第6話

 教室の一階下には大きな体育館があった。

 地下に広がる体育館は、野球ドームばりに広い。


 学校のレベルを遥かに超える巨大な体育館を、俺達はぐるぐると走らされていた。


 三十人近くの男女が息を切らし、大量の汗水をたらしながら、もう十周以上は走っている。


 俺は若かりし頃のサッカー部を思い出しながら、片隅で教室での出来事を思い返していた。


 速水は入室するや否や、俺を鋭い瞳で見て、「来い」と、呼びつけた。

 怖ぇえなと思いつつも、俺は階段を下って教壇の前に立っている速水の隣へ並んだ。速水をちら見する。


 デケえ! この女、横に並ぶと見た目以上にデカイな。

 夜茄が百六十センチくらいだから、百八十センチは確実にある。そこに高いヒールときて、百九十センチは確実に越えてる。


 ちらりと下へ視線を移すと、デカイ。胸も、デカイ。超ド級。絶対Gはある!


 デカ乳を下から見上げられるなんて、思っても見なかったぁ。ありがとう教官!


「おい」

「え?」


 不意に我に戻されて、俺は速水の顔を見た。彼女はぎろりと睨みつけてくる。

 やっべ。見てたのバレたかな。


「早く名を名乗れ!」

「あ、はい」


 そっちね。


「え~と、松尾之騎です。よろしく」


 名乗った瞬間、空気がピリッとしたのを感じた。

 あなたの鈍いところといいかげんなところが嫌いって言われて彼女に振られたこの俺が感じたくらいだから、相当な空気だったんだろう。


 やっぱり、この名前はここじゃ相当変わってるらしい。

 でも、俺が名乗る事で、どこかにいるかも知れない春南ちゃんに俺もいるって伝わるかも知れない。


 クラスのやつらに変な目で見られたとしても、嫌味を言われたとしても、そんなのどってことないさ。


 きっと一番心細いのはミハネが迎えに来る事も知らず、ここへ飛ばされた事情も何一つ知らずにいる春南ちゃんなんだから。


「ふむ。お前はそのままで行くんだな」


 ぽつりと呟いた声がして、俺は速水を見上げた。


「良い度胸だ。気に入ったぞ」


 速水は不敵な笑みを浮かべて俺を見下ろし、生徒達に視線を向けた。


「昨日あったゴウシュ組の訓練生、エウェン・フラットリーの事件だが、いずれ分かることだろうからはっきり言っておく。やつは銃を奪取し脱走を試みたが、観念したのか自殺した」


 教室内が一瞬だけざわついた。訓練生って、ミハネのことか? それにしても、エウェ? 覚えにくい名前。


「諸君ら、今まで以上に己を律し、己の立場を重んじ行動しろ。時に個は体(たい)へ影響を及ぼす。これを一年生全体の連帯責任とし、諸君らに罰を与える。当面の休日は外出を禁ず。話は以上だ。訓練へ移る。体育館へ移動。行け!」

「ハッ!」


 号令と共に、生徒達が一斉に立ち上がって敬礼した。


(びっくりした……)


 耳がビリビリするぜ。


「これを読んでおけ」


 パサッと渡された紙切れ一枚には、数十人の小さな顔写真と名前が書かれている。


「このクラスの連中の名前と顔だ。積極的に訊いて行くのも良いだろうが、覚えておいても損はない」


(俺、積極的に訊いて行きたいでーす。読みたくないでーす)


 俺の内心を読み透かしたがごとく、速水はぎろりと鋭い目で睨んだ。


「お前も行け。松尾」

「……は~い」


 俺はそうして恐る恐る教室を出たわけだが、体育館への移動中にクラスの連中に何か言われるとかは特になかった。


 半ばいじめられる覚悟で名乗ったとこはあったんだけどなぁ。


 ちょっと拍子抜けだけど、いじめなんてないのが一番だよな。オンノがルサイアの言うように心配性だっただけか。


 俺は納得しながら、前を走ってる連中を眺める。少し前に、ハイガちゃんがいた。


 肩で息をしながら、汗をライトに光らせている。小麦色の肌が汗でいっそう艶っぽい。


(よい子ちゃんと同じクラスで良かった!)


 だが、俺のにやけ面は三十分後には脆くも崩れ去る。


* 


「……つ、疲れた。もうムリ」


 俺は地面に情けなく横たわった。

 俺だけじゃなく、ほぼ全てのクラスメイトが同じように突っ伏している。平然としているのは二人だけだ。


 色素の薄い肌の色をしている青年(我関せず系ぼっち)と、ツインテールのクール系ぼっち少女のみだ。


 確か体育館に向う途中でちら見したカンペによれば、青年の名前は、時屡不(ジルフ)で、少女は石煌(シーファン)だったか。


 時屡不は、額から落ちる大粒の汗を服の袖で拭って、ふうと一息ついた。

 すっげー余裕だな。この地獄のような長距離走を、ふうの一言で済ますとは。


 時屡不の近くにいたぼっち系少女、石煌は、彼より息が上がってるけど、まだまだ余裕が感じられる顔つきで汗をハンカチで拭いていた。


(どんな体力してんだよ)


 野球ドーム場ばりに広い体育館内を四十分フルで走らされて、よく余裕でいられるな。


 ただ走っただけだったら、俺だって余裕だよ。でも、あの鬼、あの悪魔教官のヤロー、十分過ぎた頃に、全速力で走らせやがって。


 少しでもスピードを落とせば怒号が飛んで来て、一切スピードを緩ませてくれなかった。


 本当の鬼ってのは、冥土で会った鬼じゃなくて、この女のことなんじゃねえのか?


「立て」


 涼しい顔で命令して、速水は腰に手を当てた。


(こいつっ……!)


 よろよろと立ち上がるクラスのやつらに後押しされるように、俺もなんとか息を整えて立ち上がった。


 ちらりと速水の方を見たときに、前の方にいたクール系ぼっち少女と一瞬目が合った。


 この子も、我関せず系ぼっちと同じく、青っ白い肌をしてる。そういや、クラスに何人かそういう肌の子がいるな……。っていうか、考えてみたら夜茄もそうか。


「号令!」


 声高な速水の声に我に帰る。端から順に、「一」「二」「三」と大声で返事をし始めた。


 クラスメイト達は素早く縦に並び始めている。号令にギリギリ間に合うくらいのスピードで列は完成して行く。


(うわ、マジかよ。隊列組むの!?)


 焦って辺りを見回すと、小柄な少女と金髪女子の間に一人分の隙間が開いていた。


(ラッキー!)


 俺はその隙間に入り込もうとした。が、不意に胸に衝撃が走って、大きくよろけた。尻餅をつきそうになって体勢を整える。反動で顔を上げると、列の女子達と目が合った。


 彼女達はにやりと意地悪そうに笑うと、前に向き直って開いていた隙間を詰めた。右側にいた金髪女子の腕が少し曲がってたから、どうやら肘鉄を食らわせられたらしい。


(早速仕掛けてきやがったか)


「クソッ」


 悪態つきながら、急いで列の最後尾に走った。号令はもう「二十」まで来ている。俺はまだ列の半ばを過ぎたところにいる。到底間に合わない。


(あああああ、鬼教官に怒られる!)


「二十三!」

「二十四!」

「……二十五!」


 走りながら俺は叫んで、少し遅れて身体が列へ並んだ。


「遅い!」


 激昂が飛んで、長身から平手が飛んできた。信じられない速さで頬がたわむ。ジンジンとした痛みが皮膚の底から滲みあがってきた。


「……っ、申し訳ございません!」


(こんの、ヤロォオ!)


