスで試合が開催されるだろうと予期した者は、ウィンツと数人といったところだろう」
静かに言って、速水はおっそろしいレシェフチームをちら見した。
それから、金髪男子も一瞥した。クラス内のモテ男だ。
よく見るとこいつの瞳は真っ赤だった。マネイナみたいに茶褐色とかじゃなくて、本当の赤だ。じろじろ見てたら、赤目金髪がこっちの視線に気がついたのか視線を向けた。目が合うとパチンと片目を閉じた。
(……うげえ。男にウインクされちゃったよ)
最悪な気分で目線を逸らして、速水を見据える。
「予期した者は、おそらくチーム内で何かしらの作戦を立て、努力をしてきただろう。予期しなかった者もアティスやポチトリのように自分達の出来うる限りを尽くした。だが、貴様は違うな?」
確信を持ったようにきっぱりと言って、速水は鋭い瞳でハイガちゃんを睨み付けた。
(なんだってんだよ?)
ハイガちゃんはどことなく困惑した表情を浮かべている。
「何故リーダーすら決めていない」
静かで、威厳のある声音が辺りに響く。同情の目がハイガちゃんに注がれていた。そこに、
「いえ、姉上。そのことに関してはハイガだけの責任ではありません。自分達にも責はあります」
(姉上?)
俺は思わずマネイナを凝視した。
「おい、今姉上って言ったか?」
俺の独り言は速水の怒号に掻き消された。
「グランツ!」
「ハッ。申し訳ありません! マーム!」
マネイナは慌てて敬礼した。普段、表情があまり変わらない部類のマネイナの顔が、やっちまったって感じで歪んでる。
(おいおい、マジかよ。お前の憧れの姉ちゃんって、この鬼教官なの?)
「今はウィンツに話を聞いている。貴様は黙っていろ」
「ハッ。申し訳ありません!」
再び敬礼をして、マネイナはただでさえ伸びている背筋をさらに伸ばした。
「答えろ」
速水に睨まれて、ハイガちゃんは重たそうに唇を開いた。
「リーダーを決めなかった理由は……いくつあって」
「言え」
速水は静かに恫喝した。
(こいつ、俺のハイガちゃんに……)
ハイガちゃんは言い辛そうな顔つきをした。可哀想なハイガたん!
「あの……。マ、マネイナは自分がリーダーだと無意識に思ってるふしがあって。それは、青鈴やジャーニス、私達といるときもグループのリーダーだから、そう思うのはしょうがないことだと思うし、クラス内でも結構まとめ役っていうか。いけないことはいけないってちゃんと注意するし、だから、私もマネイナがリーダーで良いと思ってて。多分、それは松尾さんも同じで」
俺? まあ、確かに。考えてみたら、無意識にマネイナがリーダーっぽいなとは思ってたな。
ちらりとマネイナを見ると、マネイナはどことなく気まずそうな表情をしていた。彼女も思い当たるふしはあるらしい。
「でも、セイラムは自分がリーダーをやりたがるだろうなっていうのは、目に見えていたので……」
「先延ばしにした、と?」
「……平たく言えば、そうです」
小さく俯きながら、ハイガちゃんは答えた。
「セイラムはマネイナにライバル心を持っているふしがあると思うんですが、ここのところ、練習試合で松尾さんに負けっぱなしで少し気落ちしているようなところがあったので、今回の試合でセイラムに仮のリーダーとして立ってもらうことで、勝利し、自信を取り戻してもらってから、マネイナをリーダーに推薦する狙いもありました。その方がスムーズに行くと思って……」
「なるほど、そういうわけか」
「はい」
ハイガちゃんは申し訳なさそうに頷いた。
(そんなことまで考えてたなんて……)
ちらっとセイラムに目線を送ると、セイラムはぽかんとした表情を浮かべていた。でもそれはほんの一瞬で、次の瞬間には眉間にしわを寄せて、ぐっと歯を食いしばっていた。エベレストさんは、さぞかし悔しいんだろうなぁ。
「それで、あの作戦に乗ったわけだな」
「……」
窺う視線を送った速水だったが、ハイガちゃんは黙り込んだ。
なんとなく、空気が悪い気がする。言って欲しくないことでもあるみたいに、ハイガちゃんの顔が曇った。
「ハイガ・ウィンツ。貴様、他に作戦があったな?」
「……いえ」
「嘘をつくな!」
激しい怒声に、ハイガちゃんは肩をびくっと竦めた。
「貴様はアティスチームの課題にも気づいていたはずだ。敵の弱点をつかないのは愚か者のすることだぞ。大よそ、指揮官には相応しくない」
「はい」
「実践して見せろ」
「……は?」
ハイガちゃんは、怪訝と不快が入り混じったような表情で顔を上げた。
「アティス。準備しろ」
ハイガちゃんを無視して、速水はアティスチームを振り返った。アティスチームは一瞬戸惑いを見せたけど、すぐに敬礼をして闘技場に戻った。
「え? あ~、俺達も?」
きょろきょろと辺りを見回す。けど、マネイナもセイラムもこっちを見向きもしなかった。二人とも不機嫌な表情でただ前だけを見据えている。
「貴様らは良い。ハイガ・ウィンツだけ出陣しろ」
「え、ハイガちゃんだけ?」
呟いて、俺は斜め前にいたハイガちゃんに声をかけた。
「大丈夫か?」
「はい」
ハイガちゃんは振り返って、にこりと笑った。でも、目尻が開かれたとき、ふと浮かんだ瞳が切なげで、陰鬱に染まっていた。
「……松尾さん?」
きょとんとした丸い瞳が俺を見据えて、それで気づいた。慌てて手を離す。俺は思わずハイガちゃんの腕をとっていたらしい。
「ご、ごめん」
「いいえ。じゃあ」
目の前を、黒髪が跳ねて揺らぐ。
それがとても印象的で、きれいだった。
俺は、春南ちゃんを探さなきゃならない。でも、何かを抱えてるような……感情を吐露しないこの少女の力になりたいと、ふと強く思ってしまった。
*
ハイガちゃんが闘技場に入る。アティスチームと向き合って一秒も経たないうちに、速水が開始を告げた。
「始め!」
その声に反応して、即座にアティスチームは重力障壁を展開させた。さっきと同じように、幅五メートルの厚い障壁。見た目には、ほぼ透明に近いが、横から見ると障壁のある部分が線が入ったように若干ずれていた。
正面で見ていたときは、ほんの僅かに歪みが感じられる程度だったけど、真横から見るとこんななんだなぁ。と、俺は感心しながら状況を見ていた。
ハイガちゃんが動いたのは、その直後だった。
歩神の力を借りて、ハイガちゃんは猛スピードで地を駆けた。
武器は何も装備してない。
(このまま突っ込んで、どうするつもりだ?)
