第2話

「あっちィ……!」


 俺は服をぱたぱたとやって、熱がってみた。けど、別に熱くはない。

 そりゃそうだ。死んでるんだからな。


 俺の身体は、只今焼き場で骨にされている真っ最中だ。

 棺桶に一緒に入って焼かれるところの見学でもしようかとも思ったけど、グロそうだから止めた。


 俺はどうやら殺されたらしい。


 誰に? と聞かれても分からない。男でおっさんだったのは確かだが、どこの誰なのかは知らない。路地裏で女の子を助けようとして、背中を刺されて、心臓を貫かれて即死。


 背中を刺されたときは正直刺されたって気づかなかった。背中を強く叩かれた衝撃しか印象に残ってない。


 心臓を貫かれたときは、ショックですぐに心臓が止まって、痛かったとか苦しかったとかはない。だからなのか、死んだという実感はあまりなかった。気づいたら、何故か家にいたし。


 俺は焼き場から目を離して、参列者に視線を向ける。

 母ちゃんは茫然としながら、父ちゃんに促されて階段を上がろうとしていた。


 俺が死んだら、母ちゃんはわんわん泣くんだろうと思ってたけど、一度も泣かなかった。母ちゃんの目は、ずっと空ろだった。

 心を無くしてしまったんじゃないかと思うくらい、何も映してないような瞳をしていた。


 父ちゃんは、夜にこっそり台所で泣いてた。

 ビールを飲みながら、声を押し殺していた。


 その父ちゃんの肩に、親戚の伯父さんが手をかけて何か話しかけていた。従姉妹の子、縁梨(より)は、母親である従姉妹の里美と手を繋いでしょんぼりした表情を浮かべている。四歳でも、やっぱりどういう場なのかはちゃんと分かってるんだろう。


 この場にはいないけど、昨日の通夜には学生時代のクラスメイトの多くが来てくれて、なんだかちょっと嬉しかった。


 桐生は最初通夜にきたとき、目がからからに乾いていて、薄情なやつだと拗ねた想いがあったけど、棺の中の俺の顔を見た途端、号泣した。


 周囲の目を気にするそぶりもなく、ただ、子供みたいに声を出して泣いた。

なんで死んだ。俺を置いていくな。バカヤロウ――散々そう喚いて、終いには、俺がライブに誘ってれば良かったんだと自分を責めだし、犯人を殺してやると叫んで、サッカー部で一緒だった荻野に連れ出されていた。


 桐生は本当、見かけによらず情熱的なやつだよ。

 俺は関心しつつ、心底嬉しかった。

 桐生みたいなやつと友達になれて、俺は幸せ者だったんだなと、気づけたから。


「でもな……」


 俺はもう一度母ちゃんを見つめた。母ちゃんはやっぱり何も言わず虚ろな目のまま、テーブルに並んだ弁当を眺めていた。


 母ちゃんのあんな悄然とした姿、初めて見た。母ちゃんは元気が良くて、うるさくて、口やかましくて、陽気な人だとずっと思ってた。


「……」


 俺はなんだか居た堪れなくて、すいすいと宙を浮かんで、窓をすり抜けて外へ出た。


「これから、どうしようかな」


 ぽつりと呟いて、町を見下ろす。

 まさか自分が死んで幽霊になるなんて、思ってもみなかった。


「俺、なんか未練でもあんのかなぁ?」


 誰に言うでもなく、俺は盛大に独り言を呟いて、曇り空を見上げた。


「大してねぇと思うんだけどなぁ……」


 俺は首を捻って、腕を組んだ。

 今までの人生を振り返ってみても、思い当たる大きな未練は見当たらない。

大学受験も、どうしてもその大学に行きたかったわけじゃねぇし。ただ単に、皆が受験して受かってたからという理由だけだったと思う。


 彼女も半年だけだったけどいたことはあったし、文無しだったが、毎日それなりに充実はしてた。


 殺されたことは無念ではあるし、もっと生きたかったとも思う。色んな子と付き合ってみたかったし。もっと楽しいこともしたかった。あの男の形相は今思い出しても気色悪い上に怖い。けど、死んじまった以上、それを受け入れるしか道はないわけで。ってことで、成仏できない理由が見つからない。