 心の中で毒づきながら、ビシッと敬礼を返した。


「良い態度だ。褒美に刑罰は軽くしてやる。腹筋三十回追加!」

「ハイ! 教官!」


 それのどこが軽くしたんだよ。


「こういうときは、マームと呼べ」

「ハッ! マーム!」

(マームってなんか、ママみたいだな)


 ふと笑いそうになって、ぎゅっと頬を引き締めた。腹筋に取り掛かった俺の斜め横で、


「それと、ハルティン、白燐(パイリン)。お前らも腹筋追加だ。あと四十!」


 声高に叫びながら、速水は前列の方を向いた。

 前列から小さく、「……え」と不快そうな声が上がった。


「なんだ、逆らうか?」

「いいえ! マーム!」

「ハッ!」


「十」「十一」と数えながら、ちらりと前列を見ると、俺を押し出した少女二人が少し前に出て腹筋を始めた。


 ざまあみろ。

 つーか、マジ腹痛てぇ! もうあと数秒で泣くよ、マジで。


 *  


 地獄の一時間が終わると、食堂へと移動した。食堂は一階下にあって、広々としていた。数百人は余裕で納まるくらいの大きさだった。


 既に半数は席が埋まっていたけど、クラス全員が着けるスペースは十分にあった。


 俺は、ちらりとおぼんの上のチョコレートケーキを見た。ブラックチョコのコーティングがてらてらと光り、丸みをおびたフォルムがなんとも可愛らしい。


(う~ま~そ~おぉお!)


 食事はビュッフェ形式だった。

 サラダ、目玉焼き、いくつも種類があるパン。炊き込みご飯が入っている大きな炊飯器。魚が数種類と、ウィンナーなどの肉系統が数種類。なんかの汁物っぽいのが入った大きな寸胴(多分赤かったからトマトスープみたいなもんだろう)それと、新鮮そうな卵が籠の中にストックされている。


 デザートは一番目立つ場所に置かれていた。

 プリンとヨーグルト、それにケーキが数種類。


 これらと同じ物が、離れた壁際に二箇所、設置されていた。そして何故か、中央の壁に巨大なモニターが設置されている。


「何にする?」

「え~。どうしよう」


 あれこれと迷いながら、キッキャ、キッキャとはしゃぐ女子達を尻目に、俺は一息ついた。


「疲れた」


 ケーキは確かにおいしそうだが、食欲が全然湧かない。

 男の身体だったときは、長年の運動量からなのかガツガツ食ってたけど、女の身体だからなのか、この身体が目覚めたばかりだからなのかは知らねぇけど、疲れちまって食事どころじゃねえ。


 いますぐに眠りたい。

 俺は黄色いおぼんを腕でどかしながらテーブルの上に突っ伏した。


(あとで、チョコレートケーキだけ食べよ)


 顔を僅かに上げておぼんを見た瞬間、ぼたぼたという音が耳の側で鳴る。頭に冷たさが走った。

 驚いて顔を上げると、前髪から赤い液体がどろりと流れてきた。


「なんだこれ」


 スープ? いや、違う。これ、ゼリーだ。冷たくて、ぷにゅっとした感触、なのにベタつく。間違いなくゼリーだ。あの寸胴に入ってた赤い液体って、これか。


「あら、ごめんなさい。大丈夫?」


 不意に頭上から嘲笑的な声が聞こえてきた。振向くと、さっきの肘鉄少女達が連れ立って立っている。金髪の長い髪をかきあげて、美少女が見下すように微笑んだ。


「手が滑っちゃって」

「いやぁ、大丈夫だよ。気にすんな」


 とか言いつつ、わざとだろうが。


「え~と、ハルティン? 白燐?」

「私が、セイラム・ハルティン。白燐はこっち」


 金髪少女気取りながら、右横にいた少女を指差した。

 彼女は白に近い灰色の髪に濃淡な灰色の瞳。小柄で青っ白い肌をしていた。白燐は高慢な感じで笑うと、すっと頬の前に手を上げた。


(ハァイ。私白燐よ♪ ってか)


「随分質素な食事なのね」


 金髪少女こと、セイラムは机の上のおぼんを覗き込みながら言った。


「まあね。食欲がなくて」

「ふうん。わたしもこれ食べたいわ」


 宣言しないで取ってくれば良いだろ。


「悪いけど、これもらえる?」

「……は? まあ、良いけど。俺ちょうど食欲なかったし。どうぞ」

「ありがとう」


 にこりと笑うと、チョコレートケーキの皿を掴んだ。手首をくるりと回転させる。あっという間もなく、チョコレートケーキは無残にもべちゃっと音をたてて床に落ちた。


「あっ、いっけな~い。落としちゃった」

「セイラム。何やってるのよ。もったないじゃない」


 全然惜しむ風じゃなく白燐が言って、「もう~」と笑った。


「だって、やっぱりバグの物なんて気色悪いじゃない」

「やだぁ! 厳しいよ。セイラム、せめて気持ち悪いにしときなよ!」


 白燐がフォローする気のないフォローをして、二人は一斉に笑い出した。


(こいつら、本当に性格悪いな。呆れ果てるぜ)


「食い物を粗末にすんなよな」


 ぽつりと呟いた一言に、甲高い笑い声はぴたりと止んだ。


「はあ?」

「お前、最低だな」

「はあ!?」


 はあしか言えんのか、この金髪娘は。


「ブスに何言われたって響かないのよ」

「この顔がブスだってんなら、誰が可愛いってんだよ?」


 言っちゃなんだが、夜茄の顔は金髪娘より遥かに可愛い。超絶ドストライクだ。広○すずばりに可憐だ。それは俺が保障する。……複雑だけど。


「はあ!? なにこの女、ムカつく!」


 セイラムが吠えて、悔しそうに顔を歪めた。その横で、白燐も苦虫を潰したような顔をしている。ってことは、こいつらも夜茄の顔が可愛いとは認めてるわけだ。


「大体なんなのアンタ。俺とか言っちゃって変なの!」


 白燐が反撃に出て、セイラムがそうよそうよと囃し立てた。

 ガキってうるせえ。


 俺はしかめっ面をして、片方の耳を塞いだ。そういや、女子って徒党を組むと途端にうるさかったっけ。学生時代を思い出して妙に納得してしまった。


「んなこと言われてもなぁ……。俺、男だし」

「……は?」


 おっと、ヤベぇな。口が滑った。


「セ、セイラム!」


 少し緊張した声がして、誰かが俺とセイラム達の間に割って入った。

 小柄で小麦色の肌、ハイガちゃんだ。


「あの、さ。まずいんじゃない? こんな、大勢がいるところで争ってたら」

「争ってなんかないわ。こいつがバグだから」

「バグだって決まってるわけじゃないでしょ? それに、バグだからって、その……」


「バグに決まってるでしょ。だって、聞いた? こいつの名前聞いたことない変な名前じゃない。それにたった今、自分のこと男だって言ったのよ?」

「それは……」


 ハイガちゃんはちらりと俺を振り返った。一瞬だけ困った表情を浮かべて向き直る。


「でも、同じクラスなんだから仲良くしようよ」


 本当にハイガちゃんは良い子だなぁ……お兄さん、感激しちまうよ!


「だって、軍ではチームワークが大事なんだってマネイナだって言ってたじゃない」

「マネイナ? あんな堅物」


 ふんっと、セイラムは鼻で笑った。

 マネイナって誰だ?


「あんなのと良くつるんでられるわね」

「仲良くしてるから言ってるわけじゃないよ。セイラム、軍では仲間意識はとても大事なんだよ。先生だって言ってたでしょ? 時に個は全体へ影響を及ぼすって。個人の諍いが、それを形成してる隊に害をなすことがある。些細な争いでも、仲間内で起こればそれは隊へ影響し、負け戦をするはめになることがあるってことでしょ?」

「……」


 正論を言われてセイラムは一瞬黙り込んだが、次の瞬間高慢ちきな鼻を鳴らして、長い髪を後ろに払った。


「バグなんて、ただの失敗作じゃない。失敗作と組むなんて、わたしのプライドが許さないのよ」

(こいつのプライドとやらはエベレスト級かよ)


 呆れ果てて首を振ったところに、


「そこまでです」


 凛とした声音がして、目の前にぼよんとした玉が現れた。と、思ったら胸だ。胸は、ちょうど良い感じに揺れる。目線を上げると、ボインメガネの顔が間近にあった。


 下から見上げると、メガネの隙間から覗くまつげは長く、形良くカーブしている。茶褐色の瞳がちらりと見下ろした。

 一瞬、ドキッとした。地味系と思ってたけど、近くで見ると案外美人だ。


「なによ。マネイナ」

(マネイナって、こいつかぁ)


 セイラムは感じ悪くボインメガネ改め、マネイナを睨み付けた。


「わたしは悪くないわよ。バグなんかのせいで休日潰されたんだから」

「そうよ。唯一学校の外に出られる日なんだから」


 白燐も同意して、マネイナを睨み付ける。


「それは確かに残念だわ。でも、こんな事をしても意味はないでしょう」

「意味はあるわよ」


 堂々と胸を張って、セイラムは不敵に笑んだ。形の良い薄い唇を窄めると、臆面もなく、言ってのけた。


「う・さ・ば・ら・しよ」


 うううわあああ……。マジかよこの女、本当に性格悪いじゃん!

