第1話
揺れる、白いフリル。
黒く短いスカートから覗く、ふわふわとした白いフリルが、くるりと右左に向きを変えるたび、俺の視界を優しく打つようにして揺れる。
そこからそこから伸びる艶かしい生足が、客達の視線を(主に俺の視線を)釘付けにしていた。
ホワイトブリムとネコ耳が、平凡な日々をファンタジーへと変えてくれた。ここは、そういう場所だ。
だが、これは断じて俺の趣味ではない。
「お帰りなさいませ」
甲高くて、甘ったるい声が、「ご主人様」と溌剌に告げた。
俺は一通り、メイドが新しく来た〝ご主人様〟の案内をするさまを見届けて、視線を目の前の友人、桐生へと移した。桐生は高校時代に出逢った親友だ。
この趣味はこいつ、桐生大輔のものだ。
普段は女子に対峙するとおどおどするばかりで喋る事すら出来ないのに、メイドカフェに来ると途端に〝出来る男〟を演じてくる。と言っても、こいつは俺と違って本当に頭が良い。
偏差値の低いうちの高校でトップだった。全国模試でもわりと上位で、今は某有名大学の大学院生だ。
(趣味はともかくとしても、なんでこんな秀才がうちの学校なんかに通ってたのかねぇ)
俺は怪訝と尊敬の眼差しを桐生へ向け、そして話題作りで切り出した。
「そういえばさ、良いバイトだったんだよ」
「なんだって?」
俺の言葉が唐突過ぎたのか、桐生は銜えていたストローを離して訝しがった。
「だからさ。良いバイトだったんだよ。昨日さ、街を歩いてたら声かけられてさ。緊急事態で、金が入用なんだけど、手が空いてなくて銀行に行けないっておっさんがいて。でも今日中に金を下ろさなきゃ、工場が潰れるから、代わりに降ろしてきてくれって頼まれたんだよ。で、銀行のATMで五十万下ろしてさ」
俺は自分の頬が緩んだのが分かった。興奮が蘇ってくる。指で空を掴むようにして、厚みを作って見せた。
「五十万って、案外薄いよな。俺、あればすぐ使っちまうしさ。そんな金見た事なかったわ。めっちゃドキドキしたよ」
「之騎(ゆうき)は貯金なんてまったくしないもんな。昔から」
桐生は途端に呆れたように表情を崩したけど、俺は笑い返した。
「まあな。でもお前だって倹約タイプじゃねぇだろ?」
「ま、ね」
桐生はふと苦笑を零した。俺は話を元に戻す。
「で、その中から駄賃だって言って一万貰ったんだぜ! 下ろすだけで一万とか、マジねぇよな!」
「……お前、それって詐欺じゃね?」
「……は?」
(んなわけねえだろ)
でも、俺とは正反対に桐生はあからさまに真顔だ。
「ありえねぇだろ。そのおっさんめっちゃ喜んでたし。これで工場助かるって」
「そのおっさんって、お前が金下ろしてくる間、どこにいた?」
「えっと……」
俺は昨日の記憶を辿った。
確か、銀行を出たらすぐに声をかけられたから――。
「多分、銀行の前で待ってたんじゃないか?」
「……おい、之騎。それ、絶対詐欺だって。お前、詐欺の片棒担がされたんだよ」
「いやいや、まさか!」
いや、でももしかして……こいつ言うとおりなのか?
「そう、なのか、な?」
「……だと思うけどさ。だって、銀行の前まで来る余裕があるのに、なんで自分で下ろさないんだよ。大体見ず知らずの他人に、なんで金なんか下ろさせるんだよ」
「考えてみれば、そうだよな。うわあ……マジか」
頭を抱えてテーブルに突っ伏する俺に、桐生は追い討ちをかけた。
「ATMって、防犯カメラついてるんだぜ。機械のことに。あの、丸いのあるだろ。操作パネルの上らへんにさ」
「――ある」
頼むから、それ以上言わないでくれよ。
「もしかしたら、警察来るかもな。今日あたり、松尾家に」
「おい、やめろよ! ホントにきたら、母ちゃんに殺される!」
悲鳴を上げた俺に、桐生は畳み掛けた。
「それどころか、就職だってヤバイかもよ。犯罪者になっちゃうんだからな」
こいつ、本当に俺の親友かよ。
辛らつな言葉に、引き攣った頬が戻らなかった。
深くため息をついて、背もたれにもたれかかると、ふと、己の境遇が蘇ってきた。
受験に失敗し、浪人生になり、親にはぶつぶつ文句を言われても俺は再度受験した。でもまた落ちて、ぱっとやる気がどっかに吹き飛ばされた。
俺は指を折って年月を数えてみる。一、二、三、四、五――ああ。あれ、もう六年前なのなぁ……。
月日が経つのはホント、速いよ。で、大学受験は諦めた。
就職しようとした時期もあったけど、落とされ続けるうちに面倒臭くなっちまって、高校時代から続けているラーメン屋でバイトをしてる。
母ちゃんには、毎日顔を合わせるたびに、就職しろ、貯金しろ、結婚しろ、しっかりしろときつく叱られるし、マジめんどくせえ。
うんざりしてた矢先、やっと少し良い事があったと思ったのに。まさか詐欺の出し子に使われてたなんて……。
さすがの俺だって、そろそろ落ち込むぜ。
人の善意を裏切りやがって。あの、クソ詐欺オヤジ。
俺は目の前のパフェを頬張った。
気分は最悪でも、美味いものは美味い。頬が思わず緩む。
そこにすかさず、桐生が一石投じてきやがった。
「警察が来る前に、自首した方が良いんじゃないか?」
「でも、何年か刑務所入るんだろ?」
「多分、実刑はないだろ。この場合。気づかないとかありえないけど、気づかない馬鹿もいないとは言えないからな。お前みたく」
「大輔、お前、冷たくない?」
「俺は呆れてんの。でも、一応お前のために言ってるんだぜ」
桐生は頬杖をついていた手を俺に指して、にっと笑った。
「多分、数十万以下の罰金で済むんじゃないか」
「シャッ!」
俺はがばっと上体を起こして、ガッツポーズをとった。そんな俺を、桐生は軽く睨む。
「お前なぁ。これは明らかに犯罪で、お前のミスだからな、之騎。被害者がいるってこと、わきまえとけよ」
「そんなに呆れた目すんなよ。分かってるよ、そんくらい」
つーか、俺だって被害者だっつーの!
