誰がために

Slick

第1話

 煌めく夕日の照らす路。

 町を流れる川岸の、背丈の高い草に囲まれた小さな空き地。

 それをよく覚えている。

 小学校からの帰り道、僕がその場所に着くと、彼女は既に待っていた。

「遅いよ!」

 草をかき分けた僕に、彼女は嬉しそうな笑顔を浮かべて言う。その頬が夕日に照らされて、光にまばゆく映えていた。

「ごめんね」

 そう言うと、僕は彼女の隣に腰を下ろす。そして毎夕を、この秘密の場所でおしゃべりして過ごすのが、僕たち二人の日課だった。



 僕と彼女は幼馴染だったが、二人が九歳の時に、彼女は川向かいの隣町に引っ越した。しかしその後も、僕たち二人はこのように毎夕放課後に顔を合わせては、いろいろなことを話した。

 そして、日が沈む前に帰るのが約束だった。

「――じゃあね」

 名残惜しそうに手を振る彼女に対し、僕はそう言うと背を向けて別れる。そして翌日には、また笑顔で顔を合わせるのだ。

 そんな幸せな日々が、ずっと続くと思っていた――。


□ □ □ □


『――スワロー・7、聞こえるか?』

 通信機から声がして、私はハッとした。

 哨戒空域の飛行中に物思いにふけるなど、もっての外だったと自省する。

「……スワロー・リーダー。はい、大丈夫です」

『了解。全機、気を抜くなよ』

 今の私がいるのは、あの空き地でなく単座式戦闘機のコックピットだ。目の前には彼女の笑顔の代わりにキャノピーがあり、口元を覆うマスクのせいで川辺の空気は届かない。

 成長し、「僕」は「私」になった。

 そして、隣国との間で戦争が起こった。私と彼女の母国は、劣勢に立たされた。

 私は志願し、厳しい訓練を経てパイロットになった。

 何故なら、私には守りたい人がいたからだった。彼女のためなら、命も惜しくはなかった。

 軍規で私信は制限されていたが、彼女とはずっと連絡を取り続けていた。

 そして先月、私は彼女にプロポーズし、彼女は頷いてくれた。


 ――私が戦うのは、全て彼女の為だった。




 先日、私たちの故郷の町が空襲されたという知らせが入った。

 苦境に追い込まれる母国の主要都市の一つだった私の故郷は、徹底的に破壊され、蹂躙された。

 親戚・知人は皆死んだ。

 父が。母が。家族が。幼い日々の思い出すべてが。

 そして、彼女が。


 私は、戦う気力を失ったと思った。

 彼女は死んだ。私は彼女を守れなかった。

 救えた筈なのに。

 今更、誰のために戦えようか。

 ――私が教わった軍事規律は、この問いに完璧な答えを用意していた。

 “軍隊の組織は命令の遵守によって成立する。兵士は受けた任務を遂行することだけを考えていればよい。

 ――優秀な兵士は、命令に従う”

 私にはもはや、この言葉しか残されていなかった。

 私の戦を捧げる相手は、もはやいない。私にはもう、戦う以外に道は無いのだ。

 既に、その理由が無かったとしても。

 私は、過去の亡霊を切り捨てる。

 私は死に体だ。そして、死に体は不死身なのである。

『――敵機だ!! 散開しろ!!』

 通信機が突然怒鳴り、私の周囲で味方が編隊を崩した。

 上空を複数の影が横切る。

『――スワロー・7、何してる!? 散開しろ!!』

 耳の奥で中隊長が言ったが、私はそれを無視した。

 ――全て失った。もう、思い残すことはない。

「……I`m tired of losing.」

 そう呟くと、スロットルを押し込んだ。機体はスピードを上げ、敵機の編隊に向かって突撃し――

 ――そして勝利の火花を散らした。

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