 ひく、ひくわあ!


「軍人になろうという者が、そのような態度……!」


 マネイナは怒りを抑え、奥歯を噛み締めるように小さく呟いた。ぎゅっと握りつぶされた手のひらが痛そうだ。マネイナは二人を睨み付けた。


「もう良い。食堂で騒ぎを起こした事を皆さんに謝って、さっさと去りなさい」


 静かに怒りを込めた口調のマネイナを不満そうに見上げて、セイラムはふんと鼻で笑う。


「わたしに命令する権利はアンタにはないわよ。――行くわよ、白燐」


 踵を返すついでに白燐を見て、セイラムは華麗に歩き出した。


「セイラム!」


 声高なマネイナの制止を無視し、セイラムは後ろ手に手を振って去っていった。その後をコバンザメの如く、白燐がついて行く。


(どこぞのお嬢さんだ、お前は)


 呆れながら見送って、俺はマネイナに向き直った。


「ありがとうな。マネイナ」

「お礼は良いです。貴女は、皆さんに謝罪しますよね?」

「え? あ、ああ」


 やる前提の強い口調で問われて、俺はとりあえず頷いた。


「すみませんでしたぁ。お騒がせしました」


 謝罪すると、いつの間にか集まっていた視線が解けた。日常を取り戻したらしい食堂からマネイナに目を向けると、彼女も一緒に頭を下げていた。

 しかも俺より完璧にキレイなお辞儀だ。


「いや、マネイナが頭下げることないだろ?」


 戸惑って訊くと、マネイナは顔を上げて硬い表情で俺をすっと見下ろした。


「連帯責任ですから」

「そっか」


 真面目だなぁ。


「エウェン・フラットリー」

「……は?」


 唐突に呟かれた名前に、俺はアホみたいに口を開ける。


「エウェン・フラットリーは別のクラスの女子だったけれど、自分のところまで噂は届いていました。二週間ほど前に目覚めたクローンで、バグだったのですが」


 言って、マネイナは俺を見据えた。まるで、お前もだろ? って問いかけてるみたいな目だ。半信半疑じゃなくて、確固たる自信を持った牽制って感じ。

 マネイナは俺からふと視線をそらすと、嘆息を漏らした。


「問題児だったらしくて。誰かを探すとか、何かを探すとか言って訓練にも参加しなかったみたいで、その辺でサボって寝てたなんて目撃情報もあったくらい不真面目な生徒でした。挙句銃を盗んで逃走……」


 軽く頭を振って、マネイナは俺を厳しい目で見据えた。


「貴女はそんなマネ、しないことですね。速水組へ、ひいては速水教官への迷惑になる行動は謹んで下さい」

「……は~い」


 メガネをくいっと上げるマネイナを見ながら、俺は妙に納得した。


(確かに、あの性悪が言う通り、堅物だぜマネイナ)


 ちらりと視線をハイガちゃんに向けると、ハイガちゃんはそろりと去ろうとしていた。


「ありがとうな。ハイガちゃん」


 ハイガちゃんは一瞬肩をびくっとさせて振り返った。どうしたんだ? と疑問が過ぎったけど、振向いたときのハイガちゃんはさわやかな笑顔だったから、そんな疑問はすぐに吹き飛んでしまった。


「いいえ、別に私は何も。それじゃあ、私はこれで」

「あっ」


 俺は小さく出した右手を引っ込めた。引き止めたかったけど、ハイガちゃんまであの性悪に睨まれたら可哀想だからな。


 がしがしと頭を掻いて、ふとマネイナに目を向けるとマネイナは踵を返したところだった。その背にまた礼を送る。


「マネイナ、ありがとな。理由はどうあれ、助かったわ」


 マネイナは首だけで振り返って、小さくお辞儀をした。そのとき、突然歓声が上がった。


 びっくりして振り返ると、モニターに映像が映し出されていた。

 犬の形をした大型のロボットが一人の人間と向き合っていた。


 犬型ロボットは、しゅっとしたタイプじゃなくて、どっちかっていうとゴールデンレトリバーとかみたいなずんぐり系。


 でも本物みたいに毛があるわけでもなく、鉄とか金属、大きなボルトがむき出しになっていて、見るからにロボットだと分かる。両肩にロケットランチャーみたいな武器がついていた。


 対する人間の方は、人間の骨格に沿って鉄や金属の骨組みが敷かれ、脚や腕を鋼鉄で覆って実際の体格より遥かに大きくなっているみたいだ。側面のボディラインは鉄の骨組みが二本見える程度ですっきりとしている。


 黒いヘルメットをして、犬のロボットと対峙しているその男は、目鼻立ちがくっきりとした精悍な青年だった。


「なんだ、あれ?」


 呟いた俺の隣に、マネイナがやって来て胸の下で腕を組んだ。巨乳がたゆんと揺れる。あざーっす!


「あれは、R・Fと歩神というの。覚えておいて損はないですよ」

「それはどうも。なるほど、あれが兵器か。で、どっちがどっち?」

「R・Fがタイプ〇参(ゼロサン)型のロボット。歩神がパワードスーツ」


 マネイナはモニターに指を指しながら言った。RF・タイプ〇参が犬型ロボット。歩神が青年の方だ。


「なにするところなの?」

「戦うのでしょう」

「なんで?」

「これは訓練の一環で行われている演習です。校章が違うので、姉妹校のコイオス校で行われているものですね」


 本当だ。画面の端に、サノク士官学校とは別のマークが写っている。二匹の蛇だか龍だかが絡み合って円を作り、その中にミミズののたくったような文字でコイオスと書かれていた。


「あれはおそらく二年生でしょう。自分達は一年生だから、歩神までですけど、二年生からR・Fの操作も習いますから。確かそれはコイオス校でも同じだったはずです」

「へえ……」


 ロボット操縦出来るのかぁ。桐生が聞いたら嬉しさのあまり卒倒するな。


「でも、人型じゃないんだな」


 ぽつりと出た独り言を聞き取ったのか、マネイナは冷静な表情を若干ながら不愉快そうにした。


「二足歩行なんて、役に立ちませんよ」

「なんで? かっこいいじゃん」

「歴史上人型がなかったわけじゃないですけど、二足歩行は不安定。安定して走らせるには、四足歩行が一番ですね」

「へえ、残念。でも、俺らはあのぉ……歩神だっけか? やれるんだよな?」

「そうですね。まだ基礎体力作りばかりで歩神を生で見たこともないですが……」


 マネイナは僅かに残念そうな表情を浮かべた。この子はあんまり表情変わんないんだなぁ。なんて思ったとき、モニターの中でゴングが鳴った。


 先に仕掛けたのはR・Fの方だった。巨体を持って、猛スピードで歩神の男に迫る。


「あの男、負けるんだろうな」


 武装したトラックの前に、少しだけごつくて大きくなった人間が立ちはだかってるみたいなもんだ。勝敗は目に見えてるだろう。犬型ロボットに跳ね上げられて終わり。――と、俺は高を括っていた。


 勝負は一瞬だろうなと。

 そう。本当に、勝負は一瞬だった。


 R・Fは歩神の男の数メートル先で急ブレーキをかけ、ロケットランチャーを発射した。ロケットはものすごいスピードで男に迫る。


「うわっ」


 俺は思わず身を竦めて、目を細めた。男にぶち当たる! と思ったんだ。だけど、信じられないことに、歩神の男は一瞬で姿を消した。


 そして、次の瞬間には激しい衝突音がして、何故かR・Fの頭部がボコンとへこんでいた。その上空に、歩神の男が僅かに落下しながら浮いている。飛び上がった直後って感じだ。そして、ブザーが鳴った。


『試合終了!』


 モニターの中で誰かが終わりを告げると同時に男は地面に着地した。

 俺はわけが分からなくて、あんぐりと口を開けたまま呆けていた。


「良い戦いでしたね」


 マネイナの満足そうな声音で、俺はようやく我に帰った。


「な、なあ。今のなに? なんであいつ消えたの? なんでロボットの方がへこんだんだ?」


 マネイナは興味深そうな表情をして俺を見た。


「へこんだ理由はおそらく、重力操作によるものでしょう」

「重力?」

「消えたのも同じ理由ですよ。あの人は重力操作が上手いと見える」


 マネイナは答えになってない答えを俺に投げて、くるりと踵を返した。


「そろそろ次の授業の時間です。行きましょう」

(わけが分からん)


 戸惑いに引き攣った表情を、マネイナは戻してくれる気はないらしい。


 *


 最初の登校日から、一週間が経った。

 あのモニターの試合が目に焼きついてる。なんでもすぐに忘れられる俺が、一週間も気にしてるなんて相当だ。


(くそう。俺もあんなかっちょいーまねしてみてぇなぁ!)