不安が胸を過ぎった。
その瞬間、ハイガちゃんは重力障壁にパンチを繰り出した。
俺は思わず身構えた。激しい衝突音が辺りに響くと思ったから。だが、そんなものは一切起きなかった。その代わり、青鈴の困惑した叫びが耳に届いた。
「どういうこと!?」
次の瞬間、落雷のような轟音が轟いて、突風が駆け抜けた。咄嗟に腕で顔と頭を塞ぐ。
「うわっ!」
「キャア!」
辺りから悲鳴が上がって、不意に静かになった。顔を上げて、闘技場を見据えた。
闘技場の真ん中には、四人の姿。尻餅をつくジャーニス、サハ、青鈴。その青鈴の前に、凛とした小柄な少女が銃口を突きつけている。ハイガちゃんだ。
「勝者、ハイガ・ウィンツ」
速水の勝利者宣言を聞いた途端、ウワアアア! と歓声が上がった。俺も、なにがなんだか分からなかったけど、テンションがぶち上がって一緒になって雄叫びを上げる。
ハイガちゃんはその歓声にびっくりして目を丸めていた。悔しそうなアティスチームが先に観客席に戻ってくる。ハイガちゃんは最後尾から遠慮気がちに観客席へ入った。
俺はハイガちゃんに駆け寄る。
「すげえな! ハイガちゃん。何やったんだよ?」
「えっと、あはは」
ハイガちゃんは苦笑を浮かべた。
「説明しろ」
速水が命令口調で促して、ハイガちゃんは自分に集まってる視線に気まずそうにしながら説明を始めた。
「えっと……アティスチームの巨大な重力障壁は、三人の重力障壁を合わせ、最大限広がるように操ったものだと思うんです。それぞれがぞれぞれに、絶妙なバランスで同じ出力で出し続ける。誰かが攻撃を仕掛けるときは、そのバランスを瞬時に崩し、誰かが崩れた分をフォローする。そういう高度なことをアティスチームはやっていたんだと思うんです」
速水が、どうだ? と尋ねるようにアティスチームを見た。青鈴は驚いた表情を引き締めて、うんと頷いた。
「その通りです」
「抜群なチームワークだと思います。私達のチームにはないものです」
確かにその通りなんだけど、なんかグサッと来るな。
「でも、高度で精密だからこそ、そこに弱点があります」
ハイガちゃんの言葉を聞いて、満足そうににやっと速水が笑んだ。
「絶妙なバランスで成り立っているが故、少し重力を追加しただけで決壊したんです」
ハイガちゃんは人差し指を立てた。
「一、絶妙なバランスを崩して崩壊する。二、重力が加算された分、空間が歪む。三、アティスチームが軌道修正を図って決壊を防ぐ。四、何も起きない。もう少し考えたものもありましたが、現実的なのはこの四つでした」
ハイガちゃんは四本指を立てた。冷静なハイガちゃんを見つめながら、心臓が逸る。デジャブが蘇る。あの世の裁判での、あの出来事が。
ありえない可能性に頭が混乱した。
(まさか、そんな……)
「二の場合、危険を察知したアティスチームが重力障壁を解いてくれることを見越していましたし、三の場合は、軌道修正を行う一瞬の隙を突けば重力障壁を決壊させることは可能でしょう。四の何も起きないというのが一番確率が低く、一の決壊するが一番確率が高いと思っていました」
ハイガちゃんは自信なさげに速水を見据えた。
「マームは、セイラムの件でこの手を打たなかったと仰いました。確かにそのことも大いにあります。でも、試験的であったからという理由もありました。あの場で、確実に勝利を収めるには、セイラムの意見の方が堅実だと思ったんです」
「博打は打たんか」
「はい」
「……そうか。被害状況に関しては考えたか?」
「はい。多少ケガはするでしょうが、賭けに出るよりはと思いました。もしも、重力の負荷で磁場が歪んでしまったときの被害想定は零から百までありますから」
「そうか。では、貴様は何パーセントなら賭けに出るんだ」
「え?」
「完璧を求めるなよ、ウィンツ。完璧であることはこの世に存在しない。戦地しかり、日常しかりな。あまりそれに固執すると、状況判断を見誤ることになるぞ。この場合、貴様の憂いは杞憂の域だ。貴様がかけた負荷はほんの微々たるものだろう。そんなもので、空間に歪みが出来るほど、歩神はやわではない」
「……はい。肝に銘じておきます」
ハイガちゃんは沈痛な表情で敬礼した。
「アティス。つまりは、貴様らの重力障壁は微々たる重力負荷で決壊するほど、繊細かつ、精密であるということだ。その技術は称賛に値するが、さらに安定させることを視野に入れておけ」
「ハッ! ありがとうございます!」
アティスチームが誇らしげに敬礼をしたのを目の端で捉えた。でも、俺はそっちに目線を送る気にはなれなかった。ハイガちゃんをじっと見つめながら、俺は確信した。
(ハイガちゃんって……)
「この時間の試合はここで終了とする。次はクルミメチーム対クイーチームの試合を開始する。場所は、演習場Bだ。以上、解散!」
「ハッ!」
一斉に敬礼すると、わあっと皆がハイガちゃんに集まった。賞賛の嵐に、ハイガちゃんは戸惑っていた。駆け寄らなかったのは、負けたアティスチームと、セイラム、マネイナ、そして俺だ。
人波が引いた頃、俺はハイガちゃんに近寄った。ハイガちゃんは一瞬だけ、不安げな瞳を浮かべた後、いつもと変わらない微笑で俺を迎えた。
「松尾さん。一緒に移動しますか?」
「……春南ちゃん、だよな?」
「……え?」
「春南ちゃんだろ? そうだよな。ハイガちゃん」
「……いいえ。違いますよ。私は、ハイガ・ウィンツです」
ハイガちゃんは強張った表情にぎこちない笑みを浮かべた。
そんな顔して……。
「嘘って丸ばれだぜ、ハイガちゃん。いや、春南ちゃん」
「嘘ってなんですか。嘘じゃありませんよ。私はハイガ。ハイガ・ウィンツです」
ハイガちゃんは苦笑を浮かべながら歩き出した。全然取り合ってくれない。もしかして、違うのか? いや。そんなはずない。
「絶対、春南ちゃんだろ。俺には分かる」
「分かるって、まだ数ヶ月しか一緒にいないのに?」
軽く嘲笑的に笑って、ハイガちゃんは不意に真剣な瞳をした。真っ直ぐに俺を見つめる。その目が拒絶の色を表しているみたいで、胸が痛んだ。
何か言わなきゃ、そう思うのに言葉が出てこない。確信はある。さっきの語りはあの世の裁判で見た春南ちゃんにそっくりだった。でも、彼女からイエスを導き出すことは出来そうもない。
俺とハイガちゃんは見合ったまま、沈黙が流れそうになった。そこに、怒鳴り声が割って入った。
「ハイガ・ウィンツ!」
振り返ると、上気したセイラムが立っていた。
怒りを押し殺したように、低い声でセイラムは言った。
「アンタ、わたしを騙したわね?」
「セイラム……ごめんなさい」
ハイガちゃんは潔く頭を下げた。
でも、セイラムは溜飲を下げなかった。戸惑ったみたいに一瞬瞬きをして、声高に叫んだ。
「謝れば済むと思ってるの!? アンタのせいで、わたしは赤っ恥だわ!」
「……ごめんなさい」
剣幕に押されて、ハイガちゃんは肩を震わせた。
「おい! ちょっと待てよ!」
「松尾さん……!」
俺を止めようとしたハイガちゃんの前に手を出して、「良いから」と俺はセイラムに向き直った。
「彼女のせいなわけじゃないだろ。悪いのは暴露した教官じゃねえか」
「マームは自分の仕事をしただけです」
ぴしゃりとした声音が飛んで来て、マネイナが残っていた数人の中から出てきた。
「マームのせいじゃない」
冷静に言って、俺を軽く睨みつける。
姉ちゃんのことになるとそれかよ。
「だとしても、暴露の仕方、させかたってのがあるだろうが。春――いや、ハイガちゃんが一人のときとか、俺らだけ呼んでとかだって出来ただろ」
「それじゃ意味がないでしょう。クラス全体の強化目的で試合は行われているのですよ」
「ああ。そうかよ。だからって、ハイガちゃんを責めるのはちょっと違うだろうが。彼女は謝ってんだぜ? 黙ってたのだってチームを思えばこそだろ」
「アンタに何が分かるのよ。謝ってもらったってなんにもならないわ!」
「じゃあ、なんなら許せるんだよ、お前は!」
横から割って入ったセイラムに俺は思わず怒鳴りつけていた。大きく息を吐いて、のぼせきった頭をクールダウンさせる。
気圧されたようにセイラムはぐっと顎を引いた。
「庶民とわたしじゃ、重圧が違うのよ」
陰鬱そうにぽつりと呟いて、セイラムはそのまま俯いた。
(重圧? 庶民? なんのことだ?)
