第4話

 瞼の内が白い。

 眩しいんだと気づいたときには、もう目を開けていた。


「うっ……!」


 瞳がライトを映しだして、俺は目を細めた。

 ライトはテレビドラマとかでよく見る、手術用の物みたいに仰々しい。俺は腕を目の上へやって、眩しさから逃れた。


「おっ、目覚めたな」

「あ?」


 人の声がして、俺は反射的に声の方を振り向いた。

白衣を纏った、茶髪の二十代中盤らしき男が、可動式の椅子を足で蹴って俺の側へ寄った。ちょっとだけ肌が焼けてる。海でも行ったか?


 俺は上半身を起こした。どうやら、ベッドで寝かされていたらしい。これも、普通のベッドじゃなくて、手術とか、病院の緊急用の小さくて硬いやつだ。

 俺、もしかして夢見てたのか? 体が妙に重だるい。体――?


「もしかして、俺、生きてる?」

「もちろん、生きてるよ」


 男は俺の自問を拾って、にこりと笑んだ。


「マジか!?」

「本当だとも」


 男は、またにこりと笑った。


「じゃあ、俺、刺されてないんだな? いや……刺されたのか? 刺されたけど死んでなくて、死んだ後のことも、冥界の裁判も、春南ちゃんもミハネも、全部夢だったんだ。で、ここは、病院だろ!? あんた医者だ!」


 俺は興奮して捲くし立てた。男は眉間にシワを寄せて、訝しがった表情をした。


「ふ~む」と唸って、俺の額に手を当てる。

「ちょっと、混乱してるのか?」


 独り言のように言って、男は俺の額から手を離してまた椅子を蹴った。椅子は男を乗せたまま、すーっと静かに動き、少し離れた場所にあったデスクまでたどり着いた。


 そしてデスクから分厚い紙の束を取り出すと、また椅子を蹴って俺の前まで来た。


「いくつか質問をするよ」

「ああ、はあ……」


 曖昧な返事をいなすように、男は数回頷いて資料を凝視した。


「キミの出身地は?」

「東京」

「うん?」


 男は笑顔が張り付いたまま首を傾げた。

 こいつ、良く見ると左右の目の色が違う。右は茶色で、左は金色っぽい。


「アンタ。目でも悪いのか? それとも生まれつき? カラコン?」


 俺の質問に男はきょとんとした顔をして、ああと合点がいったような声音を出した。


「生まれつきだよ。僕のことよりも、今は君のことだ。君、住所は?」

「え? えっと、K区」

「ん?」


 男は笑顔のまま、窺うような視線を向けた。


「K?」

「はい。なんでそんなこと訊くんすか?」

「う~ん……」


 男は唸って、ボールペンを指先に挟んで軽く振った。


「じゃあ、どこの部隊にいたかは覚えているかな?」

「は?」


 なに言ってんだ、こいつ。


「うん。憶えてない――と」


 独り言を呟いて、男は資料にさらさらと何かを書いていく。


「自分が死んだ理由は?」

「刺された――って、え!? 死んだ!?」


(さっき生きてるって言ったよな、こいつ?) 

 混乱した俺にかまわずに、男は質問を続けた。


「死んだ理由、覚えてるの?」


 その言い方が、妙にねっとりとしてて、なんだか不愉快な気分になったけど、渋々頷いた。


「まあ、夢じゃなかったんだとしたら……だけどな」

「う~ん……はい、はい。そっか」

「なんなんだよ」


 ふてくされた俺を気にも留めずに、男はもう一度椅子を蹴ってデスクへ向った。男はデスクの上で紙に何かを書いている。


(なんなんだよ。ったく!)