 なのに、相変わらず歩神の授業は始まってもいない。速水は地獄みたいな体力作りはやらせるくせに、歩神の特訓はいっこうにするつもりはないらしい。


 クラス内でも不満が溜まってるのか、俺へのあたりがひどい。

 クラスのやつらは話しかければ話す。でも素っ気無いし、冷たい目を向けてくる。それだけだ。けど、あからさまなのはあいつ、あの女達だ。


「ちょっと~! なんか臭くない?」

「うん。臭ぁい!」

「あらぁ? なんでかと思ったらバグが近くに居たのね!」

「やっだ! セイラム。聞こえるよぉ?」

「聞こえたって良いのよ。聞こえるように言ってるんだから!」


 あ~はっはっは! と、後ろから高笑いが響いてくる。

 あの金髪性悪小娘。本当、良い性格してるぜ。それにコバンザメの白燐もな。


「ほんっとに……」


 一週間ず~っと、ねちねちねちねち。良く飽きないよなぁ。

 それだけじゃなく、ドラマで見たような嫌がらせもあった。トイレに入ってたときだ。


 女子トイレにちょっと興奮を覚えてた俺の耳に、ここ臭くない? と声高な声が聞こえてきて、その瞬間バケツ一杯の水が頭上から降り注いだ。

 で、お決まりの高笑い。


(すぐに誰の仕業か分かったぜ。あの性悪……)


 俺はこっそりとセイラムを横目で睨んだ。

 初回のときのように、食堂とか教室とか人目につくところでのいじめはなくなった。


 多分、教官にばれたら、とんでもない距離走らされたりするからだろう。それも連帯責任でクラス全員が。


 そんなことになれば、結局クラス中から睨まれるのはセイラム達だろうからな。


 廊下を歩いていてすれ違いざまに押されるとかはあったけど、それ以外の肉体的な暴力はなかった。


 俺は斜め後ろを振り返った。椅子の上ではまだ高笑いが続いている。俺は深いため息をついて、


「お前らいいかげんにしろよ。そんなことしてばっかだとモテないぜ?」


 だいたい、夜茄の身体が臭いわけがないだろ。良い匂いしかしないのに。

 セイラム達の嘲笑が、ぴたっと止んだ。セイラムは軽蔑の眼差しで俺を睨み付けた。


「ふんっ。嫉妬ね。わたし、ファンクラブあるのよ。モテないわけないでしょ」

「そうよ! セイラムはアンタなんかよりモテモテなのよぉ!」

「……マジかよ。この世界の男は見る目ねぇなぁ」

「ふんっ。負け惜しみだわ!」


 セイラムは心底満足そうに鼻を鳴らした。

 いじめが悪化しない理由は、俺の態度によるところもあるんだろう。こうしてムカつくときは言い返すし。


 もしも力ずくでこられてもやり返す自信があるからな。この身体じゃどこまでやれるか分からんけど、俺も元二十五歳の立派な男子という自負がある。小娘なんかに黙ってやられてやるか。


 それにしても、こいつにファンクラブとか……。確かに美少女だが、俺ならこんな性悪ごめんだね。この世界の男は女の趣味が悪すぎる。


 俺は憤りながら、視線をちらりとハイガちゃんに向けた。ハイガちゃんは青い髪に青白い肌の小柄な少女と、ド派手なオレンジ色の髪をポニーテールにした、すらっとしたモデル体系の少女と一緒にいた。マネイナもいる。


 ハイガちゃんは普段、マネイナのグループとつるんでるみたいだ。だけど、実はちょっと距離を置いてるみたいにも見える。


 俺は机に頬杖をついて、クラスを見回した。

 このクラスに一週間いるけど、春南ちゃんはこのクラスにはいないみたいだ。いたらとっくに名乗り出てくれるはずだもんなぁ。


「別のクラスでも見て回るかねぇ……」


 ぽつりと呟くと、チャイムが鳴った。俺は息を吐いて気合を入れる。

 さあ、地獄の特訓へ行くかね。


 * 


 訓練という名目の地獄は一時間続いた。

 内容はほぼ初日の通りだけど、腹筋、背筋運動の他に腕力を鍛えるべく、懸垂も加わった。ったく、いつになったら歩神に移るんだか……。俺は半ばうんざりしながら乱れきった息を整えた。


「いったんここで休止する。九時までに朝食をとって教室に集まれ。次の時間は地理だ」

「マーム、少しよろしいでしょうか」


 踵を返そうとした速水をセイラムが止めた。


「なんだ」

「どうしてこんなことをする必要があるんですか?」


 セイラムは責めるような口調で訊く。

 速水は片眉を釣り上げて、挑発めいた表情を浮かべた。


「どうしてとは?」

「だから……」


 少し躊躇ってから、セイラムは言い直した。


「だって、わたし達って歩神(アシン)か、R・Fのパイロットになるんですよね? 筋トレなんて必要ないじゃないですか」

「ほう……そうか」


 速水はぼそっと呟くと、つかつかとセイラムに歩み寄った。


(なんか、めっちゃ嫌な予感する)


 私は悪くないと言わんばかりに堂々としてるセイラムの顔面を、速水は突然蹴り倒した。張り倒したわけじゃない。〝蹴った〟んだ。


 頬に強烈な蹴りを喰らって、セイラムは半回転しながら床に倒れた。

 その無防備になった腹を軽く蹴って、速水はセイラムを仰向けにさせ、その腹にハイヒールのかかとをめり込ませた。


(うっわ……。マジかよ)

「かはっ……!」


 呻き声を上げながら、セイラムはヒールを強く握った。反射的に退かそうとしたみたいだ。


「退かせてみせろ」


 速水は冷静に言った。

 辺りは静けさに包まれている。


 俺の頭は、あまりの出来事に真っ白になっていた。

 セイラムは苦痛から逃げようとしたのか、もがいていたけど、もがくほどにヒールは腹に埋まっていく。


「――ああっ!」


 セイラムが悲鳴を上げて、やっと俺の意識がはっきりとした。


(助けないと!)


 気づいたら、速水の許へ駆けて行ってその手を乱暴に引いていた。


「おい、マーム! やりすぎた!」


 速水はよろめきもせずに、俺を冷たい瞳で見下ろした。


(いくら性悪だからって、女が暴力振られるのなんか見たくねえよ)


 俺は速水を睨みつけると、速水は冷たい視線のまま、足を退けた。セイラムが、軽く咳き込みながら上半身を起こす。


「やりすぎではない」

「……は?」


 速水の涼しい声音に、俺はつい嫌悪感のある瞳を向けた。だが、速水は気にすることもなく、訓練生を見回す。


「今のは、ハルティンに十分な筋力があれば退かせたはずだ。――持ってみろ」


 速水はホルダーに入っていた銃をセイラムに向って投げた。

 銃はセイラムの腹の上に落ちて、僅かに跳ね、床に落ちた。

 セイラムはその銃を不満げな顔つきで拾う。


「撃ってみろ」


 セイラムは、渋々銃を構えた。


(撃つのかよ)

 俺はそっと一歩下がった。


(巻き添えはごめんだぜ)

 他のクラスメイトも同じことを思ったのか、やつらもそっと後ろへ下がったのが見えた。


 銃は白銀色で、筒が長く、リボルバー式。小型とは言い難い大きさだ。

 セイラムは誰もいない方向を向くと、ハンマーを起こし、引き金を引いた。

 鋭い炸裂音が響いたと同時に、銃はセイラムの手をすり抜け、くるりと回転しながら鼻をかすめて落ちていった。


「……痛い!」


 小さく叫んで、セイラムは腕を押さえる。


「大丈夫か?」


 俺は思わずセイラムに駆け寄った。しゃがみ込んだセイラムの背に手を当てる。幸いなことに、かすめたのはグリッパー部分で、火傷はしなかったらしい。

 速水は冷たい視線を俺達に向けた。


「その銃は威力がすごくてな。素人が下手に撃てば、脱臼することもあると言われている」

「そんなもん撃たせたのか!?」


 信じらんねぇ、この女! 正気かよ?