俺が怪訝にセイラムを見据えると、セイラムはすぐに顔を上げてマネイナに話をふった。
「ねえ、マネイナ。アンタだって当事者なんだから、思うところくらいはあるでしょ? なんてったって、自称リーダーだって思ってたふしがあるみたいじゃない」
嫌味な野郎だな。久しぶりに、金髪性悪小娘って呼びたくなったぜ。
「……恥ずかしい話、自分がリーダーなんだってどこかでそう思っていたところはありました。ハイガは良く見ていたと思います」
おっ、味方してくれる?
「ですが、他の作戦があるにも関わらず黙っていたことは見過ごすことが出来ません。軍ではそれはタブーですから」
「そう言うけど、俺らはまだ学生だぜ?」
「学生とは言えど、軍人を目指して入学したのですから」
「だけど、失敗したりして学びながら成長したら良いじゃんか。一度の失敗すら許してもらえないのかよ?」
「軍とはそういうものです。一つの失敗が命に関わります」
「じゃあ、お前は失敗しないんだな?」
「しません」
きっぱりと言って、意志固くマネイナは俺を見据えた。
立派だよ。立派だけど、ムカつくな。
「失敗しない人間なんていねぇよ」
「自分はしません」
「良く言うわよね」
ハッと鼻で笑って、セイラムが嘲笑満面でマネイナを見つめた。
「今回の件はどうなのよ? リーダー決めも作戦も、してなかったのはこのチームよね? それって、失敗って言わないの?」
「確かにな。今回のことはチーム全員の問題でもある。リーダーの件は前に全員の責任ってことで決着したし。マネイナだってそれ速水に言ってたじゃん」
「マームと呼ぶように」
マネイナに眼光鋭く睨まれて、俺は苦笑を返した。
(どんだけ、姉貴好きなんだよ)
俺は心の中で毒づいただけだったが、口に出した女がいた。当然、セイラムだ。
「シスコン」
「なんて仰いました?」
マネイナの眉がぴくりと跳ね上がった。
うわぁ……。ヤバくないか?
「シスコンって言ったのよ。自分はどんだけ優秀だと思ってるのか知らないけど、将軍になるのが夢ならこの学校じゃなくて幹部大軍校に行けば良かったじゃない。大方〝姉上〟の後を追ってきたんだろうけど。それとも、入試落ちたのかしら? だったらごめんなさい」
強烈な嫌味を入れて、セイラムはふんと鼻で笑った。
おい、おい、幹部大軍校がなんなのか知らないけど、やめとけよ~。マネイナ相手だからガチゲンカになることはないと思うけど、言いすぎだってのは俺でも分かるぜ。
「まあ、でも気持ちは分かるわよ。妾の子であるお姉様が立派な軍人とやらになったんだものねぇ。たかだか、准尉の位だけど、速水教官のお母様はお喜びになったんじゃないかしら」
「口を慎みなさい。セイラム。自分のことはなにを言われても構いません。が、姉上のことを愚弄することは許しません。訂正しなさい」
本気で睨むマネイナを、ふんっとセイラムは一笑した。
「社交界でアンタに会うたびにいっつも思ってたわ。子供の頃からアンタの言葉はいつも奇麗事に塗れててぞっとするのよ。自分だけはいつも正しいと思ってて、自分は決して間違ったことはしない。そういうの自信って言うんじゃないのよ。〝おごり〟って言うの。アンタのそういうとこ、本当、反吐が出る!」
嫌悪感むき出しのセイラムを見ながら俺は小さく頷いた。
まあ、確かにマネイナにはそういうとこはある気がするし、俺もさっきそこは気にいらねぇなとは思った、思ったけど。
「おい、セイラム。言いすぎだぞお前。言って良いことと悪いことってのがあるだろーが」
「アンタは黙ってなさいよ。こっちには積年の思いってのがあるのよ」
「それはまあ、なんとなく分かるよ。お前らが幼馴染だったってのは驚きだけど、昔から気に入らなくて爆発した~って感じだろ? でもさ――」
「……よ」
「ん?」
聞き取れないくらい低い声が聞こえてきて振り返ると、マネイナがパッと顔を上げた。怒りが滲み出て、鼻にも眉間にもシワが寄っている。
「なによ! じゃあ、言わせて貰うけど、自分だって昔からセイラム、貴女のことは大嫌いでしたよ!」
「はあっ!?」
「わがままだし、団体行動を乱すところがあるし、すぐに人を見下すし、高慢だし、自信過剰はそっちじゃないですかぁ!」
「なっ!?」
セイラムは怒髪天過ぎて絶句したみたいだけど、俺は別の意味で絶句していた。無表情なことが多くて、常に冷静なイメージだったマネイナが歯をむき出しにして、まるで十代の女子のような口調で怒っていたからだ。(って、マネイナは十代女子なんだけど)大人びた体つき――もとい、性格だったから、びっくりした。
「性格悪い人に、なんで性格悪いみたいに言われなきゃならないんですか!? ムカつくんですけどっ!」
「はあ!? いいかげんにしなさいよ! このシスコン! 気持ち悪いのよ! お姉様、お姉様って、信者かよ!」
「姉上のことが大好きで何がいけないんですか? 誰も好きになれない人よりはよっぽど良いと思いますけど!」
「なっ……」
「貴女ファンクラブの人達にも冷たいらしいし、告白されてもこっぴどく振るそうじゃないですか。人間を見下すばかりで愛せない、貴女みたいな冷たい人間よりマシです!」
(ん?)
セイラムの表情がどんよりと暗く曇った気がした。俯いたから髪が邪魔でよく見えないけど。マネイナはそれに気づかなかったのか、はたまた、セイラムが言い返さないことに悦に浸ったのか胸を張って、鼻息荒く笑った。
マネイナ、お前ちょっと言いすぎたんじゃないのか? と言おうとしたとき、セイラムが顔を上げた。そこにはさっきの曇り顔は微塵もない。あるのは、嘲笑だけだ。
「ふんっ! このわたしに見合う人間なんて、早々にいるわけがないじゃない! わたしは冷たいんじゃない。慎重に選んでるのよ。アンタと違って、モテるから!」
あっそぉ~。
どうやら深読みしたらしい。ぴんぴんしてらぁ。
「はあ!? 貴女なんて――」
「それにアンタ!」
「え? 俺?」
マネイナが反撃する前にぴしゃりと打ち止めして、セイラムは俺に指を突きつけた。
(なんだよ、今度の矛先は俺かよぉ……!)
「そうよ。アンタよ、アンタ! 私は元々ハイガに話しかけてたのよ。なんで、アンタが割ってきてんのよ。お節介もいいかげんにしてよね」
「ああ!? さっきの物言いが話しをしにきたってやつの態度かよ。ハイガちゃんが攻撃されてんだから、援護射撃くらいするだろうが」
「なによそ――」
「セイラムの言う通りですよ」
割って入ってきた冷たい声音に脳が混乱する。今の声って……ハイガちゃん?
振り返ると、ハイガちゃんが真顔で俺達を見据えていた。
「ハイガちゃん?」
「松尾さん。セイラムの言った通りです。お節介です」
「え?」
「余計な御世話。ありがた迷惑。無用の親切」
「ハイガ……?」
マネイナとセイラムの戸惑った声音が同時に後ろから聞こえた。
俺はその声で動揺から少しだけ平常心へ戻ったけど、未だに脳が混乱してる。どうした、ハイガちゃん?
すっと、ハイガちゃんは視線を俺へ向けた。眼が冷たい。
(えっ……怒ってる? なんで?)