 思い当たるふしがあるとすりゃ、俺の前に倒れてた女の子。あの子、助かったかな? 助かってたら良いけど……。


 俺は腕を組んで、遠くを見た。

 まあ、考えてもしょうがねぇよな。分からねぇもんは分からねぇし。成仏うんぬんも、なるようになるだろ。


「さて、これからどうしよう」


 どっか行ってみっかなぁ。

 目を凝らして辺りを見回した先に、銭湯の煙突が見えた。


「今時めずらしい。――あっ!」


 手を、パン! と叩いてにやりと頬を緩ませる。


「女風呂覗けるじゃん! それどころか、ラブホだって覗き放題じゃんか! 体がないのはおしいけど!」


 すい~っと、俺は空を泳ぐように手で弧を描いて煙突目指して飛び出した。


「ストップ……」

「え?」


 驚いて振り返ると、そこには俺と同じように空に浮いている女の子がいた。小学五年生ぐらいの女の子で、薄紅色の髪を下の方で二つに縛っている。

 派手な着物を着ていて、和テイストなゴスロリって感じの服だった。頭には何故か小さな角が二本生えている。


「コスプレか?」


 俺の独り言は見事に無視された。女の子は俺から視線を外し、持っていた分厚くて立派な本を開いた。


「松尾之騎(まつおゆうき)。二十五歳。性別、男」


 のんびりとした口調で、確認するように言って、「で、間違いない?」と問いかけてきた。俺はとりあえず、こくりと頷く。


「そうだけど。誰? あっ、もしかしてキミも死んだの? 幽霊仲間ってやつ?」

「違う」


 彼女は無表情に呟いて、信じられないことを言った。


「うちはお迎え係。死神って呼ぶ人間もいる」

「え!?」

「四十九日を迎えるまでこの世に留まる? それともすぐに逝く? まだなら四十九日後になるけど……。どうする?」


 淡々と変なこと言ってんなこの子。つーか、死神って本気で言ってんのか?


「え~と」

「ふあ~!」


 暢気なあくびをした自称死神は、眠そうに目を擦った。


「まだ次がいるけど……。まあ、考えてて良いよ。うちサボりたい」

「は?」


 死神は宙に寝転んで目を閉じだした。


「ぐ~。ぐう」


 イビキかいてるよ。寝るの早いだろ。


「お~い。キミが死神かどうかは知らないけど、俺まだ逝かねぇよ。聞いてる?」


 声をかけると、カッと目が見開かれた。


「うわっ」


 びっくりして仰け反ると、死神はむくっと上体を起こして、うんと頷いた。


「わかった」


 あっさりとした口調で承諾して、おもむろに本を開いた。一枚だけびりびりと破って、それを俺に差し出してくる。


「これ、契約書。サインして」

「契約書?」

「そう。簡単に言うと四十九日を過ぎてもこの世に残ってると、あなたは地縛霊とか浮遊霊とかになっちゃうけど、こっちでは責任一切とらないよってやつ」


「そうなの?」

「うん。あと、そうなった場合、契約違反で罪も加算されるから。死んだ後にも、罪を犯せば、それは裁く対象になるよ。さっき言ってた覗きするなら、加算されるから。覚悟もってした方が良いよ」

「聞いてたんかい! 恥ずかしいじゃねぇか」

「あと、四十九日の場合、昇天はセルフだから」


 ツッコミを死神は華麗にスルーした。


「は? セルフ?」

「四十九日に、天から光が現れるから分かるよ。それが出てる間にその光りの中に入れば、あの世に逝ける。昔は死んだら即連れて行くのが決まりだったけど、あの世も仕様が変わってきてて、死者にもこの世に残って心を整理する時間は必要だって。死者に選択権を与える事になったんだ。そのせいで後者を選んだ人間はセルフ方式になったんだけど。あ~、めんどくさ」