 速水は顔色一つ崩さずに、涼しい表情のまま銃を拾い上げた。


「銃に至っては、これか、これ以上の物しか配布されていない。他の物では威力が弱すぎて使いものにならんからな」


 わかったか? と、速水は続けた。


「ある程度の筋肉は必要なんだよ。これ以上の物ともなれば、ライフルや短機関銃、機関銃どころか、バズーカを装備することもざらにある。もちろん、歩神を装備していないときにな。そんなとき、もしくは歩神が故障して脱ぎ捨てねばならんときに、敵に遭遇し、銃も撃てないようでは話にもならん。ライフルでさえ、十キロを超えるものもあるのだからな」


 切り捨てるように言って、速水は踵を返して歩き出した。


「銃の訓練もそのうちにやる。理解したのなら、さっさと去れ」


 俺はその背中を睨みつけてから、セイラムを起こそうと、屈んでいた腰を落としてしゃがみ込んだ。周りがざわついている。なにやら視線を感じるが今はどうでも良い。


「大丈夫か?」


 覗き込んだ瞬間、ドンと体を強く押された。

 俺は思わず、びっくりして目を丸くした。


「余計なことしないで。バグのくせに」


 吐き捨てるように言って、セイラムは自力で立ち上がった。悔しそうに眉を顰めて、遠く一点を見つめてから、不機嫌な表情のまま歩き出した。

 なんだよ。可愛くねぇなぁ。


 * 


 それから一週間の時が流れて、地獄の特訓にも慣れてマシになった頃。俺達は訓練場Aという場所に初めて集まった。


 その日は事前に身体にフィットするスーツを渡されて、みんな更衣室で着替えてから鍛錬場Aに向った。更衣室でのムフフは割愛する。というか、実際ムフフは存在しなかった。


 ここの更衣室は、それぞれ個室だからな。――チクショウ!


 フィットスーツは、胸と身体の側面にだけ赤いラインが入っている。胸の部分は鋭い三角型だ。それ以外は、足先から指の先まで白い。はっきり言って、恥ずかしい。


 だが、みんなも恥ずかしいはずだ。耐えようではないか。なんせ、目の前の尻見放題だからな! 女に転生してラッキー! 何も出来ないけど。


 俺はムービングウォークに乗りながら、目の前のきゅっと上がったぷりぷりな女子の尻から男子に視線を移す。


 そこには、哀れな男子の姿があった。

 女子と同じ形のスーツだったけど、胸の部分は三角じゃなく、青のボーダー。そして、それ以外を白色の生地が男子の身体を纏っていた。


 彼らは一様に、恥ずかしそうに俯いてる。

 どう考えても、男のフィットスーツの方が恥ずかしい。白タイツって、王子様でも今時履かねぇわ。カボチャズボンもねぇし、股間こんもりが丸分かりじゃねーか。哀れだ。哀れだぜ、同士よ。


 そんなことを考えていると、あっという間にいつもの体育館の入り口を通り過ぎていた。


 体育館の先には、大きな穴が開いたような吹き抜けがあって、橋が架かっていた。


 橋は五十メートル以上はある。鉄で出来た橋は、細かい格子状になっていて僅かに下が見えるようになっている。


 吹き抜けは、底が見えないほど深く、暗い。

 時折、側面には光が走って行ったり、点滅したりしていた。


 多分、電気が通ってるんだろう。橋の側に壁に埋め込んだようなガラス張りのエレベーターがあった。それは向こう側にもあって、かなりの大型だ。


 そこを抜けると、すぐに訓練場Aはあった。

 訓練場Aは、体育館と違ってどことなく工場っぽい雰囲気がある。

 四方ともに、床も天井もコンクリートで囲われているからかも。


 訓練場Aの中央に集まって、俺達はいつものように直立不動で速水の到着を待っていた。ちらりと視線を右に動かす。


 隣から三番目にセイラムがいる。

 金髪性悪娘は、あれから少し大人しくなった。高飛車ではあるものの、俺にからんでくることもなくなったし、なんだか元気がない。


(まあ、反省したってことなんだろ)


 俺は前に向き直った。

 しばらくすると、速水がやって来て、俺達は一斉に敬礼をする。


(良く揃うもんだぜ)


 感心しながら腕を下ろした。


「取りに来い」


 速水が命令を下して、右端から順に速水の許へ行って戻ってくる。俺も手にして分かったが、速水が配ってたのはコンタクトレンズだった。


(俺、別に目悪くねえけど。こんなもん何に使うんだ?)


「眼鏡もあるが、訓練ではこっちを使うことにする。今日の訓練が終わったら、どちらか好きな方を配布する。C・Bを使って訓練をするなり、勉強やゲームをするなり、好きに使え」


(C・B? コイン型スマホで訓練って、どういうことだ?) 


 首を捻っていると、速水がパンッと手を叩いた。

 音は反響し、鋭く大きくなって鼓膜に響いた。


(うるせえ!)


 耳を塞ぎたかったけど、少しでも動こうもんなら鉄拳が飛んで来るからなぁ。

 速水は声を張った。


「これより、歩神の訓練を開始する!」

「ハッ!」


 全員で一斉に答えた。


(こういう感じはやっぱ良いなぁ)


 一体感がサッカー部を思い起こさせて懐かしさが過ぎる。けど、それとは正反対に場にはピリッとした空気が流れ、軍服を着た数人が、ある物を人数分訓練場に運んできた。


 それは人間の骨格に沿って、鉄製の骨組みが組まれ、間接部分にモーターが設置されているものだった。モニターで見たのとは少しだけ違う気がするけど、これは多分あれだろう。


「貴様らが待ちに待った歩神だ」


 よっしゃ! やっぱそうか。テンション上がるぜ!


「装着しろ」


 にんまりしたい頬を必死に押さえつけて、俺は速水の指示に従った。

 立つようにして吊るされていた歩神の前に立つと、C・Bを起動させる。


「装着!」


 C・Bに向って告げると、歩神の内側を電気が走った。次の瞬間、歩神がバラバラに分解されて、俺の身体を覆った。


「うわっ」


 思わず目を瞑る。生暖かい温度が俺を包んで、目を開いたときにはもう歩神は着装されていた。


「おお!」


 テンションが上がって、俺は腕や脚を交互に眺めた。少し動き辛さはあるけど、重さはさほど感じない。誰かに肩を組まれてるぐらいの重さだ。


 嬉しさが込み上げて来る。それを裂くように、甲高い警告音が鳴り響いた。びっくりして振り返ると、我関せず系ぼっち改め、体力あり過ぎぼっち青年、時屡不(ジルフ)から警告音が響いている。


 兵士数人が駆け寄り、速水がその後を悠々と歩いてくる。


「どうした。時屡不?」


 速水に問いかけられた時屡不は無言で装着した歩神を見つめていた。無言の上に無表だが、見ようによっては戸惑ってるようにも見える。先に時屡不の歩神を点検していた兵士がインカムを抑えながら、ぱっと速水を振り返った。


「整備科から連絡です。誤報であるようです」

「そうか」


 速水が頷くと同時に警報音は消えた。


(初日から災難だったな、時屡不)


 同情の目を送ったけど、時屡不は大して気に止めてないようで無表情のまま前を見据えた。

 速水は元の場所に戻って、俺達を見回した。声を張り上げる。


「これで、これからはいつでもC・Bから装着できるようになる。今装着している歩神が貴様ら専用の歩神だ!」


 そう言って速水はざっと歩神の説明を始めた。

 どうやら歩神というのは、超伝導磁気とかいうやつが組み込まれていて、その磁気によって電力は半永久的に継続されるらしい。だから、いったん起動させてしまえば充電はいらないって話だ。


 信じられないことに、その強力な磁気によって、重力を操れるようにもなるそうだ。使いこなせるやつはほんの一握りらしいけど。ちなみに通信手段の重力波は宇宙から来るブラックホールの重力波を使っていて、磁気によるものとは別物らしい。ただ、上手いやつは超伝導磁気を操って通信手段にも出来るみたいだけど。


 俺達が着てるフィットスーツは、その強力な磁気から身を守るための遮断機らしい。昔は頭まで被るタイプだったらしいけど、今はヘルメットがその代わりを果たしているんだとか。


(良かった。頭までの全身タイツとか、マジダサいからな)


 ほっとしつつ、俺はあの試合の男を思い浮かべていた。


 マネイナが言ってたのは、そういうことだったのか。と、納得もしたし、あいつはかなりのやり手ってことだよな。

 くっそー。痺れるぜ。絶対俺も、あんな風になってやる! 