*
俺と桐生はメイドカフェを出てすぐに別れた。桐生は他に行くとこがあるとかで、いそいそと街へ繰り出した。どうせ、いつもの地下アイドルのライブだろう。
一回だけ連れて行かれた事があったけど、案外楽しかった。けど、桐生の変貌ぶりが凄まじかったから、もう二度と行かない。
あの変な踊りと、合いの手は初見じゃ、まずびびる。
その後は俺もはっちゃけて踊ったりしたけど、終わった後に踊りが違うとか、合いの手はそうじゃないとか、桐生のチェックがめんどくさかった。だからもう二度と行かない。
桐生だって、にわかファンは連れて行きたくないだろうし。そもそもファンでも何でもないしな。
「あ~あ」
憂鬱な気分で一息つく。
もし、警察にばれて、母ちゃんに知られたら、何を言われるのか見当がついた。
『元々バカだバカだとは思ってたけど、こんなにバカだと思わなかった!』
絶対そう罵倒されて、泣かれるだろう。その後、たこ殴りにされて、警察に突き出される。そんな絵が瞬時に浮かんだ。
「ああ、クソ……! ツイいてねぇなぁ!」
俺は髪を掻き毟って、荒々しく息を吐き出した。そして、ふと町を見回す。
この街は相変わらず騒がしい。
メイドの客引き、ティッシュ配りの兄ちゃんの、「どうぞ」コール。
車道の車の音。クラクション。信号機から発せられる鳩の鳴き声。いい感じのリズムを作り出す、電車の車輪。そして、人のざわめきが生み出す、がやがやとしたメロディ。
夕暮れの光がビルのガラスに反射して、淡い色を放っている。うるさいだけのはずの街は、どことなく感傷的だった。
「俺ってば詩人!」
にやりと頬を持ち上げた。
どうやら一時的な情緒が、俺の目を文芸部なみのものに変えているらしい。だが、文芸部はここまでだ。
「まあ。バレねぇだろ」
俺の立ち直りの速さは、ウサイン・ボルトよりも速いのだ。
「それにしても」
一人で呟いて、俺はズボンのポケットから財布を取り出した。財布の中には、十円、五円の小銭が十数枚入ってるだけだった。
「一万、使っちまったんだよなぁ……」
昨日おっさんに貰った直後に食べ歩きだの、カラオケだの、フットサルだのに六千円前後使ってしまって、今日のメイドカフェと、その前のカラオケとボーリングで、一万は全て吹き飛んだ。
俺ってば、心底貧乏。
もう、銀行の貯金ですら、哀しいかな。千円を切っている。
「俺の頼みの綱は、今月のバイト代と――」
俺はもう一度ポケットをまさぐった。薄いカードをむき出しのまま取り出す。
「この、Suikaだけだな」
Suikaの中には三千円程度の電子マネーが入っていた。
「あれ? でも、保釈金払えなくね?」
今更ながらの事実に気がついたが、バレなきゃ良いのだ。バレなきゃな! そもそもこんだけわんさか人がいるのに、捕まるわきゃねーよ。俺だって被害者だし。
うんっと大きく頷いて、Suikaを財布と纏めた。ポケットに一緒に入れようとした瞬間、視界からSuikaと財布は消え去った。
「は?」
俺は反射的に残像を追った。
その先に、中年の男が走り去って行くのを捉える。一生懸命に振る腕の先には、
「俺の財布!」
冗談じゃない! 俺の生命線!