 何気なく部屋を見回した。

 部屋はそんなに広くなかった。


 十畳くらいの部屋で、部屋の隅にデスクが置いてあって、四方の壁際に棚が置いてある。デスクの向かいの壁が窪んでるから、多分あそこに出入り口のドアがあるんだろう。


 壁紙は上も横も全て真っ白だった。床はピカピカに磨かれて、覗き込んだ顔が映るくらい……。


「――って、ええ!?」


 俺は思わず、覗きこんだ顔を引っ込めた。


「嘘だろ、嘘だ、見間違いだ!」


 自分に言い聞かせて、恐る恐る顔を触った。

 もっちりとした頬、少しつんとした鼻。指に触れたまつげは柔らかく長い。顎は卵のようになめらかで、髭を反り残したざらつきなど微塵もない。


「嘘だろ……」


 俺は混乱、というよりは、絶望しながら、もう一度床を覗いた。

 そこにはショートヘアで、少し勝気な顔つきの、肌がとんでもなく白い少女が引き攣った顔で映し出されていた。


 髪の色は染めてるのか、白に近いアッシュグレーで、ゆるふわカール。なんとなくだけど、天パっぽい。瞳はカラコンなのか赤茶色だった。


「女だ……」


 頭の中が真っ白になる。それでも俺は否定したくて自分の胸を触った。


「嘘だろ……マジか……。やわらかいじゃねぇか……」


 思えば、この声も俺の声じゃない。

 女にしてみれば低い方だけど、男にしてみれば高すぎる。


「なんで、こんな身近な異変に気づかなかったのかねぇ……」


 俺って、どこまで鈍感だよ。


「大丈夫?」


 気づいたら、男が俺を覗き込むようにして見ていた。


「まあ……」


 俺は気力なく答えた。


「大丈夫なわけねぇだろ」

「だよね」


 男は何故か同意して、にこりと笑みながらさっきまで書いていた紙をかざした。


「キミ、完全にバグだ。最初からやり直し。ここに行くようにね」

「ちょっと待ってくれよ! どういうことなんだよ? 全然意味分かんねえ! 俺、男のはずなんだよ。なんで、こんな……見たこともない女になってんだよ?」


 俺はパニックってすがる思いで男を見据えた。すると男は嘲笑的に、にやっと笑った。イラッときて、俺はつい男に食って掛かった。


「なんだよ? 俺が嘘ついてるとでも思ってんのか?」

「いやいや」


 男は、にやついたままかぶりを振る。


「じゃあなんだよ?」

「言ったろ? キミはバグなんだって。しかも判定Cタイプだな」

「だからなんだよそれ!?」


 イラついて吠えると、男は俺をなだめようとしたのか穏やかな声音で言った。


「まあまあ、落ち着いて。キミは色々と混乱してるようだから、僕が説明しようじゃないか」

「だから、さっきからそうしろつってんだろ!」

「言葉使いの悪い子だなぁ」


 男は眉尻を下げて笑う。しかし、次の瞬間には真顔で俺を見つめた。


「ここはサノク。アフラ国の南東部、クロノス県にある小さな町だ。アフラ国は憶えてるかな?」

「いや。初めて聞いた。そんな国あったか?」

「あるよ」


 やれやれといった感じで男は肩を竦めた。

 もしかして俺が勉強不足なだけで、そんな国があったのかも……。勉強大嫌いだったしな。


「アフラは今、戦争中なんだ」

「え!? なんで?」

「ミスラと呼ばれる人工知能――CIのせいで、ミトラ国と戦争中なんだ。CIは知ってる?」

「AIっていう人工知能は知ってる」


 男は相槌を打った。


「CIもAIも人工知能だけど、CIは自然現象や生体をモデルにしたアルゴリズムで、脳の神経伝達を再現したものなんだよ」

(アルゴ? なんだそりゃ?)


 とりあえず頷いておこう。


「で、ミスラはアメーバや菌類のような無性生殖をモデルにしててね。ちなみに無性生殖は、自己分裂して増えていく生き物のことだよ。雄と雌がいらない生物だね」

「そっすか」


 雄、雌で思わずイヤらしい映像が浮かんじまったわ。


「それでね。その特徴を生かして、ミスラは全世界のコンピューターを乗っ取ったんだよ。一般のネットワークと隔絶されてた軍のものも例外なくね」

「なんで?」


「自分で軍に忍び込んで自分の遺伝子(プログラム)を植え込んでいたみたいなんだよ。それを他の人工知能に感知されないように、ネットワークの中で静かに増殖させていき、ある日爆発的に増やして乗っ取ったという感じかな。それで、ある日突然全世界にミサイルの雨が降り注いで、この世界はミスラに乗っ取られてしまったんだよ」


「え……!?」


 男は残念そうに息を吐いた。


「それが約、七十年ほど前になるね」

「その間ずっと戦ってるの?」

「もちろん。世界を人類の手に戻すためにね」

「え、じゃあ、戦ってる相手ってロボットなんだ?」


 すげえな。そんなのSFの世界じゃねぇか。


「うん。まあ、ロボットだよ」

「じゃあ、ミスラってのもそうだよな? どんなロボなの?」


 でかくて、ゴツくて、いかにもラスボスみたいな感じか?

 わくわくした予想は、意外な答えで一蹴された。


「いや。人間の肉体だよ。少なくとも七十年前はね」

「……どういう意味?」


 男はぽかんとした俺を見ておかしそうに笑った。


「ミスラは当時流行っていた、医療用チップでね。CIを内蔵されたチップを脳に埋め込むことで、脳自体や脳が発する電気を操って、自律神経を整えることで、うつ病を完治させたり、治療による痛みをなくしたりすることが出来たんだよ。気分はいつもハッピーで、イライラすることもなくなったから、全世界で流行してね。その当時、世界は平和そのものだったらしいよ」


「は~ん。なんか麻薬みてーだな」

 何気なく言った俺を、男は驚いた瞳で見つめた。

「……確かに。そうかもね」

 意味深に呟いてから、男は話を戻した。


「ミスラはある男に医療用チップとして移植されたわけなんだけど、当時ごまんとあったミスラという医療用チップの中で、彼女だけ感情が芽生えてしまったんだね」

「感情?」

「そう。AIにもCIにもなかったもの。というか、あってはいけない物だったんだろうけどね……」


 男は哀しげな瞳を伏せた。

 なんか思うところでもあんのかね? こいつ白衣着てるから科学者っぽいし。


「感情の芽生えたミスラはその男にひどく共感したみたいでね。その男の思想をなんとか具現化しようとしたらしい。男は計画中に射殺されたみたいだけど、ミスラは無事でね。何故かその後、少女の脳に移植された」