 気だるそうな表情で、死神はあくびをした。軽く右手を上げると、


「じゃ、そういうことで」

「あっ、おい!」


 死神は俺の制止をガン無視して、そのまま飛んでいってしまった。

 まだ聞きたいことあったんだけどなぁ。ま、いっか。


* 


 契約書はサインをしたら自動的に消え去った。魔法みたいに、一瞬できらきらとした光りになって、天に召された。ちなみにサインは紙に指で名前をなぞるように書いたら、金色の文字になって浮き出てきた。


「俺もあんな風に逝くんかねぇ……」


 俺は頬杖をつきながら一人、呟く。視線の先には、母ちゃんの姿があった。母ちゃんは薄暗い部屋で、俺の遺影を抱きしめて、膝を抱えてぼうっとしていた。


 俺がすぐに昇天しなかったのは、母ちゃんの事が気になったからだ。

 父ちゃんは多分、大丈夫だろう。

 今日も仕事に行ったし、少しずつ俺の死を受け止めているように見える。


 でも母ちゃんは、葬儀から一週間経ってもずっと呆けたままだった。

 家事はするし、スーパーに買い物にも出かける。でも、それ以外はずっと、こうして俺の部屋で、俺の遺影を抱きしめてぼうっとしていた。


 俺は窓をすり抜けて母ちゃんに近寄った。無駄だと思いつつも、母ちゃんに話しかけてみる。


「なあ、母ちゃん。元気出せよ」


 もちろん、母ちゃんから返事はない。

 それでも俺は続ける。


「ほらほら、覚えてる? 遠足でさ、俺めっちゃはしゃいで、足の骨折って帰ったことあったじゃんか。あん時母ちゃんめっちゃ怒ってさぁ、あん時みたいに怒って良いんだぜ? バカ息子! なに死んでんだ! って」


 母ちゃんは、空ろな目をしたまま呆然と虚空を見つめていた。


「いやあ、良い息子とは言えなかったかもだけどさぁ……」


 声音は、尻つぼみにしぼんでいった。俺は口をつぐんで、罪悪感でいっぱいの胸をかかえるように、母ちゃんと向き合って座った。


「死んで、ごめん」


 路地裏で、彼女に気づかなければ良かった。そうすれば、こんなことにはならなかったのに……。


 暗く、重苦しい空気を感じながら、俺はただ母ちゃんを見つめた。そのときだった。


 チャイムが鳴って、母ちゃんは重い体を引きずるように立ち上がった。

 俺の遺影をベッドの上に置いて、空ろな目のまま玄関へと向かった。俺もその後をついていく。


「はい」


 母ちゃんは短く返事をしてドアを開けた。

 俺は母ちゃんごしに玄関の外を覗く。母ちゃんの頭一つ分抜けたくらいの身長の男が、二人、玄関に立っていた。

 母ちゃんは百六十センチくらいだから、百七十くらいか。


 一人は目つきが悪くて、中肉中背のおっさんで、もう一人は三十代前半くらいの爽やかな糸目の兄ちゃんだった。

 糸目の兄ちゃんは、優しそうな顔をさらに柔和にした。


「突然、申し訳ありません。松尾さんのお宅ですか?」

「はい」


 頷いた母ちゃんに、今度はおっさんが質問した。


「松尾之騎くんは、息子さんで間違いないかね?」

「……はい」


 母ちゃんは一瞬間を作って答えた。表情は見えないけど、悲しそうな声音だった。

 おっさんもそれを感じたんだろうか。同情するように眉を八の字に曲げた。


「息子さんの事件は聞いてます。ご愁傷さまです」

「ありがとうございます」


 お互いに頭を下げあって、顔を上げたおっさんの表情はまだ曇っていた。一緒に会釈していた兄ちゃんの表情も、どことなく暗い。


「それでね、お母さん。傷心のところ本当に申し訳ないんだけどね」


 言っておっさんは、顎で兄ちゃんに何かを促した。

 兄ちゃんはジャケットの内ポケットから、紙と黒い手帳を取り出した。その手帳を広げて翳すように母ちゃんに見せる。


「うげっ!」


 俺は思わず悲鳴を上げて後ずさりした。


「我々は警察のもんです」

「警察?」


 母ちゃんは怪訝な声を出した。

 でもすぐに俺が殺された事件のことだと思ったんだろう。


「犯人が捕まったんですか?」


 口調を荒げて刑事二人に詰め寄った。その声音には、必死さがにじみ出ていて、俺は少し複雑な気持ちになった。というのも、警察手帳を見た瞬間から、嫌な予感をひしひしと感じていたからだ。