「私が助けて欲しいって、いつ言いました? セイラムなんて一時的に感情が上がって怒ってるだけなんだから、文句を言わせるだけ言わせて満足したころに頭下げておけば溜飲も下がるのに」
ぼそぼそと早口で呟かれる怒りに満ちた低声。なんですって? と後ろでセイラムの呟く声が聞こえたけど、誰もが無視した。だって、――怖ぇ。
「なのに、こんなにチームが混乱してしまって。セイラムとマネイナは元々そんなに仲良くないだろうなと思ってたから、直接対決はしないようにコントロールしてたのに、どうしてくれるんですか。確かに、言いたいことを言い合って結束を固めるパターンもありますよ。ありますけど、無理矢理決められたチーム、しかも元々仲は良くないし、根は深そう。そんなチームで雨降って地固まるなんてことが簡単に出来るとでも? 出来ない可能性はないけど、確率的には低いわけで……っていうか、私が助けて欲しいっていつ言いました? 私は、誰にも助けられたくないんですよ。特にあなたにはね。ああ、イライラする。なんなんだろう。なんなんでしょうね。私がこんなに色々考えてるのに、みんな自分勝手なことしかしないんだから。マネイナは自分に自信があるのか知らないけど、正義正義で正しいことばっかり。堅物で融通が利かない。そのくせ自分が一番だと思ってる。性質(タチ)が悪いのよ。セイラムなんて何があったのか知らないけど、つんけんしちゃって、思春期かよ。反抗期は実家でだけ迎えてくださいよ。一番になりたい理由とか色々ありそうだから黙ってたけど、いいかげんその性格改めてもらわないと困るのよ。チームなんだから。松尾さんは松尾さんで暢気だし、話聞かないし、お節介だし、余計なお世話だし!」
ぶつぶつと不平不満があふれ出てくるハイガちゃんは、黒いオーラを纏ったように異質で怖い。まだ残って野次馬してた連中が引いてるのが分かった。
気持ちは分かるぜ。
これが、あのほんわか空気のハイガちゃん?
不思議ちゃんっぽいけど優しい春南ちゃん?
ちょっと自信なくなってきた。つーか、ハイガちゃんそんなに俺、余計な世話焼いた?
「誰が、誰が、思春期よ! 反抗期!? ガキ扱いしないでっ!」
セイラムの叫びで、ハイガちゃんは我に返ったようにハッとした表情をした。
「ハイガ。そんな風に思ってたんですね……。ですが、自分は自分が一番だなんて思ってませんよ」
「思ってるじゃない。じゃなかったら、確認もせずにクジを引きに行ったりしないわよ!」
キッとマネイナがセイラムを睨み付けた。セイラムも負けじと睨み返す。
「おいおい、セイラム。そこはもう黙っとけよ」
「命令しないでよ。バグのくせに」
久しぶりに聞いたな。そのセリフ。
「執念深い人ですね。まだクジのことを恨んでいるなんて。心が狭いんじゃないですか?」
「なんですって!? マネイナ! もう一回言ってみなさいよ!」
「心が狭いんじゃないですか」
本当に言ったよ。
「~~~~っ! この、堅物クソ女ぁ!」
おっ。まずい!
セイラムが駆け出して、マネイナに殴りかかった。マネイナも避ける体勢を取る。そのときだった。
「貴様ら! 何をしている!」
怒声が響いて、その場にいた全員が肩を竦めた。当然、セイラムとマネイナも組合う寸前で止まった。
演習場の入り口の前で、速水が仁王立ちで立っていた。
げっ。ヤベー。懲罰される。
「貴様ら……もしや私闘ではあるまいな?」
唸り声のようにドスの効いた声音で、速水は俺達を睨みつける。
怖ぇ~。俺達は周りにいるやつらと片っ端から目を合わせる。
「いえ。少し揉め事があっただけです。申し訳ありません、マーム。すぐに参ります」
誰が言ったのかは解らなかったけど、良く通る男の声がそう告げた。
「……そうか。早く来い!」
良かったぁ……。腹筋追加とかなさそうだ。
「遅れた分、ここにいる全員には後で館内の掃除を命じる」
げえ。マジかよぉ。
「分かったな!?」
「ハッ!」
残っていた十数人総出で敬礼をして、順々に歩き出した。
セイラムは怒りをあらわにしたまま猪の一番に去り、マネイナはちらりとハイガちゃんと俺を見て、不機嫌そうな表情で歩いていった。
ハイガちゃんはというと、一時的に蹲って頭を抱えていた。多分、言うつもりのない本音が駄々洩れになって、どうしようって思ってるんだと思う。でも、そうしていたのはほんの数十秒で、すぐに立ち上がって歩き出した。
俺はその背に思い切って話しかけた。
「春南ちゃん」
一種の賭けのような気分がした。
ハイガちゃんの怒れる様子を目の当たりにして春南ちゃんなのか揺らいだけど、でもハイガちゃんがああして怒るってことも意外だった。ということは、春南ちゃんがああして怒るってことも十分にありえる。
だって、俺はハイガちゃんも春南ちゃんのことも本当はよく知らないんだから。
ハイガちゃんは、ゆっくりと振向いた。
その表情は意外なことに、戸惑いでも嫌悪でもなく、微笑みだった。
「私はハイガですよ。松尾さん。間違えないで下さい」
その微笑が、柔らかな声音が、俺には拒絶に聞こえた。これ以上踏み込んで欲しくないって言ってる気がした。だから、俺にはそれが答えのような気がした。
つまり、ハイガちゃんは本当は春南ちゃんであるということ。
「春南ちゃん、見つかると良いですね。もし、見つからなくても力になりますから。――それじゃあ」
「帰りたくないわけでもあるのか?」
笑んでいるハイガちゃんの頬がぴくっと引き攣った。ほんの僅かだったけど、それはイエスを示していた。
「ですから、私は違うんですよ。もう行かないと」
ハイガちゃんは再び笑んで、踵を返した。
その背には話しかけてくれるなと書かれている気がする。
俺は大人しくハイガちゃんを見送った。
「何があったんだ? 春南ちゃん」
*
演習場Bは、演習場Aの二階分下にあった。
演習場Aと違って観客席はない。ただっぴろく、頑丈そうな空間があるだけだ。鉄なのかは分からないが、全体が黒い金属で囲まれている。
地面はちょっとやそっとじゃ割れそうもない。大理石よりも硬そうな、冷たい石が敷かれている。広さは、大き目のオートレース場くらいある。自転車で走っても端から端まで行くのに五分以上はかかりそうだ。
その一角、断片的な部分が、どこかで見たことがある。首を捻ってたら、クラスのやつが教えてくれた。ここは、コイオス校の演習場と造りが同じなんだそうだ。
あの、歩神の男と犬型のR・Fが戦ってたところ。
ちなみに教えてくれたやつは、チュアフチームのダミアという少年だ。チュアフは嵐の神という意味で、ダミアはゴルトオラン人。背は低いが体格はがっちりしていて、頭の良さそうな顔立ちをしている。はじめて話したが、中々感じの良い青年だ。
ダミア率いるチュアフチーム対エク(火の神)チームの戦いは十五分に及ぶもので、火炎放射機を使うエクチームが全員重量のある重火器装備のチュアフチームを機動力で押していたが、最後はチュアフチームの嵐のようなミサイルや砲弾攻撃に沈んだ。狙いは外されていたから、大した怪我じゃないみたいで良かった。
次に始まったクイーチーム対クルミメチームの試合は、先の戦闘とは対照的にあっと言う間に終了してしまった。
チーム名の由来であるクルミメ神は軍神でありながら樹の神でもあるらしく、クルミメチームもその名に違わず、這う根や伸びる枝のように低い弾道を駆使する遠距離から中距離型のチームで、中には頑丈な鞭を使う者もいた。
でも、いかんせん相性が悪かったらしい。
対戦相手であるクイーチームは、その雷神の名に相応しく、素早く、速攻型で、何をしたのか良く分からんかったけど、クルミメチームに近寄った途端、クルミメチームは地に伏した。
次のうちの相手は、このクイーチームだ。
手ごわいなと、マネイナに話しかけたけど、ちらりと見られただけで頷かれもしなかった。
(まだご立腹ってことね)
離れた場所で観戦してたセイラムは、戦場に釘付けだ。クイーチームには白燐もいる。友達のことはやっぱ気になるんかねぇ。
ハイガちゃんは更に離れたところ、隊の端にいて様子は分からなかった。
試合を終えて帰ってくるクイーチームを見てたら、金髪赤目のモテ男と目が合った。金髪赤目は、にこりと俺に笑いかけて、再びウィンクを繰り出した。
うげええ! やめろ、バカ! 気色悪いわっ! そういうのは、可愛い女の子にしろよ。――って、そうか。俺、今めっちゃ可愛い美少女じゃねえか!