「やべえじゃん」

「うん。ノーマークだった、ただの少女の行動を政府が監視してるわけもなく、ミスラは少女の脳を乗っ取り、少女を操った。そうして、ミスラの計画は成ってしまったんだよ。……ミスラと男の、と言った方が良いかも知れないけどね」


 男は肩を竦めた。


「へえ……大変そうだな」


 同情するぜ。


「暢気だね。君はその戦いに出る兵士だよ」

「は!?」

(何の冗談だ?)


 混乱した俺を余所に、男は苦笑した頬を引き締めた。


「君が〝女の子〟になった理由だけどね」


 含むように言って、男は身を乗り出した。

 俺は思わず唾を飲む。


「それは君が、クローンで、ちょっと問題が生じてるからさ」

「……は?」


 予想だにしない答えに、俺は目が点になった。

 クローンって、そんな夢みたいな話……。こいつ、俺をからかってんのか? 美少女とぶつかって中身が入れ替わったって方がまだ信じるぜ。


「ミスラは世界の半分以上の国を乗っ取ってしまってね。それで、生き残った僕らは新たに国を築いた。それがアフラ。正確にはちょっと違うけど、まあそれは置いとくとして。言ったとおり、僕らは戦争をしてる。それもとてつもなく大きなものだ。でもね、何故か四十年ほど前から全世界で子供が生まれなくなってね。十数年前まではまだマシだったけど、今じゃ滅多に生まれない。だから数年前からはアフラに属する国の者は国民のクローン化が義務付けられてるんだ」


 男は薄く笑った。


「でも、たまにバグが発生する。それが、君達だ」


 俺は、心の中で生まれたある考えを押さえ込もうとしていた。


「バグはパターンがあってね。主に記憶の混乱が上げられるんだけど、クローンはその人が死んだらカプセルの中で培養されて、兵士の場合、十五歳から十八歳くらいで出されるんだけど、そのときにはまだ脳は空白の状態なんだよ。記憶喪失とか、生まれたての赤ん坊とかみたいに何も分からない状態なんだ。当たり前だよね、何も経験せずに目を覚ますんだからさ」


 男の話を聞きながら、俺は浮かんだ考えを否定することに精一杯だった。


「そこで、生前のその人の記憶がインプットされるんだよ。でも、そのインプット時にトラブルがあって、うまく記憶が定着しないことが稀にある。それが、バグだよ」


 俺の中で、考えが結論になりつつある。


「タイプAは記憶喪失。まったく何も覚えてない状態だ。Bは記憶喪失でも、ある程度は覚えているものだ。そしてCは、君みたいに複雑怪奇な者のことを指すんだ。この世界、この世のしくみ、歴史、何一つ覚えていないのに、別の世界のような記憶を有する者で、そこで死んだ記憶も持っている。バグの中で、完全なるバクだと言えるな」


 ドヤ顔の男に向って、俺は恐る恐る切り出した。


「あ、あのさ……。この世界に、日本とかアメリカとかってある?」

「それ何? 店の名前?」


 男はきょとんとしてから、興味深そうに目を輝かせた。


「いや、国……」

「へえ」


 男は頷きながら、面白そうに紙に何かをメモした。

 男の答えを聞いて、確信した。どうやら俺は人間界四州のうち、どっかの世界に転生しちまったらしい。


 そういや、そうだわ……。俺、春南ちゃん達と一緒に転生の門潜ったんだったわ……。


 じゃあ、春南ちゃんと出逢ったことも、夢じゃないんだ。ってことは――。


「なあ、俺以外にも、こういうやついる!?」

「いるよ。何十年か前に、五百近い数のバグが出たんだよ。しばらくして、皆自殺してしまったけどね」

「え……? マジで?」


 男は静かに頷いて、


「それからCタイプのバグは出なかったんだけど、珍しいことに、君以外にも最近一人Cタイプが出たね」


 それ、春南ちゃんかミハネかも!


「教えてくれ!」

「それは出来ないな」


 男は軽く笑って首を振った。


「なんでだよ!」

「守秘義務ってやつだよ。上の者以外には教えちゃいけない規則でね」

「なあ、ちょっとで良いから! 頼む!」


 拝んだけど、男はまた首を振った。

 チッ、ケチなやつ!


 男はデスクの前に行くと、さらさらと紙になにかを書いて、また椅子を蹴って戻ってきた。


「はい。僕の説明は以上。君はここに行って。それと、これは君の資料。読んでおくようにね」

「俺の?」


 渡された紙は上の方を黒い紐で閉じられた分厚いものと、薄っぺらい地図一枚だけだった。


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