「松尾之騎、ハイガ・ウィンツ、マネイナ・グランツ・セイラム・ハルティン」

「え?」


 俺はハッとして顔を上げた。速水はもう既に違う名前を呼んでいる。


(え~? なんで名前呼ばれたんだ?)

「以上だ。開始しろ」

(聞き逃したって正直に言っても罰があるだけだし、とりあえず周りを見つつ動くか)


 俺は慎重に辺りを見ながら動き出した。何気なさを装っていると、後ろから声をかけられた。


「松尾さん」


 振り返るとハイガちゃんが立っていた。その隣にはマネイナと、不機嫌な様子のセイラムがいる。


「こっちです」


 ハイガちゃんが遠慮がちに手招きをして、俺は近寄った。


「なぁ、なぁ。俺、話し聞いてなかったんだけど、何やるの?」


 出し抜けに訊いたら、マネイナに深いため息を零された。ちなみにハイガちゃんは苦笑してた。セイラムは鼻で笑ってたけど。


「我々がチームを組んで訓練を行うのです。一通り歩神のやり方をマスターしたら、トーナメント式の演習も行われるそうです」

「へえ。戦うのか」

「そうよ。早速訓練に取り掛かるわよ」


 自信満々に言って、セイラムは腕を組んだ。どうせこいつのことだから、優勝は自分のものだって思ってんだろうな。

 俺は視線をマネイナに移した。


「速水教官とかに歩神のやり方教わらないの?」

「C・Bがマニュアルを読み上げてくれるし、質問にも答えてくれる。こんなことでマームの手を煩わせる必要はないでしょう」

「ふ~ん。つか、マネイナって何気に速水のこと好きだよな?」

「……教官かマームとつけなさい」


 声音は静かだけど、鋭い瞳で睨まれた。絶対ギラッと光ったね。怖っ。


「ハイ、ハ~イ。すんません」


 謝ったのが軽い調子だったからか、ぴりっとした雰囲気が流れた。


(なんだよ、冗談通じねぇな)


 そろっとマネイナを窺うと、マネイナは冷眼視で俺を見ていた。ハイガちゃんは若干困った表情を浮かべている。セイラムは面倒臭そうに息を吐いた。


(なんだよ。分けわかんねぇ。マネイナにこの話題はタブーなのかぁ?)


 しばらくしてマネイナは呆れたようなため息をついた。

 

「では、始めますよ」

 

 どうやら不満ながら、許してはもらえたらしい。

 マネイナはその場で上を向き、コンタクトレンズをはめだした。俺もそれを真似てコンタクトを入れてみる。


 ちょっとごろっとしたけど、問題なく瞳に収まった。

 視界は普通。コンタクトを入れる前となんら変わりはない。

 マネイナがC・Bを起動したので、俺もそれに続く。C・Bを起動させた途端、視界が薄い青に染まった。


「うおっ!」


 驚いて思わずのけぞってしまった。

 水色の視界があっという間に広がって、誰の姿も映さなくなると、突然ブロック線が浮かびあがった。


『場所を選択してください』

「うわっ! びっくりした!」


 耳元で声が聞こえて、心臓が飛び跳ねた。C・Bの声だとすぐに分かって、鼓動が緩やかになる。


「えっと、場所って言われてもな……。俺、初心者なんだけど」

『了解しました。では、カリキュラムを始めます。チームメンバーの名前を教えてください』

「マネイナ、ハイガ・ウィンツ、セイラム・ハルティン」

『マネイナさんの苗字を教えてください』

「覚えてない」

『了解しました。検索致します。――マネイナ・グランツさんでよろしいですか?』

「速っ! ……まあ、多分そう、かな」

『了解。認識致します』


 C・Bがそう告げた途端、目の前にセイラム、マネイナ、ハイガちゃんが現れた。


「どうなってんだ? CGか?」


 呆気にとられていると、マネイナが首を振った。


「自分達は今、電脳世界にいるのですよ」

「電脳?」

「そうです。C・Bとコンタクトレンズによって精神、というか脳だけがここにいる状態なのです」

「どういうことだ?」

「コンタクトレンズは脳とC・Bを繋ぐためのもの。C・Bの世界で起こったことを脳に見せて、実際に起こっていると錯覚させているという感じですかね」

「え~と、つまりは……PS4の凄いばんみたいな感じ? バーチャルリアリティとかいう?」

「……は?」


 マネイナは、ぽてっとした肉厚の唇をぽかんとさせた。


「いや、いい」


 通じるわけないわな。


「まあ、とにかく、これでいつでも訓練ができるというわけです」

「バーチャルとリアルは違うと思うけどな」


「昔はこの方法が一番効率が良かったんですよ。一昔前は、神経を歩神やR・Fなどの機械と直接繋いで頭で思い描いた通りに戦闘をすることができましたから。運動音痴でも老人でも子供でも戦うことに問題はなかったわけです」


「へえ、今は違うの?」

「違います。今は己の力量で戦うしかない」

「なんか勿体ないな。なんでそうしたんだよ?」


「しょうがないんですよ。昔、人型F・Bがミスラの本体に侵入されたことがあったので。ミスラはもともと人間の脳にあったチップですからね。F・B本体に接続されたら、容易にF・Bと繋がった神経回路を伝って脳の中に侵入されてしまうというわけですよ」


「はあ、そりゃダメだわな」

「それで形式を変えたわけです」

「なるほどな。でも、なんでお前そんなに詳しいの?」

「軍事を志す者ならば、常識ですよ。ねえ、ハイガ」

「え、う、うん」


 ハイガちゃんは明らかに戸惑った。


「どうかした?」

「あ……。あはは、私、その話知らなかったんだ、ごめん」


 申し訳なさそうに苦笑する。そんなに自信なさげにしなくても良いのになぁ。そんなマニアックそうなこと普通知らんだろ。


「そうなんですか」

「うん」

「わたしも初耳だけど」


 セイラムがどことな~くケンカ腰に言うが、マネイナは気にした様子もなく、「ふむ」と小さく首を傾げた。


「自分は少し特別だからなのかも知れませんね。自分は軍人の家計に生まれたし、そうなるものだと決めていたから、昔から軍事的な歴史資料を読み漁っていたので」

「へえ。そうなんだ」


「でも、勘違いしないでくださいね。自分は、軍人になることに誇りを持っています。家族に強制されたわけではありません。いつかは姉上のように立派な軍人になり、将軍になるのが夢です」

「ハッ!」


 セイラムが盛大に鼻で笑って、ハイガちゃんがマネイナに微妙な笑みで小さな拍手を送ったから、俺は一応エールを送っておこう。


「そうか。がんばれ」

「ええ。ありがとう」


 マネイナは自信満々に笑んだ。

 性格の良い優等生ってこんな感じだよねって笑みで、逆に腹立つ。女の子な上にボインだから全然許せちゃうけどな。



 C・Bのガイダンスに従って歩神の操作方法が行われた。まあ、操作方法って言っても大したことじゃない。


 足を動かせば脚の部分の機械も動く。腕を動かせば腕の部分の機械も動く。ただそれだけ。……ガイダンス要らなくね?


