結末の先取り

 築30年の2階建てアパートを物珍し気に眺める人々がいる。彼らはそのアパートに興味があるわけではない。玄関が黄色いテープで封鎖され、ベランダが青いビニールシートで覆われた205号室が気になるのだ。慌ただしく出入りする警察官を遠巻きに見ながら近隣の住民たちは断片的な情報を持ち寄り憶測をたくましくする。

 第一発見者は家主の恋人だった。デートの約束をすっぽかした上、連絡の一つも寄越さない彼を責めるためにアパートを訪れインターホンを鳴らしたが返事がない。合鍵を使って扉を開けるとふわりと甘い香りが漂ってきた。浮気を直感し、忍び足で

部屋に入るとリビングのテーブルに背筋を伸ばして座っている彼の後姿をみとめた。

彼が一人でいることに多少安堵しながらも、香水ともお菓子とも違う奇妙な甘い香りへの不信感を彼女は拭えなかった。多少の怒気を込めて彼の名を呼ぶが彼はこちらに背を向けたままぴくりともしない。彼女は警察による事情聴取で「まるで置物かなにかのようだった」と語ったそうだ。声を掛けても反応が無いのでそのまま歩み寄り、肩をゆすったところで異変に気付いた。絶妙なバランスを保って座っていたその死体は瞬く間にバランスを崩して彼女にもたれかかるようにして倒れてきた。それも激しく損壊した顔面を彼女の胸から腹にかけて擦り付けるようにして。顔面に残った乾きかけで粘り気を帯びた諸々の体液を塗りたくられた彼女の悲鳴で隣人が通報し、現在に至る。

 捜査一課のベテラン刑事は現場に入って眉をひそめた。理由はいくつもあるが、一番の理由はこの事件を捜査する甲斐が無いことに早々と気付いたからだ。

 死体を見た第一感は「殺人」だった。まるで耕されたかのような被害者の顔にどんな事故が起きたかは想像がつかないが、鑿のような凶器を持った犯人が執拗に抉った痕だと考えればしっくりくる。だが、室内に争った形跡が全くない。鑑識の第一報によると被害者は昨日の深夜、椅子に座ったまま死んだらしい。もちろん直接の死因は顔面の損壊によるものだ。故にこれを殺人事件だと判断するには被害者が無抵抗のまま犯人に死ぬまで顔を抉られ続けた、という至極無理のある仮定の下捜査を行わなければならない。

 そこまで考えたところで刑事はあることに気付き死体に顔を寄せた。潰れたイチジクのような、あるいはけば立った赤黒い絨毯のような、生理的嫌悪を覚える顔だった場所から微かに甘い香りがする。腐敗はそこまで進んでいない。血なまぐささの中に少しだけ唾液の臭い、そして青臭さのある甘い匂い。……花の匂いだった。鑑識の人間を呼び、傷口のサンプルを採らせてから部屋を出た。第一発見者の事情聴取と被害者の近況について職場や家族、近隣住民への聞き込み。やらなければいけないことは山ほどあるが、こういう始まりから歪な事件は大概誰も納得しない資料を作り上げ、誰も納得しないまま終わったことにせざるを得なくなるからだ。

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プース・カフェ 成屋6介 @jituwaningen

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