……からまれたら面倒だから、あいつのことはあんまり見ないようにしよ。
「ねえ、之騎ちゃんだっけ?」
「……」
速攻話しかけられたぁ! って、あれ? こいつの声って……。さっき速水に嘘ついてくれたやつじゃん。
「そうだけど、ちゃんはやめろ」
「じゃあ、之騎」
「……随分とフレンドリーだな。まあ、良いけど。で、なに?」
「さっきハイガ・ウィンツと揉めてたみたいだけど、何かあったの?」
「仲間内のことだよ」
「俺達だってクラスメート、切磋琢磨していく仲間だろ?」
「まあ、確かにな」
「……ハイガ・ウィンツってさ、入学当時一部でちょっと噂になったことがあるんだ。知りたくない?」
「知りたい」
即答すると、金髪赤目はにっと頬を持ち上げた。
「じゃあ、明日デートしてよ」
「はあ!?」
「ちょうど休日だし。外出禁止も解けただろ。どう?」
(男とデートとか、冗談じゃねえ)
……でも、なんで頑なに自分が春南ちゃんじゃないって言うのか、帰りたくないのか分かるかも知れない。
「わかった。行く」
「そうこなくっちゃ」
金髪赤目はくしゃっと笑って、「じゃあ、明日ロビーまで迎えに行くよ」と、手を振った。
「あ、ちょっと待て!」
引き留めた金髪赤目が振り返って、怪訝そうな表情をした。
「お前、名前は?」
「ひどいなぁ。同じクラスなのに知らないのかよ」
「すまん」
しょうがないだろ。教室内じゃほぼ空気だったんだからな、俺は。それにモテ男と関わりになる習慣がないんだよ。
「リトナ。リトナ・テ・ダコハ。よろしくな、之騎」
リトナは、八重歯をのぞかせて笑うと颯爽と去って行った。
リトナ、か。悪いやつではなさそうだけど、名前、フランス料理みたいで覚えにくいわ。
*
長身で少しなで肩、金髪八重歯だからか、パッと見チャラい感じ。年の頃は十六歳から十八歳くらい。高校生の年齢に当てはまる彼は、実にらしい格好でやってきた。
学校の制服だ。
詰襟だがボタンは見えない。左側の襟から腹を縦に真っ二つにするように赤い線が入っている。黒一色の中で暗めの赤はそれこそ血のようでパンチがある。
襟には、二つのバッチが。これは、女子の制服にもついてた。国花を現すアネモネに似た花と、学校のエンブレムだ。六角形の星を二重線で囲んである。
「なんで制服なんだよ?」
嬉しそうに手を振るリトナに訊くと、彼はきょとんとした顔をした。
「だって、街に下りるときは常装服か制服って決まりだろ」
「マジかよ」
俺は下を向いて、自分の格好を確認した。
レースがあしらってある白のワンピースに、薄いカーディガン。おもっくそ、私服じゃねえか!
「服、可愛いね。俺のためにおしゃれしてくれたの?」
「ちげーよ!」
頬を引き攣らせながら否定したけど、リトナには響いてないみたいだった。にやにやと嬉しそうに八重歯をのぞかせて笑っている。
「勘違いすんなよ。外行きの服がこれっきゃなかっただけだかんな!」
「うん。分かった」
いや。全然分かってないだろ。
変わらずにこにこしてるリトナを軽く睨んで、俺は踵を返した。
「ああ、もう良いや。着替えてくるから待ってろよ」
「急がないで良いからね」
「うっせ!」
俺は悪態ついて走り出した。
「俺だって、好きで着てるわけじゃねえっての!」
ぽつりと呟いて部屋へ向うと、制服に着替えてロビーへ戻った。
ロビーで待っていたリトナと合流する。
「待たせたな」
「ううん。大丈夫。行こっか」
弾むように言って、リトナはすっと俺の手を握った。
「おおいっ!」
がなり声を上げて手を振り解く。
「なにすんじゃ、お前は!」
「照れてるの? 可愛いね」
「アホか! なんで男に手握られて照れなきゃなんねぇんだよ! 気色悪いっつってんの!」
「ええ? いや……普通じゃない? いきなり過ぎた?」
困惑しつつ、リトナはへらっと笑った。
「いきなりとかじゃねえんだよ。ああ~……言っとくけど、俺、男なのな」
「……は?」
「もう、その辺めんどくせえから省くけど」
春南ちゃん見つかったし。
「俺は、こんなナリだけど男なの。だから、手とか繋ぐな。お願いだから」
「……ええぇ?」
人差し指を突きつけると、リトナはハテナマークを浮かべながら首を捻った。
「じゃ、まあ、とりあえず行くぞ」
ずんずんと歩き出した俺を追って、腑に落ちない表情でリトナは横に並んだ。
これで諦めてくれると良いんだけどなぁ……。まさか、男とデートする日がくるとは……。変なことはするんじゃねえぞ、絶対。
念を込めて俺はリトナを一瞥した。
*
女子寮の前に、スバル三六〇みたいなてんとう虫型の車が止めてあった。リトナは駆け足で俺を追い抜いて、すっとドアを開けた。にっこにこした面で俺を見てくる。
「……ども」
俺はぎこちなく笑いながら、車に乗り込んだ。回り込んで車に乗ってきたリトナに、「お前、運転できんの?」と聞いたら、
「出来るよ。クロノス県じゃ十四歳から免許取って良いから」
「へえ。じゃあ、俺より大人だ。俺免許持ってねえから」
軽口を叩いたらリトナは頬を掻いて、そうかな? とさわやかに笑んだ。
「街ってどんなとこ?」
「そうだなぁ……。カンヘル料理の美味しい店があるよ。あと、デザート専門店が結構充実してるかな。映画館でも今面白いって話題の映画もやってるし、アルートの新作が出たらしいんだけど、そこ行こうよ。俺が買ってあげるからさ」
「アルート?」
「女子に人気のファッションブランドだよ」
「……ふうん。お前、学校以外でもモテるだろ?」
「え?」
「妙に女子なれっつーか、女子の好きなとこ知ってるし。もう何人かと遊びに行ってるだろ?」
イケメンで、背もあって、女子なれしてるから女子にも堂々と接する。お前みたいなリア充モテ男に、どんだけの男が心の中でDISLIKEボタンを押したことか。
「もしかして、嫉妬してくれてる?」
「だから、なんでも自分の良い風に捕らえるんじゃねえ――よ」
突然、顔の当りに影が出来てぎょっとした。
リトナの顔が近い。
やつは右手を窓に押し付けて、俺に覆いかぶさっていた。
じっと、熱い視線が降り注ぐ。
「おい。キスしたら殺すからな」
「キスするって分かるんだ?」
にやっと頬が持ち上がった。
「キンタマ潰すぞ」
「……」
リトナは気まずそうに顔をゆがめて離れた。
有効だと思った。どんだけ痛いかは知ってるからな。ただ、
「次迫ってきたら容赦なく蹴るからな」
「……は~い」
こんなにはっきり言う子初めてだよ。と、ぼそっと呟いて、リトナは苦笑しながら車のエンジンをかけた。
*
数分間、砂利が敷かれただけで何もない道を走ると門があった。門の前には兵士二名が銃を持って立っている。その後ろには望楼へのドアがある。門からは鉄柵が円周上に続いているみたいだ。どうやら、学校は巨大な柵に覆われていたらしい。
車は門の前で止まって、リトナはドアを開けた。門番は身を乗り出してリトナの人差し指の先に心拍数を図る機械みたいなものを挟んだ。
コンコンと頭の後ろでノック音が響いて振り返ると、もう一人の門番が回りこんでいた。窓を開けようと手を伸ばして気づいた。
手動で開けるタイプの窓じゃない。ボタンを押して開ける電動のものだ。クラシックカーだったからてっきり手動かと思ってた。
窓を開けると、門番は俺にも同じ機械を差し出してきた。
挟まれた感じは痛くないし、なんともない。
「何してんの? 指紋認証ですか?」
質問したら、それもあるけどねと門番は呟いて機械を外した。
「指紋と同時に、内蔵されたIDの認証をしてたんだよ」
「え? 内蔵!?」
門番は驚いた俺を怪訝に見て、ちらっと視線をリトナに投げた。
「すいません。彼女」
謝りつつ、リトナは変なジェスチャーをした。両手の人差し指と親指を軽く上に向けて、こめかみをタッチする素振りだ。
「何どういう意味?」
リトナに訊いたけど、愛想笑いを返されただけだった。
門番はそのジェスチャーを見て、納得したようすで車から離れた。そしてぼそっと、「バグか」と独り言を呟いた。
(おいおい。しっかり聞こえたぞ)
「別に教えてくれても良いのに。バグって意味なんだろ? 今の」