「基礎はこんなものでしょう」


 独り言のようにマネイナが呟いて、俺達を見まわした。


「今度は重力操作か銃器の操作に入りましょう」

「まどろっこしい! さっさと戦闘の訓練に入るわよ」

「操作確認が先です」


 掌を空中でパッと振って一蹴したセイラムに、マネイナは表情をあまり変えずに真顔のままでキッパリと告げた。


「そんなの戦闘の中でやったら良いじゃない。その方が効率が良いわよ」


 賛成。


「しかし――」

「バグ。アンタやるわよ」

「あ? 俺?」

「なに? 文句でもあるの?」

「別にねえけど」


 むしろ賛成だけど、なんで俺?


「なに、怖気づいた?」

「まさか。俺は実践派でね。説明書はGo toごみ箱だ」


 パシッと拳を打った俺を見て、セイラムはにやっと笑う。


「そう」

「良いんですか?」


 ハイガちゃんが隣にいたマネイナに心配そうに訊いたのが聞こえてきた。


「心配ありがとう、ハイガちゃん。でも俺やるよ! それが男ってもんだから!」

「何言ってんのよ。アンタ、女じゃない」


 これだからバグは、とセイラムがため息を吐いて小さく首を振る。


「いやな。俺、男なんだよ。本当はさ」

「男がこんなもんつけてるわけないでしょ」


 突然ぐにゃとした感覚が胸を覆ったかと思うと、同時に胸に微電流が走った。

 なんだこれ……!


「おい、コラ! セイラム、なに人の胸揉んでんだよ! コロスよ!?」


 俺は動揺しながら、反射的に体をひねってセイラムの手から逃れる。


「ほ~ら、やっぱり女じゃない。男だったらそんな反応しないでしょ」

「ふっざけんな! 初めての体験だわ! こんな反応にもなるわっ!」

「胸触ったくらいでガチギレしないでよ。カッコ悪~い」

「なんだか、仲良くなりました?」


 ハイガちゃんの苦笑交じりの声音が聞こえて、


「そうみたいね」


 マネイナの同意がなされた。


「なってないわよ!」

「なってない!」


 思わずツッコんだ声がセイラムのガナリ声とぶつかってごちゃっとしたけど、何を言ったのかは判った。セイラムを苦々しく睨み付けると、あの性悪も歯を剥きながら睨んでくる。俺達は互いに睨み合うと、ほぼ同時にふんとそっぽ向いた。


「やっぱり仲が良いみたい」


 ハイガちゃんの暢気な声音に、「そんなわけない!」と返した声音が、今度はセイラムとぴったりにハモって、なんだかちょっと笑ってしまった。

 ちなみに、セイラムはむすっとしてたけど。



 向かい合ったセイラムは挑発的な目で俺を見据えていた。生意気なその表情は不覚にも俺をわくわくさせる。(――って、歴戦の勇士かよ)俺はふと失笑を漏らした。


 三メートルほど離れた場所にセイラムは立っていて、俺とセイラムのちょうど中心地点にマネイナがいた。

 マネイナはすっと手を挙げ、勢いよく振り下ろした。


「GO!」


 セイラムの上半身の位置がぐっと下がった瞬間、ピピッと耳元で小さな音が鳴った。


『前方、セイラム機。およそ三〇キロで迫ります。防御するか攻撃を開始して下さい』

「は?」


 目の端に数値やら文字が浮かんできたと思ったら、何故かセイラムが目前まで迫っていた。セイラムの右腕が殴る体勢をとる。


「うぅわっ!」


 俺は咄嗟に腕で顔と胸をかばう。金属同士がぶつかり合い、擦れていくような甲高い音が耳を突く。


 殴られた腕はまったく痛まないけど、すれ違いざまの性悪娘の顔は腹立つ! あいつ、めっちゃ優越感のある顔しやがって。


「おい、コラ! セイラム。お前扱い方知ってんじゃねぇか!」


 すでに後方にいるセイラムに振り返りざまに悪態つくと、セイラムはふんっと鼻を鳴らして小バカにした。


「あら、わたしだってあの時は知らなかったわよ。情報を上手く使わないのが悪いのよ」

「ああん?」

「C・Bを上手く活用しなさい! セイラムは試合が始まる直前にC・Bで操作の手順を追ってたんですよ!」

「はあ?」


 俺は驚いてアドバイスをくれたマネイナを振り返った。


「って、おい! お前それ、ズル――」


 再びセイラムを振り返ったとき、目に入ったのは二発の小型ミサイル……。


「お、おい! 待てコラァ!」

「試合中によそ見なんかしてるからよ」


 セイラムの嘲笑が高らかに響き渡る。


「あんの、クソ女ァ!」


 俺の罵声が届くが早いか、ピピっと鳴るのが早いか。


『避けて下さい』

「避けれたら、とっくに避けてるだろ!」


 もうミサイルは俺がいる地点すれすれに着弾しようとしていた。


(ダメだこりゃ……)


 俺は脚に力を込めて後ろへ下がった。その瞬間、


「え、えっわあ!」


 身体が急速に後ろへ引っ張られ、俺は二メートル近く飛び上がっていた。その刹那、二本のミサイルは爆発した。強烈な熱風が俺を包む。でも、不思議なことにそれほど熱くない。真夏に外に出た時の、むわっとした熱さ程度だ。

俺は半円を描いて、遥か後方に着地した。


(これが、パワードスーツ歩神の力か……)


「C・B、俺にざっと歩神の使い方教えろ」

『了解しました。ミサイル、重火器、銃、刀等の武器、および重力障壁(バリア)をお望みの場合、私にお申し付けください。ただし、松尾様の搭載されている武器は、八一ミリメートル迫撃砲、二十発。五、五六ミリメートル機関銃(マシンガン)、S&WM五〇〇リボルバー式拳銃。オーバーソードナイフのみです』

「解った。とりあえず、マシンガン」


 それしか分かる物がねえ。


『了解』


 ピピッと短い音が聞こえて、どういう仕組みかマシンガンが俺の右手付近に現れた。俺は内心驚きつつ、落下しそうになったマシンガンを掴む。ピピッと小さな音がした。


『セイラム機、接近』


 急いで顔を上げると、煙の中からセイラムが飛び出してきた。まだ距離はある。


(落ち着け俺!)


 自分をなだめて、マシンガンを構えた。連射する。が、まったく当たらない。セイラムに照準を合わせた的が右に左に揺れ動く。


「ちくしょう! 全然当たらねえ!」


 ピピピピピッ――と、警告音が耳元で鳴り続ける。


「ああっ! うるせえ!」


 俺は思わずインカムを投げ捨てた。


「バカね」


 セイラムの嘲りが宙に舞ったインカムから聞こえてきた。思わずそっちに意識が行った途端、衝撃が俺の身体に走った。

 思い切り肩を蹴っ飛ばされたような衝撃で、俺は後ろへ倒れ込んだ。


「痛ぇ!」


 痛みはまったくなかったけど、そんな言葉がつい口をついて、顔を上げたときにはもうマシンガンの銃口が鼻先につきつけられていた。自分の肩口から上がる僅かな煙で、撃たれたんだと気づいた。


「ゲームセットね」

「……クッソ!」


 勝ち誇った顔しやがって。


「お前、事前に調べてたなんて卑怯だろ! もう一回勝負しろ、このヤロー!」

「ハッ。何言ってんの。そりゃ、ある程度は事前に調べるわよ。常識じゃない。わたしが言ったのはノロノロとガイダンスに従ってみんなで仲良く作業確認をする必要はないってことよ。こういうのは戦闘しながらの方が身につくでしょ。あのままマネイナの言う通りにしてたら、一から順にやらされてたわよ。銃の撃ち合いを始めるまで三十分はかかったでしょうね。どう? 効率は良かったでしょ?」


 そりゃそうかも知んねえけど!


