第56話 推しは人生1/6 *ファン*
*ファン*
「頼む! 一緒にライブに行ってくれっ」
「は?」
仕事の貴重な休憩中。部署が違う同期が突然俺の元にやってきて、両手を合わせて頭を下げてきた。
いや、なんで俺? 大学も会社も一緒という奇跡みたいな存在だけど、大した関わりなかったよな。
あの頃からこいつはアイドルオタクとして学内で有名。俺は無趣味。
人と接するのは苦手じゃなかったけど、こいつと話すことなんて片手で数えるほどしかない。
眉間に皺を寄せる俺に、
「一緒に参戦する予定だったヤツがさ、仕事でどうしても明日行けなくなっちゃったんだよ」
顔を上げて困ったように眉をハの字にして言った。
「それなら一人で行けよ」
てか『参戦』ってなんだ。戦いにでも行くのかよ。
「いやいやいや、Sorelleのデビューライブだぞ。空席なんて見せたくないんだよ」
アイドル業界に疎い俺でも知っている。飛ぶ鳥を落とす勢いで日本の音楽業界を駆け回ってるユニット。
「明日がデビューライブなのか」
「そうなんだよ。なあ、頼むよ。一緒に行ってくれよ」
土下座しそうな勢いで頭を下げた彼に、
「だから、なんで俺なんだよ」
ゆっくりと顔を上げ
「暇そうだから」
なんだよその理由……たしかに暇だけど。
結局翌日、俺はアイドルのライブを初めて観ることになった。暇だったから。
「予習しといた方が絶対楽しいから!」
そう言って渡されたCD、SNSに送り付けられたSorelleの動画のURL。全部聴いたし観ちゃったよ。
暇だったから仕方ない。
惰性で缶ビール片手に観ていたはずなのに、いつの間にか視線は片方の少女を追っていた。
歌はそんなに上手くない。隣の子に比べたら、素人目にも劣っていることがわかる。
だけど、踊りは迫力があって。花が咲くように笑顔で踊る『JURI』に惹かれていた。
「どうだった?」
感想を尋ねてきた同期には
「別に」
そっけなく言ったけど、ちょっと興味がわいてきたのが正直なところ。
こんなの初めてだ。なにかに興味をもつなんて、今までなかった。
高校は先生が勧めてきたところに行って、大学だって同じ。会社もそう。親が「ここ良さそうよ」と言ってきたところの面接を受けて、すんなり入った。そこに自分の意思なんてなかった。
趣味もなく、周囲に流されるように生きてきた俺初めて心惹かれた存在。生で観たい、そう思ってしまうのは仕方ないだろ。
同期によると、会場は約700人の小さな規模。超満員。
暑苦しいったらありゃしない。
でも、熱気と重苦しい空気が漂っているのは何故だろう。
不思議に思っていると、
「昨日、同じ事務所の子が交通事故で亡くなったんだよ」
隣の同期が呟くように言った。
成程。そりゃこんな異様な空気になるわけだ。
イマイチ盛り上がりに欠ける会場のファンたちを観察していたら、照明が暗くなってsAkiとJURIが現れた。
彼女たちも会場のどんよりとした空気を感じているのか、静かに語り出した。
「昨日悲しいことがありました」
少し目元を赤くしたsAki。そりゃそうだよな。亡くなった子たちと以前は同じグループにいたって同期が言ってたし。辛くないわけがない。
それでもステージに立ってくれたのはなんでだ。
嫌なら、悲しいなら、辛いなら中止にしたって良かったのに。
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