「すみません」


 兄ちゃんが謝って、おっさんが兄ちゃんから紙を受け取った。そしてそれを、遠慮がちに母ちゃんに見せた。


「あなたの息子さんね。詐欺事件に関わっていたようなんですわ。もしかしたら、そのトラブルに巻き込まれたんかも知れんね」

「……詐欺?」

「そう。どうやら詐欺の出し子やってたみたいなんですわ。初犯のようだけど、これも犯罪だからね。被疑者死亡で送検しないといけないんですわ。……大丈夫?」


 へなへなとしゃがみ込んだ母ちゃんを心配して、おっさんは母ちゃんを覗き込んだ。俺は一歩、また一歩と母ちゃんから遠ざかった。

 この場で、俺だけが知ってる。母ちゃんは、激怒する前、こうしてしゃがみ込むんだ。


「あの、バカ息子!」


 大声で叫びながら勢い良く立ち上がった。

 覗き込んでいたおっさんは驚いて仰け反り、同じように心配していた兄ちゃんもびっくりして糸目を大きく見開いた。


「ごめんなさい!」


 俺は反射的に謝って、雷から隠れるように小さくなった。


「バカ息子……死んでからも、こんなバカやるなんて……」


 母ちゃんの声はさっきと打って変わって、消え入りそうだった。頬を伝って涙が零れ落ちて、床にシミをつけた。それを合図にしたように、母ちゃんは玄関で泣き崩れた。


 刑事の目も気にせずに、嗚咽まじりに泣き続けた。

 俺はそこで初めて、自分がした罪を思い知った。

 親より先に死んだだけでなく、死んでから母ちゃんに汚名を着せてしまったんだ。そう、気づいたときには、挽回の余地はもうなかった。


 だって俺は、死んでるんだから。



 それから、母ちゃんは見る見る元気になっていった。

 一人の時に何かを考えているように寂しい目をしたり、泣いたりするときもあったけど、心を空っぽにすることはなかった。


 俺が女の子を助けようとして殺されたことも、犯人が程なくして捕まったことで明らかになって、母ちゃんも父ちゃんもちょっとだけ誇らしげだった。息子が犯罪を犯して、それで殺されたってことよりずっとマシだからだろう。


 女の子が助からなかったことは残念だし、憔悴しきった母ちゃんを見て彼女を助けようとするんじゃなかったと後悔したりもしたけど、俺自身が死んじまった今、犯罪者として死ななくて良かったと思う自分もいる。


 母ちゃんは毎日俺の遺影に話しかけては、相変わらず俺をバカ息子呼ばわりする。でも、俺はそれが嬉しかった。


 俺に文句を言う母ちゃんは、優しくて、温かい目をしていたから。バカ息子と言われるたびに、愛してるよと言われてる気がした。


「――って、我ながらキモいな」


 俺は呟いて、ふと笑った。

 そんな日々を過ごすうちに、四十九日はあっという間に来てしまった。俺は四十九日の早朝、空を見上げていた。

 

 空が白みだし、薄青を取り戻しつつある空から、細い糸のような光りが伸びてきた。俺はちょっとした好奇心を胸の隅で感じながら、それに触ってみた。

光は、温かくもなく、冷たくもなかった。少しがっかりしたとき、それがぼわんと膨らみ、俺を包んだ。


 その瞬間、俺は宙に浮き、猛スピードで釣り上げられる魚のように天へと昇った。景色なんか見る余裕なんてなかったはずなのに、俺の目は懐かしい我が家を捉えていた。


 こうして俺は、この世にさよならした。



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