リトナに確かめると、彼は申し訳なさそうな表情をして車を発進させた。
「うん。傷つくかと思って」
「別に傷つかねえよ。こんなんで」
「だって、セイラムに散々嫌味言われてただろ?」
「ほ~う。気づいていて庇いもしなかったんだね。チミは」
「……いやぁ……」
リトナは、ハハハッと乾いた笑い声を上げる。
「セイラムって色々と厄介でねぇ」
「まあ、確かに性格は歪んでるけどな。でも、付き合ってみるとそれほど悪いやつってわけでもないような気もしないでもないぜ?」
「ハハハッ。どっちだい?」
今度は楽しそうに笑ったけど、リトナは首を振った。
「違うんだよ。性格じゃなくて。彼女、代々続く大企業の娘で大金持ちだから。兵器の開発とかにも出資してるし、一族の何人かは軍人だね」
「マジで?」
俺はセイラムの陰鬱な呟きを思い出した。
それで、庶民とは違う重圧なわけね。
「それで、彼女の財産狙って取り巻きとかも多いしさ、ほら。白燐もその一人」
「え? 友達じゃないんだ?」
「友達は友達なんだろうけどねぇ。忖度はあるだろうね。一緒のチームの子悪く言うつもりはないけど、結構そういうとこある子だからさ」
「へえ。じゃあ、もしかしてファンクラブって」
「彼女の取り巻きだね。中には本当に本気で好きだっていう男もいるとは思うけど。彼女、美人だし、すらっとしてて、スタイル良いからね」
「は~ん。まあ、確かに。良い体はしてるよな。俺はどっちかってーと、マネイナ姉妹みたいな方が好みだけど。胸でかいし、ケツとか肉付き良くて気持ちよさそうじゃん」
「……女子らしからぬ発言だね」
「だから、男なんだっつーの。でも付き合うなら断然ハイガちゃんかなぁ。優しいし、空気がどことなくほんわかしてて、なごむんだよなぁ。良い子だし」
多分、春南ちゃんだし。
「まあ、良い子は良い子なのかもね」
含む言い方をしてリトナは黙った。
もしかして、ハイガちゃんのこと教えてくれるってのに関係してるのか?
「おい。良い子なのかもねってどういう意味だよ」
「それはまだ言えないよ。今言ったら、キミ、デート中断して帰っちゃいそうだから」
「そんな薄情なマネはしねえよ」
「ダ~メ!」
「――チッ!」
信用ねえなぁ。
*
遠目には苔むしたように見えるだろう緑豊かな片丘を登りきると、平原の中にぽっかりと穴が開いていた。穴の中には、びっちりと街が埋まっている。
驚いている俺の横で、リトナが言った。
「地下都市だよ」
「この世界の街って、みんなこうなのかよ!?」
「いいや。ある程度賑わってる街だけさ。地方の街ではこうじゃないところの方が多いよ。俺のとこもそうだったし。ここは賑わってるからっていうよりは、軍施設が近くにあるからシェルターがあるんだよ」
「シェルター?」
丘を下ると、街は平原にその姿を隠してしまった。
「そう。穴の中に街を築いて、それに蓋が出来るようになってる。ミサイルとかから街を守るためだね」
「へえ。すげえな」
「学校も重要な施設は地下にあるだろ?」
「演習場とか?」
「それもそうだけど、もっと下にF・Bの保管庫があるんだ。ほら、巨大な縦穴を通って演習場とかに行くだろ? あの縦穴がF・Bの発射台だから。出動のさいには橋が引っ込むんだよ」
「そうなんだ」
「ちなみに演習場Bは最下層にあるだろ? あそこはF・Bの訓練場所でもあるんだ。重力操作をミスって壊しても、下層に害がないようにしてるんだ」
「ふ~ん。だから、演習場Bはあんなにがっちりした造りだったんだ。じゃあさ、演習場Aと演習場Bの間はなにがあるんだ?」
「地下三階は司令室。地下四階はF・Bや歩神の保管庫兼、修理場だね。発射台を挟んだ反対側の地下三階は情報司令室で、地下四階はクローンを造る研究室があるよ。演習場Bはその双方の下に広がってるんだ」
「お前、物知りだなぁ」
感心の眼差しを向けると、リトナは前方から目を逸らしてにこりとした。
「キミが目覚める前に授業で習ったんだよ」
「ああ、そっか」
俺、みんなより一ヶ月遅れで入学したんだもんな。
「司令室とか保管庫とか、クローンの研究所とかには入れるのか?」
学生だから無理かと思いつつ、職場体験みたいなのもあるんじゃないかと好奇心が湧いた。だけど、答えはやっぱりNOだった。しかも明確な。
「まず入れないね。司令室は幹部とか教師とか限られた者しか入室を許されてないし、例え学生だろうと指令室の前を通ろうもんなら入ってもいないのに射殺されるよ」
「ゲッ。マジかよ」
「うん。それは研究室も同じだから。くれぐれも地下三階と四階へは下りちゃダメだよ」
俺は大きく頷いた。射殺なんてされてたまるか。
「保管庫はそこまで厳しくないけど、やっぱり学生は入れないようになってるね。ID管理が徹底してるから、入ろうと思っても扉は開かないし、すぐに通報される仕組みになってる。学生がF・Bを動かすさいは演習場まで管理者が運んできてくれるし、万が一出動ってなっても実地訓練以外で学生が実戦に出ることはないから、本物のパイロットが保管庫から地上に飛び立つんだ。だから、学生である以上保管庫にも入れない」
「そっか。それはちょっとつまらんな」
雑談が一区切りした頃、崖が目前に迫ってきた。絶壁の下にはいくつかのビルの屋上が見える。崖の手前で車は止まった。見たところ、下りられそうなところはない。
「これ、どうやって下りるんだ?」
「まあ、見てて」
リトナは楽しそうに言って、ウィンクした。
「だから、ウィンクすんなっての!」
突っ込んだ瞬間、車がガクンと揺れた。
「うわっ! なんだ、地震か!?」
慌ててきょろきょろと左右を見ると、いきなり車が地面に沈んだ。
「うわっ!?」
驚きながらも、俺の視界は機械的な電光を捕らえた。暗い穴の中に埋め込まれたそれは、上へあがっていく。いや、俺らが下に向ってるんだ。
「これ、エレベーター?」
「そうだよ」
リトナは薄暗い中で顎を引いた。
――チンッ。
電子レンジみたいな音がして、正面が開けた。光が流れ込んでくる。まぶしさに目を細めた。
ビル街が目前に現れる。扉にはばまれて、ビルは二階分くらいしか見えない。紫色の髪の女、小麦色の肌のばあさん、青っ白い顔をした男が車の前を通って行く。街は大勢の人が行きかっていた。
ピッピッ。リトナがクラクションを鳴らして車を発進させた。歩道を行きかう人が避ける。石畳の道路に入って、滑らかに走っていく。
俺はフロントガラスを覗きこんだ。
どこもかしこも変わった背の高いビルばかりだ。にょきっと伸びた柱みたいなビルが、どこまでも連立している。
対向車線では、何故か人が斜めに突っ立ったり、座ったり、寝転がったまますごいスピードで流れていく。よくよく見てみると、半透明なカプセルに入ってるのが分かる。
一台の半透明カプセル車が、路肩に入って、俺は追うように身を乗り出した。その車から女が出てくると、次の瞬間、半透明カプセル車は消えうせてしまった。
「びっくりした?」
リトナは俺を一瞥してにこっと笑った。
「うん」
俺は素直に頷く。
「今、半透明なカプセル? が、消えたんだけど……あれ、なんだ?」
「あれは、GBF。一般的な自動運転車だよ。車内にスイッチがあってさ、押してから速くて十五秒くらいで元の場所に戻るんだよ。歩神の装着、脱着と同じで、ワームホールを出現させるみたい。中が見えないようにも出来るんだけど、ほら。あれがそうだよ」
リトナが指差した方を見ると、ちょうど対向車がすれ違うところだった。ピーナッツの殻みたいな形をした、小型車だ。でも、タイヤはない。少し浮くようにして走っていたように見えた。
「タイヤなかったみたいだけど、気のせいか?」
「いいや」
リトナは首を振った。
「歩神の超伝導磁気の応用で、軽く浮きながら走るんだよ。だから移動中もまったく揺れないんだ」
「へえ。それは便利だな。でも、どうして浮くんだ?」
「さあ。詳しくは知らないけど……多分、磁気同士の反発でもあるんじゃないか? それか、軽~い重力場を発生させて無重力にしてるとかね」
(リニアモーターカーだかが磁力の反発だったっけか? 確か、めっちゃ速い新幹線。あれ、もう出来たんだったっけかなぁ?)