「ちょっと待て! おい泥棒! 誰かそいつ捕まえてくれ!」
俺は声を張りながら駆け出した。
「なめんなよ! 腐っても元サッカー部だぜ!」
吠えた俺を振り返って、おっさんはいっそうスピードを上げた。俺も負けじとスピードを上げる。ざわめく人中を駆け抜けて、ぐんぐんとおっさんとの距離を縮めた。
「こちとら、小中高とサッカー部だったんだ。おっさんなんかに負けるかよ!」
(万年補欠だったけどな!)
へへっと笑いながら、俺はおっさんに手を伸ばす。おっさんが息を切らしながら振り返ろうとした瞬間、その肩を掴んだ。
「おい。おっさ――」
責め立てようとした直後、おっさんは俺の手を振り解いた。そして瞬時に視界から消える。
「は?」
うろたえた瞬間、脛に強烈な痛みが走った。
「イッテェ!」
こいつ、弁慶の泣きどころを蹴りやがったなぁあ!
「あっ! おい!」
脛を擦る間におっさんは再び駆け出した。
「イッ……。イッテェ!」
俺はぼやきながら、右足を引きずって走り出す。おっさんは、人ごみをするすると避けながら路地裏に入った。
「待て、このヤロー!」
俺は罵声を浴びせながら、後を追った。けど、路地裏に入ったときにはもうおっさんの姿はなかった。
「クッソー! どこ行きやがったぁ! あの、くそじじいっ!」
路地裏は真っ直ぐに続いてたけど、途中にいくつか横道がある。手前にひとつ。少し奥にもうひとつ。更に奥にひとつ。一番奥の横道は片側だけだ。
ぽっかりと穴が開いたような暗さでビルの間に隙間が開いている。ここにおっさんが逃げ込んだのなら、確実に背中を捉えられるはずだ。ってことは、手前か、少し奥の横道に入ったってことだ。
俺は手前の路地を覗きこんだ。右側はすぐに大通りに繋がっている。こっちに逃げ込まれたらもう分からねぇかも。左側に首を振った。少し薄暗い。路地を抜けるとまた路地裏に繋がってるみたいだ。
「やっぱ、右か?」
軽く舌打ちをしたときだった。奥の方で物音が聞こえた。
人の話し声のようだったけど、くぐもっててなんて言ったのかは聞き取れなかった。もしかして、あの引ったくりオヤジか?
「あっちか?」
俺は慎重に足を運んだ。ここで逃がしてたまるかっての。
少し奥の横道を覗いたが、店の裏口である狭い通りがあるだけで人の気配はなかった。ってことは、更に奥、突き当たりの横道だろう。
そろりと足を出そうとしたとき、
「ひっ!」
小さい悲鳴が聞こえた。驚いた男の声だ。あのオヤジ、なんかしたか? もしかしてまた引ったくりしたんじゃねぇだろうな。
俺はダッシュで路地を駆けた。五階建てのビルの間に二メートル弱の道が顔を出す。だけど、俺はそこでぴたっと足を止めてしまった。なんだかすごく、異様な感じがしたから……。
日が暮れかかり、突き当たりの路地裏には僅かしか光は届かない。すでに夜のような暗さの中で何かの息遣いが聞こえてきた。
荒く、苦しそうな肩で息をする音だ。
「誰かいるのか?」
自分でも驚くくらい低い声になった。何びびってんだ、俺は。
「誰かいるのか?」
今度は声を張った。
「ううっ……」
(呻き声?)
女の凍えるような、か細い声だった。あのオヤジ、女の子に変なことしてんじゃねぇだろうな?
妙な正義感に駆られ、俺は急いで暗い路地に入っていった。だけど、数歩行ったところで、ぎくりとした。足が自然に止まってしまう。
白くて細い脚が地面に横たわっている。散らばった赤いパンプスの先に青いスカートの裾が広がる。ワンピースのウエストには太めの茶色いベルト。その先は、積んである段ボール箱が邪魔して見えない。だけど、黒髪が茶色いベルトにかかっていた。
倒れてる。どうして? 自問した瞬間、俺の目は見過ごしていたものを捉えた。ベルトが赤く染まっている。ダンボールの影から血が染み出してきていた。それも、大量の。
心臓が止まった気がした。
「……助けて」
消え入りそうな声を聞いた瞬間、俺は駆け出していた。
「もちろんだ! 今、救急車を――」
突然、背中を叩かれて、声がたわんだ。驚いて振り返ると薄闇の中で何かが光った。――ナイフだ。
(え、嘘だろ。なんで?)
三十代か四十代か、細身の男が歯をむき出しにして、信じられないくらい脅えた目でナイフを振り翳している。ナイフについた血が勢い良く跳ねて、俺の頬にかかった。
嘘だろ、こいつ。俺を殺そうとしてる。
がくんと膝が沈んだ。腰を抜かして尻餅をつく。男はそのまま俺に覆いかぶさってきた。必死で男の腕を掴む。途端に背中に激痛が走った。
「うあっ!」
悲鳴を上げた拍子に腕の力が緩んだ。容赦なくナイフは俺の左胸を貫いた。
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