「いけしゃあしゃあとぬかしやがって! お前、本当にムカつくわっ!」

「あら。御互い様だわ」


 セイラムは挑発的に笑って、踵を返した。

 マジムカつく。


「今の試合で、武器の出現方法は理解出来ましたか?」

「うん。C・Bに言えば良いんだね」


 マネイナとハイガちゃんの会話が耳に入って、俺は血が上った頭を冷やすために、そっちに合流することにした。ふ~と息を深く吐き出すと、怒りは静まった。歩いてくる俺をじっと見てる二人に話しかける。


「なあ、武器って現実世界でもあんな風に出てくるの?」

「出てきますよ」


 合流した俺にマネイナは頷いた。


「へえ。でも、なんで?」

「超伝導磁気によって、小さなワームホールを造り出してるんですよ。歩神とC・Bの連動で武器を保管庫から転送してるんです」


「そんなことも出来るんだな。そういえば、重力操作も出来るようになるって言ってたけど、基本的にどんな風になるんだ?」

「貴女も見たでしょう? あの試合を」

「あの、巨大犬型ロボット対歩神の試合か?」


「そうです。あの試合で歩神を操っていた男は超電導磁気をコントロールして自分が通れるだけのワームホールを造り出したのです」

「あの時ロボットがへこんでたけど、それも重力?」


 興味津々に訊くと、マネイナはしばらく黙り込んだ。顎に手を当てて何か熟考するように宙を見ている。


「恐らくですが、三パターンほど考えられますね。R・Fのすぐ近くに瞬間移動し、打撃を加えて、また瞬間移動で少し離れたか。あるいは、重力の塊のようなものを造り出し、ぶつけたか、相手方の周辺の重力値を変えたか……」

「ふ~ん、お前いっぱい考え付くんだなぁ」

「軍人を志す者として当たり前です」


 堂々と胸を張るマネイナを見て、不意に春南ちゃんの顔が浮かんだ。春南ちゃんも、ぽんぽん色んなことが思い浮かんでたっけ……。


「もしかして、マネイナってクローンだったりする?」


 冗談半分に訊いたら、マネイナは少しだけ驚いた表情を浮かべた。


「どうして知ってるんですか?」

「……は?」

(え、もしかしてマジなの?)


 マネイナの横で、ハイガちゃんが俺と同じくらい驚いたけど、俺が気になったのは、マネイナとハイガちゃんの後方にいたセイラムだった。あの小娘は、何故か冷ややかな表情でこっちを見ている。


「……いや。当てずっぽうだったんだけど、そうなの?」

「ええ。五歳の時に一度事故で亡くなったらしいです」

「そうなんだ……。でも、クローンって十六歳とかで生成されんじゃねぇの?」

「軍ではそうです。十六歳から十八歳が最も身体が動くし、統率も取りやすいですからね」


 確かに思春期真っ只中の十四歳とかは扱いにくそうだもんなぁ。


「一般では亡くなった人物の亡くなった年齢から生成するのが普通ですね」


 不意に、ふっと自嘲するような笑みをセイラムが零した。ちょっと気になったけど、マネイナがそのまま会話を続けたから、俺もそっちに集中した。


「記憶の保存が必要なので、自分の時などは裕福な家庭しか生成出来ませんでしたが、今は少子化問題があるので全国民に記憶の保存の要請がなされています」


「ふ~ん……。マネイナはもしかして前世の記憶とかってあったりする?」

「それはありますよ。記憶の保管を行っていた三歳からは。ただ、もう昔のことでおぼろげですが……」


「あ~。そうじゃなくて。例えば、死んだときの記憶とかさ」

「死んだときの記憶? それはありませんね。それを移植するのは法律でも禁じられてますから。その記憶だけは削除されてから移植されなければなりません。死んだときの記憶があっては、蘇った本人も辛いでしょうし……。それでもある場合は、それはもうバグです」


「そうか。じゃあ、お前は春南ちゃんじゃないよな」

「は?」


 ぽつりと呟いた独り言を拾って、マネイナが怪訝な表情を浮かべる。ハイガちゃんもどことなく強張った表情で訝しげに俺を見た。そこに、何故か険のある――というか、どことなく暗い表情でセイラムが合流した。でも何も喋らないので、俺はとりあえず話を続けた。


「俺、春南ちゃんっていう女の子探してるんだよね」

「どうして?」


 ハイガちゃんが心配そうな表情で尋ねた。


「俺、この世界の人間じゃないんだよ。別の世界で一回死んで、冥土の裁判を受けてる最中だったんだよ。でも、春南ちゃんって女の子と一緒に冥土の住人の反乱みたいなのに巻き込まれてさ、それでここに通じてる鳥居を通って、この世界に来たわけ」


 真っ正直に話したのに、やっぱりセイラムは、バカげてるわって呆れた表情を浮かべている。さっきの曇り顔はどこいったよ。まあ、こいつは信じないと思ってたけど。


「まあ、信じようが信じまいがどっちでも良いけどな。事実だし。このことを多くの人が知ってれば春南ちゃんの耳に届くかも知れないだろ?」

「その、春南という人物は本当に貴女と一緒にやってきたのですか?」


 マネイナが疑り深そうに話に乗ってきた。


「おっ。信じてくれる?」

「信じるもなにも、突拍子がないので」

「ってことは、信じてねえってことね」

「ええ、まあ。でも、色んな情報を手に入れることは重要なことですから。精査しなければなりませんが、無下にするのも愚かでしょう」

「そう言ってくれると助かるねぇ」

「それで?」


「来たよ。多分な。だって、同じ鳥居潜ったし。だけど、今はいないけど、ミハネってやつも一緒に来たんだよ。ほら、マネイナが言ってた。問題児の……え~と、難しい名前のやつ」

「エウェン・フラットリー?」

「そう! そいつ。そいつが、ミハネってやつで死神なんだけど、ミハネが言うには磁気嵐に打たれて、春南ちゃんは俺達より前にこの世界に来てるらしいんだよな」


「どれくらい前に?」

「それがわかんねぇんだよ。数日かも知れねぇし、下手したら何十年も前かも知れねぇんだと」

「……そうですか。では、エウェン・フラットリーも春南を探してたってことですか?」


「春南ちゃんと俺をな。まあ、ちょっとサボってたときもあったみたいだけどな」

「なるほど」


 表情はあんまり変わらないが、どことなく興味深そうにマネイナは顎に手を当てる。


「もしかして信じてくれた?」


 顔を覗きこむと、マネイナはちらりと俺に視線を向けた。


「信じるに値するかどうかはまだ定かではありません。が、先ほどよりも少し信頼度は上がりましたね。エウェン・フラットリーの生前の行動動機と一致します」

「ばかげてるわ」


 ハッと鼻で笑って一蹴したセイラムに、マネイナは真顔を向けた。


「ほんの少しのパーセンテージが上がったというだけの話です」

「ってことは、つまりは全然信じてねえってことね」

「そうとも言えますね」


 マネイナは平然と言い放った。がっかりする一方で、なんだか懐かしいような気持ちになる。


「なんか、そういうところもちょっと春南ちゃんに似てる気がするんだよなぁ。マネイナって」


 もしかして、幼児に憑依だか転生だかして、記憶が曖昧になってるんじゃねえだろうな?


「そうなんですか?」

「うん。でも、まあ……」


 考えてみたら……。


「俺もほんの少ししか春南ちゃんといなかったし、彼女がどういう人物なのかってのは知らないって言った方が正しいのかもな」

「そうですね……」


 ぽつりと聞こえた相槌に視線を移すと、ハイガちゃんが眉をハの字に下げていた。


(心配してくれてんのか? ハイガちゃんって本当に優しいなぁ)


「そんなんで探せるの?」


 高慢な感じで上から訊いてきたセイラムとは大違いだぜ。


「なんだよ。信じてくれたのか?」

「そんなわけないでしょ。バカにしただけよ。嫌味も通じないの?」

「通じてるわ」


 バカにして訊き返したら、更にバカにされて返って来た。


(本当にこいつは……ハイガちゃんの爪の垢でも呑ませてやりてぇ!)


 セイラムを苦々しく睨みつけてたら、ハイガちゃんがそっと俺の腕を触って顔を近づけた。ドキッと胸が高鳴る。ハイガちゃんは少し背伸びをして俺の耳元で囁いた。


「まあ、まあ……。セイラムもあれで心配してるだけですから。本当は」


 マジかよ。ありえないだろ。とか、反論したかったけど、それは出来なかった。ハイガちゃんがそっと離れて、にこりと微笑(わら)ったからだ。


 洟にオレンジの香りが残っている。ハイガちゃんのとんでもなく良い匂いが……。


 この子には敵わないなぁ……。この、年上キラーめ。


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