自問自答しながら、ふとまた街に視線を向けた。
ビルの群れを眺める。
車に次いで、町並みも俺が死ぬ前の世界とは違う。
死ぬ前の世界では、ビルは四角が一般的だった。でも、こっちのビルは円柱状だ。それが天高くいくつもそびえ立っている。
東京の一〇九の円柱だけバージョンって感じ。でも、一〇九と違って、こっちは窓がいくつもあるし、背もこっちの方が高い。何故か光沢もある。
実に不安定そうだ。地震来たら一発じゃねえのか?
「耐震とか大丈夫なの、これ?」
「もちろんだよ」
大きく頷いたリトナを胡乱気に見てから、俺は窓にへばりついた。
*
駐車場はビルの中だった。駐車場はショッピングモールの駐車場となんら変わりはない。ただ、並んでいる車は違った。
MG―Aとか、ジャガーのXK一二〇みたいなクラシックオープンカーや、俺達が乗って来たてんとう虫型の車が多い。と言っても、駐車場はガラガラだ。
歩神とかF・Bとかがある世界で、なんでこんな古めかしい車ばっかりなんだ? GBFは転移するからないとしても、もっと近代的な車でも良いと思うんだけど。
「なあ、なんでこんなにクラシックカーみたいなのが多いんだ?」
クラシックカーを指差しながら訊くと、リトナは鍵を指しながら答えた。
「今は短時間で遠くまで行ける公共機関が多いからね。敢えて時間がかかったり手間がかかったりするものがウケてるんだよ。指紋やID認証で手軽に開いたり閉まったりするより、こうして鍵を持ち歩いて差し込んで回すってのが粋なわけさ」
「は~ん」
「だからレトロなものが続々と新しく造り直されて出てくるわけ。もう本物のクラシックカーなんて存在してないしね」
「へえ」
だからこの車の窓も手動じゃなかったわけね。
俺達が乗って来た車を、リトナはチラ見した。
「まあ、この車はそんな理由じゃないけど」
「お前の車だろ? おしゃれで持ってるんじゃねえの?」
「違うよ。これは学校の車だよ」
「え!?」
「学校から借りたんだ。外出時は申請すれば貸してくれるんだけど、軍用車を生徒に貸すわけにはいかないから市販の車なんだ。正式に軍に入隊すれば、頑丈で速い軍用車に乗れるけどね」
「へえ。でも、最近の流行ってことはこれ新車だろ? 学校も太っ腹だなぁ」
「それは、ある種の訓練の一環だからだろうね」
「は?」
「今の移動手段って、自動で目的地につけるものばかりだから。でも、これは自分で運転しなきゃならないだろ? クラッチ踏んだり、ギア動かしたり。足と手、目、を同時に動かす。注意して運転しなきゃいけない。脳も結構働かすし、ただ乗ってるだけより効率が良いんだよ。軍人にとっては」
「なるほど」
俺の元の世界では当たり前だったけど、確かに全部自動運転になったら何にもしないもんな。楽で良いけど、脳と体には悪いわけか。
「それにF・Bも自分で操作して運転しなきゃいけないからね。車とはまた違うけど」
「そっか」
(F・B。あの犬型ロボットか……。あれもかっこいいよなぁ)
思い出して、ついにんまりしてしまう。
「F・Bっていつ頃訓練出来るんだ?」
「あれは一学年終了後だね。でも、誰もがF・Bを習得出来るわけじゃないよ」
「え? そうなの!?」
うん、とリトナは頷いた。
「サノク軍学校では、一学年終了後は自分で選んだ進路へ進める。もちろん成績や才能の有無によって弾かれる場合もあるけどね。その場合は学校が進めた先へ配属される。別の科だったり、戦地だったりね」
「知らなかった……」
「マネイナ辺りに習わなかった?」
「うん。多分、知ってると思ってたんじゃないか?」
「そうかもね。でも、戦地に行くってなっても成績が悪くて、って場合ばかりじゃないんだよ。歩神の成績が物凄く良い時はそのまま戦地へ配属される。その場合は、栄転だと言えるわけだね」
「は~。なるほど」
あれ? まてよ。ってことは、ハイガちゃんも配属される可能性があるんじゃないか?
「でも、大抵の場合それは戦況が苦しい時だから、今はあんまりないと思うよ。今はこっちの方が断然優位だからね。そういう才能があるやつは、学校側ももっと伸ばしたいから、F・Bの操作も教えたいだろうし」
「そっか」
良かった。じゃあ、春南ちゃんをハイガちゃんとして戦地に送り出す前に帰せるかも。一年もすれば、ミハネが迎えに来るかも知れないし。一応覚悟はしてたけど、やっぱ、戦争なんて経験しないのが一番だからな。
「そういや、科って言ってたけど、軍って戦う以外になんかあんの?」
「そりゃあるよ。戦うって言っても前線だけじゃ勝てないからね」
「そうなの?」
「うん。情報科とか、諜報科とか、後方支援も大事だし。武器開発や、修理だって大事だろ? 指揮する者だって必要だから、当然、軍師科や官職へ行く学校もある。サノクは一学年終了後に希望が通れば進めるけど、アフラの首都にある幹部大軍校とかは、最初から指導者の勉強だけをするし、学区内に軍師養成所もあるよ」
「へえ~。すごいな」
幹部大軍校、そういやセイラムがケンカの時そんなこと言ってたな。
「他にも医学学校もあるし。まあ、ここは生物兵器も同時に開発研究するんだけど」
「そうなんだ。なんか怖ぇな」
「医学科は大抵そうだよ。サノクでもそうだしね。敵は機械相手だからあんま役に立たないかも知れないけど、クローンは医学科の生物兵器研究所から生まれたから、生物兵器って言っても対ミトラってわけでもないのかも知れないなぁ」
思いついたように言って、リトナは急にハッとした。
「あっ、ごめんね」
「ん? ああ、気にすんな。全然気にしてねえから」
一瞬なんの事か分からなかったけど、俺がクローンでバグだから気に障ったかと思ったらしい。リトナは申し訳なさそうに眉を八の字に寄せた。
「じゃあ、そろそろ行くか。映画、時間大丈夫?」
リトナは腕時計を見て頷いた。
「うん。待たずに入れそうだ」
「そっか。そりゃ良かった。長々と話につき合わせちゃって悪かったな」
「いいや、全然。楽しかったよ。之騎ちゃん」
突然のウィンクとちゃん付けに、ぞわっと鳥肌が立った。
「だから、ちゃんってつけんなって!」
*
車と同じ理由で、映画館で見た映画も2Dの普通の映画だった。
今では、自宅でC・Bなどを使って、自分が映画の中に入り込んで観るのが普通だから、こっちの方が粋なんだそうだ。
ちなみに、映画の内容は可もなく不可もない恋愛映画だった。話題だってわりにはレベルが低い。多分、話題なのは2Dだからだろう。
映画の後に寄った同じビル内のカフェで、俺はぼんやりとそんなことを考えていた。そして、アイス紅茶に似た飲み物を端に避けて、正面でミルクココアとブラックコーヒーの間みたいな色をした飲み物を啜っているリトナを見据えた。
「で? デートに付き合ってやったんだから、そろそろ教えろよ」
「なんのことかな?」
わざとすっとぼけた風のリトナを睨みつけて、俺はがなった。
「ハイガちゃんのことだよ!」
「ふふっ、分かってるって」
リトナはおかしそうに笑って、まあまあと両手を振った。
「俺、入学式の三ヶ月くらい前にこの辺に用事があってさ。ついでだから、学校を見に行ったわけ」
「なんか女連れて行ってそうだな」
勘でぽろっと言っただけだったんだけど、図星だったらしい。ぎくっとほんの一瞬だけ頬が引き攣った。
そうだったら良いんだけどね。と、爽やかな笑みを浮かべてリトナは誤魔化し、何事もなかったように話を戻した。
(相当なれてんな、こいつ)
俺は呆れ、嫉妬、尊敬を三等分に分けてリトナを見た。
「で、そのときハイガ・ウィンツが門を通って学校の敷地内に入るのを見たんだ。俺らはそのときまだ一般人、校内に入れるはずはない」
「じゃあ、見間違いとか?」
リトナはかぶりを振って、正々堂々と宣言した。
「俺が女の子を見間違うはずないよ」
「あっそう」
「それにね。ハイガ・ウィンツは入学前から寮で暮らしてたんだよ」
「なんで分かるんだよ」
「先輩に聞いたから」
「女の?」
「……うん。でもそういう関係じゃないよ」
いや、そういう関係だろ。間違いなく。
爽やかに笑むリトナを例の三等分で見て(今回は若干嫉妬多し)俺は質問した。
「それが一部で噂だったことか?」
「そう。女子の先輩の間でね。俺が聞いたのはあくまでも偶然なんだけど、俺が入学以前ハイガ・ウィンツを目撃したことが重なって、合点がいったっていうか」
「でも、寮に先に住んでたからって、それがなんなんだよ?」
「言っただろ? いかなる理由があろうと一般人が軍施設に入ることは許されないんだよ。つまり、彼女は入学以前から軍関係者だったってことだよ」
それって、俺が目覚めるずっと前から春南ちゃんはハイガちゃんとして目覚めてたってことだ。で、ずっと軍人として生きてきた?
「先輩の話し振りじゃ、留年ってわけでもないらしい。ある日突然密かに寮にいて、それで一年生として入学した」
「それって、どれくらい前の話? ハイガちゃんはいつ頃からいたわけ?」
「確か、半年くらい前だって」
じゃあ、少なくとも春南ちゃんは半年前にはこの世界に来てたってことだ。
「なんで学生を装ってるのか知らないけど、俺からしてみたらあの子は胡散臭いことこの上ないよ」
「そうか……」
それでリトナは〝良い子〟発言を濁したわけか。
「どんな事情があるんだろう?」
「さあね? もしかしたら諜報員で仕事の一環なのかも知れないし、俺達には思いも寄らないことなのかも」
諜報員って、スパイとかってことだよな? じゃあ、ハイガちゃんは敵のことで調べてるのか? それとも、この学校のことを密かに調べてて、それで帰れないんじゃ?
「――それにしても」
「ん?」
リトナは区切って、俺に微笑ましいというように柔らかく笑みかけた。
「キミは本当にハイガ・ウィンツのことが好きなんだね」
「え!?」
「今、すごく心配そうな顔してたよ」
「そんな顔してたか?」
「うん」
マジか。なんか恥ずいな。
「女の子同時の友情って、なんか良いよねぇ」
「いや、だから俺は男だよ」
「う~ん。じゃあ、そういうことにしておく」
リトナは幼い子供、もしくはこれは考えたくないが、可愛くて愛しいものを見るような目で俺を見て優しげに言った。
これが男女なら、もう~! 全然信じてないくせに~! とか彼女が文句言ってイチャイチャタイムに発展するんだろうが、いかんせん俺は絶世の可愛い子ちゃんに見えても男! 断じてその手には乗らないからな!
「うっうん! そんなことより、さっさと帰ろうぜ」
俺は咳払いをして立ち上がった。
「え~!? もう?」
「門限が迫ってんぞ」
立ち上がったときにチラッと見えた時計が四時ちょっと過ぎで助かった。この街から軍学校まで車で約三十分。五時の門限にはギリギリの時間だ。門限を理由にとっとと帰れるぜ。
慌てて立ち上がったリトナを見て、ふと疑問が湧いた。
「そういやぁ、お前、なんで俺を誘ったわけ?」
「なんでって?」
リトナはきょとんとした。
「だって俺、わりとぼっち系だったろ。チーム組んでからチーム内で話すことはあったけど、それ以外とは会話すらろくにしてないぜ?」
「ああ」
リトナは腑に落ちたように呟いて、意外なことを言った。
「確かにはじめ、キミがバグだってことで距離をとろうって空気が教室中に満ちてたけど、セイラムが教官にやられた時あっただろ」
ハイヒール腹ぐりぐり事件な。
「そのときキミが助けに入って。〝意地悪されてたのに……〟って、みんな感動したんだよ。で、クラスのみんなはキミのこと尊敬っていうか、好きになったんだけど、最初が最初だったからどう話しかけて良いのか分からなかったんだよな。多分、罪悪感もあるんだと思うけど」
うわぁ。なんか、恥ずかしい。クラスの連中、そんなこと思ってたのかよ。全然、微塵も感じなかったぞ。
「それに俺は、キミが入学してからずっと可愛い子だなぁって思ってたし。知ってる? 他の男子も影で可愛いって噂してるやつ多いんだよ」
「それは悪りぃけど、あんま嬉しくないわ」
「男だから?」
苦笑しながら言ったリトナに、俺は思いっきり頷いてやった。
「女の子にモテるなら大歓迎だけどな!」
「……そっか」
リトナは乾いた笑いだか、愛想笑いだかを浮かべた。
多分、本気なんだか冗談なんだかを図りかねてるんだろうが、俺は本気MAXだからな!
*
正門に着いたのは、門限ギリギリの時間だった。
寮までリトナが送ってくれたが、やつは送り狼になることなく爽やかに笑んで、じゃあまた明日。と言って車で去って行った。
(あんなにスマートで、がっついてなくて、長身で、おまけにイケメンときちゃ、クラスの女子がワーキャー色めき立つわけだわ)
敬服する一方で、まあ、送り狼になりたくても寮じゃ無理って話なだけかも知れんが。むしろそうであって欲しい。ああいうやつは、むっつりで、真性の変態であるに違いない! じゃなきゃ、やってらんねぇえぇえ! と思う自分もいる。
(明日の対戦相手は爽やか系モテ男か……)
出来るんならぶちのめしたいけど、勝ち負けよりまずちゃんと戦えるのかねぇ……。
俺は先日のケンカを思い出して、ため息と共にがっくりと肩を落とすのだった。
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